第108話 教育のはじまり
SIDE:ノエル
スティングさんとの修行もはじまり、島での生活はとても充実したものになってきた。
母様が相手だと実力が離れすぎていて全力で手加減してもらっていたけれど、スティングさんとの実力差はまだ手が届きそうな感じで、こちらも相手も気持ち良く身体を動かすことができていると思う。
おまけに彼は吸血鬼の戦い方にも精通しているのだから、ここはこういう動きをすると相手は戦いづらいとか、時には血液操作だけで不自然に身体を動かせば敵のリズムを崩すことができるとか、とても実践的で的確なアドバイスをたくさんくれた。
そしてなによりも特筆すべき素敵な点は、修行の後に待っているスティングさんの手料理である。
「……おい、どうして貴様は毎回大量の食材を持ってくる?」
「授業料です!」
自然と修行場所になった船の墓場で、私は今日も心地良く身体を動かした後にスティングさんへと食材を手渡す。
「貴様は神の炎をなんだと思っているのだ……」
ブツブツと文句を言いながらも、スティングさんはテキパキと芋の皮剥きをはじめて、神の炎で鉄鍋を熱して炒め物を作りはじめた。
いつの間にか廃船の一室に造られていたキッチンの設備も充実してきているし、おそらくスティングさんは単純に料理が好きなのだろう。
それにこの人……火加減の天才なんだよなぁ……。
彼の手料理をはじめて口にした時の衝撃ときたら、セレスさんやイザベラさんの手料理を上回るほどの美味しさだったのだから、その天賦の才には脱帽である。
そこらへんで取った魚と野草だけでメイドさんの料理を超えてくるとか、もしかしたら【龍神族】という種族は世界最高の料理人種族なのかもしれない。
きっと母様がスティングさんを殺さなかったのも、この才能を見抜いていたからに違いない。
この人にお肉を焼かせたら絶対美味しくなるからね。
そんな確信とともに朝の修行を終えた私は、別れて修行していたアイリスとリドリーちゃんと合流し、青空の下に椅子とテーブルを並べて朝食をはじめる。
今朝のメニューはジャーマンポテトのような芋と肉の炒め物に、【学食通り】で見つけた美味しいパン屋さんのパン。
海藻と海鳥の卵で作られたスープと、生魚のスライスが盛り付けられたカルパッチョ風のサラダ。
あとは島の中をアイリスと散歩している時に見つけた【ドライ・アド】という枯れ木の精霊が経営する店で買ってきた栄養満点のドライフルーツである。
この島は少し歩くだけで濃ゆい店に当たる島なので、まだ家の周りしか探検できていないけれど、それでも私たちはここ数日でいくつかお気に入りの店を見つけていた。
そんなこんなで充実してきた朝ごはんを口にして、女性陣がスティングさんの手料理を称賛する。
「むぐっ!? この芋と肉の炒め物は凄まじい完成度じゃなっ! 口の中が極楽なのじゃ!」
「ふんっ……それにはクラーケンの干物を粉末にした物を隠し味として入れたのだ。俺様は何をやらせても天才だからな」
「……あなたもう【吸血鬼ハンター】やめて、うちの料理人になってくれない? これを食べていると自分で作った料理が味気なく感じてしまうのだけれど……」
「黙れ小娘」
「うぐぐ……料理上手なイケメン……これで私よりも強かったら結婚相手として完璧だったのですが……なんとも人生とは上手くいかないものです……」
「……貴様のその条件だと永遠に結婚できないのではないか?」
「おかわりっ!」
「うむ、貴様はどんどん食って俺の良き糧となれ」
ぷるっ!
