第百四十九話 エイリークの帰還
一日遅れてしまったピヨ。ごめんなさいピヨ。
次回は五月十一日に投稿するピヨ。
速人はロアンの手を引いて門の内側に案内した。
ロアンは門を触ったり、エイリークの屋敷の覚えている特徴と現物とを照らし合わせてここが本当にエイリークの家であるかを確認していた。
数十秒後、ロアンは疲れ切った顔をしながら顔を手に当てながら否応なしの止む無しといった様子で現実を受け入れる。この場所はエイリークの家だったという事実を…。
「親父とトラッドに聞いた時はゴミを片付けたくらいにしか考えていなかったのだがな…。昔ここに遊びに来た時にマールさんに置き去りにされたことがあってな。はは、今となってはいい思い出さ…」
速人も似たような話をエイリーク本人から聞いた事があった。
ある日、エイリークの両親はエイリークとマルグリットたちを屋敷の中に置きざりにして一週間、旅行に出かけた事があったらしい。
速人は”エイリークは彼の親に比べればまともな人間”という噂話を理解しつつあった。
ロアンはエイリークの家族の昔話をしながら徐々に平静さを取り戻す。
彼はエイリークの祖父ダルダンチェス、父マールティネスの思いでについて嬉しそうに語った。
「エイリークのお祖父さんのチェスさんは何というかいつも忙しそうにしていたよ。色々なところを回って、街に帰ってきた日には旅の話をしてくれてさ。マールさんと俺は夢中になって話を聞いたものさ。マールさんは大人になってからチェスさんの跡を継いで最後まで立派に人と人との懸け橋になったよ。残念は最後だったけど、エイリークのヤツがお祖父さんとお父さんの仕事を引き継いでくれたのさ」
「ロアンさん。エイリークさんたちが家に戻るのは今日の夕方くらいって昨日レナードさんに言われたんだけど。待ってるなら家の中に案内するけれど、どうする?」
「いや今日はエイリークに用事があってここに来たわけじゃないんだ。今朝親方が俺の家に来て弁当箱をお前に届けてくれって」
ロアンは右手に持ったバックの中から弁当箱を取り出した。
細かい話になるがバスケットは昨日の時点で回収している。
速人は弁当箱を開けて中の様子を調べたが空っぽになっていた。
(この様子からすると洗ってあるな。お湯につけた後、洗剤で洗ってからさらに水で汚れを落としてある。やるな、スウェンス…)
速人は空の弁当箱の匂いを嗅ぎながら久しい好敵手の登場に不敵に笑う。
その場にいたロアン、雪近、ディーは不気味な笑顔(※目が笑っていない)の速人から距離を取ってしまった。
「そういえばスウェンスさんは何か言ってかな。感想とか?」
「…えっ⁉あ、そうだな…。次はレストランで食べるご馳走じゃなくて家庭料理が食べたいと言っていたような気がするよ。また暇な時に作ってくれって。あれ?そういえばあの料理って本当にお前が作ったのか?」
速人はロアンの話の後半部分はほとんど聞いていなかった。
「ご馳走よりも家庭料理が食べたい」というスウェンスの言葉の意味だけを考えている。
(…言葉を額面通りに捉えれば味つけをマイルドな方向で調整すれば良いだけなのだろうが、果たしてこれはそういう意味なのか?)
