その瞬間を
冒険者ギルドからそう離れていない場所に、その宿はあった。
狼の印も看板に描かれているが、その多くは街門に近い場所、もしくは外壁沿いに建てられているのが一般的だと聞いている。
魔物と接点を持ちたくないと思う人が多いのも理解はできる。
魔物とは、一方的に襲いかかり、命を奪い取ろうとする危険な存在だ。
たとえ"隷属の刻印"と呼ばれたおぞましいもので支配していたとしても、不安に思う人がいなくなることはないんだろうとも思える。
それでも、追いやられるように扱われる魔物に思うところがないわけではない。
俺の周りには言うことを聞かない子も、人に襲いかかる子もいない。
人に対して威嚇するような子も、うちにはいない。
それがどうしても当たり前のように思えてしまうのは、そういった聞き分けのないと勘違いされている魔物を見たことがないからなのかもしれないな。
いずれ俺も"その瞬間"をこの目にすることがあるだろう。
その時の俺はどう思うのだろうか。
強い苛立ちと嫌悪感を向けながらも素通りするのだろうか。
それとも感情のまま行動に移してしまうのだろうか。
魔物を連れ歩くには専門の業者から購入できる地位にいるものか、偶然魔物の卵を手に入れたやつが孵化させるくらいしか方法がない。
入店できる店もかなり限られていることを考えれば、それほど頻繁に目撃することはないのかもしれないな。
となるとこの狼の印が描かれた看板は、魔物の入店を了承しているというよりも、魔物を連れている人物へ向けて見せているものなのか?
そう思うと若干イラつくが、あまり深くは考えない方がいいかもしれない。
デルプフェルトの宿では犬好きの店主が迎え入れてくれたし、動物好きの人が魔物も一緒にどうぞと善意で迎えてくれている店が多いと俺は思いたい。
「……どしたの、トーヤ」
「いや、なんでもない」
少し考え込んでしまったようだ。
なるべくこの子達に心配させるような行動は気をつけるべきだな。
扉を開けると、涼しげなドアベルの音が優しく耳に届いた。
正面にある受付カウンターでは、女性がなにやら帳簿を確認しているようだ。
すぐさまこちらに笑顔で視線を向けた女性は挨拶をした。
「いらっしゃいませ。
"草原のゆりかご"へようこそ。
私はこの宿の店主、ヘルミーネと申します」
「宿泊したいんだが、部屋は空いているか?」
「もちろんございます。
お泊りは"4名様"でしょうか?」
その一言に嬉しく思う。
この女性は最初からブランシェも泊り客として入れてくれた。
どうやらこの店も、俺が考えていたような場所ではないみたいだ。
「泊まりは4名だが、ベッドはひとつで十分だ」
馬車での移動の間でも、エルルは俺に引っ付いて眠るようになっていた。
どうやら俺は体温が高く、とても温かくて快適に眠れるらしい。
体を鍛えていたからかもしれないが、夏ごろになればそれもなくなるだろうな。
「かしこまりました。
ご滞在は何日になさいますか?」
「とりあえず1泊で。
明日、この周辺に出かける予定があって、野営する可能性もある。
状況によっては戻ってくることにもなるが」
「その場合は深夜でも対応させていただきますので、ここに置かれているベルでお呼びください」
笑顔で答える店主だが、そのサービスはかなりすごいものじゃないだろうか。
いくら泊り客が来たとはいえ、深夜は扉を固く閉ざすものなんだと俺は思う。
まるで日本にある宿泊施設みたいだなと、純粋に驚いていた。
「……なるべく迷惑にならない時間に来るようにする」
「ご配慮、ありがとうございます。
ですがどうぞお気になさらず、いつでもご来店ください」
「ありがとう」
申し訳なさを感じるが、場合によっては利用させてもらおうと思う。
それも子供たち次第になるだろうが、ベッドの方が休まるからな。
無理せず体力を回復するならしっかりと宿に泊まった方がいい。
そんなことを考えながら、俺は宿泊料金の3800ベルツを支払った。
やはり素泊まりでのひとり部屋は、かなり安いみたいだな。




