第1章、第10話【罪業を背負う者たち】
「『告げる、豊玉発句集より抜粋』―――――【三日月の 水の底照る 春の雨】」
先手はカイム、構えたサーベルが振動すると同時に刀身が消える。
受けて立つのは月ヶ瀬舞夏。
光り輝く剣と盾、背中から生える天使の羽……凛々しい瞳に恐怖はない。
瞬間、一秒に五撃という速度で乱れ付きが放たれた。
それはリーチを無視して繰り出されるニードルガン。
戦場で考えれば矢が縫い間なく降ってくるような連撃だ。かつて、黎夜はこの攻撃に敗れた。
舞夏は左手を掲げる。展開されるのは十字のマークをつけられた聖なる盾。
ガガガガガガガガガガガッ!!!
だが、その連撃ですら無為に帰す。
展開された白い盾は銀の凶器の侵入を許さず、全てを弾き返した。
「……ちっ」
「なるほど、それが貴方の『魔術』ですか……カイム・セレェス」
「そうだけど……魔術に魔術を返すこともしないのか、やはり面倒な奴だ」
そんな言葉を聴いて、黎夜は眉をひそめた。
魔術、と彼らは言う。
そういえばカイムが自分を殺そうとする理由に『魔術』を知ってしまった、ともあった気がする。
魔法みたいなものかなー、と首をかしげた。
もちろん、信じないのはナンセンスなんだろう。
実際にサーベルのリーチ以上に突きが繰り出されているし、魔術と彼らが言えば魔術なんだろう。
自慢ではないが、今なら何でも許容できる自信がある。
「豊玉発句集、ですか……日本の書物のようですね。貴方の『霊核』と呼応させてますか」
「一応、キーワードはマイナー所を選択したつもりだがね」
「さて……俳句を鍵言としていますから……恐らくは日本の英霊。分かるのはこの程度ですか……」
魔術には鍵言を設定して発動させるものだ。
人それぞれには得意分野というものがある。
カイムは衝撃波を生み出すことに長けており、その特性に自分オリジナルの鍵言を設定して『魔術』とする。
特にカイムは『霊核』に宿った英雄と関係のある言葉を設定している。
これは英霊との適合率を高める効果もある反面、そこから正体をバラすことにも繋がりかねない。
「……冷静に考察などしていていいのかな? ……天凪!」
「是……!」
静観していた天凪葉月が、カイムの叫びに呼応して飛ぶ。
跳躍した彼女の脚力は人としての限界を超えている。これが、英雄としての力なのか、と黎夜は思った。
葉月は赤銅色の短剣を取り出す。
舞夏は上空に注意を向けようとするが、真正面に控えたカイムはそれを許さない。
「余所見も感心しないね。【山門を 見こして見ゆる 春の月】ッ!!」
「ッ……!!」
カイムはサーベルを虚空に向かって振り下ろす。
当然、舞夏とは距離があるというのに……振るわれたサーベルからは衝撃波が発生し、それが舞夏に迫る。
上からは葉月が構える。
舞夏はこの一瞬、挟撃される形で魔術を耐えなければならない。
「『神の御名の下に』――――【初太刀、一閃】ッ!!」
告げられる鍵言と魔術の発動。
上空から舞夏を狙うのは、半透明に透けた刀だった。狙いは一瞬、一秒に満たない時間で舞夏に到達する。
前方からは衝撃波、上からは人を殺傷するナイフの一撃。
「うっ……くっ、うぁあっ!」
舞夏の口から悲鳴の言葉が漏れる。
技術部の副主任は言っていた。敵は『クロノア』が二人……舞夏一人で相手をするには分が悪い、と。
関係ない、と舞夏は思った。
黎夜は舞夏を信頼してくれた。ならば、その期待に応えなければ。この程度の不利、覆さなければ。
「『Power of Holy Grail here』……」
告げる鍵言、だが間に合わない。
葉月の一撃はまさに高速だ。どのような距離からでも放たれる斬撃に抗えない。
魔術にはふたつの段階がある。
まずは魔術を使うために鍵言を告げ、そして魔術名を名乗ることで発動する。
葉月ならば『神の御名の下に』を鍵言として、【初太刀、一閃】を魔術名として用いることにより使用する。
鍵言は一度でいい。
問題は魔術名を告げるまでに若干のタイムラグがあるということだ。
(間に、合わない――――!)
