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第百七十二話 エリオットの妻ジェナの想い

次回は八月の十七日くらいに投稿するのじゃ。遅れて済まぬにて候。

 

 ダイアナは実弟マイケルを含める合計八名の村の男たちを次々と殴った。

 

 外見だけ屈強な男たちは目から大粒の涙を流しながらダイアナに許しを請いている。

 その中には乳幼児をおんぶしているダイアナの夫の姿もあった。

 

 速人は彼らの自尊心がオケラになってしまう前にダイアナにサンライズヒルの町への案内を頼むことにした。


 「ダイアナさん。そろそろサンライズヒルの町に出発してもいいかな。マイケルさんたちならいつでも殴れるでしょ?」


 「小さな悪魔よ。お前の言葉は正しいが、我々にも面子というものがある。あっ!逃げるな、マイケル!この卑怯者がッ‼」


 マイケルは一瞬の隙を衝いて速人の後ろに隠れてしまった。

 マイケルの顔面は腫れあがり、折れた花からは血をダバダバ流している。


 (このレベルの負傷は普通だな。放っておいても問題はないだろう…。だが交渉に入った時に味方を増やしておいた方がいいには違いないから助けてやることにしよう)


 速人は地に膝をつけてめそめそと泣き崩れるマイケルたち(全員マッチョのモヒカン)に微笑かけるとダイアナたちの方に向き直った。

 ダイアナたちは既に速人が素手で怪物エイリークを圧倒する戦闘力を持っていることを知っているので数歩、後退する。


 「まあまあ、ダイアナさん。ここは一つ穏便に行きましょう。マイケルさんたちだって悪気があったわけじゃないし。何より心許し合える仲間が出来るのは良い事じゃないですか、ねえ?」


 速人はそう言ってからマイケルたちにウィンクをする。

 マイケルたちは全員で首を縦に振っていた。

 

 (やれやれ。他人なんざ髪の毛一本ほども信用していないくせによく言うぜ…)


 エイリークは今でもヒリヒリと痛む赤くなった額を抑えながら呟く。

 ダグザも呆れ顔で怪しげな説法を続ける速人を見ていた。

 

 結局ダイアナたちはエイリークという脅威から自分たちを救ってくれた速人の申し出を断ち切れるわけもなく一行は違和感を残したままサンライズヒルの町に向かうことになった。


 レミーはダイアナたちの隣を四足で歩く巨大な猿”人食いヒヒ”を見ながら普段の町での生活について尋ねる。


 「ダイアナ、このでっかい猿は普段はどこにいるんだ?もしかして町の中で飼っているの」


 この時、ダイアナは目を輝かせながら自分に話かけてくるレミーに対して複雑な思いを抱いていた。

 外見は子供の頃のエイリークそのものだが、中身はどちらかというとマルグリットのそれに近い。

 レミーがダイアナたちに好意的になってくれているのに毛嫌いして遠ざけるのは如何なものか。

 ダイアナは後ろ髪をドレッドにして、モヒカンにしている女戦士が思春期に入った子供がいる母親でもある。

 先日、マティス町長の妻アンとセオドアの妻ジュリアにもっと子供と一緒にいる時間を大切にしろ、と説教を受けたばかりだった。

 ダイアナが難しい顔をしているところに頭にでかいたん瘤の山を作ったダイアナの夫ジョージが助け舟を出してくれる。

 ジョージは幼い頃、世界各地を逃げ回っていたグリンフレイムとテレジアに育てられた別の巨人族の出身で何かと気の利く男だった。


 「はははっ。お嬢さん、流石にこいつ等は町の中に入れるわけにはいかないよ。何せ学術名からして”人食いヒヒ”だからね。普段は、この鈴を使って近くの森でおとなしく暮らしてもらっているんだ」


 ダイアナのストレートがジョージの顔に当たった。

 ジョージはダウンしてレミーの前からフェードアウトする。

 世にも恐ろしい猿型の怪物たちはかつてテレジアたちの集落に襲いかかり、その度に撃退されたという因縁を持つ。

 当時の集落の長だったグリンフレイムは猿たちと共生する為に鈴を使って、自分たちと一緒にいれば危険はないということを教えたことをきっかけに同行することになったらしい。

 速人が後で知った話によるとグリンフレイムは排他的なヨトゥン巨人族の中で外界の知識を尊重したり、研究をしていたと聞かされる。

 ちなみに鈴というのは元はテレジアが身に着けていたアクセサリーで、テレジアは一人で猿型の怪物の群れをなぎ倒していた、と速人はダイアナから聞かされる。


 「鈴の話をよその人間にするな、ジョー。相手がマギーの子供で、お前が私の夫だから大目に見てやるがな。次に余計な事を話せば、一週間はお前に食事の支度を任せるからな」


 (それでいいんだ…)


