第107話 吸血鬼ハンターによる個別レッスン
SIDE:ノエル
それからしばらく壁の用紙を眺めて、私は自分の成長に繋がりそうな講義を探してみた。
とりあえずパッと受けたいと思うものは戦闘系のやつだ。
死霊魔術概論のように即戦力となりそうな講義は滅多にないだろうから、できれば吸血鬼の戦い方に精通していて、実際に戦いの実習もできる先生で、母様との修行に代わるようなものを受けたい。
そんな私にとって都合のいい講義をしてくれる先生はいないものかと私は壁に張られた用紙をしばらく眺めて、
「あ! そうか!」
それら全ての条件を満たしていそうな先生の存在に思い至った。
「スティングさんに頼めばいいじゃん!」
あの人は【吸血鬼ハンター】なんだから吸血鬼の戦い方には吸血鬼よりも詳しそうだし、アイリスとリドリーちゃんとメアリーを同時に相手にしても数十秒は耐えられるだけの実力もあるのだから、吸血鬼戦闘の修行相手としては最適である。
「……坊ちゃま? なにかまたろくでもないこと考えていませんか?」
「……聞き間違いかしら? 今、あなたの命を狙った相手の名前が聞こえたのだけれど?」
いや、あの人は命の恩とかご飯の恩とかを気にしそうなタイプだから、説得すればいけるんじゃないかな?
「平気だって、今はいちおう居候なわけだし」
たったの二回の差し入れでお礼を言ってきたお隣さんへとターゲットを定め、私は総合案内を後にする。
「メアリー、彼のところに分体はいる?」
……ぷるっ。
メアリーも少し反対しているみたいだけど、我が筆頭眷属は主人の意向を尊重してくれるので、すぐに目の前にゲートが開いて、私たちは海を漂う廃船の上へと移動した。
ここは……【蓋門島】の外周部にあった船の墓場か。
スティングさんはどこだろうと周囲を探すと、目の前の海原にぶくぶくと泡が浮かんできて、すぐに半裸のスティングさんが木製の槍に魚をくっつけて頭を出した。
「ぷはっ!」
「お疲れ様です。ここらへんの海って潜っても大丈夫なんですね?」
「ああ、海鳥が呑気に水浴びをしているからな……って、貴様はここでなにをしている?」
嫌な顔をする女性陣とスティングさん。
「いえ、ちょっとスティングさんに僕の戦闘訓練をお願いしようと思いまして」
「……いちおう俺は貴様の命も狙っているのだが?」
「だけど僕を殺したら母様に殺されちゃうんですよね?」
「…………」
彼は戦士として私の遺灰を故郷に届けると誓ったのだから、その時に今度こそ殺られることは確実である。
「しかも戦士として僕を殺すことを誓っているんですから……僕がスティングさんに殺されないくらい強くなったほうが、スティングさんとしても都合がいいんじゃないですか?」
「ぐっ…………」
「……坊ちゃまが押している」
「……というか完全に主君のペースじゃな」
「……この男……わりと女子供に弱いわね…………」
女性陣の呟きに苦虫を千匹くらい噛み潰したような顔をするスティングさん。
「いいじゃないですか? ちょっと付き合ってくださいよ? お礼にマティアス探しも手伝ってあげますから!」
スティングさんは課題のことを知らないし、使えるものは使っていく所存である。
「………………こいつはいつもこうなのか?」
ジト目になって女性陣へと訊ねるスティングさんへと、アイリスとリドリーとシャルさんは同時に頷いた。
「「「わりと」」」
ひとりで森に入ったり、違法なコーラを探したり、ろくでもないことをすることにかけては定評のある私である。
嘆息したスティングさんは、ザバッ、と海から上がってきて、近くの廃船にひっかけていたロープに獲った魚を吊るした。
今日のスティングさんも半裸だけれど、どこから調達してきたのか、ズボンはしっかり穿いていた。
「……マティアスは千年以上の時を生きる【公爵級】の吸血鬼だ。やつを追うということは貴様も命を狙われることになるが……覚悟はできているのだろうな?」
もともと師匠の課題で追わなきゃいけませんから。
「もちろん!」
わざわざ確認してくれる優しいスティングさんに頷くと、彼は盛大に嘆息してから訊いてくる。
「……貴様の武器は?」
「剣です!」
そう言って手にした生首を剣に変えると、スティングさんはアイリスをチラリと見たあと、じっくりシャルさんのことを観察してきた。
「それは貴様の剣だったのか……ずいぶんと面妖な…………まあいい、俺は貴様に修行をつければいいのだな?」
「できれば一般的な吸血鬼の戦い方を教えていただきたく!」
それは私が望んでも母様が決して教えてはくれなかったことだった。
というか主に父様が。
父様は私に【眷属化】を教えただけでメアリーが生まれたことを気にしていたらしく、吸血鬼的な知識を私に教えることを全力で避けていたのだ。
もちろん母様も父様の意を汲んで教えてくれなかったので、私は師匠とルガットさんから教わることを楽しみにしてこの場所に来たのだが……やはり教育を受ける前には予習をしておいたほうが学習効果も高くなるだろう。
そんな考えで依頼をすると、スティングさんは足を海のほうへと踏み出して、そのまま海面の上へと歩いていく。
「吸血鬼の戦い方などというものは知らんが……気付いたことがあれば指摘くらいはしてやろう」
そして昨日と同じように炎の槍を手の平から出して構えるスティングさん。
アイリスとリドリーちゃんに見守られる中で、私もスティングさんの真似をして海の上へと足を踏み出してみる。
えっと……足の裏から魔力を放出すればいいのか?
