第十八話〜沙弥勝満の驚愕〜
壱与との約束で使役魔に仕事の幾らかを振り分けてから月の満ち欠けが一周した。
近江守の報告により、予定よりも一月早く城柵が完成したとの事なので近く聖武天皇御自ら視察に行く予定である。その前に、それを祝う意味合いも込めて近江守と隼人守を集めてある発表を行う。
実は、太政大臣に命じていた律令の作成が遂に完了したのである。今日は、この新たな律令を民へと示し施行する事によって、より国家としての体裁を整えるのである。
という訳で、正装に召し替えた聖武天皇は大極殿へ向かう。壱与は、悪阻が治まってきたが予断を許さないので、今回は留守番である。
…………
聖武天皇が大極殿の高御座へと着座すると、前庭に数多の文官武官が正装で立ち並んでいた。改元詔勅の時にも殆ど同じ光景であったが、大きく違う点がある。例の白い面を付けた者、つまり使役魔の式がその割合を減らしているのである。依然として七割半が式であるが、改元の時は九割九分を占めていたので大きな進歩だ。
先ずは近江守と隼人守に名字を与える。これは恩賞として、また律令支配に組み込む意味合いがある。
「近江守には琉球の、隼人守には熊襲の名字を其々与へむ。これをかたじけなく思ひ、これよりはこの名字を名乗れかし」
この他にも、今まで省の大輔であった貴族達を、それぞれ卿に格上げした。
次に、新たな律令を発表する。
「この国生まれし時より月の満ち欠けは三度四度行はれき。その間に、土地や民草を治め、その心のよすがが生まれつつあれど、未だ足りぬものあり。そは、国を纏むる律法なり。さて、新たに編纂せる源闢律令を発表し施行す。これを今後の背骨とし、世を平安と成せ」
遂に、この大和は今様な律令国家として完全に体裁を整えた。土地も民も、暦も宗教も有りながら暗黙の了解だけで動いていたこの国に、律令の光を浴びせたのである。
さて、この後に控える城柵視察に関連する近江国行幸の準備の為、聖武天皇は高御座から退出した。これを以てこの儀式は終わり、立ち並ぶ役人も持ち場へと戻って行った。
…………
二千の兵員を伴って牛車が進んで行く。
牛車に乗るは聖武天皇、これの御者は陰陽頭、現地にて迎えるは近江守である尚真である。
「これは陛下、よくぞ遥々いらっしゃいました」
「うむ、出迎え御苦労。早速、その城柵を見せよ」
「はい、此方に御座います」
近江守に連れられた先は、近江国最大にして大和で最も大きい湖である近淡海である。よく見ると、その辺りに人工物が見えた。
「近江守よ、あれがその城柵かね」
「ええ、途中から手伝いに入って頂いた征夷将軍様の御助言も取り入れた、最新式の城柵です」
それは、非常に奇妙な形をしていた。
近淡海から水を直接引いて堀と為し、それを三重に巡らす。その夫々の内側に物見櫓や武家屋敷の様なものを数多配置し、それらは全て回廊を兼ねていよう土塀で繋がれている。中央は石垣で小高くし、一際大きな櫓を置いている。土塀と思しき物が幾重にも巡らされており、素戔嗚尊が妻の櫛名田比売を住まわせた屋敷の八重垣を想起させる。その塀には一定間隔で穴が空いているが、恐らく彼処から矢を連べ打ちするのだろう。
「見事な城柵である。して、名は何という」
「実は完成したばかりでして、落成式も未だ行なっておりませぬ故、名は御座いません。用意は済ませておりますので、是非陛下の御前にて執り行いたく……」
「ふむ、では朕自ら執り行なおう。支度せよ」
「しかし、陛下の御手を煩わせるわけには……」
「なに、朕がやりたいと言うておるのだ、問題なかろう」
「はっ、では直ぐに整えます」
城柵の近くに簡易舞台が組まれ、相応の装飾が施された。
中央に立つのは聖武天皇ただ一人で、舞台の下に近江守と征夷将軍が横並びに立っている。
「では、これより落成式を執り行う。近江守、征夷将軍は前へ」
「「はっ」」
「両名、共に良くやってくれた。その働きに応じて、褒美をやろう」
「この近江守、有難き幸せに御座います」
「感涙に咽ぶばかりです」
「何か欲しいものがあれば、出来る限り応えよう」
「何を仰せられますか。元より陛下の命じられた事であります故、これは義務で有ります。どうして褒美が要りましょうか」
「近江守に同じく、主上の命なれば成し遂げて当然です」
「そうか。では、この城に名を与えよう。何か希望はあるか」
「陛下のお決めになる事です、どうして我等が意見できましょう」
「征夷将軍に同じく、主上の気の向くままに決められるのが宜しいでしょう」
二人から意見を手に入れることが出来なかった聖武天皇は、自身の中で名前の候補をいくつか挙げた。
その重要度を鑑みて多賀城や、初の城塞として国号を冠した大和城なんて名前も考えたが、最終的に、簡潔な名前に決定した。
「そうさな、この城は近淡海に面している。故に、淡海城でどうだろうか」
「ええ、分かりやすく良い名前だと思います」
「所以も明快ですから非常に覚えやすい事に疑う余地がありません。それで行きましょう」
どうやら高評価を得られたようで、聖武天皇は此れをそのまま採用した。
「うむ。ではこの城を淡海城と命名する!」
どっと拍手が沸き起こる。今後、この淡海城は蝦夷討伐の一大根拠地となるだろう。
そうして聖武天皇が感慨に耽っていると、舎人が此方へ走ってきた。
「近江守様! 大事に御座います!」
「近江守よ、あの者は卿の部下かね」
「ええ、間違い無く我が部下です。これ、陛下の御前であるぞ」
その舎人は目の前にいる人物が、己が主人で無い事がやっと理解出来たようで直ぐに平伏した。
「こ、これは陛下! 大変な御無礼を……」
「構わぬ。それよりもその大事とやらを報告せよ」
「はっ! そ、それが……」
「何を躊躇っている。陛下もお待ちだ、この浮かれた空気なぞ気にせず疾う申せ」
近江守に促され、舎人は報告した。その報告は、その場にいた全員を驚かし、動揺させるのには十分であった。
「蝦夷国の支配下にある村々の長と戦士の集団が向かってきております! ざっと見積もって一万人は下らないと思われます!」
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