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第1章、第11話【月下の決闘者】









 「うぉおおおおりゃぁあああああっ!!!」

 「っ……ちっ……!」


 一撃、振り下ろした竹刀の一刀はカイムの予測を遥かに超えていた。

 まず、無駄がない。流水のように流れる周囲の気に逆らわず、鋭い太刀筋で肉薄する。

 最初は呆然と、事態を把握できなかったカイムもここに来てようやく認める。


 無涯黎夜は英雄の力を手に入れた。

 それは由々しき事態にして、組織から見れば面倒なことこの上ない。

 ここにいるのは敵。今、自分が総力を持って叩き潰さなければならない敵だ。


 「ぐっ……」


 サーベルと竹刀がぶつかり合う。

 一合、二合、五合、十合……二十合を超えても、カイムは黎夜を仕留めることができない。

 それどころか、敵の一撃は激烈。防戦に集中しなければ即座に斬られる、というほどの圧倒振り。


 もともと、黎夜の腕力と技術には舌を巻いていた。

 そこに鋭さと速さ、そして正確さが加わってしまっている今、黎夜の太刀筋に隙がない。


 (なんだ、この英雄は……?)


 どんな英雄なのかはカイムも、そして宿している黎夜ですら知らない。

 虚空から武器を生み出す能力、あれは魔術だろうか。

 有り得ない、と内心で歯噛みした。今日初めて霊核を宿した人間が、どうして魔術など使えるというのか。


 魔術とは最初の数ヶ月で、基礎となる魔力を生み出す回路を作り上げることから始まる。

 そうして自分の適性にあった魔術を決めていき、最低一年以上の時間をかけて魔術を編み出していく。

 つまり、今の黎夜には魔力を生成する回路がない。よって、魔術など使えないはずなのだ。


 ただ、予測を立てるとするのならば。

 無涯黎夜の特性は『物を生み出す能力』に長けていると仮定。

 そして奴の霊核がもともと、何らかの魔術を保有しているというのなら……つまり、魔術師の類なら説明はつく。

 だとしても、魔術師がこれほど鋭い剣捌きを使えるとはとても思えなかった。


 「っ……疾っ!」

 「ふんっ……だが、甘いっ!!」


 カイムはサーベルを大きく薙ぎ、そうして竹刀を弾くと懐に入った。

 黒衣の中から取り出すのは短剣。

 それを左手で握って黎夜の心臓めがけて振り下ろす。黎夜の顔が驚きに満ちていた。


 ザシュリ。

 肉を切る感触、かろうじて身をそらした黎夜の腹に一文字の赤い線が走る。


 「くっ、くくくく……! やはり、所詮は殺し合いも知らない一般人。場数というものが違うということだ、な!」

 「はっ……ほざいてろ! 前もそんなこと言って、俺に気絶させられたくせになあっ!」


 黎夜が再び駆け出す。本来なら三秒はかかる距離を一秒にも満たない時間で詰めた。

 これが英雄の力か、と黎夜は思う。

 体が軽い。まるで麻薬のような高揚感、その身体能力は無涯黎夜の人としての域を超えている。


 振るう太刀筋にブレがない。

 そして見えないはずのカイムの剣が見える。激烈だった一撃を受け止められる。

 霊核に宿った英雄の力は、黎夜の身体能力の全てを底上げしている。

 問題はひとつ。頭からノイズが離れない。まだ、黎夜の心の中に潜む英霊は体内で暴れまわっている。


 (ぐっ……目が霞む、耳鳴りが酷い……身体が故障でもしたって感じだな……)


 カイムは、黎夜が英霊を逆に喰らい尽くした、と言った。

 それに答えるならば否だろう。

 黎夜は強引に押さえ込んでいるだけに過ぎず、霊核を宿した反動はこうして体調不良の形で返ってきているのだから。


 「るっ……ぅぅううああああっ!!!」


 そんな苦痛全てを強引に飲み込んだ。

 カイムにつけ得る隙など与えない。この力は後ろにいる奴らのためにあるのだから。


 ガガガガガガガガッ、ギィンッ!!