来るべき衝撃に瞳を閉じる。
恐らくは瞬きに近いほどの時間で、葉月の短剣は舞夏を斬り捨てるだろう。
だが、衝撃は来ない。
どういうわけか、来ない。
「なんだ、結局こうなるわけかよ……やっぱ、莫迦だなぁ」
そんな声がすぐ背後から聴こえた。
それが何なのか、確認できないまま……青年は混乱する舞夏を叱咤した。
「カイムのが来るぞ、ぼさっとすんなっ!!」
「っ……【Sacred shield which shines】ッ!!」
舞夏の魔術が発動する。
それは敵の攻撃から己を、味方を護る聖なる盾。
左手に持っていた白い盾が輝く奔流となって、カイムの衝撃波を受け止めた。
カイムの攻撃だけなら防ぎきれる。
なら、葉月の攻撃はどうだったのだろう。どうして、その衝撃が来ないのだろう。
舞夏は背後を振り向いた。
知っている。舞夏の背中を護った青年の名前を……舞夏は当然、知っている。
「…………無涯の黎夜……何故、出てきたのですか……!?」
「……っ……なんで、だろうな……妹を護れば、いや……妹を連れて逃げ出すのが賢いやり方なのに、なっ……!」
葉月の短剣を、無涯黎夜は受け止めていた。
舞夏の背中を護るために。
英雄としての膂力を前にして……黎夜は竹刀で受け止め、互角に鍔迫り合いをしていた。
「だけどさ……実際、何か違うって思った……舞夏に頼りっぱなしは、間違いだと思った!」
「勝てる、と思っているのですか……! 否、それは勇気ではなく無謀、浅はかな考えですっ!!」
「うるせえよ……んなこと、最初から承知の上だッ!!」
黎夜は叫ぶ。葉月に……そして舞夏に。
「舞夏ぁ! 何分、かかるっ!!」
「っ……三分……いえ、二分もあれば!」
これでもギリギリの提案だ。
二分や三分程度でカイム・セレェスを……『クロノア』を倒せるというのなら、とっくに舞夏の組織は彼らを制覇している。
だからこその虚栄心、だからこその叫び。
「上等だ、受けたからにはその百二十秒……葉月、相手してやるぜ」
「……思い上がりも、甚だしい……!」
舞夏の後ろから剣戟の音が響く。
彼女は振り返らない、そのような余力はない。何故なら二分以内に敵を倒すからだ。
「……天凪の言葉じゃないけど、思い上がるのも大概にしてもらおうか」
「思い上がりではありません。これは……自信です」
「はっ……だったらその思い上がり、ここで叩き切って―――――っ!?」
最後まで言葉は紡げなかった。
舞夏は地面を蹴ると、カイムと距離を詰めて光り輝く剣を叩き付けた。
無涯黎夜vs天凪葉月。
月ヶ瀬舞夏vsカイム・セレェスの戦いが始まった。
◇ ◇ ◇ ◇
「っ……ぐ、はっ……!」
思わず悲鳴を上げてしまう。
竹刀を持った自分はそれなりに強い自信があった。
学園では剣道部に何度もスカウトされたし、剣という類に限ればじっちゃん以外に負ける気はしなかった。
そんな俺ですら、十秒も保たないうちに息が上がっている。
「ま、だまだあっ!!」
「否、無駄です」
反撃の一手と振り下ろした一撃は、軽々と短い剣で受け止められる。
少し自信が喪失しそうだ。自分よりも年下っぽい女の子に簡単に止められてしまうのだから。
「……何故、戦うのですか、無涯の黎夜」