 速人はダイアナとジョージの家庭事情に戸惑いを覚えつつ町への歩みを進める。

 その間にエイリークを除く他の人間たちは失われていた時間の溝を埋めるべく旧交を温めていた。

 詳しい事情は速人にも計り知れないがテレジアの家族が第十六都市に止まる事を良しとせず、外界に旅立って行ったには何らかの複雑な事情があっての事なのだろう。

 その和気あいあいとした会話の中には喜びと悲しみが半々と入り混じっている。

 

 速人はこれらの生ぬるい人間関係と距離を置く事が自分の人生における命題であると常に考える。

 数百年前、とある事情から人界における不条理を取り除く処刑道具の一つとして存在する事を許された一族の末裔には一人の人間としての生を全うすることなど許されない。

 彼らの他愛無い日常の一幕こそが、速人の幸福でもあった。


 「お前ってさ、他人行儀なんだよな。ああいうの」


 速人が物思いに耽りながら歩いていると隣にエイリークが割り込んできた。

 唯我独尊の生を謳歌しているはずの男が実に不愉快そうな顔をしている。

 速人はあえてエイリークの顔を見ないようにしながら己の心の内を語ることにした。

 その横顔はどこかもの悲しい。


 「仕方ないさ、俺はどこに行っても他人みたいなものだからな。いつでもどこでも敵と出会えば戦って戦って…、人を殺し続けるという運命を否定する気はないさ。でも遠くから他人の幸福な姿を見てホッとするくらいはいいだろ?」


 「ケッ、ガキのくせにつくづく可愛げが無えのな。これだけは言っておくがいつかテメエは絶対にそういう”私には関係ありません”みたいな面をしていることを後悔する日が来るぜ。ああ、絶対だ」


 エイリークは速人に言いたいだけ言うとマルグリットのところに走って行く。


 速人はため息をつきながらエイリークの諫言を心に止めておくことを務める。

 そんな後悔はもう何度も繰り返しているというのに。

 人の優しさはどうしてこうも己の心を深く傷つけるのか。


 (…ッ‼)


 速人が気を引き締めてサンライズヒルの町を目指そうとすると目の前から肝を冷やすほどの殺気が迫っていることに気がついた。

 すぐに腰の帯に潜ませたヌンチャクを掴み、臨戦態勢に入る。

 相手は百戦錬磨の射手、速人は自分の眉間と心臓に殺気そのものが向けられていることを察知した。

 そして音も無く矢が急所に向かって迫る。


 カンッ!カンッ!


 容赦など微塵も無い攻撃を速人は動じることなく撃ち落とした。


 同じくして奇襲を察知したエイリークはマルグリット、ダグザ、ベックらと共に円陣を組む。

 地面に転がる矢を見たダイアナたちも自分たちに身の危険が迫っていることに気がつき、男たちを後方に下げた。


 「速人、敵か?」


 「多分な。だけどこの殺気には覚えがある。俺が何とかするからダグザさんたちは他のみんなを守ってくれないか?」


 ダグザは首を縦に振って後、ダイアナやレミーたち守る為により強固な矢除けの魔術を行使する。

 エイリークの持つ”妖精王の贈り物(ギフト)”の効果も相まって通常の飛び道具では突破できない布陣となった。

 しかし、速人は自らの視界を狭めて周囲の空気を切り裂くような殺気の出所を探る。またもやヌンチャクが閃き、エイリークたちに向かって放たれた数本の矢を撃ち落とした。

 

 エイリークは護身用に持ってきた短剣を抜いて身構えている。

 マルグリットも小型のメイスを持って奇襲を警戒していた。


 速人は二人にはまだこの場に止まっているように目配せすると地面を蹴って射手の元に迫った。

 されど敵もさるもの既に大弓に数本の矢をつがえ、追撃に移った速人に狙いを定める。


 速人は全神経を前に向かって集中しながら左右に蛇行を繰り返し、矢を避け続けた。


 「クソッ!こちらの狙いが見えているのか‼この悪魔めっ‼」


 見えざる射手は腰に下げた袋から先端を黒く塗ったダーツを取り出す。

 黒塗りの矢尻は毒の存在と射手の明確な殺意でもあった。

 射手は常日頃から母親に”人間相手には毒を使うな”と言われていたことを思い出し、舌打ちをする。

 今から使う呪われた”贈り物”は母親の血筋から受け継がれた物だったからである。


 (この禍々しい気配、…”妖精王の贈り物(ギフト)”か)


