第98話 蓋門島 ①
SIDE:ノエル
「……【学術都市】ってどこかで聞いたことがあるような?」
ルガットさんから唐突な合格宣言を受けた私は、聞き覚えのある単語に首を傾げながら人気の無い島の中央あたりにメアリーを着陸させた。
蓋門島の中心には小さな古城が建てられており、古城の周りは白石が敷かれた広場になっている。
「こちらです」
メアリーから誰も居ない広場に下りたルガットさんは古城へと向かって歩き出し、私たちも彼女の後を追いはじめたところで、アイリスが先ほどの発言について質問をした。
「入学試験に合格ということは、この島まで自力で辿り着くことが試験だったのでしょうか?」
いつの間にか受験させられていた試験に対する疑問に、ルガットさんは飄々と答える。
「正直に申しますと、皆様の入学試験は適当です。皆様には『プリメラーナお嬢様の弟子』という超強力なコネがありますので、適当な理由を付けて学生として迎えることは最初から決まっておりました」
「普通はどんな試験を受けるんですか?」
私が続けて気になったことを訊ねると、古城を囲む城壁を潜りながら、ルガットさんは顎に細い指を当てた。
「そうですね……試験は賢者たちの気まぐれによって決められますから、これと言って定型のものは無いのですが……だいたい目玉が飛び出るような大金を払うか、賢者たちが気に入る贈り物を用意できれば合格となります」
「確実にろくでもない場所ですね……」
裏口入学が基本みたいな教育機関の気配にリドリーちゃんが遠い目になる。
吸血鬼の本拠地を悪く言うリドリーちゃんに、ルガットさんは鷹揚に頷いた。
「ええ、コネ無しでこの島に入る方法は、研究者として誘拐されるか、無理難題の試験に合格するか、素材として紛れ込むかくらいですから」
「「「……素材として?」」」
声を揃えて特に不穏な単語に反応した生徒三人に、ルガットさんは振り返って意味深に微笑んだ。
「質の高い実験には『新鮮な素材』が必要でしょう? 学生証を持たない現在の皆様も私から離れると『素材』として扱われますから、決して逸れないようにご注意ください」
「「「…………」」」
「特に皆様は【美しい容姿】に、【魔眼】や【神聖気】といった珍しい身体的特徴を備えておりますから、すぐに多くの勉強熱心な生徒が『素材狩り』に来ることでしょう」
「なんとっ!? 気をつけろ主君っ! すべての条件を妾は持っておるようじゃっ!?」
そうだね……シャルさんは美人で魔眼と神聖気を持った生首だもんね……。
足早にルガットさんとの距離を詰める私たち。
……もしかしたら私たちはヤバい学校に合格してしまったのかもしれない。
「ちなみに、学生証を持った状態でも『狩られた時は狩られた弱者が悪い』ことになりますので、ご自分の身はご自分でお守りください」
「うむ! 弱肉強食というわけじゃな!」
「……どうりでセレスさんが生首の携帯を勧めてくるわけだ」
こちらが人を狩ってそうなヤバい見た目をしていれば襲われるリスクが減るのだろう。
ルガットさんからの警告に、アイリスがリドリーちゃんへと目配せする。
「……念のため私も変装しておくことにするわ」
すでに私は眼帯と仮面で魔眼を隠しているからいいけれど、女神の【先祖返り】であるアイリスは流石に身の危険を感じたのか、魔法で髪を黒色に変色させて、リドリーちゃんから受け取った全身包帯と仮面とメイド服を装備した。
「私は……むしろ変装したほうが狙われそうですね……」
リドリーちゃんも変装するべきか悩んだようだが、変装先が巨乳の王女様なのでそのままの姿で行くことにしたらしい。
そして私たちが自分の姿を確認してヤバそうな学園のヤバそうな住人たちと対面する準備が整ったところで、ルガットさんが古城の前で指を鳴らして、大きな門扉が轟音とともに開かれていく。
ズゴゴゴゴ……。
と重そうな鋼鉄製の扉が開いた先にあったのは吹き抜けになった古城の内部と、その中央に設置された円形の舞台だけで、ルガットさんは私たちを先導して円形舞台の上まで足を勧めた。
「それではこれより【学術都市】へと入ります」
全員が舞台の上に乗ったところでルガットさんが再び指を鳴らすと、ガコッ、と円形舞台が下降をはじめて、古城の土台である重厚な石材の層が上へ上へと流れていった。
およそ20メートルほど下りたところで石材の層が切れて、薄暗かった視界が一気に明るくなる。
「「「「――おおっ!?」」」」
眼下に広がったその地下世界に、私たちは思わず感嘆の声をあげた。
光に慣れた目に映るのは、地平の果てまで大地を埋める数千本の尖塔郡。
その地下世界にはなぜか青空があり、地上の亀よりも明らかに大きいサイズの空間を、円柱型の尖塔で構成された街が満たしていた。
低い物でも十階建てのビルくらいはありそうな尖塔の間には蜘蛛の巣の道が張り巡らされていて、白い空中回廊を人を乗せた巨大蜘蛛が忙しなく這い回っている。
昆虫耐性の無い者なら軽く卒倒しそうな光景だが、田舎で育った私たちは蜘蛛よりも尖塔の森の真ん中に浮かぶ巨大な物体に視線を釘付けにされた。