「自分のために決まってるじゃねえかっ!!」
感情のままに叩きつける。
一撃は激烈、並の奴なら一合目で手が痺れてしまうほどの攻撃は……受け流されていく。
それでも、俺は竹刀を振るった。
振るいながら、感情のままに言葉を叩き付けた。
「大体、テメェだって何のために戦ってやがるっ!!」
即座に反撃が飛んだ。
見えないし、完全には避けられない。わき腹に手痛い一撃、血が吹き出る。
左肩はカイムにやられた痛みが再発して、熱を発している。
痛い、苦しい。
けれど、俺はそんな苦痛を振り払って叫んだ。
「迷ってんだろ、自分のやることが信じられなくなってるんだろっ!?」
「否……! そんな、ことは」
「それこそ、否だなっ!! 俺には魔術とやらも使わねえ、反撃も全部が全部首やら心臓を狙えばいいのに、狙わねえっ!!」
自分でも分かっているはずだ。
葉月は人を殺せない。だからこそ、俺はこうして生きていられる。
「んなことで、どうして迷ってねえなんて言えるよ!?」
まだ、迷っているんだ。
自分のやっていることに自分の正義を見出せないからこそ、こうして苦悩しているんだ。
「俺を放ってカイムの援護に行けば、俺もその乱戦に加わろうとするのを知っているから……ここで俺を足止めする」
「…………」
そうなれば、カイムは俺を狙う。
舞夏の戦う理由は俺の頼みに直結するし、現実的に考えても俺は抹殺標的だ。
それを防ぐために葉月は俺の相手をしている、と考えるのは自惚れが過ぎるだろうか。
「だけど、それだと組織やカイムを裏切ることになる。カイムは殺されるかもしれない、それだって許容できない」
「……うる、さい……」
「この戦いで誰も死なない方法を模索している、だけど……それが分からなくて苦しんでいるんだろ!?」
「うるさいっ!!!」
その言葉を引き金にして、葉月は赤銅色の短剣を閃かせる。
魔術の行使……一度は受け止められた一撃を、もう一度使おうとしている。
「ぐっ……」
「【初太刀、一閃】……この魔術は、射程を無視して相手を切りつけるもの。所要時間は……一秒」
葉月は構える。俺を必殺する、と宣言して。
時間にして一秒の時間で、俺はその一太刀を見切って受け止めなければならない。
「受ければ、確実に死にますよ?」
「やってみろ」
俺も応えるように竹刀を構えた。
右手一本では受け止められない。そのことは……自分が良く分かっていた。
「今、逃げれば……間に合うかもしれないんですよ……?」
「いーや、お前は俺を殺せないよ。人の命の価値を知ってるから……人の不幸を、嘆くことが出来るから」
「否、私は本気です……本当に……撃ちますよ!」
「撃ってみろよ、葉月。断言してやる、お前は……俺を殺せない。絶対に、殺せない」
葉月の顔が歪む。
ほら、そんなだからダメなんだよ、お前は。
そんな泣き出す一歩手前のような顔で、どうして人なんて殺せるんだよ。
出来ないだろうが。
だって……お前は。
「葉月は、優しすぎるんだから」
「うっ……うぁぁあああああああああああああああっ!!!!」
魔術が展開される。
放たれるのは人殺しの凶器、射程を無視した一閃だ。
俺は右手をわずかに掲げる。
ガギィンッ!!