速人は今回、弁当に使われた料理の大半を家庭用のものではなく料理店で出されるような香辛料の効いた味つけにした。
それはスウェンスが料理に対して強い関心を抱かせる為のものだったが、彼は速人の心算など見破っているだろう。
ロアンを通じて料理の短所を指摘したという事は”その先を考えろ”というスウェンスからのメッセージが込められているのかもしれない。
しかし速人にはスウェンスとメリッサに関する情報が圧倒的に不足しているので現状ではどうすることも出来ない。
とりあえず速人は目の前にいるロアンから情報を引き出せるだけ引き出すことにした。
「あのお弁当は、ダグザさんとレクサさんに頼まれて俺が作ったんだよ。アイディアは二人にもらったものだけど。そんな事よりロアンさん、親方の好きな食べ物って何か知らないかな。実はさ、ダグザさんからダールさんとスウェンスさんが仲直りするきかっけになるようなお料理を作れないかって頼まれていてさ」
「そうか坊ちゃんとレクサに頼まれたのか。そうだよな、レクサの作った料理にしてはすいぶん綺麗な仕上がりだとは思っていたんだよ…。(※速人が持ってきたお弁当はダグザが落としてグチャグチャになっています)そうそう、親方の好物か。ケーキとか、甘い物が好きだったな。まあメリッサおばさんが作った食べ物なら何でも喜んで食べていたような気がするが…」
(ケーキが好きという情報は初めて知ったな。覚えておこう)
ロアンはその後、スウェンスの好物を思い出してくれたがダグザとレクサが先日教えてくれたメニューと大して変わらない食べ物だった。
ただロアンはダグザたちよりも味つけの傾向などを覚えていたので、その点が特に参考になったと言えよう。
「ロアンさん、ありがとう。参考になったよ」
速人はロアンの顔をじっと見つめてから頭を下げる。
一応、誠意と感謝を伝えたつもりだった。
ロアンの方は顔を赤くして照れくさそうにしている。
ぶっきらぼうな物言いが目立つ男だが、本来は心優しい性格なのかもしれない。
「いや俺は、その何というか食べる方が専門だから参考になったかどうかはわからないけど…。そうだ。親方の好物なら俺よりもエリーさんにでも聞いた方がいいぞ。あの人は若い頃からメリッサんおばさんに料理を習っていたからな」
速人は「ありがとう」と再び礼を述べる。
ロアンはこの後、役所に書類を提出すると言い残して去って行く。
(足の運び具合が無理をしているように見える。大丈夫かな?)
速人はロアンの後ろ姿を見ながら、左脚の動かし方と姿勢にぎこちなさを感じていた。
「ロアンさん、行っちゃったね。俺、体と声が大きい人は苦手だよ」
ロアンの姿が見えなくなった後、ディーが速人に声をかけてくる。
速人が話をしている間、門の周囲に落ちているゴミを集めたり雑草を引き抜いていた様子だった。
「ディー、あの手のタイプはエイリークさん同様に自分の評価に対しては敏感なところがあるからな。間違っても本当の事を言うんじゃないぞ」
速人はディーと雪近と供に外の掃除をすませた。
雪近とディーは以前よりも手慣れた様子で落ち葉を一か所に集めている。
(チリトリとホウキの数は増やした方がいいな)
速人は近いうちに木材を入手する為に木工職人たちの職場である職人街に行く必要がある事を考えていた。
速人たちは最後に家の周囲にゴミが落ちていないか確認をしてから今日の夕飯の食材を買いに大市場に向かった。
アルフォンスには昨日の鍋の材料を用意してもらったので、以前畑を手伝いに行った時に入手した風変わりな材料で作ったジャムを持って行くことにした。
アルフォンスとシャーリーが甘い食べ物に目が無いとエイリークから聞いていたので喜んでもらえることだろう。
速人はバスケットの中にジャムの入った瓶とたくさんのクラッカーを詰めて大市場のブロードウェイ商店に向かった。
店の前には少なくなった売り物を補充しているアルフォンスの姿が見える。
奥にはバキバキと道具も使わずに木箱の蓋を開けているシャーリーの姿があった。
「おう、速人。昨日はずいぶん活躍したそうじゃねえか。今朝レナードとベックが俺のところにお礼を言いに来ていたぜ?」
