第二百二話 消えない傷跡
次回は七月三日に投稿します。
第十六都市の東側出口を出発して十五分。以前エイリークたちが地方巡行していた時に使っていた街道からわずかに逸れた場所が例の目的地だった。
彼の地は速人がエイリークたちと出会った場所でもあるせいか、速人は因縁めいた物を感じていた。
「本当に懐かしいねえ。…僕は具合が悪かったんであんまり覚えていないけど」
「俺もまさかこんなところでディーと再会するとは思っていなかったよ。今頃ニブルヘイムの村のみんなはどうしていることやら…」
雪近とディーは当時を思い出しながら感慨深そうに語っている。
「おい、馬糞兄弟。何でお前らまで一緒に来ているんだよ。邪魔だからさっさと帰れ」
速人は両手でヌンチャクを振り回しながら”圧”をかける。
幸か不幸か速人は街を出る時に、仕事から帰ったばかりのディーと雪近に遭遇してしまったのだ。
当初は追い返したのだがダグザが連絡役として必要かもしれない、と進言してきたので仕方なく動向を許してやった。
「事件の首謀者がオーサーだと判明した以上、ベックに連絡役を頼むわけにも行かない。市内の融合種派には同盟への敵対心を絶やさぬ者やハイエルフへの偏見を持つ者がまだまだ多いというのが現状だ。こんな時に無理を言って申しわけがないと思っている」
ダグザは謝罪の言葉を述べた後、小さく頭を垂れる。
流石の速人もエイリークに経済的な援助を続けているダグザの言葉を無下にするわけにも行かず、予定よりも遅く目的地に到着する事になってしまった。
ダグザは加工した魔晶石の欠片を雪近に渡して、いざという時にどう行動するべきかを二人に伝えていた。雪近とディーは何度か質問しながらダグザの話を聞いている。
(一回聞いて覚えるクセをつけろ。クズども)
速人は三人の話を小耳に入れながら街道から少し外れた中小路に入る。
戦前は馬車を一時的に置いておく為の駅として使われていた場所だったが、戦時中に自治都市と同盟の仲が悪化するとすぐに軍が摂取して軍事基地になった。
しかしいざ戦争が始まると相手か四方から無防備なので集中的に攻撃を受けてしまい、放棄する事になる。
ダグザに聞くところによるとエイリークは子供の頃、ここを秘密基地にして遊んでいたらしい。
(どう考えても最前線だっただろ、ここ)
速人は焼け焦げた建物の跡を見ながら呆れ顔となる。大陸の半分を巻き込んだ戦の痕跡は依然として存在する。
「そこの林がカモフラージュになっている。私が先導するからついて来てくれ」
ダグザは昔の事を思い出して苦笑すると先頭を断って林の中に入って行く。
速人はディーと雪近をダグザのすぐ後ろに行かせた後、周囲の警戒を怠る事なく進む。
数か月前、子の場所の近くで遭遇した”大喰い”という魔物の事にせよ今の段階ではどこまでがオーサーの思惑なのか計り知れない。
木々の騒めき、鳥や獣たちの声でさえ速人はオーサーの仕掛けた罠ではないかという疑念を抱く。
そんな速人の殺気を後方から浴びせられたダグザたちは堪ったものではない。
「ダグザさん、何か後ろで速人がいつも以上に怖いよ…」
プレッシャーに耐えられなくなったディーが泣き言を言い出す。
「ディー、もう少し我慢しなさい。この先にある広場まで行けばエイリークたちと合流できるから」
ダグザは年長者らしく落ち着いた口調で雪近とディーを諭す。
その後、ダグザの進言によって一応の落ち着きを取り戻した二人は雑草まみれとなった石造りの道を進む。時間にして五分も経過した頃、ダグザの到着を待つエイリークたちと合流を果たした。
「…お早い到着ですねえ、速人つぁん。チミはいつも俺様とハニーにやれ約束を守れぬ大人はうとやらとか言っていませんでしたか?」
悪魔毒々粘着モンスターとなったエイリークは木の上で待ち構えていた。
「速人、オバサンとダーリンは誠意を見せたのにアンタは何もしないつもりなのかい?アンタの辞書には”善人はキモイから爆発しろ”とでも書いてあるのかい?お小遣いは計画的に使えとかほざいてるくせにしょっぱいねえ…」
二人は顔を強張らせながら笑っている。