それだけで、葉月の魔術は受け止められていた。
俺は右手だけで、迫り来る刃を防いだだけだ。それ以外は何もしていない。
軽かった。その一撃に……敵を倒す意思など、欠片もなかった。
「……舞夏を斬ろうとしたときも、躊躇していたから俺が止められた」
噛み締めるように、俺は語りかける。
呆然と……目の前の光景を信じられない葉月を諭すように。
「今のも、殺すつもりがなかったから俺は楽々と止められた。どうだよ、これでもまだ迷ってないなんて言えるかよ」
「………………」
がくり、と顔を伏せる葉月を……俺は説得する。
こいつは裏の世界にいるべきではない、と思った。そんな理想に厳しい世界は似合わない。
「ずっと、悩んで考えていたんだろ?」
葉月は優しいから。だから、笑っているべきなのだ。
学園に通って、年相応の生活をして、友達と一緒に冗談を言い合って……そのほうが、ずっと似合ってるんだ。
「誰も死なない、最高の結末が欲しかったんだろ?」
葉月がどんな行動をしようと、それはもう叶わない。
任務を遂行すれば最低でも俺は死ぬ。逆に、カイムの邪魔をすれば舞夏がカイムを倒してしまう。
詰みだ。チェックメイト……最高の結末は、どうやっても迎えられない。
「だったら、その願いは俺が叶えてやる」
葉月が、ふと顔を上げた。
俺はそんなあいつに、獰猛なほどの笑みを浮かべてやる。
そう、手詰まりなのはあくまで、葉月ならではの話だ。
俺が行動すれば良い。そう……奴さえ止めれば、全てが解決するはずなんだ。
カイム・セレェス。
奴さえ倒してしまえば……葉月が願った『誰も死者は出ない』を実現することが出来る。
(それが、唯一の手段だ……頼むぜ、舞夏)
それについては舞夏に任せるしかない。
時間はまもなく、三分を超えようとしている。
白き天使と黒き悪魔と殺陣は、傍目から見ても激化していった。
◇ ◇ ◇ ◇
「はぁぁああああああっ!!!」
「っ……ぬう、ああああっ!!」
舞夏の鋭い一撃を、カイムはかろうじて捌いていく。
真正面からの突きを頭をそらして回避し、盾による突撃をバックステップで避ける。
守備を捨て、攻撃だけに特化した戦い方。
自分らしくない、と舞夏は思う。いつもならここまで露骨な特攻なんて仕掛けないはずなのに。
(まったく……どうかしてます)
誰かに掛け値なしの信頼をされる、ということの心地よさ。
それに応えたいと思えば思うほど、舞夏の猛攻は激しさを増していく。
天使の羽を媒介にした矢を近距離から射出。
岩をも貫き通す射撃は狙い外れることなく、カイムへと迫っていく。
(ちっ……本格的に潰す気かっ……!!)
舌打ちも一瞬、迷いは皆無。
「【三日月の 水の底照る 春の雨】……撃ち落とすっ!!」
放たれた矢を、魔術で潰していった。
いかに舞夏の魔術とは言え、無詠唱で執り行われる脆弱な一手。
だが、それで充分。
撃破したその先に……舞夏の姿はない。今の一撃を目くらましにして、視界から消え失せていた。
「むっ……!」
「イヤァアアッ!!」
背後からの一撃、光り輝く剣がカイムの肩を浅く切り裂いた。
激痛が走る、が……カイムは退かない。
サーベルを握る。舞夏から出来るだけ距離をとり、考える。奴を倒す方法を考える。
(どうする……天凪が無涯黎夜を殺せないのは百も承知……だが)
葉月の迷いをカイムも知っている。
本来なら唾棄すべき心の無駄、と斬り捨てるところ。だが、若干でも彼女の苦悩が分かる。
分かってはいるが、理解してやることとは別だ。
いい加減、葉月には『アスガルド』という組織の重要人物であることを自覚してもらわないと困るところだ。
仕方がない。
こうなれば配置を変えなければ、とカイムは決断した。
「っ……天凪っ!!」
「…………」
「月ヶ瀬を足止めしろっ! 二人で一斉にかからなければ勝てないっ!!」
視線の向こう側、天凪葉月はびくり、と身体を震わせた。
まるで父親に怒られる子供のように。そして……ゆっくりと、その足はこちらに向いていた。
「……葉月」
「無理ですよ、無涯の黎夜……もう、誰も死なない未来なんて……手に入れられません」
