65 男、花村絶好調?
それは7月中旬の真夏日のこと。
俺はY社の浅川さん(妹)の部署へ打ち合わせに来ていた。
「はい、じゃあこれをお願いしますねぇ」
「伝票を受け取りました。またお見積の方をお待ちします。あと例の件については仁科の方に私からお伝えますね」
「ふふ、花村さんもすっかり営業マンって感じですね」
浅川葵さんに褒められると悪い気がしない。
初対面の時はまだまだ1人で活動するにはおぼつかない感じだったけど、今は1人での行動が慣れてきた。
「ありがとうございます。仁科達のようにはいかないですけど、自信をつけてきましたね」
「うーん、自信をつけられるもいいですけど、この前一緒にデートした時のウブな花村さんも素敵でしたよ」
「もうあんな醜態はさすがにね……」
「では姉と3人でデートしましょう」
「ご遠慮願いします……せめて仁科も一緒にしましょう」
「それもいいですねぇ。花村さんとイチャイチャして仁科さんに困った顔をさせるのもそれは良き」
冗談で言ってるんだろうけど、葵さんは底が知れない。
でも葵さんは女学校一筋って姉の茜さんが言ってたから俺が書くラブコメ通りの展開ならごり押しすれば意外にしおらしくなるもんだ。
現実と創作は違うんだろうけど、実際はどうなんだろうね。
「あ、でも花村さん、別のビジネス活動をされるんですよね? 仁科さんから聞きましたよ」
「ええ、営業活動もさながら簡易メンテナンスを請け負うことになりました。作業員として入らせて頂く機会が増えるかもです」
Y社ではテスモの納入が増えてきたということもあり、故障で本社のサービス部門に郵送されることが増えてきた。
顧客感情とすればすぐに直してほしいと思うのが本音である。
故障も部品交換が必要なものであればどうにもならないけど、現地で軽く調整する程度で復旧するのであれば稼働停止時間を可能な限り抑えることができる。
元設計・開発の俺であればメンテナンスでお金を取りつつ、装置の状態を判断、装置の更新を推奨することができる。
上手くいくようならS社でもやっていきたいらしい。ただそれをやると俺一人では回せなくなるので人員を増やす必要があるけど……。
営業活動してる時に装置がおかしいんですって問い合わせが数多く存在し、女性陣では対応しきれなかった所が多かった。
そのような対処に繋がるビジネスプランを所長と仁科さんと3人で考えていた。
「作業着姿の花村さんが見れるんですね」
「そんな大したものじゃないですよ」
「作業着は憧れですよ。ワークマン女子とかも増えてますし、山とか行くのにも重宝するのですよ」
「へぇ、浅川さん、山とか行かれるんですか?」
「行きません。私には慧可断臂を完結させるという使命がありますので」
「は……はぁ」
覚悟を決めた者だ、面構えが違う。
なんてことを思いながら苦笑いをしてしまう。
あの作品をあのノリで完結させるならあと20年ぐらいかかるんじゃなかろうか。
「でも姉が失敗したことですし……私もチャレンジしてみようかな……」
「ん、な、なんです?」
「花村さん、私と……」
「はい、私と」
ぐいっと浅川さんが顔を寄せてくる。
やっぱ美人さんだよなぁ。同じ部署で働く人が羨ましく思う。
「えっと……その……、何でも無いです」
「何かありそうでしたが……まぁいいですが」
葵さんがぽっと顔を紅くされてしまった。
何という美しさ、目新しい仕草を眺め続けたい。
「その……やっぱり面と向かってお誘いするのって恥ずかしいものですね。声に出すだけならいけそうだったのですが」
「よく分かりませんが……一字一句違わず、姉の茜さんと同じ言葉を頂きました」
フォレコンの直後くらいにS社でフィルターを納品しに言った時も姉の浅川茜さんから何か誘われそうで取りやめるようなことを言われたことがあった。
姉妹で何かチャレンジでもやっているんだろうか。