 刃と鉄がぶつかり合い、激しい音と火花が飛び散る。

 黎夜は止まらない、止まるはずがない。

 斬り、突き、薙ぎ、袈裟斬り、唐竹割り、横薙ぎ……その全てを以ってしてカイム・セレェスと肉薄する。


 「むっ……ぐっ!」


 カイムは今日、何度目か分からない驚きを得た。

 経験は全てに勝る。

 黒衣の青年は何年間も殺し合いを渡り歩き、そうして生を勝ち取ってきた。


 だと言うのに、数日間だけ死線を潜り抜けてきた青年に押されている。

 無涯黎夜はわずか三日間ほどで、カイムの数年間と互角以上の戦いをするなど、許されていいことではない。


 「つっ……はあっ!!」

 「うおっ……!?」


 突如、カイムが黎夜の胸倉を掴んで引き寄せる。

 剣術を武術に変更、足をかけて大きく黎夜を背負い投げる。それは日本の柔道に見られる一本背負いだ。

 投げられた黎夜は体をひねって受身を取るが、押し倒した黎夜を貫こうとサーベルが迫る。


 咄嗟にサーベルを持つカイムの腕を蹴って距離を取り、苦し紛れに竹刀を振るった。

 それが追撃への牽制となったのか、それ以上は仕掛けてこない。


 (…………こいつは)


