いささか分が悪いか
射殺さんばかりに睨みつける鋭い眼。
噛み砕く必要すらないほどの巨大な口。
鋼鉄で覆われているような深い水色の鱗。
全身がどのくらいあるのかも分からない体。
旧約聖書では"最強の生物"とすら記され、その強固な鱗と数十メートルはあろうかという巨大な体躯は、いかなる武器も通用しないとされる。
そんな存在を前に、さすがの俺にも緊張が走る。
想定はしていた。
あくまでも可能性だが。
それでもこれは、いささか分が悪いか。
対話は可能なのか?
それともそんなつもりは毛頭ないのか?
でかすぎて気配が読みにくい。
一瞬でも気を許したら襲いかかってくるかもしれない。
……まずいな。
相手の気配がこれほど掴みにくい相手は初めてだ。
さすがにこれは想定の範疇を越える。
危機感すら覚える緊張を走らせていると、巨大な山のような相手から声が届く。
まるで重々しい声色の男が放つものをさらに凝縮させた声のようで、それはさながら高山が言葉にしているとも思える不思議な錯覚を感じた。
≪我に用か、ヒトの子よ≫
その発言に違和感を覚える。
……まさか、そういうことなのか。
いや、それは早計だ。
希望的観測に過ぎない。
やはり訊ねるしかないか。
「聞きたいことがある。
この湖に生贄が捧げられたはずだ。
何か知らないか?」
……どう答える?
それ次第で俺の対応も決まる。
だが水龍と思われるそれは、俺が想定していた以上の答えを口にした。
≪……ふむ、そうか。
それに答える代わりに、頼み事をひとつ聞いてはくれぬか≫
「……なんだ」
≪我を斬ってもらいたい≫
「……どういう意味だ?
…………いや、そのままの意味か。
理解はしたが、詳細をあんたの言葉で聞かせてもらえないか?」
そう俺は訊ねるも、彼が言葉にした意味は理解しているつもりだった。
そしてそれは残念ながら俺が想像していたことよりも遙かに残酷なもので、彼の話にひどく苛立つこととなる。
……本当に何なんだろうな、この世界は。
本気でそう思えるような内容が水龍から発せられた。
その言葉が嘘でないことくらいは俺にだって分かる。
だからこそ、あの外道どもに強い苛立ちと嫌悪感を抱く。
どうやらこのまま見てみぬふりはもうできなくなったようだ。
彼は1000年以上も前から、このフェルザーの湖を住処にしているらしい。
だがある日、事件が起きた。
彼曰く、本当に気まぐれだったと当時の話を語った。
それが後に悲劇を生み出すことになるなど、微塵も思っていなかったそうだ。
この場所は時に凄まじく激しい雨に見舞われ、嵐とすら思える強風が湖に吹き荒れる現象が起きる。
正確な年数すら定かではないほどの大昔、難破船を陸地に戻したことがあった。
なるべく人に見られないようにと認識阻害をしていたらしい。
これは先ほど湖底で違和感を覚えたものだと推察するが、その影響もあってかあらぬ方向に話が移る事態を招いてしまう。
彼は"神"として人々に崇められ、畏怖の対象となった。
その程度であれば放っておけばいい。
現に彼はつい最近まで湖面に出ることもなく、月明かりすら照らさない晩や激しい雨の日に時たま湖底を泳ぎながら静かに暮らしていたそうだ。
しかし、ここにきて重大な問題が発生した。
≪我は龍種のひとつに過ぎない。
当然、ヒトの子が崇拝するような神ではない。
ましてやヒトの子を犠牲にしてしまうような我など、いない方がいい≫
「……それは極論だと思うが」
≪そうではない。
我の存在がヒトの子を恐れさせ、コルネリアを贄として捧げさせる結果を導き出してしまった。
これは、我が仕出かした過ちに他ならない≫
……その考えは、間違っていないのかもしれない。
水龍なんて強大な存在がこの湖に居続ける限り、これからも悲劇は続く可能性はゼロじゃないだろう。
もしかしたら、反対側の湖周辺にある村でも同じような儀式が行われていることだって、俺には否定できない。
こんな非道が他にもあると俺自身が信じたくないだけで、実際には似たような宗教が未だに続けられていたとしても不思議なことではない。
村を救うため。
神の怒りを鎮めるため。
不作や不運を振り払うため。
五穀豊穣祈願のため。
そのどれもが宗教的に悪いとは言えないものだ。
だがそこに尊い人の命が関わってくれば、それは完全に別の話となる。
それを実行し、今も涼しい顔で暮らしているあの連中を知っていると、本当にあんなやつらが他にもいるんじゃないかと俺には思えてならなかった。