「なんだあれ!?」
特に高く建てられた七柱の尖塔から伸びる黒い糸で形成された繭の中には、漆黒の燐気を放つ【偏方二十四面体】が浮かんでいる。
その禍々しくも美しい輝きは見つめているだけで心が惹かれる気がして……思わず凝視する私たちの目を虚空から現れた数本の手が優しく塞いだ。
「あの『門』を直視してはいけません。あれの先は混沌へと繋がっていますから、【外なる神々】に見つめ返されたら大変なことになりますよ?」
見るだけで発狂しそうなワードの数々に私は冷や汗を流し、多面体を直視しないように気をつけながらルガットさんの手をどかす。
「……なんなんですかアレは?」
本能的に不安を感じて目の端で多面体を捉えながら再び訊ねると、ルガットさんは虚空から生やした複数の腕を霧散させた。
「そうですね……下に着くまでまだ時間がありますし、それまでこの世界の仕組みについて少し勉強しましょうか?」
続けてルガットさんは影から取り出した小さな血液の球を私たちの前へと浮かべる。
「皆様は【影の世界】を知っていますよね?」
「そりゃあまあ、いつも使ってますから」
証拠として影の中からメアリーに手を振ってもらうと、ルガットさんはひとつ頷いて話しを進めた。
「影の世界はこの世界を【外なる神々】から守るための結界ですが、その仕組みを大雑把に説明するならば、このような種類の結界になるのです」
そう言ってルガットさんは浮かべた血液を風船のように膨らませた。
それを見たリドリーちゃんが、セレスさんの教育を思い出して発言する。
「流動型ですか?」
「その通り。【結界術】の基礎を習っているならば、この結界の弱点もわかりますか?」
師匠らしく問題を出すルガットさんに、根が真面目なリドリーちゃんは血液の風船を人差し指でつつきながら記憶を掘り起こした。
「……確か流動型の結界は柔軟性があって一方向からの攻撃には強いけれど、同時に複数の圧力がかかると簡単に割れてしまうと習いました」
リドリーちゃんが強めにつついても、ルガットさんの風船は軽く形を変えるだけで浮かび続ける。
「しっかり勉強していて偉いですね。ご褒美にティーセットは撤去してあげましょう」
「やった!」
そしてリドリーちゃんの耳と尻尾からティーセットを外したルガットさんは、続けて血液の風船を人差し指と親指で上下から押し潰した。
「このように」
彼女が少し力を込めただけで、パンッ、と風船は割れて地面を濡らす。
「リドリーが言った通り流動型の結界は複数の圧力を受けると簡単に壊れてしまいますが、少し形を変えてあげるだけでとても強固な守りへと作り変えることができるのです。ノエル様はそのやり方がわかりますか?」
軽く試すように問われたので、私は彼女が落とした血液を操作して『小さな穴の空いた風船』を形成した。
「こうすればいいんですよね?」
私が二本の指で押し潰しても、穴から圧力が抜けて血液の風船は維持される。
あえて弱点を作ることで強度を上げるのは結界術の基本だから――
「――って、ちょっと待って!?」
と、そこらへんで私たちは彼女の言わんとしていることを理解して、顔色を青くした。
察しの良い子供たちに微笑んで、ルガットさんは風船の穴を指差す。
「そう……つまりこの島にある『門』とは、世界を覆う結界に開いた穴のこと。穴を開ける『縛り』を設けることで影の世界は素晴らしい強度を得ることができますが、代わりに穴の部分は大きな弱点となります」
円形舞台が下降して少し近づいた『門』の向こうからは、何かがこちらを見ている気がした。
「邪神、悪神、外なる神々……その呼び方は様々ですが、混沌の中を彷徨う『力ある者たち』は、定住の地を求めて常に安定した世界を狙っています。たいして力の無い邪神とならば皆様も戦ったことがあると思いますが、結界の網目を抜けられないような大物はここから来るのです」
ルガットさんの解説に、アイリスが気づく。
「世界の最果て……【蓋門島】……それじゃあこの島の役割は……」
ちょうど円形舞台と同じ高さまできた『門』を背にして、ルガットさんは今の世界の仕組みについて教えてくれた。
「ええ、この島は『世界の門』に蓋をして、外界の脅威からこの世を守るために存在しています。神戦紀を終えて神々が眠りについた後は、七柱の賢者とその眷属が集まって、どうにかこうにか創世神がめちゃくちゃにした世界の基盤を支えているのです」
◆◆◆
円形舞台が地上まで下りると、そこには洗練された技術力を感じる広場があった。
金属製の街灯に、排水路まで設置して舗装された地面。
広場を囲む尖塔の一階部分には透明なガラス窓が嵌められており、その手前に置かれたテーブルでは外套を纏った吸血鬼や人間たちがお茶を飲んだり、【蜘蛛人】のお姉さんが綺麗な植物紙でできた本を読んだりしている。
地上にあった広場とは明らかに文明レベルが違うその光景に、私たちはしばし舞台に乗ったまま立ち尽くした。
……ここだけ数百年くらい時代が進んでいる気がするんですけど?