 外国人の癖に日本の柔術をやってのける。

 カイムの剣戟は突きが多用され、そらには居合いの基礎のようなものを取り入れている。まさに日本の剣士だ。

 さらに今の柔術……あれは竹刀流と呼ばれる系統の実戦向けなもの。


 そう、違和感があった。初めて戦ったときから、おかしな構えだとは思った。

 目と目を正面から合わせようとしないことと、下に剣を向けるような特殊な構えからの鋭い突き。


 「そうか……ようやく、分かったぜ」

 「……なに?」


 そうだ、これを黎夜は知っている。

 道場の息子で、全ての剣術を網羅している祖父と八年間も組み手したから、この構えも憶えている。

 いや、それ以前に。

 無涯黎夜以外に、身体に潜んでいる『誰か』がこの構えを知っている。


 「テメエの剣術、どうも目線やら身体の動きが特殊すぎるって思ってたんだ。……平晴眼だな?」


 黎夜は語る。

 外面は余裕そうに口元を歪め、内心で激痛と吐き気に苦しみながら。


 黎夜の中の英雄の知識が訴える。

 その剣術の由来……現在、過去、未来の情報。

 それは過去を生きた英雄と現代を生きる黎夜の知識が混ざったからこその、不思議な埋没感。


 「その体捌き、そして消えそうなほどの刺突……新撰組のお家芸、天然理心流の剣術だ」

 「っ……何故」

 「さあな。なんで分かるのかなんて分からねえよ、分からねえけど……俺の中の英雄が、そう訴えてやがるんだよっ!!」


 黎夜は獰猛に笑う。

 まるで凶暴なドーベルマンのような印象と、それに比例して高くなっていく戦意。

 カイムは距離をとる。

 そして神経を集中させ、精神を安定させて魔術を紡ぐ。


 「っ……『告げる、豊玉発句集より抜粋』」


 もう一度、改めて鍵言を唱える。

 そうすることで冷静さを取り戻し、ついでに魔術の威力を上昇させようとしているのだ。

 黎夜は思い出す。そして霊核に封じられた英雄も知識を供給する。

 かの日本の俳句、豊玉発句集は誰が綴ったのか。そう、歴史学で葵小桃は雑談として口にしていたはずだ。


 「――――【三日月の 水の底照る 春の雨】ッ!!」

 「そうか――――」


 カイムの魔術の発動と、黎夜が得心のいったように手を打つのは同刻。

 一秒間に五殺せんと飛距離を無視した斬撃が発射される。

 これら全ては衝撃波。だが、喰らえば確実に黎夜の身体は、銃撃を受けたときのように蜂の巣になるだろう。


 だが、黎夜は迷うことなく前に出た。

 弾丸の雨にも等しい連撃を避けるのではなく、その全てを凌駕し尽くさなければ勝ち目はない。

 黎夜には自信がある。

 その全てを叩き落せなくて、何が英雄の力だろうか。その程度はこなせなければ、この激痛の意味がない。


 「うぉおおおおらぁあああああっ!!!」


 真っ向から迎え撃つ。

 腰を突こうとした一撃を弾き、肩を貫こうとする衝撃を避ける。

 弾道を見極め、避けられるものや当たらないものを避け、直撃する一撃だけを弾いていく。

 天から降り注ぐ雨を刀一本で弾くような芸当を、無涯黎夜はやって見せる。


 確信していた。

 無涯黎夜の英霊、生前は剣士だったのだろう。

 ならば当然、今の無涯黎夜には『剣術』において敗北する道理は何一つだってない。


 放たれる衝撃波を斬って、弾いて、消滅させて前に進む。

 左肩が痺れた。そういえば以前、この一撃を受けていたことを黎夜は思い出す。

 無理をしてはいけなかった左腕も、今は昂揚感に押されて全力を尽くしてしまっている。

 ここに来て、左腕の感覚がなくなった。左手では竹刀も握れない。ダラリと下がった左腕は限界を告げている。


 「ぉぉぉおおおおおおおああああああああっ!!!」


 ―――――ならば、右腕だけで十分。


 「っ……っ……莫迦……なっ……!」


 全力を賭した魔術だ。

 それが打ち破られるわけがない。打ち破られてはいけない。

 だが、現実として魔術は破られようとしている。

 つい数分前までは一般人だった男に。自らが敵と定めた青年の前に。


 「これでっ……終わりだぁぁぁああああっ!!!」


 数日前、カイム・セレェスを路地裏で打ち倒したときの焼き増しだ。

 ガキン、と最後の衝撃波が弾かれる。

 黎夜は一歩、前に踏み出して竹刀を打ち込んだ。カイムには避けられない、逃げられない。

 無駄のない太刀筋と、魔術を打ち破られた事実に身体を動かす、という意志を奪われていた。


 結果、壮絶な殴打音が校庭に響く。

 鉄の竹刀に殴り飛ばされたカイムは、枯れ葉のように宙を舞って夜の学園に倒れ伏した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 (負けるのか……?)


 一撃、たった一撃で私の視界が反転した。

 額からは出血、二度目の額への一撃で傷口が開いたらしい。

 自分の血が大げさなくらい噴出して、瞳の中に入った。激痛が身体全体を痺れさせている。


 動けない。

 身体はもう……動かない?