 速人はヌンチャクを振り回し周囲の空間の変化に気を配った。

 頭上と足元の空間が歪み、射手の掌から消えた黒塗りのダーツが次々と出現する。


 「止せ、ジェナ!それを使うな!」


 ダイアナは射手の正体が実妹のジェナである事に気がつき、思い止まるように大声を上げた。

 しかしジェナは自分の右手の親指を咥えるとそのまま皮を食いちぎる。

 結果として指の腹の部分から出血するが、それこそがジェナの狙いでもあった。

 母テレジアから受け継いだ呪われた”妖精王の贈り物(ギフト)”、”報復の刃(アンサラー)”は術者が傷つくことで手持ちの武器に必ず当たるまじないを施すのだ。

 

 ジェナは目を血走らせながら速人とエイリークに向かってダーツを投げつける。


 (エイリークには生まれつき”矢除けの加護”の妖精王の贈り物”を持っているから多分死なないだろう。だが悪魔よ、お前は我々との約束を破った。ここで死んでもらうぞ!)


 ジェナはありったけの憎しみを込めながら呪詛を呟く。


 「おい、速人。お前ジェナに何をしたんだよ!アイツの”妖精王の贈り物”、マジでやべえヤツだぞ⁉」


 エイリークは速人の近くまで行こうとしたが、速人は今はその場に止まるように目配せする。


 (ジェナさんの”妖精王の贈り物(ギフト)”はおそらく必中系のスキルだろう。凡夫ならば座して死を待つばかりだが、ヌンチャクに愛された俺にとっては児戯に等しい。そして俺のヌンチャクさばきに見惚れた観衆たちは俺とヌンチャクにひれ伏し、明日からでもヌンチャクを習いに来ることだろう。ここは派手にやっておくか‼)


 速人は両目を大きく見開き、死角から襲いかかるダーツを全て捉えた。

 

 その数、十。

 

 速人はヌンチャクを素早く左に持ち替え、左右にジャグリングする。

 異世界ナインスリーブスには”妖精王の贈り物(ギフト)”と呼ばれる未知の能力ちからが存在する(※魔術は系統、分化され既知の学問として存在する為。”妖精王の贈り物”には発生、継承される条件など不明な点が多い。例外として異世界の人間である宗雪近も”妖精王の贈り物”を所持している)速人の頭のデータバンクには既にギフト使いとの対策が幾つも立てられていた。


 速人はヌンチャクの紐を緩めてリーチを長くした。


 ジェナの手を離れたダーツは時間差をつけて速人に襲いかかる。

 空気を引き裂くほどの速度を有しながら、殺気の一切を感じさせないジェナの神技に速人は敬意を覚える。

 しかし、今回はそれが災いした。

 ジェナの持つ能力が明らかに”妖精王の贈り物”本来のポテンシャルを凌駕してしまったのだ。

 画竜点睛を欠く、とはこの事だろう。

 速人は口の端を歪め、一心不乱にヌンチャクを振り回す。

 結果、寄せては引く潮風と波のようなダーツの群れは速人のヌンチャクによって悉く撃ち落とされた。


 (やはり思った通りだ。ダーツに施された呪いは敵の身体に触れた途端に効力を失う。つまりこれは囮にすぎないというわけだ)


 速人は巧みにヌンチャクを操り、ダーツを討ち落としながら本命の矢の一撃を待つ。

 

 ジェナは既に矢に自分の血を塗りつけて呪いの力を増していた。

 そして先ほどまで使っていた片手でも扱える早弓から、背中に担いでいた大弓に持ち替えていた。


 速人はヌンチャクの紐の長さを元に戻して次なる一撃に備えた。

 隊商”高原の羊たち”にもダグザやケイティといった弓の名手がいるが、ジェナに限っては桁違いの実力者だった。


 「光纏う猛き巨神ルーよ!赤き単眼の巨神バロールの瞳を射抜いたように、我に戦果を寄越せ!暁の魔弾ッッ‼」


 その瞬間にジェナの右眼が紅石ルビーのような輝きを放ち、同時に矢を継ぎ止める二本の指が弓弦から外された。

 万感の殺意を隠そうともしないジェナの堂々たる一射に速人は感激する。

 速人はヌンチャクを目の前で構えると怒れる大蛇の如く振り回した。

 岩を砕き、山をも薙ぎ払わんとする威力を備えた速人のヌンチャクはジェナの矢を待ち受ける。

 その壮絶なる一戦いを、エイリークはマルグリットの隣で鼻くそをほじりながら傍観していた。


 「あれ?ダーリン、結構凄い戦いになってるけど見なくていいの?」


 「ハッ、あんなのわざわざ俺様が見てやるまでも無えよ。どうせ速人の勝ちだ。矢の軌道と着弾点を見切られた時点で終わってんだ。それに俺様の視線はいつもハニーに釘付けだぜ。…へっへっへ」


