第109話 ルガット先生による吸血鬼講座 ①
SIDE:ノエル
リドリーちゃんに外套と仮面を預けて席につくと、ルガットさんが温めたティーポットへと熱々のお湯を注いで、紅茶の華やかな香りで室内が満たされていく。
茶葉を蒸らしている間に私は丸テーブルに並べられたお菓子の山から、シュークリームみたいなものとチーズケーキみたいなものを選んでリドリーちゃんに給仕してもらった。
「リドリー、取り分ける時にはお皿の角度を少しだけノエル様のほうへと傾けなさい。そのほうが美しくお菓子を見せることができます」
「はい! 師匠!」
まともなメイドさんらしい教育に、嬉々として技術を修得していくリドリーちゃん。
吸血鬼の授業は先にオヤツを少し食べてからはじまるようで、ルガットさんに淹れてもらったお茶の香りを楽しみながらフォークを手に取ると、白い霧が優しく私の右手を包み込んで、カトラリーの美しい扱い方を教えてくれた。
イザベラさんからそれなりに作法は教わっていたけれど……ルガットさんが導くフォークの動きはもはや芸術の域である。
そしてストレスフリーな、むしろ感動すら覚えるほどのマナー教室があっという間に終わると、美味しいお菓子を食べ終えてナプキンで口元をぬぐった私へと、新しい紅茶を用意しながらルガットさんが流れるように解説をはじめた。
「――我ら吸血鬼が扱う基本戦闘術は、主に三つの系統に別れており、それらは【血流闘法】【外装血法】【血性魔術】と呼ばれております」
そのうちのひとつに聞き覚えのあった私は、唇を紅茶で湿らせてから反応する。
「【血流闘法】という言葉は先日聞きました。体内の血液を操って戦う技術ですよね?」
「その通りです」
頷いたルガットさんは、私とリドリーちゃんから見えやすい位置に白い霧を集めて、それをホワイトボード代わりに血液を操って赤い文字を形作る。
霧のホワイトボードには今しがた語られた、三つの戦闘技術の名前が浮かび上がった。
『――【血流闘法】【外装血法】【血性魔術】――』
真ん中の言葉を差してルガットさんは続ける。
「【外装血法】に関してはその名の通り、肉体の外部で血液を操って、血液を武器や防具として扱う技を指します」
「ああ……坊ちゃまがよく使っているオモチャの鎧のことですか……」
……いちおう兵器として作ったんだけどなぁ…………。
しかしリドリーちゃんが言う通り、私が操るパワーアーマーは【外装血法】に属するのだろう。
私たちがここまでの説明を理解したことを確認して、ルガットさんは三つ目の言葉を指し示す。
「そして本日の講義内容である【変身術】ですが、これは最後の【血性魔術】――つまり我ら吸血鬼が生まれ持つ『種族固有魔法』を利用した最も汎用性の高い技術でございます」
【血流闘法】や【外装血法】は今まで自然に使っていたけれど、まったく使ったことのない技術の情報を聞いて、私は瞳を輝かせる。
「種族固有ってことは、吸血鬼固有の魔法!?」
「はい。血で繋がって眷属を作り、血に宿る才能を引き出し、血を介して森羅万象へと影響を与える――そんな魔法の扱い方をこれから学んでいきましょう」
おそらく師匠が壁をコウモリにしてみせたり、ルガットさんが霧になったりするのもこの技術を用いたものだろう。
「それを使ったら僕も霧になれますか!?」
やる気になった生徒に、ルガット先生は力強く頷いた。
「変身術の中でも【霧化】は高等技術に属しますが、ノエル様ならば必ずや、自在に操れるようになるでしょう」
おお……この技を極めれば、とても吸血鬼らしくなれそうな予感がする!
「――さっそく教えてくださいっ!!!」
ワクワクしすぎて椅子から立ち上がってしまった私へと、ルガットさんは微笑んで頷き、血文字と霧のホワイトボードを霧散させる。
「それではまずは、こちらにお越しください」
そしてルガットさんに案内されて、私とリドリーちゃんは部屋の奥の壁際へと向かう。
そこには一枚の大きな鏡が設置されていて、その中央に私は立たされた。
「【変身術】の練習は、必ず鏡を用いて行います」
「「へぇ……」」
私とリドリーちゃんが鏡を覗き込むと、鏡の中のルガットさんは私の肩へと両手を置いて微笑む。
「よく見ていてくださいね?」
次の瞬間には鏡の中からルガットさんの姿が消え去るが、両肩に置かれた手や私の顔の横にある美しい顔はそのまま存在していて……再び鏡へと視線を戻した私はその不思議な光景に首を傾げた。
「? これも【変身術】の技なんですか?」
鏡の中から姿を消す技だろうか?
