欲望の果てに
まったく。
エルルじゃないが、えらい目に遭ったもんだ。
俺達は普通に食事を取りに来ただけなんだがな……。
それにしても、今回の件はとても正気とは思えないやつの犯行だった。
人の心は怖いもんだし、幽霊よりも生きた人間の方が遙かに恐ろしいとも聞く。
ましてや相手が言葉も理屈も、常識すらも通用しない相手ならなおのことだ。
本当に、歪んだ人の感情ってのは厄介なもんだな。
「...Au bout du désir」
「オ・ブ・デュ・デジール?
どういう意味なの、トーヤ」
「"欲望の果てに"って意味だよ」
歩きながら俺は答える。
意味を知ったエルルは、徐々に星が輝きそうな空を見上げながら言葉にした。
その悲しそうな声色を出す彼女は、何とも言えない複雑な気持ちのようだ。
「……欲望の果て、かぁ……。
正直、あたしにはよく分かんないよ。
人を愛するのはとっても素敵なことなのに、あの人にはそれができなかった。
ううん、きっとあの人は、誰かに愛されたことがないんじゃないかな」
……愛されたことがない、か。
ほんの少し歯車がずれていたら、俺もあんな歪んだ心を持ったんだろうか。
まるで世界そのものを憎むように、人を見下しながら生きていたんだろうか。
あの時、父さんが手を差し伸べてくれていなければ、もしかしたら、俺は……。
「誰にも愛されず、誰にも必要とされず、誰にも正されなかった。
だから間違った心を持ったままなんじゃないかなって、あたしは思うんだ」
静かに言葉を続けるエルル。
その横顔は、とても10歳には思えないほど美しい表情をしていた。
どこか達観したようにも思える顔だが、それでも俺はこう答えるしかなかった。
「だからといって、あいつがしたことは絶対に間違ってる。
気に食わないなんて理由で毒をバラ撒かれちゃ、迷惑どころじゃない。
あの男にはそれを理解できないし、する気もまったくないんだろうが、それでも俺達にできることを手伝えたのは良かったと思えるよ」
「ぱーぱ、いっぱいいっぱい、がんばってたね」
「うんうん、トーヤすっごく頑張ってた。
あの時のトーヤ、かっこ良かったよね!」
「うんっ」
「わぅ! ……わふぅ……」
ふたりに同意するブランシェも元気に答えたが、すぐにへろりと肩を落とした。
よほど腹が減っているんだろう。
ある意味では、この子がいちばん我慢しているのかもしれないな。
「予定はかなり変わったが、食事は部屋で食べさせてもらうか。
今から美味いのかも分からない店を探すより、俺の料理の方が安定だろうし」
「わぅ!? わふっわふっわぅぅ!」
「ぶらんしぇ、ぱーぱのごはん、おなかいっぱいたべたいって」
「あぁ、随分おあずけだったし、いっぱいあげるからもう少し頑張ろうな?」
「わふぅわふわふぅ」
「がんばるって、ぶらんしぇ、いってるよ」
「そうか。
いつもブランシェの言葉を伝えてくれてありがとう」
優しくなでると満面の笑みで喜ぶフラヴィだった。
だが、やはりこの子の言葉が理解できないことに思うところはある。
母親であるブランディーヌは喋っていたし、ブランシェもいずれは会話ができるようになるはずだが、まだまだ子供のこの子には難しいのかもしれないな。
……その頃には巨大な狼とかになってるんじゃないだろうか……。
そうなれば店に入れないどころか、町にも行けない可能性が出てくるな。
まぁ、そうなったらなったで野営すればいいだけだが、その前に色々と準備だけはしておいた方がいいか。
フラヴィが大きくなった時の服も欲しいな。
欲を言えば迷宮都市にもあるシェーネフラウへ行きたい。
それまで巨大な体に成長しないことを祈るだけだな。
「わぅ?」
「何でもないよ。
いっぱい食べて、いっぱい大きくなろうな?」
「わふっ!」
俺の作った飯を毎日腹いっぱい食べられると判断したんだろうな。
これでもかと瞳を輝かせた子には悪いんだが、今はまだあまり大きくなりすぎないで欲しいと思うのが本音ではあるな……。