オープンカフェの横には自転車っぽい乗り物まで置かれているし、現代日本に近い光景に私が硬直していると、先に円形舞台を下りたルガットさんが手招きしてくる。
「ほら、あんまり昇降機に乗っていると通行の邪魔になりますから、早く下りてください」
慌てて私たちが円形舞台から下りると、昇降機と呼ばれた舞台はまるで反重力装置でも組み込まれているかのように空へと戻っていった。
「「「「はわぁ…………」」」」
今さらずっと浮いていたことに気づいて少し感動する私たち。
広場から続く大通りのほうへと歩きながら、ルガットさんがこの街のことを教えてくれる。
「あの厄介な門を管理するために、学術都市には【神古紀】の技術が生きているのです……まあ、正確に言えば門を管理するために古代の技術を寄せ集めて学術都市が創られたのですが……あとは門の向こうからたまに別世界の道具なんかも流れ着きますから、ここの技術力は世界一と呼べるでしょう」
ブオンッ!
と道を走っていく軽トラックに、目を丸くするリドリーちゃん。
「ぼ、坊ちゃま! 今の見ましたか!? 鉄の怪物が人を飲み込んだまま走ってましたよっ!?」
「そうだね……田舎らしくて素敵な怪物だったね……」
……というか今のは私の愛車では?
荷台のカバーとかナンバーがそのままだったんですけど……。
ド田舎で暮らすために買った四輪駆動の相棒が遠ざかっていくのを呆然と眺めながら、私はひとつの可能性へと思い至る。
「……別の世界から人が来ることもあるんですか?」
あの車がこちらに来ているならば、私が死んだコンビニにいた人たちもこちらの世界に来ているのではないか?
そんな淡い期待と不安を込めた疑問をルガットさんはきっぱり否定した。
「――あり得ません。物や死体ならばともかく、魂が【混沌領域】を渡るならば複数の力ある神々の助けがなければ絶対にこの世界まで辿り着けません。ひとつの魂が別の世界からやってくるだけでも数万年に一度の奇跡なのです」
そして立ち止まり、私の胸を指差すルガットさん。
「うむ! 我が主君は特別じゃからなっ!」
「……なんの話ですか?」
私が異世界の転生者であること……リドリーちゃん以外にはバレてるんですね……。
そして他に同郷の者は存在しないと聞かされて悲しいような、面倒なトラブルに巻き込まれなくて安心したような複雑な気持ちに私がなっていると、
「さっきの怪物に興味があるのなら、落ち着いた後で探しに行きましょうか?」
事情を察したアイリスが優しく手を握ってくれる。
「…………うん」
それからしばらく街を眺めながら歩き続けると、やがて『門』から離れた街の郊外にある尖塔の天辺に飛行船みたいなものが浮かんでいるのが見えてきて、ルガットさんがその塔を指差した。
「あちらがプリメラーナお嬢様の研究塔です。今はちょうど【新型飛空艇】の開発をしたいとかいうクソタワケどもと共同研究を行っておりまして――」
そこまでルガットさんが言ったところで、
――ズッガアアアアアアアン!!!
と、唐突にその飛空艇とやらが爆発四散して、
「…………あっ!?」
私は【学術都市】という言葉をどこで聞いたのかを思い出した。
『魔導工学界の重鎮プリメラーナ師、またまた研究室を爆発させる!』
そうだ……確か三歳の頃に父様から見せてもらった学会誌に、師匠の名前と共に載っていたんだ……。
そして飛空艇から延焼して轟轟と燃え盛る尖塔の天辺を指差して、ルガットさんは胸を張る。
「――と、このように【学術都市】にある技術を持ち出そうとする輩を爆発させるのも我々吸血鬼の役目なのです。この島にある叡智は持ち出し厳禁ですから、決して外の世界で金儲けの種にしようとか思わないように!」
パラパラ落ちてくる破片を眺めながら、私たちは揃って遠い目になった。
「……汚い花火なのじゃ…………」
「……それでこの島の情報が外になかったのね…………」
「……あの方も坊ちゃまと同じくらいメチャクチャですぅ…………」
センチメンタルな気持ちまで一瞬で爆散させられた私は、初めて師匠と出会った時のことを思い出して冷や汗を流す。
あの時は私もあと少しで爆散させられるところだったけれど……もしかして本気で爆殺しようとしてました?
「……血液操作を鍛えておいてよかったぁ…………」