 「まだだ……」


 負けられない。

 二度も敗北することは許されない。それは組織の面目を潰す。

 組織は私を必要なし、と見下すかも知れない。利用価値などない、と判断を下してしまうかも知れない。

 それだけは避けなければ。


 「まだ、負けない……ま、だ……」


 まだ、私に利用価値があると組織に思わせなければ。

 誓った。離れ離れになると決まって、いつまでも泣いて別れを惜しんだあの人と。

 必ず迎えに行く、と彼女に誓った。そして己にはそのためなら何でもする、と自分自身の誓いを立てた。


 ここで私が敗れる、ということはあの人の今後にも関わってくる。

 誰からも『物』として『礼装』として扱われてきたあの人のために。私は、それ以外の全てを切り捨てると幼い日々に誓ったのだ。


 「まだ……やる気かよ」

 「当然、だ……私に、だって……負けられない、理由、ぐらいある……」


 だから、私だけは彼女の味方になる、と。

 組織の手で離れ離れにさせられて『お前が組織に有益であるかぎり、無事は保障しよう』という言葉を信じた。

 そんな信じるにも値しない言葉を、この数年間もの地獄の中で信じてきたのだ。


 だから、無涯黎夜……お前には負けられない。

 私の煉獄に身を晒してきた数年間を、お前の数分間ごときに凌駕されるわけにはいかないのだ。



 「『告げる、豊玉発句集より抜粋』―――――」




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「……カイム……!」


 葉月は思わず声を上げてしまう。

 カイムの魔力はもうほとんど残っていないのだ。この状況で魔術を使うことは自殺行為となる。

 魔力とは生命力だ。

 瀕死、もしくは重傷の状況で魔術を使えば……それは生命を保つ器官をある程度遮断することになる。


 まずは四肢が動かなくなる。

 その次は徐々に内臓器官が壊れていき、最終的には心臓や脳への影響に至る。


 「カイッ……っ!」

 「…………行かせ、ません……」


 ゆっくりと、葉月の目の前に少女が立ち塞がる。

 全身の至るところを赤く染めながら、際どいところまで破れてしまったワンピースを左手で押さえ、右手には剣を構えて。

 そして、その瞳はしっとりと涙に濡れていて。


 「……何故、泣くのですか……?」

 「もう……私の望みは消えてなくなったからです」

 「…………それは、どういう」

 「答える義務もなければ……この先を通そうとする意思もありません」


 莫迦な、否、と葉月は呟いた。

 今の舞夏も同じように重傷だ。その状況で魔術は使えない……使えば、カイム以上に死の危険がある。

 そんな体調で葉月の前に立てば、恐らく死ぬ。


 「今の、私は……戦うだけで死にます……」

 「っ……!」

 「さて、黎夜さんは……誰も死なない、その願いのために、行動、しています、のに……貴女は、それを、裏切りますか……?」


 とつとつ、と。

 いっそ、諦観すぎるほどの切ない表情で舞夏は語る。


 「誰よりも……犠牲の出、ないことを……願った、貴女が……黎夜さんを裏切るのですか……?」

 「……ずいぶん……ずるいことを、言うのですね、月ヶ瀬……」

 「ええ。私は……結局、誰も護れませんでしたから……黎夜さんも、そして……自分の家族すらも」


 そんな言葉を口にして舞夏は背後の音を聞く。

 激突はもうすぐ。自分にできることは横槍が入らないように、こうして葉月を足止めすることだけ。


 そこだけは譲らない。

 これ以上、黎夜の期待を裏切られないから。

 こうして無様に立っていることしかできないから、せめてそれだけはどんなに苦しくてもやり通そう。



 決着は、まもなくだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「ようやく理解したぜ、カイム・セレェス……お前は『土方歳三』の誓約者だ」