「……プルプルは残った分をやるからちょっと待て……というか俺の影に勝手に住み着くな……」
ご飯の恨みは怖いと言うけれど、ご飯の恩というものもまた凄まじいもので、女性陣に警戒されていた、彼はここ一週間であっという間に仲間として認められていた。
我らがパーティーは神炎を操る専属料理人を手に入れたのだ。
彼の名はスティング。
世界中のありとあらゆる食材を神の炎で焼く男。
「……なにか貴様、失礼なことを考えていないか?」
「……スティンは天才だなと思っていました」
そうして海辺で美味しいモーニングを楽しんでいると、一羽の白鳩がテーブルの上に飛んできて、私の前に手紙を置いた。
「? なんだろう?」
リドリーちゃんが警戒していないなら安全だろうと判断し、その手紙の封を切って開けると、そこには二枚の用紙に美麗な文字で講義内容が綴られていた。
『講義内容:幼年吸血鬼基礎講座』
『講師:ルガット』
『受講料:無料』
『日時:本日、午前一〇時から』
『講義場所:蓋門島・中層・三七六番塔・最上階』
『参加条件:プリメラーナお嬢様の弟子であること』
『受講者数2/2』
『備考:デザートは軽めに食べてご出席ください。美味しいお菓子とお茶を用意してお待ちしております。帯剣も可能ですのでシャルティア様の参加はご自由に』
「ああ……もうここに来て一週間も経ったのか」
家の周りの探検とかスティングさんとの修行が楽しくて時間を忘れていたよ……。
どうやらルガットさんの講義には私とリドリーちゃんが参加することになるらしく、アイリスには別の講義が用意されていた。
『講義内容:かわいい』
『講師:アルル』
『受講料:好きなものあげる』
『日時:本日、午前一〇時から』
『講義場所:蓋門島・離れ島・キノコ灯台』
『参加条件:かわいいこと』
『受講者数1/1』
『備考:すみませんアイリス……七賢者のひとりがあなたのことを気に入ってしまったみたいなので、ちょっと彼女のもとまで遊びに行ってあげてください。かわいい子には無害な方なので危険はありませんが、こちらも帯剣可能です』
私といっしょに講義内容を読んで首を傾げるアイリス。
「……なにこれ?」
「……七賢者ってことは偉い人だよね?」
いちおうルガットさんが危険はないと書いてくれているから安全だとは思うけれど……フィアンセを知らない権力者のもとに送っていいものだろうか?
そうして私たちがどうしたものかと謎の講義内容を眺めていると、食後のデザートとして焼いたパンケーキにシロップとドライフルーツを盛り付けていたスティングさんが、甘い香りとともに情報をくれる。
「そのアルルとかいうやつは、確かミストリア王家の関係者ではなかったか?」
「……それはどこから聞いた情報かしら?」
アイリスはそのことを知らなかったらしく、訝しむ彼女へとスティングさんが続ける。
「乾物屋の親父から干しキノコを買った時に聞いたのだ。このキノコは灯台に住むミストリア王国のお姫様が作っているとかなんとか……やたらとムカつく卑猥な顔をして話していたぞ?」
「それただのスケベジジイじゃないですか」
ビシッ、と突っ込むリドリーちゃん。
スティングさんからの情報に、アイリスは顎に手を当てて考え込んだ。
「……歴代の王族の名前は全て把握しているのだけれど……アルルという名前は聞いたことがないわね……」
「どうする? それに行くのが嫌なら、僕からも断れないか聞いてみるけれど?」
師匠とかルガットさんとか、いざとなったら使えるコネをすべて使ってお偉いさんからの呼び出しに対処しようとする私に、しかしアイリスはテーブルの上の生首を抱えて不敵に微笑む。
「私は大丈夫。だけど念のためにシャルを連れて行ってもいいかしら?」
確かにこの島で顔が広いシャルさんがいっしょなら、権力者が相手でも大丈夫だろう。
「じゃあ、今日は別れて行動だね」
「……い、いや、妾は美味しいお菓子のあるほうが…………」
一〇時のオヤツを楽しみにしていたらしいシャルさんを、私はアイリスのために説得した。
「美味しいお菓子ならスティンがたくさん作っといてくれるから」
「うむ! それなら問題ないのじゃ!」
「おい……勝手に俺の予定まで決めるな…………」
そして専属料理人が給仕してくれた美味しいパンケーキをメアリーと半分こして食べて、私たちは三つのグループに別れてそれぞれのスキルを磨くために行動を開始する。
アイリスは朝から謎の講義があるためシャルさんを連れて【骸骨亀】の頭のほうへ。
スティングさんはお菓子の準備があるため、ブツブツ文句を言いながらメアリーといっしょに食材の買い出しへ。
