91 陽葵と過ごす夏祭り②
「こんばんは、1週間ぶりですね」
おお……、何という美しさ。
クリーム色の浴衣には梅と椿が描かれており、ぱっと見ただけで生地がしっかりしていることが分かる。
そして柄がプリントでなく手縫いってのがもう高級浴衣だということが分かる。
そんな浴衣を九宝さんが着ることで神がかり的な美しさを表現していた。
ぽっと頬を赤くさせ、九宝さんは上目遣いで俺を見る。
艶っぽい流した黒髪にワンポイントで花の髪飾りを付けているのがまた良き。
呼吸を整えるぞ。
「こんばんは。もう来てたんだ、早いね」
「同じアパートの方が送ってくださったので」
ああ、あのアパートの……。
しかし九宝さんをお姫様のように崇めていたのによく送ったな。
「女友達と待ち合わせしてるんですって言ったら送ってくださいました」
さすがだ……。
そう、この子はお嬢様で箱入り娘っぽいけど正式に成人している社会人である。
没落令嬢ということでそれなり修羅場もくぐり抜けてるんだろうし、お姫様扱いでヨシヨシしてると痛いしっぺ返しがくるもんだ。
4月から九宝さんと一緒に仕事してるから見えてくる。
……それでもか弱いな女の子には変わりないんだけど。
一応聞いておこう。
「今日は……他に人はいないのかな?」
「いませんよ」
九宝さんはにこやかに言う。
「じゃあ……他の人は呼んでないってことだね。いや最初、他にも呼んだ方がいいのかなって思ってさ」
「ふふ、そんなことしていたら天罰ですね」
九宝さんは目を見開いて答えた。
こえーよ!
しかしまぁ……。ってことは九宝さんは俺と2人で行きたかったってことだよな。
やはり意味ありげだよな……。
落ち着け、落ち着け。俺から誘ったわけじゃない以上、俺が動揺したり、俺から何か言うのは間違ってる。
俺は年上の大人としてどっしり構えなければならない。
まずは……。
「九宝さん。遅れたけど、その浴衣、すっごく良く似合っているね。遠くからでも綺麗に見えたよ」
「えへへへ………ありがとうございます!」
体をまわすようにして浴衣を見せびらかす。
そんな仕草が魅力的でとてもかわいい。やっぱこの子かわいいなぁ。かわいすぎるだろ。
かわいいって全力で言いたい。強いて言うならサイリウムを振ってアイドルを応援するかのようなスタイルで叫びたい。
「紋とかも手縫いだし、相当高そうな浴衣だな。初めてみたよ」
「母の昔なじみの方が着付けの先生をされていて、縁もあって頂いたんです。わたしに似合うかもって」
「でも本当に似合ってるよ。俺がこんな格好で申し訳ないくらい」
「いえいえ、花村さんはありのままで良いのです。そんな花村さんと一緒にいたいと思ったので」
「お、おお……ありがとう」
心臓に悪いことを言う。
この子、こんなに押せ押せだったか……?
Y社でのあのミスから盆休み前まで大きなことはなかったはずなのに……。
どちらにしろ照れて何も言えなくなるってのは大人としてかっこ悪い。クールに行くぜ。
◇◇◇
この自然公園は多目的に使われる場所でもある。
歩道は今回のように屋台が立ち並んでる姿に変わっていた・
側にある大きな広場は普段、子供達やペットが走り回ることができるのに、今回のお祭りではやぐらが建てられて踊りをする場になっている。
公園自体は平地と丘で分けられており、丘へ登る遊歩道はランニングコースになっている。
俺が大学時代、ここのランニングコースを毎日のように走って行った。
ここの丘の上からは花火がよく見えるのだ。
「それじゃ……九宝さん行こうか」
「ふぅ……ふぅ……」
九宝さんが胸を強く押さえていた。
息づかいも荒い。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「だ、大丈夫です。ちょっと緊張して……」
「緊張?」
「……やっぱダメだなぁ、わたし」
「えっと……」
「花村さん、お願いがあります」
九宝さんが胸を押さえたまま真っ直ぐに俺を見据える。
「この花火大会の間でいいので……お、お兄ちゃんっと呼ばせてもらってもいいですか?」
「へ?」
「ほら、前に喫茶店であった時……わたしのことを妹にしてくれたじゃないですか」
「その話があったのは覚えてるけど妹にしたつもりはないぞ」
「わたし、お兄ちゃんに憧れていて!」
九宝さんの意図が分からない。
なぜこのタイミングでお兄ちゃんを呼びをするのか……。
ただ言えることは……。
「いいよ。九宝さんの好きにしていいよ」
「ありがとうございます!」
ひゅー!
こんなかわいい子にお兄ちゃんなんて感動的だわ。
「それじゃわたしのことは一生陽葵と呼んでください」
「一生!?」
それはとてもおかしいと思う。
「ええー、お兄ちゃんなんだから呼んでください」
「それは嫌です。だったらお兄ちゃん呼びも禁止」
「むーーー」
膨れ顔もきゃわわである。女の子を名前で呼ぶのは気恥ずかしく無理だ。
葵さんや茜さんみたいに理由があれば呼びやすいんだけど……。
「じゃあ、お兄ちゃん。行きましょ!」
「ああ、行こうか」
かわいい妹と夏祭りを満喫しよう。
でも。
「……あいつは」
その時、その存在を見逃してしまったことが今日の俺の唯一の失敗かもしれない。