 「そうか……さすがに、分かるか……」


 かつて、幕末の時代に生を受けた新撰組の鬼の副長。

 局長こそ近藤勇であったが、新撰組の実際の指揮は彼に委ねられていたという。

 滅びた江戸幕府のために最期まで働き、函館戦争において遠い蝦夷の地で銃弾を受けて戦死した強者だ。


 カイムが魔術のキーワードとして利用している『豊玉発句集』は、彼がまとめた俳句を編集したものだ。

 天然理心流、という剣術を学んだ剣士でもあり……カリスマ性もまた、高かったとされていた。


 その頑固さ故に、最期は味方の兵に裏切られて殺された、という説すらある。

 そしてその意志はカイムに引き継がれているのだろう。

 カイムは土方歳三の業を背負い、そして彼の生前からの頑固さをそのまま継承している。

 だからどんな状況になっても、カイムは諦めようとはしないのだろう。彼は……土方歳三の死の無念を誰よりも理解しているのだから。


 「英雄の記憶、って奴も引き継いだのか……?」

 「ああ……確かに、土方歳三の無念は引き継いだ。愚かな男の、局長の死など……な」

 「近藤勇の処刑、か。確か彼に降伏を勧めたのも土方で……そうだ、助命嘆願をして助ける約束をしたんだっけな」

 「そうだ。結局、助けられなかった……必ず、と言ったのに……約束を破ってしまった」


 静かにカイムは語る。

 まるで自分の境遇と重ね合わせるように。


 「もう二度と、繰り返したくないんだ」


 彼女と約束したのだ、必ず迎えに行くと。

 同じ轍は踏まない。そのためにも……無涯黎夜と月ヶ瀬舞夏を殺害し、組織にカイムの功績を伝えなければならない。

 そうすれば、組織は彼女を返してくれるかも知れない。

 最悪でも一日……いや、一目でも逢わせてくれるかも知れない。無事を、喜び合えるかも知れない。


 たった、それだけの理由でカイムは戦ってきた。

 組織に対する恨み言も憎しみも、己の意思の力に変えてきた。そうして、何人も殺してきたのだ。


 「そうかよ。だけどな……カイム」


 その意思を正面から受け止めて、黎夜は言う。


 「悪いがその願い、打ち砕くぞ。俺が死んだら……悲しんでくれる家族が、一応いるんだ」

 「っ……」

 「来いよ、カイム。俺も舞夏も殺すって言うんなら、絶対に阻止してやるから、なぁ……!」


 それで、彼らの会話は終わった。

 カイムは魔力を練り上げる。途中で身体が跳ねて、それを合図に身体の至るところから鮮血が噴出した。

 手足はもう動かないのだろう。だから、次の魔力を求めて神経のほうに負荷がかかり始めたのだ。

 それほどの魔力を練り上げて作り出した衝撃波は、恐らく直撃すれば確実に命を落とすほどの兵器となるのだろう。


 対して、黎夜の武器は竹刀一本のみだ。

 当然、魔術なんて使えない。この身体能力を以ってして避ける……というのも、攻撃の規模を考えれば不可能に近い。

 まして、後ろには気絶した妹と傷だらけの舞夏がいる。


 (上等……)


 ならば、その衝撃波を叩き斬るしかない。

 全力を賭して奴の全力を叩き伏せる。無謀にも近い、そんな芸当をやってこなせなければならない。



 「【山門を 見こして見ゆる 春の月】ッ――――!!」



 威力を重視したカイムの最大魔術。

 生命の危険を孕んでまでの魔術行使の結果、生み出される衝撃波は以前の二倍以上の大きさだった。

 そう、例えるなら海面に放り出されたイカダに……無慈悲に襲い掛かる津波のように。

 カイムの命を注ぎ込んだ衝撃波は、黎夜と舞夏の両者を纏めて葬らんと雄たけびを上げて迫ってきた。


 それは地上で伝播した衝撃波。

 人はこの現象の名を―――――ソニックブームと呼ぶ。


 「はっ……」


 思わず、黎夜の口から笑いが毀れた。

 ここまで圧倒的だと、もう笑いしか出てこなかった。

 そうして、ひとしきり口元を歪めたところで……目を細め、竹刀を右手だけで強く握り、一気に衝撃波へと駆け込んだ。


 グシャリ、と壮絶の更に上を行く音。

 衝撃波は圧力波の一種であり、超音速のある場所に生み出される。

 カイムの魔術で自分の周りを不可視の魔力で超音速移動させて衝撃波を発生させ、それを魔力と共に斬撃として飛ばすのがこの魔術だ。

 その一撃はあまりにも重い。そして単純にぶつかるだけでは勝てない。


 「ぐっ……う、ぐっ……ぉ、ぉぉお、ぉぉおおおおおおおおおっ!!!」


 叩き付けた竹刀が数秒で吹っ飛んだ。

 一歩、むしろ前に出て虚空に左手を向ける。刹那、新たな竹刀が握られていた。

 もう動かないはずの左腕を、無理やり動かせて叩き付ける。今度は一秒ほども保たない。

 だが、その時間稼ぎの間にさらに一刀、右手で竹刀を再び作り出して叩き付ける。


 何故、竹刀が生み出せるのか。

 むしろ、何故この状況において出てくる武器が『竹刀』しかないのだろうか。

 いや、それ以前にこの力は魔術ですらない。ならば、これは一体どういう原理の元に行使されているというのだろうか。


 そんなこと、どうでもいい。

 今はそんなことに神経を集中させる場面ではないのだ。


 「がぁあああぁああぁあぁっ!!!」


 作る、叩き付ける、壊れる、作る、叩き付ける、壊れる。

 その作業を何度も繰り返す。

 何度も、何度も、何度も、何度も……頬が裂け、左腕の感覚がほとんどなくなってもなお、黎夜は意思を叩き付ける。

 弾き飛ばされそうな身体を、しっかりと地面に足をつけて耐えながら。


 やがて、左腕からポロリと竹刀が落ちた。

 もう動かないんじゃない、触れている感覚がなくなってしまっただけだ。


 (くっ、そ……っ……)