そして私とリドリーちゃんは、ルガットさんの授業を受けるため、腹ごなしの散歩をしながら【中層】へ。
「こうして二人で行動するのって久しぶりだね?」
「アイリス様はずっと坊ちゃまにべったりでしたからねー……まったく素敵な恋をしていて羨ましい限りです」
「なんだいリドリー? 僕とベタベタしたいなら、いつでも甘えてくれていいんだよ?」
「自分でおしめを替えていた殿方はノーサンキューですー」
とか言いつつ、頭を撫でてくれるリドリーちゃん。
相変わらず私たちは兄妹のように仲良く会話しながら、海岸沿いに並ぶ屋台を冷やかした。
「……ちょっとオヤツでも食べましょうか?」
先ほど朝食をたらふく食べたばかりなのに、さっそく屋台のイカ焼きに心を惹かれるリドリーちゃんへと、私は呆れた視線を向ける。
「……リドリーは順調に戦士の身体になってきてるね?」
さっきもアイリスといっしょにパンケーキを二〇枚くらい頬張っていたのに、まだ食べ足りないとは恐るべき胃袋である。
「くっ……ルガット師匠のこの修行がはじまってから、余計にお腹の減りが早くなっている気がします…………」
頭に乗せられた三個の陶磁器を指差して涙を流すリドリーちゃん。
ここ一週間で彼女のインナーマッスルは驚異的な速度で鍛えられているらしく、基礎代謝が上がっているのか、確かにリドリーちゃんの食欲は母様やアイリスにも匹敵するものになってきていた。
お金持ちで本当によかったよ……そうでなければ婚約者とメイドさんの食費だけで破産しそうだから……。
しかし腹ペコなのは可哀想なので、それから私たちは海沿いにある屋台の中から美味しそうな物を選んで少しだけ買い食いを楽しんだ。
どうやらここらの屋台は、船の墓場に住み着いている海賊たちが営んでいるらしく、日焼けした顔に凶悪な笑みを浮かべた彼らは、魚人や人魚から仕入れたという魚貝類を使って、海鮮串焼きに、煮込み料理、網焼きなどを売っていた。
「――らっしゃい! 今日はいいブツが揃ってるよ!」
「――おい坊主! うちの秘伝のタレも試していけよぉ……ぶっ飛ぶぜぇ?」
「――へっへっへ……嬢ちゃんかわいい顔してんじゃねえか……その綺麗なお口でハマグリ食ってけよ!」
柄は悪いけど、海賊さんたちは真面目に商売をしていた。
不思議に思ってこれが本業なのか聞いてみたが、どうやら彼らは休日の小遣い稼ぎに屋台を出しているだけで、島の上での犯罪は海賊の長から禁止されているのだとか。
そこらへんの事情を海賊さんは陽気に話してくれる。
「ここで暴れるようなやつらは二流や三流の悪党さ! 賢いやつは自分の巣を荒らしたりしねえだろ?」
「それはもっともなご意見です」
ちなみにリドリーちゃんをかわいいと言った網焼き屋の青年は、絶賛彼氏募集中のメイドさんから見定められて冷や汗を流していたが、どうやら彼は既婚者だったらしくすぐに選考から外されていた。
「リドリー……君は本気の目になると肉食獣みたいになるから……それだと男が逃げて行くだけだよ?」
「!? そそそそんなに飢えた顔してませんしっ!?」
「……しょ、しょんべんチビるかと思ったぜ…………」
怖がらせたお詫びに網焼き屋さんでも料理を購入。
私も口の中をしょっぱくしてから一〇時のオヤツを食べたかったので、ハマグリを焼いたものを二つだけ食べて、憂さ晴らしに両手に串焼きを持ってモリモリ栄養をつけるリドリーちゃんを連れて【中層】へと向かう。
そして昇降機で降りながら歯磨き代わりに【浄化】の魔法を口の中へとかけて、私とリドリーちゃんは用紙に記載された住所の塔を探した。
「えっと、三七六番塔は……こっちかな?」
昇降機の近くには七五一番塔と八五一番塔があったので、百と十の位の数字が三七六に近づくように歩いて行く。
「あ! ここじゃないですかね?」
やがて塔の根本に書かれた数字を確認していたリドリーちゃんが、該当の番号を見つけてくれて、私たちは入口の扉を開けて、昇降機で最上階を目指す。
チン、と正面の扉が開くと、そこはヴィクトリア調の家具がセンス良く並べられた高級感あふれる空間となっており、部屋の真ん中に置かれた丸テーブルの横にルガットさんが待っていた。
「お待ちしておりました。ノエル・エストランド様」
背筋をピンと伸ばして私たちを迎えた白髪メイドさんが、綺麗なカーテシーを披露する。
続けてルガットさんはお菓子が並べられた丸テーブルの椅子を引くと、
「さあ、それではさっそく教育をはじめましょう――」
豪華な席へと優雅に手の平を向けて私を導いた。
「――記念すべき最初の授業は、私が最も得意としている【変身術】からです」




