第百二話〜砂海展望〜
阿免に置かれていた鎬京府は、その立地から交通の便があまり良いと言えず、設置当時から移転が奏上されていた。とは言え領域の殆どが砂と岩に覆われた南洋道にあって代替地の策定は難しく、つい最近にやっと移転が完了した。南洋道を唯一北向きに流れる内琉川の下流域、そこにある二又分岐の付け根がそれである。周辺地域の肥沃さ──尤も、この地域では河川流域位しか作物は育たない──と運送の要地という点が、移転先の決め手であった。
この地域の主たる穀物は麦と豆だが、他の作物は見たこともないものが数多くあり、その日の晩餐は目新しい料理ばかりが供された。共に出された麦酒は西陸道のそれよりも強い酒精を持っており、酔潰れる陪従が続出した。
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南洋道の領域はその九割以上が草木も生えぬ不毛地帯であり、その中に低頻度で湧いている湖が数少ない集落の中心である。この数十年の間に何人もの農民が不毛地帯の開拓を試みたが、いくら掘れども水の湧かない土地であったと言う。南洋道で発展しているのは内琉川流域のみであり、他は沿岸地域でなければ今後の発展は望めないだろう。
次の行き先は、北陸道の建康府である。