 ダメなのか、とは思わない。

 ただ、足だけを全力で前に動かしていく。右手に残った竹刀は……壊れることなく、衝撃波を防ぎつつある。

 そうだ、まだ諦めるには早すぎる。

 どんな魔術であろうと、これが『衝撃波』であるかぎり……その理論の枠の外には越えられない。


 (ま、だっ……まだぁああっ……)


 衝撃波は接触によって、伝播と共に急速に減衰していく傾向にある。

 実験的に作成された特殊なものを除いて、自然界の衝撃波は減衰すると最終的には音波となる。

 カイムの衝撃波はどちらかというと、実験用の衝撃波に近いが……それでも数秒間も停滞させられれば、急速に減衰するのは明らかだ。


 だから最初の一撃と、今の衝撃波の威力は一緒ではない。

 減衰し始めたが最後、衝撃波は驚くべき速度でただの音波へと変わっていってしまうのだ。


 「ぐっ……おっ……ぉぉおおおお、おぉぉぉおおぉおああぁぁあああああっ!!!!」


 要するにカイムが勝利するためには。

 最初に黎夜がぶつかったその瞬間に、黎夜を殺害しなければならなかった。

 その時点で、黎夜が衝撃波を受け止めた時点で。

 どちらが勝者となりえたかどうかなど、当の昔に決まっていたのだ。



 轟音がもう一度。



 弾き飛ばされた衝撃波は、夜の校庭に音波として拡散する。

 黎夜は走る。ボロボロの身体を叱咤しながら、真っ直ぐにカイムの立っている場所をめがけて。


 「……………………」


 迎え撃つカイムの瞳を見た。

 ゆっくりと動かないはずの身体を動かして、サーベルを振り上げたまま立っていた。

 絶対に負けない、と彼の瞳が告げていた。


 詰められる距離と、残る全身全霊を込めて振り下ろされるサーベル。

 迎え撃つ一撃を、黎夜は右手の力だけで竹刀を振るって弾き飛ばした。カァン、と情けない音が終焉の合図だった。

 竹刀を手放した黎夜は、開いた掌を握ってこぶしを作る。


 バキイッ!!


 黎夜の拳がカイムの顔面に突き刺さる。

 全力を込めた一撃を受けたカイムの身体は、竹とんぼのように回転しながら今度こそ校庭に沈んだ。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「黎夜さん……!」