速人は数か月に及ぶ共同生活の中でこの夫婦は直接反抗するよりも放置された方が怒るという性格を見抜いていた。
「俺が悪かったからさ。ビーフジャーキーやるから降りてきてくれよ」
速人はリュックの中から非常食のビーフジャーキーを取り出した。
ザザッ‼
エイリークとマルグリットはキラリと目を輝かせてビーフジャーキーの存在を確認すると木の上から降りてきた。
(すでに餌付けされているのか⁉)
ダグザとソリトンは速人からビーフジャーキーを奪い取り、満足そうに食べているエイリークたちの姿を見て不安を覚えていた。
「もぐもぐもぐ。いいか、先に行っておくが俺様はジャーキーもらったじから気をよくしたわけじゃねえ。お前の傲岸不遜な態度を許容する超でかい器があるからこそこうして折れてやったんだ」
「流石はアタシのダーリン‼父親としても一個人としても最高さね‼」
二人は続けて与えられたチキンのスモークジャーキーも食べていた。
速人はジャーキーにかぶりつくエイリークとマルグリットの頭や頬を撫でる。
それは食事を与えながらスキンシップを取るという野性動物と仲良くする為の友好的な手段だった。
「ダグザさん。オーサーはこの先にいるのか?」
ダグザは形の良い顎に手を当て考える仕草をする。
オーサーが最後に残した言葉を額面通りに受け取るならば”例の場所”とはこの先にある空き地の事だった。
もしもオーサーと最後の話合いをするならば他には考えられない場所だろう。ここに来るまで様々な確執があったには違いない。
しかしそれでもダグザはオーサーに関しては”穏便にすませたい”という気持ちがあった。
(おそらく速人は我々の意向を介せずしてオーサーを殺すだろう。だが、それではオーサーの思い通りになってしまう。先ほどの話をどう伝えるか…)
速人はそんなダグザの心情を汲んだかのように肩に手を置く。
「ダグザさん。俺もオーサーと戦ったが、アイツはかなり強い。今まで実力を隠していたんだろう。俺も危うく殺されるところだった」
速人は右腕に巻いてあった包帯を取って傷跡を見せる。
速人の右腕には元から傷だらけだったが、新しく擦り傷と打撲痕が数か所に出来上がっていた。他にも虫刺されが見て取れる。
「ケッ‼そんな傷で俺たちの同情を引こうってつもりかよ。真の強者は身体に傷なんか作らねえんだよ‼」
バチン‼バチン‼
エイリークは青いシャツのボタンを飛ばしながら鋼鉄製の板金鎧を思わせる胸板を見せつけた。
(見せたがりのクソ中年が。またボタンつけなきゃいけねえじゃねえか)
速人は無駄に仕事を増やし続けるエイリークに殺気を含んだ視線を向ける。
エイリークはここぞばかりに自分の胸を拳で叩く。
「俺様の完全なボディはどうよ?いくら斬られようが、この通り元に戻っちまう。速人、お前の本当の強敵は俺様だって事を忘れるんじゃねえぞ?」
聞いている側の精神がごっそりと削られるようなヘイトスピーチだった。
イラッ…‼速人はエイリークの下腹に手を伸ばして摘まむと同時に捻じる。
にゅい、とエイリークの腹の皮と肉が持ち上がった。
「んぎゃあああああああッ‼」
「ダーリン‼」
エイリークは目から大粒の涙をこぼしながら悲鳴を上げた。おそらくはかなり無理をして割れた腹筋を作っていたのだろう。
「さてと、おっさんのどうでもいい自慢話はともかくオーサーが”精霊王の贈り物”持ちだって事は知ってた?」
速人は落胆し項垂れるエイリークに応急処置を施している。エイリークはまだ完治していない傷口に速人特製の軟膏を塗られている。
「いやオーサーがギフト持ちという話は知らないが…。それにしてもエイリークが怪我をしていたなんて気がつかなかった。皆を代表して礼を言わせてもらうよ」
ダグザはエイリークを見ながら後悔を含んだ笑顔を見せた。
「ダーリン、ごめんね。何も気がつかなくて…」
マルグリットも落胆しながら治療を受ける夫の姿を見ている。
「畜生、俺様も年齢を食ったって事かよ。この程度の傷が治らないなんてよ」
「…。俺は医者じゃないから詳しい事はわからないけど、敵の攻撃が魔力の活動に影響を与えているんじゃないかな。例えば自己治癒能力の効用を下げる、とか」