「私はただ……ジェラシー感じる仁科さんの顔が見たいだけなのに……私が照れてどうするの」
「あの……浅川さん?」
「今日はこれくらいにしておいてあげます」
「わけわか……ありがとうございます」
心の声が危うく表に出る所だったわ。
「あ、あの!」
そんな時、後ろから声をかけられる。
振り向くとショートヘアーの眼鏡の女性が声を上げていた。
「三好さん?」
「生産管理部の子ですか」
Y社にもかなりの数のテスモを入れており、たくさんの部署にバラけて納入している。
浅川さんが所属する実験管理部であったり、今やってきた三好さんが所属する生産管理部はそこそこの数の装置が入っている。
Y社は女性担当者がかなり多い。
「フォーレスさん、すみません。ちょっとお時間があったら12号館のテスモを見て頂けないでしょうか」
「ああ、いいですよ」
「なるほど、私ではなく生産管理部の子を選ぶんですね」
「え」
「冗談です。ふふ、困り顔の花村さんを頂きました」
思わずきゅんと来てしまいそうな小悪魔ボイスだ。
葵さんって多分、俺と同い年なんだよなぁ。学校でこんな同級生がいたら絶対恋してしまっていただろうな。
葵さんと同じ学校に通いたい人生でした。でも葵さんは女学校出身だっけか。
女の子になりたい人生でした。
生産管理部の三好さんと一緒にY社の中を歩く。
「浅川さんとあれだけ仲がいいって珍しいですね」
「そうなんですか?」
道すがら話をする。
「部署は違うので詳しくは……なんですけど弊社の中でトップクラスに美人で不落の浅川さんが親しくしている男性ってほとんどいないらしいですよ」
「は、はぁ……」
「休日誘っても私には使命があるので……って断ることで有名ですからね」
執筆活動してるだけだと思うけど。
でもそれが浅川さんの今やりたいことなのだろう。
俺の書籍作業に通じるものがあると思う。
目的の12号館に到着した。
「実は15号館から一時的に借りてきたんですが……サンプルデータが無茶苦茶で壊れてるんじゃって」
「ふむ、なるほど」
「私も最近触ったばかりなのでよく分かっておらず……部署の人も頭を傾げていたので」
テスモは運搬可能なサイズの分析装置だ。
台車などを使って使い回すことが多い。
12号館の実験室は結構稼働が高く、他所から借りてでも使いたいってことだろう。
さっそくテスモを見せてもらった。
「なんじゃこりゃ」
設定データがありえない数値の羅列となっていた。こりゃまともな数値は出ないよなぁ。
台車で運搬した時に機械にショックが入ってバグってしまったのだろうか。
今回触っているのは納入した日は新しいが1期前のテスモとなる。
「設定データをいじくるしかないな」
三好さんの方を向く。
「他のテスモのデータを見せてください」
「分かりました」
ここの設定データは基本的にいじくることはないので、他のテスモのデータを上書きしてしまえばいい。
こんなの設計・開発チームだった俺からすれば容易いことだ。
「サブのHDDも書き換えておきますよ」
「ありがとうございます!」
これで完了。
何の問題もないな……。
データが変になった件については様子見をしてもらうことにした。
まぁバグってもサブのHDDを認識させれば普通に使えるし、問題ないだろう……。
「作業完了! では今日はこれで帰らせて頂きます」
◇◇◇
そうして2週間が経ったある日。
「は、花むっちゃん!」
慌てた感じで仁科さんが連絡してきた。
「ど、どうしたの?」
「あの15号館にあったテスモって何かいじった……!? 男のフォーレスさんに調整してもらったって」
「ああ、この前に12号館で仮に使うって聞いたからデータをコンバートして」
「それでね、再度15号館で使ったらサンプルデータが無茶苦茶で2週間のデータがパーになったって、クレームが来たの!」
それを聞いて、一瞬頭が真っ白になった。