「いえ、これは技というより、私が吸血鬼として生まれ持った『特性』のひとつです。世の中には『生まれつき鏡に姿が映らない吸血鬼』もおりまして……そういった者たちは総じて【変身術】の適性が高いと長年の研究で証明されているのです」
なるほど……つまりはこの鏡に映らない状態こそが、変身するうえで最も適した状態なのだろう。
鏡の中の姿を戻したルガットさんは私の肩から手を離し、一歩下がって私へと手の平を向ける。
「まずノエル様には、この【絶影】と呼ばれる状態をマスターしていただきます」
ジェスチャーで『真似してみろ』と促されたので、私もどうにか姿が鏡に映らないようにしようと試行錯誤してみるが、
「ほっ! はっ!」
力んでも、変なポーズを取ってみても、鏡の中の私はくっきり映ったままだった。
ふむ、どうやったらいいのかまったくわからん……。
「坊ちゃま。こうですよ、こう」
そして私の後ろで鏡から消えるリドリーちゃん。
「……いや、なんで君ができるの?」
呆れた視線を向けると、リドリーちゃんはドヤ顔になって胸を張る。
「ふふんっ!『影』の消し方ならセレス師匠から教わったことがありまして!」
あ、そうか……鏡に映らないということは、影も消えているということか……。
リドリーちゃんの足元を確かめると、確かに彼女の影が無くなっていた。
しかし吸血鬼でもないくせに鏡の中から姿を消してみせたリドリーちゃんに、ルガットさんが近づいてチョークスリーパーを決める。
「ぐえっ!?」
「この子のこれは参考にしないでください。【精霊化】は確かに【変身術】と似ておりますが、吸血鬼が操る【血性魔術】とは似て非なる技術ですので」
どうやらリドリーちゃんは違う系統の技術を使って姿を消してみせたらしい。
相変わらず万能すぎるメイドさんである。
それから五分ほど試行錯誤してみたが、鏡の中から私の姿が消える気配はなく、私は気まずくなって左右の人差し指をツンツンした。
「……もしかして僕って【変身術】の才能が無いんですかね?」
子供らしく肩を落とすと、ルガットさんが苦笑する。
「誰でもはじめはそんなものですよ。一般的な吸血鬼ならこれを習得するだけで一ヶ月はかかりますから、気長にやっていきましょう」
「……なにかコツとかないんですか?」
「そうですね……コツをお伝えするならば『影と同化するような感覚』とでも言ったところでしょうか……【変身術】を操る感覚は影を操る感覚とも似ておりますから」
……そんな魔法もありましたね?
「そっか……影を操る感覚に似ているのか……」
アドバイスをもらった私は【潜影】を使って自分の影へと潜り、周囲の護衛をメアリーに任せた状態で、自分の肉体が周りの影と同化するようなイメージをしてみる。
……うん?
なんだか身体がムズムズするような気がするけれど……これは上手くできているのだろうか?
そのまま地上へと上がってみると、鏡に映るはずの私の姿は見事に消えていた。
「あ、できた」
「!? 早っ!?」
あっさり成功させた私にルガットさんが驚愕する。
冷静沈着なメイドさんの反応に、私は嬉しくなってニマニマした。
「もしかして僕って【変身術】の才能がありました?」
先ほどとは真逆の考えを口にすると、ルガットさんは私の頭を撫でながら嘆息する。
「……いえ、生まれつき鏡に姿が映っていた時点で、【変身術】の適性が低いことは間違いないのですが……ノエル様はお嬢様と同じで、【血性魔術】の元となる『精神力』の基礎能力値が並外れているのでしょう……」
昔からシャルさんに精神力オバケと言われていたけれど、どうやらここでもそのステータスが良い具合に活躍してくれたらしい。
「……しかし困りましたね……これにて本日予定していた授業内容が全て終わってしまいました……」
授業の進行状況は素晴らしく進んでいるらしく、さらにやる気を漲らせた私はルガットさんへと拳を握る。
「このまま霧に化ける練習までやりましょう!」
「やる気があるのは素晴らしいことですが……」
しかし調子に乗る私の肩へとルガットさんが触ると、
「あれっ!?」
すぐに鏡の中に私の姿が現れてしまう。
「意外と維持するのが難しいでしょう?」
「……はい、少し集中が乱れただけで元の状態に戻っちゃいました」
私の呟きにルガットさんは頷いて、人差し指を立てる。
「実際に姿を変える練習を行うのは無意識下でも鏡から消えた状態を維持できるようになってからです。そしてこれから半月の間はずっと【絶影】を維持する修行を続けてください……姿を変えている途中で集中が切れると酷い目にあいますので」
「……それはどんな目にあうんですか?」
ちょっと想像ができなくて訊ねると、ルガットさんは笑顔で私のお腹を指差した。
「変身途中で【絶影】が途切れると、多くの場合は身体の中身が床に零れます。血液や内臓だけでなく、時には骨や筋肉までも」
「ひえっ……」
その光景を想像してリドリーちゃんが悲鳴を上げた。
「坊ちゃま……ちゃんと練習してくださいね? 私、坊ちゃまの中身を掃除したくありませんから……」
しかし痛みに強い私としては、そんな危険よりも修行のほうを優先したくて、
「いや、べつにそれくらいなら我慢できるから、僕は続けてもらっても大丈夫ですけど?」
たとえ身体の中身を床にぶちまけようとも、再生能力だよりで修行の続行を希望する私に、二人のメイドさんたちは柳眉を逆立てる。
「「――絶対にいけませんっ!!!」」
……これが師匠なら続行の許可をくれると思うんだけどなぁ…………。
「むっ……これは勝手に修行しようとしている顔ですね!? こういうところはお嬢様にそっくりです……いいですかリドリー! ノエル様が勝手に【変身術】について調べようとしたら、ぶん殴ってでも止めるのですよ!」
「お任せください!」
そして私へと拳を構える二人のメイドさん。
私は慌てて爽やかな笑顔で嘘を吐く。
「いやいやいや、べつに危険なことはしないから」
「こんな顔をする時は、絶対に危険なことをする時です!」
……師匠もときどきこんな顔をしているの?
