ああなる可能性が
腰に携えたダガーを抜き、相手に向かって駆けるブランシェ。
その速度は最早、模擬戦で見せ続けていたものの比ではなかった。
あまりの速さにフラヴィとレヴィア以外はその場から消えたように見えるはず。
これだけの速度ともなれば、ブランディーヌを確実に超えただろうな。
この世界の住人に同じことができるのかも分からない領域だ。
……だが。
「――んにゃあああッ!?」
まるで高速の車が壁に激突したような凄まじい轟音が周囲に響き渡り、同時にブランシェのどことなく情けない悲鳴がこちらまで届いた。
残念ながらトードにダメージはなく、攻撃ができないまま15メートル先の壁まで直進しただけだった。
「やはりこうなったか」
「極端に強化された力をどう扱うかで、ああなる可能性があるんだ。
だからこそ上位に置かれた技とも言えるが」
「力で制御するのではなく、体全体を満たすように強化させる技術なのだろう?
押さえつけるようにすれば反発することも、あの子は理解しているはずだが」
「強くなったと確信したことが判断力を鈍らせたんだろうな。
そんなところもあの子らしさを感じさせるよ」
「ちょ、ちょっと、トーヤもレヴィア姉も!
冷静に話してないで、ブランシェの心配をしてあげてよ!」
涙目のエルルは焦りながら言葉にするが、そうはならないことを俺もレヴィアも確信しているからな。
とはいえ俺たちが静かに分析する姿は、エルルにとって中々衝撃的だったか。
「大丈夫、問題ないよ。
壁にぶつかってしばらくは"廻"を維持できていた。
あれは身体的な強化をする技術だから、ブランシェに怪我はまったくないよ」
「うむ、そうだろうな。
それでも相当驚いた声がここまで届いたが」
「あの子のことだ。
想像していたのとは違う結果になって、びっくりしたんだろ」
おろおろあわあわとしながら、地面に転がってるブランシェと俺たちを交互に見続ける涙目のエルルだった。
"廻"とは体の奥底から集めた力を体内に巡らせ、物理的な強さを体現させる技。
それは筋力に限定した強化ではなく、肉体を強靭に保つための技術でもある。
だから壁に激突しようと、20メートルもある崖から落ちようと、無傷で済む。
山頂から麓まで転がり落ちても怪我をしないよと、父は笑いながら話していた。
大昔の師範はそんな修行をした、なんて恐ろしい内容が書物に残されていたが、正直この時代に生まれて良かったと思えたくらいだから、それが真実かは知ることもないだろうな。
……まぁ、事実だろうとそんなこと知りたくもないが……。
「しかし、主の使った技術とは随分と違う印象を受けるな」
「ブランシェが纏っていたような威圧に近いものが、俺にはなかったことだろ?
体内に留めた力が自然と溢れているとああなるんだが、初めはあれでいい。
あの状態を維持しつつ、体外に向かう力を体の内側まで落ち着かせれば完成だ。
そこまで研鑽を積めれば、俺と同じように気配を感じさせずに使えるんだよ」
むしろ俺には懐かしい姿に見えた。
"廻"を完成させれば見なくなる現象だからな。
やろうと思えばできるから、みんなに教える時には使うことになるが。
「魔法による身体能力強化よりも遥かに凄まじい効果を見せる技術。
その領域に至れない者には、消えたようにしか知覚できない技。
それを人族の俺でも現実的に可能としてしまう凄まじい力」
達人を自称する程度の使い手すら圧倒し、この世界でも最強と謳われるものだろうと追随を許さない絶対的な強さを得ることができると自負できるほどの技術。
恐らく当時のレヴィアが斃せなかった腐龍を、叩き潰せる強さすらあるはずだ。
「これが"動"系統の上位技、"廻"だ」
残念ながらブランシェはその領域に足を踏み入れただけで、トードに攻撃を当てることすらもできずに壁まで直進してしまった。
なぜそうなったのかも、地面に転がりながら手足をじたばたさせ、うがうが悔しがってるあの子も気がついただろう。
なら、大丈夫だ。
今度は上手くいく。
元気良く起き上がったブランシェがトードを見据え、再びダガーを構える。
そのぎらぎらとした気迫は、並の熟練冒険者程度なら逃げ出すだろうな。
俺とレヴィア以外の全員がトードとブランシェとの直線状からさりげなく離れたことで、あの子が驚きながら涙目になるのは、もうほんの少しだけ先の話だ。