一度、そんな彼女の諦めの言葉を聴いた。
次の瞬間には今まで黎夜に対してきた身体能力を遥かに超えたスピードで、カイムの隣へと降り立つ。
舞夏は内心でその事実に危うさを覚えた。
自分ひとりで『クロノア』の二人を倒す、ということ……それは、中々手ごわい。
「黎夜さん、すいません……せっかく、時間を稼いでいただきましたのに」
「気にするな。それより、頼みがある」
「…………誰も、殺すな……ふふ、無謀な頼みすぎて笑いしか出ませんね」
舞夏には切り札があった。
彼女の『霊核』の総力を用いた……そう、必殺技といえるほどの大技が。
ただし、確実に被害は出る。
カイムと葉月、両者が無事でいる保証はないし……避けられては、消耗した自分が敗れてしまう。
それでも最悪のときは使用することを躊躇わなかった切り札。
それを使うな、と黎夜は言った。
「まったく……これでは分が悪くなるばかりですよ」
「頼むぜ、舞夏」
「本当に危なくなったら遠慮なく使わせていただきます。お互いに、危なげのない戦いを」
それで両者の意思は決まった。
舞夏と瞳をあわせて、頷く。二人の狙いは言うまでもなく、カイム・セレェス。
奴さえ倒せば、全てはうまく行くのだから。
「天凪。私たちは次の一撃に全力を尽くす。標的は月ヶ瀬、異論はないな?」
「……是。もうきっと、どうしようもない……のですね」
「割り切れ。この道を進むと決めたら迷うな。君は強い、私よりもだ。だからこそ……道を強く見据えろ」
カイムは告げる。
理想を貫きたいなら己の道を見失わない強い意志を持て、と。
それが出来る、とカイムは知っている。葉月は強いことを冷酷な相棒は知っている。
己の道を信じる者と、己の正義が分からなくなった者がいた。
前者はどうなろうと、迷わない。後者は迷っているだけなのだ。そして、迷った人間は自分で歩き出さなければならない。
カイムは決して安易な救いの手など差し伸べない。
「行くぞ」
「来いよ」
四者が同時に疾走した。
カイム、葉月の狙いは現時点で最高の戦闘力を持つ月ヶ瀬舞夏。
黎夜、舞夏の標的はこの戦いの首謀者、カイム・セレェスを倒すことに全力を注ぐこと。
まずは葉月だ。
瞳には迷いの色が濃いが、それでも魔術を展開させようと気を張っている。
その殺気は先ほどまでの非ではない。
一時的なカイムの全肯定、僅かながらに潜む諦観が……葉月に、最大限の負の力を作り出していく。
「【初太刀、一閃】」
閃く赤銅色の短剣、その切っ先に半透明の刀が抜き出している。
あれはもはや短剣できなく、一流の刀として顕現している。
その一撃は舞夏と黎夜に繰り出された凡庸な一撃ではなく……もはや、諦めたからこその必殺撃。
「葉月っ!」
「邪魔……です!」
その一撃は黎夜が受け持った。
竹刀と短剣が激突し、金属音と共に弾かれる。……黎夜の右手が、金槌で打たれたかのように痺れた。
これでもまだ、迷いを捨て切れてないからこそ。
もしも本気の斬撃だとすれば、竹刀は完全に折り曲がって……そのまま、黎夜の腹を切り裂いていても可笑しくない。
「【一閃から、二閃へ】」
ふと、そんな言葉が耳をなぞったかと思ったとき。
弾いたはずの一閃が倍の数になって、もう一度襲い掛かってくる光景を黎夜は目撃した。
莫迦な、と思う暇などない。
葉月の持っている短剣は確かに一本だが、迫ってくる攻撃の数は二本分なのだ。
「がっ……ぁぁあああああっ!!!」
ザクッ、左手が鮮血に塗れた。
咄嗟に振るった竹刀で片方を強引に叩き潰し、もう片方を弾いたのだが……足りなかったようだ。
弾き足りなかった攻撃のひとつが、左の二の腕に襲い掛かる。
激痛、そして斬られたという事実が脳の中に浸透してきて……胃の中が冷えるような、気持ちの悪い感覚を得た。
そして、吐き気を脳が訴えていることをようやく理解し始めたとき。
「【二閃を二度、ここに複製して敵を討つ】――――合わせて四撃、受け止められる道理はなし」
悲鳴が、形にならない。
(四撃……? 二度でもこの様だってのに、四回……!?)