 カイムを殴り飛ばした黎夜は、そのままの勢いで倒れた。

 抱き起こすと、僅かに腹部が上下しているのが分かった。生きている、ただ気絶しているだけだ。

 だが、体調は楽観視できない。

 全身はズタボロで、左肩は目をそらしたくなるほどの大怪我になってしまっている。


 慌てて携帯電話を取り出し、学園の外枠に待機している部下たちと連絡を取る。

 事は一刻の猶予を争うだろう。自分の全身の痛みも無視して、舞夏は叫ぶ。


 「っ……こちら第四部隊長、月ヶ瀬舞夏! こちらに医療班は送れますか!?」

 『こちらは旅団の医療班です。現在、学園進入経路の至るところにアスガルドの人員が配備……接近は不可能です』


 くっ……と舞夏は歯を噛み締める。

 敵組織アスガルドの人員の数は多いだろう。彼らは霊核や魔術など使えないが、それは部下たちも同じだ。

 医療班に護衛をつけたとしても、黎夜を絶対安静のまま病院へ搬送させるなんて不可能だ。


 しかも、状況は更に悪い。

 黎夜に殴り飛ばされ、気絶していたカイムがさらに立ち上がったからだ。


 「…………ぐっ……うぐ……」


 金色の髪は校庭の砂にまみれ、額から流れる血は彼の顔と髪を真っ赤に染めていた。

 瞳の焦点は合っていないし、白目のままふらふらとこちらへ歩いてくる。

 僅かに動く口元は何を言っているのか、まったく聞き取れないが……気絶した意識の中、まだ戦おうとする意思があった。


 その執念深さには感心するが、現状は最悪に値する。

 黎夜は気絶したまま動けず、舞夏の膝に頭を預けている状態だ。舞夏もまた戦闘不能に近い。


 「……だ……わ、……たしは……ま……だ……」

 「否。カイム、貴方の負けですよ」


 直後、トンと軽い音。

 カイムの首筋に軽く落とされた手刀は、首を支点に脳に衝撃をかけ気絶させた。

 それを行使した人物、天凪葉月は手に持ったトランシーバーから声を上げる。


 「こちら、天凪葉月。作戦は失敗した、カイム・セレェスの部隊の含めて学園より撤収」

 『撤収、ですか……?』

 「是。これより『旅団』の主力がここを包囲します。我々は各自で脱出します、すぐにそこを離れなさい」

 『し、承知しました! 撤収ーーー! 撤収、撤収だ! 早くここから離れろっ!』


 トランシーバーからの通信を終わり、彼女はそっと溜息をついた。

 葉月は傷だらけのカイムを抱えたまま、じっと彼女の行動に驚く舞夏のほうを見つめる。

 正確には舞夏の膝に頭を預けている、あの青年に。


 「本当に……誰も、死なない結末を迎えましたか……」


 噛み締めるように、天凪葉月は口にする。


 「ですが、このままではカイムが敗者となるだけです。いずれ、彼は用済みとして処理されるかも知れない」


 残酷な話を紡いでいく。

 結局のところ、誰も死なない結末というのはこの一夜だけ。

 後始末の名の下に、きっと望まない結末が口を開いて待っているのだろう、と。


 「だけど、是……そうですね……黎夜もカイムも意志を示したのに……私だけ、というのは愚かでした」

 「……どうするつもり、ですか?」


 無涯の黎夜、ではなく黎夜と呼んだ。

 それは葉月なりの最大の理解にも近い行為だ。

 舞夏は静かに返事を待つ。その後ろでは……旅団の医療班が走ってくる足音が聞こえていた。


 「いえ、少しだけ……黎夜の願いを引き継ぐとします。……それでは」


 それを最後に葉月の姿は掻き消えた。

 唯一、この戦いにおいて外傷らしい外傷もない葉月なら、カイムを抱えたままでも逃げられるだろう。

 背後では医療班が舞夏の傷を見て悲鳴を上げている。

 とりあえず、それを落ち着かせて段取りを進める。まずは黎夜を運ばせ、病院で治療させるように命じるのだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