「勉強になりますっ!」
ルガットさんに尊敬の眼差しを向けて、何度も頷くリドリーちゃん。
チッ……ルガットさんのフォローのせいでリドリーちゃんの単純さがカバーされてやがるぜ……。
流石にこれでは勝手に【変身術】を極めることはできないだろう。
……しかし明確な目標があるというのは素晴らしい。
【変身術】を修得するために【絶影】の修行をする。
このシンプルな課題をクリアすれば、私は師匠のように壊れた建物を蝙蝠に変えたり、ルガットさんみたいに霧になったりできるはずなのだから、残りの授業時間を使って私は鏡の中の姿を消す修行に全力で取り組むことにした。
「仕方ない……今回は普通に頑張るか……」
「最初からそうしてください……」
リドリーちゃんに、ポフッ、とチョップをもらって私は真面目に修行を再開する。
それこそ最初は歩くだけで【絶影】状態が解除されてしまったけれど、試行錯誤しているうちに影の中にいれば【絶影】を維持する難易度が下がることがわかったので、
「ああ! こうすれば楽なのか!」
私はしばらく影から頭を出しただけの状態で生活してみることにした。
「……ああ……坊ちゃまがシャル様みたいに…………」
そして一回目の授業が終わる頃には床から生える生首みたいになった私を見下ろして、ルガットさんが困惑した声を出す。
「……どうしてこのような行動へと至ったのか、私はとても不思議です」
「……すみません。うちの坊ちゃまは生まれた時から変なんです」
そこは合理的だと言っていただきたい。
【絶影】を習得するためには生首がベストな選択だったというだけである。
影を消したら影の中にいるメアリーたちはどうなるのかと少し心配になったけれど……どうやらこれは私自身が影の一部みたいになっているような状態らしく、身体の中から眷属たちの気配を感じた。
「あははっ! これけっこう面白いかも!」
そのまま試しにメアリーへと影の中から出るように命じてみると、私の頭から、ニョキッ、と赤い触手が生えてきて、ルガットさんとリドリーちゃんがギョッとする。
「……普通は影との【完全同化】ができるようになるまで数百年はかかるのですが…………」
「……たったの数十分で坊ちゃまがまた人間離れしました……どうりでメルキオル様が吸血鬼教育をためらうわけです…………」
諦めた顔をしたリドリーちゃんがシャルさんみたいになった私を床から持ち上げてくれて、これまた諦めた顔をしたルガットさんが授業の終わりを宣言する。
「……ま、まあ、影の中にメアリーがいるのなら安全でしょうし……今日のところはこれでお開きとしておきましょう」
しかしどうしても聞いてみたいことがあった私は、少し疲れた様子の白髪メイドさんへと声をかけた。
「ルガット先生! ひとつ質問があるのですが?」
「……なんでしょうか?」
そして私は『学園』と聞いた時から、期待していたことをルガットさんへと訊ねてみる。
「ここには同年代の吸血鬼たちが集まる……『クラス』みたいなものはないんですかね? せっかくなのでこの機会に吸血鬼の知り合いも増やしたいのですが?」
やはり学校と言えばひとつの教室に同年代の仲間が集まり、ワイワイやるのが定番だろうと質問すると、ルガットさんは何かを悩みはじめた。
「……できれば他の派閥の者たちにはノエル様のことを隠しておきたかったのですが…………」
しかしすぐに触手の生える生首になった私を見て、ルガットさんは遠い目をする。
「……すでに噂も流れておりますし……この子の存在を隠し通すのは不可能ですね…………」
そして全てを諦めた顔をしたルガットさんは、私に吸血鬼たちの集まりの情報を教えてくれた。
「その『クラス』というものがどのような物なのかはわかりませんが……同年代の吸血鬼たちが集まる『お茶会』ならば定期的に開催されております…………が」
と、そこまで言ったところで、ルガットさんは頭の表面にイビルアイを浮かべて遊びはじめた私を見て確認した。
「……その姿で参加するおつもりですか?」
……ドレスコードに引っかかりますかね?