黎夜は一瞬で死を幻視した。
竹刀で死に物狂いで弾けて、二撃。残りの二撃は確実に黎夜の身体を血に染める。
やられる、と思った。
追い討ちをかけるように、カイムが哂う。くくくくくっ……夜の校庭で悪魔が哂う。
「【山門を 見こして見ゆる 春の月】……私の使える魔術でも、極上の衝撃波だ。受け取るといい」
「黎夜さんっ!!」
舞夏の悲鳴のような叫び。
失敗した、と黎夜は唇を噛んで悔しがった。何故、どうして気がつかなかったのだ、と。
カイムたちの標的は舞夏ではなく、無涯黎夜だった。
「か、カイム……?」
葉月が息を呑む光景を見て、黎夜はようやく得心が行った。
彼女ですら騙されていたのだ。恐らく、この四撃ですら人を殺すたるに放ったものではなかったのだろう。
あくまで、身動きを奪う程度。
そうして黎夜を無力化させて、舞夏との戦いに専念する……というのが、カイムの表側の作戦。
その裏でカイムは哂っていた。
葉月の刀の乱れ切りが黎夜に回避する術を失い、避けられないところで人を殺せる衝撃波。
こうすることで『最初から無涯黎夜を始末する』作戦を密かに実行していたのだ。
「かっ……カイムッ……てめぇっ!!!」
「ご苦労様、お疲れ様……そして、さようなら」
「黎夜っ……さんっ……!!!」
悲鳴が重なった。
一人だけ、男の哄笑が月下の校庭に木霊すると同時。
衝撃波に呑まれ、その身に斬撃を受けた人物が。
苦痛の声を上げて、確実な致命傷を受けて。
黎夜は無傷だった。そう、直接巻き込まれたはずの黎夜は無事だった。……ならば、吹き飛ばされたのは。
驚きに見開かれる目を黎夜はする。カイムは予定通りとばかりに、口元を歪めて嘲笑った。
「まっ……舞夏ぁあああああああっ!!!!」
絶望の交響曲。
ここに、決着がついたことを知らしめた。
◇ ◇ ◇ ◇
「舞夏……舞夏!」
吹き飛ばされた仲間の下に駆け寄った。
呆然としてしまったのは一瞬だけ……俺は、まだ目の前に敵がいることにも構わずに駆け出した。
「カイムッ……何故っ……!!」
「君がいつまでも決断しないのが悪いのさ。……そうだろう、このままでは負ける。殺されてしまうからこそ、一計を案じた」
「だからって……!」
「君が君の理想のために迷うのは問題ない。だが、私は私の願いのために君を利用した。そこに言い訳も反省もしないよ」
向こう側では葉月がカイムに食って掛かり、カイムが笑いながら言葉を交えている。
だが、そんなことはどうでもいい。
倒れ伏す舞夏を抱きかかえた。ワンピースは衝撃で所々が破け、白かったはずの生地が赤く染まっている。
「……あ……無事……でし、たか……?」
「バカヤロウ、何で庇いやがったっ!! お前ならその隙にカイムをぶちのめすことも出来ただろうがっ!!」
「ふっ……ふふ……黎夜さんを、見捨て、て……ですか……? そんな選択は、考え付……きも、しませんでした……」
弱々しく笑う舞夏の姿を見て後悔した。
俺が巻き込んだからだ。莫迦な提案をしたから。
そもそも、俺が英雄同士の争いに飛び込まなければ。
舞夏がこんな目にあうことなんて、なかったはずなのに。
「……ご期待に、添える……こ、とが……できて……ませんでしたからね……」
「くそっ……くそ、くそぉっ! 死ぬな、死ぬなよ? 今、傷の治療……いや、仲間が近くに待機していないのか!?」
静かに舞夏は首を横に振った。
舞夏の部下は学園の外にいる。彼らがここに来るというのなら『アスガルド』の兵隊たちと一戦交える必要がある。
ダメだ、それじゃ間に合わない。
助けを待っている間に……カイムは確実に舞夏の命を奪おうとする。
「逃げ……て、く、ださい……妹さんを連れて、はや、く……私が、引き受け……ますか、ら……」
「んな身体で何が出来るってんだっ!」
