私の中心に
大樹が消えたことを確認して、女性の様子を伺う。
変わらずに美しい表情で微笑むところを見ると、成功したんだろうか。
「……どうだ?」
「そうですね。
……特に変わらないように思えます。
しいて言えば、トーヤさんが私の中心になったくらいでしょうか」
……その言い方は若干気になるが、あえて突っ込むこともないか。
「まぁ、言葉通りの意味を持つなら、これで俺たちと世界を歩けるってことか」
「そのようですね。
やはり、こんな枝では意味はなかったみたいです」
……こんな枝とか言うなよ。
それもあんたの一部だろうが。
本来の輝きを取り戻してから、時々辛辣に思える言葉が飛び出してるな……。
そんなことを考えながら白い目で彼女を見るが、それに気づいた女性は満面の笑みで返した。
どうやらそういったところの価値観は、俺たちとは随分と違うようだ。
いや、彼女にとっては小さな枝なんて髪の毛にすらならないんだろうか。
「そういえば、お姉さんのお名前は?
あたしはエルルっていいます!
この子たちのお姉さんです!」
「ふらびいはね、ふらびいっていうの」
「アタシ、ブランシェ!
よろしくね、お姉ちゃん!」
「あらあら、ご丁寧にどうも。
ですが、私には名前がないんですよ。
元々はあの大樹から生まれた意思の欠片みたいなものですし」
「意思の欠片?
不思議な言い方に聞こえるが、大樹そのものとは少し違うってことか?」
「はい、そうなりますね」
話を詳しく聞いてみると、どうやら彼女は大樹そのものでありながら、大樹とは少し違う存在として生まれたように思えた。
それはやはり想像していたとおり、"精霊"と呼ばれる存在に近いように思えるが、彼女はこの場所を離れることができなかったのでその知識量は少なく、フリートヘルムからの会話で手にしたものがとても多いようだ。
「彼はとても物知りで、初めて会った頃の私は満足に会話ができるほどの知識もありませんでしたから」
どこか楽しげに答えながら、名もなき女性は話を続けた。
彼女の本体は大樹だと思われる。
だからエルルの推察通り、悪さをされたら人の姿となった彼女にも多大な影響を与えることになるのは間違いないだろうな。
もちろん試したこともないそうだし、そんなことをさせるつもりもまったくないが、この場所はなぜか魔物が寄り付かない安全な場所になっているそうで、彼女が意識を持ち始めてからの数百年は特にすることもなく、ぼんやりと過ごしていたと話した。
「この場所に数百年以上も大樹があったのに、町の人から知られてないのか?」
「どうなんでしょうか。
それほどこの場所を訪れる者はいませんでしたし、時たま冒険者がやってきては休憩をして、また森に帰る感じでしたよ。
この姿を取れるようになったのも最近ですし、それまでは透明な状態でしたので人には見えなかったみたいですね」
「ってことはさ?
お姉さんがその姿になってから、まだそんなに経ってないのかな?」
「この姿で彼とお逢いするまで8回ほど季節が回っていましたので、大体21年といったところでしょうか。
本音を言えば、あの方とこの姿で会話をしようと思ったのも、気まぐれでした」
冒険者は荒くれ者も多いって聞くし、それも当然かもしれないな。
それとなくギルドで東に何があるのかを聞いてみたが、フェルザーの湖くらいの情報しか受付の女性は話さなかった。
冒険者たちもなるべく誰かに伝えないような隠れた場所にしていたんだろう。
ここはフェルザーの湖も近いから、水源の確保もできる場所だ。
まして魔物が寄り付かない不思議な場所をペラペラ喋るようなやつはいないか。
そもそもギルドがこの場所を知らないとは考えにくい。
美しい花を咲かせる大樹を知りながら黙認していたのか。
"冒険者に荒らされかねないから"と考えるのは、俺の世界で無秩序とも思えるような花見をしている連中を知っているからなのかもしれないが……。
「ねえ、トーヤ」
「なんだ?」
「お姉さんのお名前、つけてあげてよ」
「俺がつけるのか?
彼女が自分で好きに名乗ればいいんじゃないか?」
「そんなのダメだよ!
ね、お姉さん?」
「そうですね。
文字通り私の命を預かってもらっているわけですし」
……突っ込みどころのある言葉がちょこちょこ飛んでくるな。
フリートヘルムさんから学んだ知識の影響だろうか。
表情や気配に揺らぎはない。
これはあれか、"天然"ってやつだな。
いや、確かに天然記念物になりそうな大樹ではあるんだが。
……くだらないことを考えてるな、俺は……。
「本音を言えば、私にはそういったことを思いつくだけの知識がありません。
なので、よければトーヤさんに名をつけてもらいたいのです。
いつまでも名なしでは寂しいとも感じますし」
「……そうか」
そうだよな。
それに名前ってのは個を識別するために必要なんじゃない。
その人を表す、その人自身とも言えるほど大切なものだ。
適当につけていい名前なんて存在しないと、俺には思える。
美しい花を咲かせた大樹を思い起こしながら空を見上げていると、自然に言葉があふれてきた。
「…Les belles fleurs de cerisier」
「レ・ベル・フルール・ドゥ・スリジエ?
随分長いですが、それがお名前ですか?」
「悪い、自然と声に出てたな。
今のを翻訳すると、"美しい桜の花"になるか。
スリジエってのは桜の木を意味するんだ。
世界でいちばん綺麗な花だと俺は思ってるよ。
そこから名をもらって、"リージェ"はどうだろうか?」
「リージェ……とても綺麗なお名前ですね。
ありがたく名乗らせていただきます」
心が弾んでいるような気配が伝わってきた。
どうやら気に入ってもらえたようで安心した。