「よっ……ほっ! これ出力調整がけっこう難しい……っ!」
「……吸血鬼なら普通に血の足場を作れ、そちらのほうが魔力の無駄が無い」
さっそくアドバイスをもらったので影から取り出した血液で足場を作り、私もシャルさんを構えた。
「それでは行きます!」
「………………ちょっと待て」
「? なんですか?」
いきなりの制止に私が小首を傾げると、スティングさんは鋭く視線を飛ばしてくる。
「……戦闘訓練を望むなら、実戦に近い形で戦うべきだろうが……【血流闘法】はどうした?」
「……【血流闘法】ってなんですか?」
私の質問返しにスティングさんは硬直したあと、魔力の制御を乱して海に落ちそうになった。
「き、貴様……今までいったいどんな教育を受けてきたのだ?」
……主に剣士と錬金術師としての教育です。
◆◆◆
【SIDE:スティング】
その吸血鬼の子供は、なにもかもが異質だった。
幼くして陽光を克服し、伯爵級や侯爵級にも匹敵するような仲間を率い、吸血鬼として生まれ持った膨大な魔力を完全に制御する真正の怪物。
しかしその子供は警戒心というものをまったく身につけておらず、吸血鬼が当然のように持っている知識も教えられていない……。
そのチグハグ具合があまりにも異質すぎて、不覚にも俺は吸血鬼と戦うために編み出された歩法を乱してしまった。
「き、貴様……今までいったいどんな教育を受けてきたのだ?」
「……剣術と……錬金術を少々……」
……こいつが吸血鬼らしい教育をまったく受けていないことはわかったので、試しに俺は目の前で剣を構える子供へと助言を与えてみる。
「戦闘時の吸血鬼は己の体内に流れる血液を操って動くのだ。それをお前たちは【血流闘法】と呼んでいる」
「ああ! そういえばそれも母様から禁止されていたんでした!」
すぐに目の前の子供は体内にある血液を完全制御し、重心が通常の戦士とは異なる不自然なものへと変わる。
「そうだ。優れた戦闘能力を持つ吸血鬼ほど血液を用いない戦い方にも精通しているが、吸血鬼が本気で戦う時には必ず体内の血液を制御して動くのだ」
おそらくラウラ・エストランドはそれを知っていて、自分の子供に英才教育を施していたのだろう。
我々【吸血鬼ハンター】の基本的な戦い方は、あらゆる手段を使って吸血鬼の【血液操作】を乱していくもので、それこそが吸血鬼に対する最善の戦い方でもあるのだから。
本来であれば吸血鬼としての才覚が強いものほど武術などの基礎的な部分が疎かになるものだが……体内の血液を操って動きはじめたノエル・エストランドは、一気に動きが達人のそれへと近づいた。
「あれ? 前よりもちょっと動きやすくなってる?」
「……おそらく貴様のイメージと、肉体が覚えた武術の動きが噛み合ってきているのだろう。まだ貴様の身体は子供なのだから、そこまでできれば上出来だ」
自分でも驚くほどスラスラと出てくる教導の言葉に、俺は薄ら寒いものを感じた。
それはまるで俺が今この瞬間のためだけに【吸血鬼ハンター】としての経験を積んできたかのような運命を感じさせるもので……俺は自分がラウラ・エストランドに生かされた理由が、今この瞬間にあるのだと悟った。
「それじゃあ、今度こそ行きますねーっ!」
まるで水を得た魚のように動き出した吸血鬼の子供が、美しい剣を片手に斬りかかってくる。
俺が持つ炎槍とノエル・エストランドが手にする剣が幾度となく交わり、海原の上に幾筋も光と炎の軌跡が描かれた。
いつの間にか俺に敵意を向けていた女たちも俺とこいつの修行を黙って見守っており、俺たちが剣を交えるたびに彼女たちの目から敵意が薄れていく。
【血流闘法】によって強化されたノエル・エストランドの動きは、それでも俺より弱いものでしかなかったが……不思議と指導をしているはずの俺自身も自分の実力が恐るべき速度で引き上げられていくのを感じた。
「? なんだこれは?」
……この感覚は、圧倒的な上位者と槍を交えた時のような感覚か?