近くには沙耶の姿もある。
舞夏はあの衝撃波でここまで吹き飛ばされたのだ。身体もボロボロで、立ち上がることすら出来ない。
そんな奴を置いて逃げる、なんて出来ない。
それが出来るほど賢くいられたら……苦労はないって、話だ。畜生め。
「さあ……終幕と行こうか、月ヶ瀬舞夏……それと無涯黎夜」
ゆっくりと、悪魔が剣を持って近づいてくる。
葉月はうな垂れた様子で、呆然とカイムの動きを目で追っているだけ。
「神への祈りは済ませたかい? それとも最期まで足掻くかい?」
「…………ふざけやがって」
また、奪われるのか。
また、この世界は俺から大切なものを奪っていくのか。
今度は、俺自身を奪おうってのか。
沙耶の笑顔を思い出す。
俺が死んだらあいつは泣くんだろうな。
両親が死んだときの、あいつの壊れた人形のような瞳を思い出す。
今度は俺が、あいつにあんな顔をさせるのか。
「本当に……ふざけやがって……」
あいつが立ち直るまで、どれほど大変だったかも知らない癖に。
死に物狂いだった日々、あの煉獄の日をもう一度?
今度は沙耶だけに背負わせようっていうのか……俺ですら、心が折れかけたあの八年間に?
ふざけるな。
許さない、そんなことは絶対に許さない。
「……で、どうするのかな? 月ヶ瀬は虫の息、君自身は戦力にならない」
「決まってる、俺自身でテメェをぶっ潰すだけだ」
「…………あー、あまりにも予想通りの回答で、興が殺がれた気分だね。一応聴くけど、勝てると思っているのかい?」
勝てるのか、なんて算段は関係ない。
ただ、俺は勝たなきゃいけないってだけの話。
だけど、百戦やっても一度だって勝てないことは理解しているつもりだ。今の俺は、カイムには勝てない。
「そうだよ、俺じゃ勝てない……そもそも土俵が違う、今の俺じゃ逆立ちしても勝てない」
そんなことは分かっている。
もう、充分すぎるほどに実感した。充分すぎるほどに理解した。
「だったら……」
そう、手はひとつだけ。
本当に最後の手段、成功率など一割も見出せない最後の策。
懐に手を入れる。
取り出した物と、叫んだ台詞は……東雲学園の校庭に立っている者、全員を驚愕させた。
「同じ土俵で立てばいいだけの話だろうがぁぁああああああああっ!!!!」
ずっと懐にしまっていた母さんの形見、サファイア。
その正体は英雄の力を閉じ込めた『霊核』だと言う。
誰よりも、後ろで虫の息のはずの舞夏が一番早く、俺の暴挙を止めるべく叫び声をあげた。
「っ……!! だめ、です……黎夜、さん……それ、だけは……ダ、め……!」
「もう……これしか手は残ってねえんだ」
舞夏の叫びを振りほどく。
葉月が慌てて手を伸ばしていた。カイムですら、凝然と瞳を見開いている。
「正気か……?」
「当然だろ」
「『霊核』を宿すことの意味を、分かっているんですか……?」
「言われるまでもねえ」
舞夏曰く、もう日常には戻れない。
宿せば裏の世界に足を踏み入れ……そして、完全にその世界の住人となってしまう。
それが、裏の世界における宝玉に手をつけた者へと代償だ。
だけど、それでも。
舞夏と沙耶、こいつらを見捨てていい理由にはならない。
「何の英雄かは知らない……だけど」
宿し方だって分からない。
だから胸の前で抱えながら、必死に祈った。
顕現してくれ、俺に力を貸してくれ、敵を倒す力をくれ、家族や仲間を護る力をくれ。
「力をよこせっ……」
頼む、母さん。
もう嫌なんだ、母さんを失ったときみたいな衝撃を受けるのも、与えるのも。
辛かった、悔しかった、痛かった、怖かった。
それは今……命を奪われようとしているときよりも、ずっと重くて深くて厳しかったんだ。
「やめ……て……黎夜さん、や……めて、ください……っ!!」
悲痛な、悲壮な舞夏の叫びが痛々しい。