 エイリークが下卑た笑い声を出すとマルグリットは”いやーん!”とか言いながら笑っている。


 レミーはその隣でどこに行っても暇さえあればイチャイチャしている両親に対して殺意を覚えていた。

 

 そんなレミーを憐れに思ったダイアナはそっとフォローを入れる。


 「大丈夫だ、エイリークの娘よ。我々が第十六都市で暮らしていた頃からあの二人はずっとあんな感じだ。今さら驚いたりはしな…、うわっ‼すまん!今の無しで!」


 どよーん、とレミーはこの世の終わりを見たかのような暗い顔つきになっている。

 昔からレミーの両親が人前でイチャイチャすると彼女の友人たちはなぜか優しい言葉をかけてくる、というトラウマが蘇ってしまったのだ。

 この時点でダイアナのさりげないフォローは見事に失敗していた。


 「そういえばさ、さっき聞きそびれた話なんだけど。もしかしてエリオの奥さんってジェナなのかい?」

 

 「まあそうなんだが、実は昨日厄介な話があってだな…」

 マルグリットとミネルヴァの話は勝負に決着がついてしまった為に中断した。

 

 ドカンッ‼

 

 速人はジャンプしながらヌンチャクを振り上げ、ジェナの矢を叩き落とした。

 そして空中でヌンチャクを回転させながらヘリコプターのようにジェナに向かって突撃する。

 制空烈火棍と必勝逆襲脚の複合技だった。

 ジェナは弓を放り投げ、腰にさした山刀でこれに立ち向かう。

 速人はヌンチャクでジェナの逆袈裟斬りを打ち払い、着地する。

 ジェナは右手を抑えながら自分の武器を拾おうとするが速人は山刀を蹴って持ち主からさらに引き離した。

 ここに速人とジェナの戦いの勝敗が決する。

 速人は右手を抑えながら膝をつくジェナに手を差し伸べた。


 バチンッ‼


 しかしジェナは速人の手を払って殺意の籠った視線で睨みつけた。


 「戦士に情けは要らないッ‼私を殺すなら、さっさと殺せ‼そして村(※サンライズヒルの町のこと)から出ていけ、小さな悪魔めッ‼」


 「速人君、本当にジェナに何をしたんだい?私は昔の彼女の事しか知らないが、エイリークと違って誰彼かまわずに暴力を振るうようなじゃなかったよ」


 ベックは慌てて怒りを隠そうともしないジェナと速人の間に立つ。


 (それは俺のセリフだよ、ベックさん。俺だってジェナさんに命を狙われる理由がわからないよ。…大体想像はつくけど)


 速人は内心苦笑しながら黙っている。

 そして、事態がさらに険悪な状況になる前にテレジアの長女ダイアナと長年マイケルが仲裁役として入ってきた。


 「ジェナ!お前は町に残っていろと言ったはずだ!どうしてこんな無茶を…ッ‼」


 「…ごめん、姉さま。コイツが村に来たら絶対にエリオを連れて行くから、その前に私の命と引き換えに殺しておけば子供たちは悲しい思いをせずにすむ…ううっ」


 そう言ってジェナは泣きながらダイアナに抱きついた。

 末の妹ジェナは家族全員から可愛がられているので、流石のダイアナも彼女の暴走を責める事は出来なかった。


 「ジェナ、どんな理由があれ暴力は良くない。特にお前が母さんから受け継いだ”妖精王の贈り物”は使う度にお前の身体を傷つける呪われた力だ。エリオットが自分の為にジェナが”妖精王の贈り物”を使ったと知れば悲しむよ?」


 マイケルはダイアナに泣き縋るジェナの頭を撫でながら言う。

 ジェナは自分の事を心配してくれている兄に対して、無言のまま何度も肯いていた。


 一方、速人はエイリークとマルグリットにほっぺを限界まで引っ張られて苦しめられている。

 速人にもよく事情がわからなかったが、何かとんでもなく悪い事をしたような気がしたので罰を甘んじて受けることにした。


 やがて舗装されていない道が終わり、砂利が取り除かれたまっすぐな道に出る。

 数々の複雑な事情を抱えつつも、一行はサンライズヒルの町に到着した。


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