肉体が、精神が、そして魂が、本能的に持てる力の全てを引き出して、目の前の脅威に対応するために全力を超えた力を引き出している。
自分よりも確実に弱い子供にそんな感覚を抱くことに疑問を抱き、俺は楽しそうに修行に打ち込む子供の姿を見て、その『ズレ』の正体に気がついた。
「そうか……貴様は俺を『敵』として認識していないのか……」
いや、もっと正確に言えば『敵として認識できない』のだ。
俺があまりにも弱すぎるから。
思い返してみれば、こいつは最初から俺を敵だと認識できていなかった。
槍を構え、本気で殺しにくる大人を、ただ不思議そうに見守っていた。
こいつを守る【半神級】以上の力を持つ者たちですら、【公爵級】の力を持つあのマティアスですら、俺のことを敵として認識していたのに……。
その異質さの正体に気づいた俺には、目の前で楽しそうに剣を振るう子供が、いまだかつて目にしたことのない怪物に見えた。
子供の皮を被ったナニカが、無理矢理に人の形を取って遊んでいるかのような不気味さに……冷や汗が吹き出るのを知覚した俺は思わず槍を止める。
「……どうしたんですか? ちょうど楽しくなってきたところだったのに?」
遊びを中断させられて不満そうに唇を尖らせるノエル・エストランド。
眠る【真竜】にちょっかいを出してしまった俺は、震えそうになる身体を必死に制御して、ひとつの質問をした。
「…………貴様の教育者は誰だ?」
子供らしく小首を傾げたあと、ノエル・エストランドは師の名前を口にする。
「? プリメラーナ師匠ですけど?」
「っ!?!?!?」
あの【鮮血皇女】が弟子を取ったのか!?
それだけでこいつの名が歴史に残るような大事件ではないか……。
どうやら俺が思っていた以上に、ラウラ・エストランドの子供は大物のようだ…………。
二、三度、深呼吸を繰り返した俺は、目の前の子供へと宣言する。
「……今日から毎日、この俺が修行をつけてやる……ありがたく思うがいい、小僧……」
途端に新しいオモチャでも見つけたかのように、ノエル・エストランドは仮面の下から明るい声を出した。
「はいっ! よろしくお願いしますっ! スティン!」
「…………勝手に略すな」
おそらく俺が仇討ちを果たすためにラウラ・エストランドから課せられた使命は、こいつの孵化の下準備を整えることだろう。
あの女は実戦の中でしか獲得できない細かな知識を、【吸血鬼ハンター】である俺を通してこいつに教え込んで、自分の子供がさらなる高みへと飛翔することを望んでいるのだ。
それはこの世に強大な吸血鬼を誕生させることになるのだろうが……俺はひとりの武人として、好敵手の出現に武者震いをした。
なに……どうせ今の俺ではこいつを殺すことはできないのだ……。
ならばこの好機を利用して、少しでもこいつがいる領域まで自分を近づけることが、現状でできる最良の選択だろう。
ノエル・エストランドが強くなればなるほど、共に修行する俺の実力も大きく引き上げられるのだから……。
「……くっくっく…………」
……そしていずれこいつを狩ったとき――俺は始祖さえも狩ることができる世界最強の【吸血鬼ハンター】となるだろう。
「???」
「……なんかあの男、坊ちゃまを見て笑っていますよ?」
「……修行で大きく成長した時ってああなるわよね……束の間の万能感に酔いしれて……」
外野が煩いが、俺が最強の【吸血鬼ハンター】となるのは、もはや確定した未来だ。
なぜなら偉大なる龍神様の血を引き、神炎を自在に操る我ら【龍神族】こそ、世界最強の種族なのだから!
そして俺は自分の糧となる子供を大きく育てるために夕方まで修行をつけてやり、食事の借りを返すため鮮魚と野草で作った特製鍋料理を恵んでやったところで、ノエル・エストランドからこんなことを言われた。
「……スティンは炎の槍なんか振り回してないで、炎の料理人になったほうがいいんじゃないかな?」
……いずれ必ず、こいつを灰にしてやる…………。