「『霊核』を、宿……すと、いうことは……その英雄の、罪業を……背負、うという……こと、なんです……!」
驚愕のまま動けないカイムや葉月よりも、今は舞夏の言葉が辛い。
苦しそうに息を吐きながら、舞夏は訴える。
それが自分の命に直結するかも知れないというのに、最後まで俺を表の世界にいさせようとしていた。
「辛いんです、苦しい、んですっ……それは、悲劇……しか、産み出さないっ!!!」
「それでも、護りたいんだ」
ありがとう、と告げた。
それで最後。
母さんの形見が俺の呼びかけに呼応して、煌き始めた。
もう、戻れない。
だけど後悔も恐怖もない。あるはずがない。
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意識、が、脱線し、た。
ぶ、つぶつ、と千切れる、よ、うな激痛、が。
一撃、で廃、人になりかね、ないような圧、倒的な力の、奔流が、脳の中、に叩き込ま、れて。
あ、消え、る。
無涯黎、夜の存在に別、の、何かが、上書きさ、れていく。
黒いノイズ、が俺、を食、い尽くし、ていく。
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キ、える。
何もかもキエていク。
ダメ、だ、埋もレていく。
ムガイレ、イヤガ消、エテイク。
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―――――約束、して。
(ああ……憶えている)
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(無涯黎夜は、この世界で強く生きると誓った)
ヤク、ソクガアッタ。
誓イがアッタ。
だカラコソ、俺は……護レル、力を求めタ。
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「上等ダ……」
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「背負ってやるよ、その罪業って奴をなぁッ!!!」
◇ ◇ ◇ ◇
「……有り得ない」
呆然とカイム・セレェスは呟いた。
本来、『霊核』は事前に何度も解析し、それを個人の波長と合った人間が宿せる。
それにしても失敗したら廃人になりかねないほどの激痛を経て、カイムも葉月も力を手に入れてきた。
だから、成功するはずがないと高をくくっていた。
身の程知らずの男が自爆する形で決着はつく、と考えていた。
「……無涯の黎夜……なのですか……?」
「黎夜、さん……?」
身に纏う戦意は今までの黎夜の比ではない。
舞夏や葉月には彼がどこまで『霊核』に意識を食われたのか、分からなかった。
特に覚醒直後は暴走する話も多い。強大な力は、時として自分を見失ってしまうほどの危険。
かくして、黎夜は。
「他に誰に見えるんだよ、お前ら……」
呆れたように溜息をつくのだった。
「…………まさか、霊核に意識を喰われていない……むしろ、喰らい尽くしたのか……!?」
「さあ、細かいことは知らねえけどさ……とりあえず、やり直しと行こうじゃねえか」
同じ土俵に上がってきた。
これで負ける言い訳など立たない。英霊の力はここに手に入れたのだから。
虚空に手を伸ばす。
自然、そこにあるのが当たり前のように竹刀が握られていた。
「もう一度言うぜ。てめえの思い上がりを殺してやる」
舞夏は戦闘不能、葉月に戦う意思がない。
だからこそ、この決闘は一騎打ち。
黎夜とカイムの正真正銘の潰しあいをもってして……この長いようで短い月光の戦いは終演だ。
さあ、終幕へと話を繋げよう。
黎夜は竹刀を構えると、未だ現実を認識できないカイムを倒すべく、地面を蹴った。