 「えー……失礼します。月ヶ瀬さん、今は大丈夫ですか?」

 「その声は副主任ですね。はい、大丈夫ですよ」


 場所は移り変わって保健室。

 舞夏の服は破れてしまっているので、早急に着替えを済ませて応急処置をする必要があった。

 さすがに男性諸君が治療を担当するわけにも行かないので、女性メンバーに応急処置は任せた。


 ここでノックもなしに入って着替え中だったときには、命を失う覚悟が必要だろう。

 幸いにも茶色のパジャマ(舞夏の物ではなく一般支給品)に着替えて、包帯を巻きながらベッドで優雅に微笑んでいた。


 「……とりあえずは、お疲れ様……ですか?」

 「なんというべきでしょうね……?」

 「とりあえず、お詫びさせてください。すいませんでした、援軍を期待させておいて……あの様です」


 連れてこれたのは組織のエージェントばかり。

 隊長格は誰一人連れてくることはできず、結果として黎夜も舞夏も傷だらけになってしまった。

 だが、舞夏は静かに首を振る。

 決して彼のせいではない、と……優雅に微笑みながら言った。


 「これは私の未熟のせいです。貴方のせいではありませんよ……野牧副主任」


 歳は20歳、大柄に眼鏡で天然パーマ。職業は学生……兼、裏組織『旅団』技術部の副主任。

 野牧誠一。黎夜たちと共にふざけあう、日常の象徴であったはずの男がそこにいた。


 最初にカイムたちの襲来を知ったのも、病院でカイムの特徴を黎夜から聴いたから。

 沙耶が誘拐された件も、サファイアの件も……必ず、舞夏と黎夜の間には橋渡しとして、彼の存在があった。

 彼は決して表には出なかった。誠一が交渉人ネゴシエーターになっていれば、もう少し事態は軽くなっていたのかも知れない。


 「まあ、ここで自分がでしゃばるもんじゃあない、って自重してたんですがね……裏目に出ちまいました。たはは、情けないかぎりです」


 彼はカラカラと笑う。空元気のようだった。沈んだ表情のまま、眼鏡を上げる。

 この戦いの犠牲は一人もいない。だが、おかげで問題がひとつ浮上してしまった。

 無涯黎夜の霊核者としての覚醒。

 彼をこのままにしておけば、裏の住人として認識されてしまうし……何より危険すぎる。


 「……黎夜さんの様子は?」

 「重傷ですな。あの莫迦、無理のしすぎで左腕がもう動きません。正規の医療機関などでは匙を投げられるでしょうよ」

 「では……」

 「ええ。あのヤブ医者に任せます。ちょいと値は張りますが……まあ、想定の範囲でしょうよ。月ヶ瀬さんも一緒に治療を受けてください」


 世の中には正規の医者が表の世界を癒す。

 とすれば、闇医者と呼ばれる者たちは裏世界の医療機関のメンバーだ。

 表の世界と裏の世界の区分がうまく分かれている。これが、ふたつの世界の共存とバランスを保っている。


 さて、と誠一はもう一度溜息をつく。

 黎夜は完全に裏世界の一員となってしまった。これで九割以上、戻れない。


 「……こうならないために、手回しをしてきたんですがね……」

 「副主任。黎夜さんの情報について、緘口令と情報規制はできますか?」

 「はい。ただ、アスガルドとの抗争は他組織にも伝わっていますし……アスガルド側が言いふらせば、不可能でしょうねえ」


 一般人が裏の世界の力を手に入れ、そして組織の精鋭の一人を打ち破った。

 これほどの手駒なら弱小組織は仲間に勧誘してくるし、強大な組織ならばバランスが崩れるなどと言って始末しようとするかも知れない。

 今の黎夜は裏の世界において微妙な立場にいるのだ。


 「……もう、どうしようもないのですか?」

 「………………手は、ないこともない、とだけ」

 「やはり、それしかありませんか……」


 そっと、舞夏は目を瞑る。

 心の中で何かを断ち切ろうとしているかのように。

 誠一はゆっくりと、言葉を選ぶように話しかける。まるで腫れ物に触るかのように、慎重な態度で。


 「決断は、月ヶ瀬さんが。『アレ』は……月ヶ瀬さんの物ですからね」

 「……………………」


 それは残酷な法則と言っても良かった。

 誰かを護るためには誰かを失う必要がある。そんな、残酷な公式に従うことでしか護れない領域にある。

 静かに舞夏は決める。誰を見捨て、その代わりに誰を助けようとするのか、を。


 「……仮に、どちらかに使うとして成功率は……?」

 「前者は対話でしょうから80%前後、後者は……現時点では30%程度しか引き上げられません」

 「どちらが前者か、などは……考えるまでもないのでしょうね」


 はい、と残念そうに誠一は続ける。

 口調は日常で使うフランクなものではなく、仕事や余所行きで使うような敬語のままで。

 彼は悲痛そうな色の表情を滲ませながら、ただ舞夏の決断を待つ。



 「……すいません。少し、考えさせてください」



 はい、と誠一はもう一度。

 舞夏は保健室の窓から夜空を見上げた。

 この戦いをずっと見守っていた月が、薄暗い雲に隠れ始めていた。まるで不安を暗示するかのように。


 これを以って月下の決闘は終焉を迎えた。

 静寂の中、少女は見上げた夜空に落ちていく。朧なる月が傾くように。




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