速人はエイリークの傷を見ながら敵の正体について考えていた。
ナインスリーブスには速人が暮らしていた世界でいうところの魔術が存在するが、或る一定の法則に従って行使される力の等価交換の範疇でしかない。
例を挙げるとすればスコルをオーサーの下に送ってきたり、さらにその影武者を大量に出現させるような魔術は存在しないのだ。
(さらにナナフシの連れていた自立型の機神鎧、結界、どれもダグザさんから教わった魔術とは全くの別物だ。まるでこの世界の理そのものを操るっているような気がする…)
速人が難しい顔をして考え込んでいると、それを心配したディーと雪近が声をかけてきた。
「速人、何か怖い顔をしているね。俺たちで良ければ相談に乗るよ?」
「ディー。雪近の名前をちょっと呼んでみてくれないか?」
ディーは呆気に取られた様子で速人を見る。しかし速人に「さっさと言われた通りにしろ」と凄まれたので仕方なく雪近の名を呼ぶことにする。
「キチカ」
「応」
二人の間の抜けたやり取りを見ながら速人は雪近に尋ねた。
「雪近、今ディーはお前の事を何て呼んだ?」
「雪近じゃねえの?」
「質問を質問で返すな、アホ。何て聞こえたかを聞いているんだ」
「…キチカ、だよ。結構前に話したような気がするんだが、こっちの人は俺の名前が言いにくいらしいぜ?」
「俺たちの他にもう一人こっちの世界に来ているヤツがいるらしいな。そいつの名前は?」
「ヨウイチさんか。…ヨウって呼ばれたな」
(なるほど、一つ謎が解けた。これは単なる発音がどうとかじゃなくて、ある種類の言語の存在自体が禁じられている可能性があるな。俺という例外を除いて…)
速人はエイリークの腕に白い包帯を巻くと周囲を見渡す。いつの間にか何かの気配が一か所からではなく、森全体から感じられるようになっていた。さながら生き物の腹の中にいるような心境である。
「おい。どうした?速人」
エイリークも何か感じ取った様子で眼をひそめながら速人と同じ方角を見る。そして彼は難無く速人の名前を正確に発音していた。
「気配が変わっている。エイリークさん、多分この先にオーサーがいるよ」
エイリークは右腕を軽く回して体の状態を確かめている。治療を受ける際に断ったが、スコルの攻撃による傷は自己治癒能力に長けたリュカオン族であるエイリークをもってしてもままならない。
(何か親父が死体同然で街に戻ってきた時を思い出すぜ。トネリコのヤドリギの毒だったか。アレだけはリュカオンの力では再生できないってダールが言っていたな…)
例の毒を塗った武器を持つアストライオスの襲撃を受けてエイリークの父マールティネスは半死人の状態で戻ってきた。結局マールティネスの傷は癒える事無く、意識は戻らないまま朝方まで苦しんで彼は命を落とした。
その時エイリークは”この世に不死の存在などいはしない”という事を痛感した。
「速人。お前から見て俺の傷の具合はどうなんだ?」
「まあ平癒ってところかな。本当なら一日は動かさない方がいいかも」
ふう、とエイリークは息を吐く。そして「俺だって死ぬのは恐いよ…」と小さく呟いた。
速人は弱気なエイリークの姿を見て優しく微笑んでいる。
「…何だよ。その妙な顔は。生まれつきか?」
「大丈夫。俺が絶対にエイリークさんを死なせないから安心してろよ」
速人は立ち上がり、己の居場所をマルグリットらに譲る。
そしてダグザのところに行って周囲の調査に向った。ダグザはソリトンとハンスを伴って速人の調査に合流する。いつも以上に警戒心を強めていたのは何もエイリークの怪我は気になっていたからではない。
彼もまた森の奥からかつてないほどの異質な気配を感じ取っていたからである。
「どうしたの、ダグザさん?」
「…うん」
ダグザは速人からの突然の質問に戸惑ってしまう。
「私は魔術という物をある程度は理解しているつもりだったが、…どうやらそれは思い過ごしだったようだ。皆目見当もつかん。まだまだ世界は広いという事だろうな」
そして最後に小さく溜め息をこぼす。
ソリトンとハンスは驚いた顔つきでダグザを見ていた。