「流石の俺も昨日は苦戦したよ。まさか親戚全員を連れてご飯を食べに来るとは思っていなかったからね。アルフォンスさん、俺からも言わせてもらうよ。昨日は突然訪ねて行ったのに材料を用意してくれてどうもありがとうございました」
速人は真心を込めて頭を下げる。
昨日の夕食はアルフォンスが機転を利かせなければ全員分を用意することは出来なかっただろう。
レナードの一族は食事中、分量の問題で喧嘩をしていた。
いつ怪我人が出てもおかしくはない状況だったのである。
過去の経験かどうかは知らないがアルフォンスはそうなることを見越して用意してくれたのだ。
アルフォンスは大きな笑いながら速人の頭をバシバシと叩いた。
おそらくは”よくやった”と”まだまだ修行が足りない”という意味が半々というところだろうか。
速人とアルフォンスが話し込んでいる間に、突然シャーリーが割り込んで来た。
ふおんっ。
アルフォンスは目で捉える事の出来ない速度の裏拳を受けてフェードアウトしている。
シャーリーは壁に叩きつけられ踏み潰されたバッタの死骸のようになっているアルフォンスに向かって”口よりも手を動かせ”と目で威圧していた。
「速人、アタシの(※旦那の)おかげで昨日の夕飯は上手く行ったんだ。お土産もしくは金一封くらい寄越してもバチは当たらないよ?それとも渡世の義理を無視してアンタ、のうのうと太陽の下を歩くつもりかい」
シャーリーは鍛えられた右手を開いて出した。
過去に魔術の攻撃を受けすぎて巌のようになってしまった顔から表情を窺い知る事は出来ない。
しかし、もしも仮に速人がシャーリーの質問に答えなければすぐにでも戦闘が始まってしまうことは間違いなかった。
「ご安心ください。マダム。こちらをどうぞ…」
速人は下卑た笑いを浮かべながらジャムの入った大きな瓶をシャーリーに渡した。
シャーリーは大きな瓶を速人から奪い取るとすぐに蓋を開けた。
そして花のように芳しく、果実のように甘ったるいジャムの匂いに陶酔する。
その頃アルフォンスはハンカチで鼻血を拭きながら、ディーと雪近に支えられ立ち上がる。
雪近とディーは愛妻に殴られて嬉しそうにしているアルフォンスの顔についてこの際、見なかった事にするよう心掛けた。
「ルバーブのジャムで御座います、マダム。こちらにクラッカーを用意しておきました」
「ハン。口ではどうとでも言えるもんさ。せっかくだから食べてやるよ」
シャーリーは手で瓶の中から赤いジャムをすくって食べた。
ルバーブを食べる習慣は、同盟や帝国では珍しくないが第十六都市ではマイナーな食習慣とされる。
果物とはまた違った酸味と甘味が絶妙なバランスで成り立っているので味つけ飽きというものを感じさせない。
シャーリーは蜂蜜を食する野生の熊のようにジャムを食べ続けた。
「母ちゃん、父ちゃん。商館の方に客が集まってきたから手伝ってくれねえか?…って何してんだよ」
その時、店内にエプロン姿のケニーとラッキーが入って来た。
商館の方で人手が足りなくなってきたので両親に手伝ってもらえないかという理由である。
しかしケニーは止せばいいのに、店内に入ってからまずジャムを独占する母親に文句を言った。
「うわっ、汚ねっ。母ちゃん、何でここでジャム舐めてるんだよ。店の中で飲み食いするなってこの前祖父ちゃんに怒られたばっかだろ。全く…」
「うるさい蠅だね。少し黙ってな」
ふっ。
速人は惨劇を事前に察知して、ケニーを背後から支える。
ブシャアア…ッ‼
ケニーはシャーリーの見えないジャブをダース単位で顔面に受けて口と鼻から血を噴き出していた。
速人のフォローが無ければ今頃は血達磨になって転がっていただろう。
速人は白いハンカチでケニーの血まみれになって顔を拭いてやる。
ケニーは「助かった」と礼を述べると母親の前に向き直った。
「このババア…。今日という今日は許せねえ…ぐおッ⁉」
ケニーの腹部に向かってシャーリーの横蹴りが放たれる。
ブロック塀を砕くシャーリーの蹴りがケニーに当たれば内臓破裂は免れないだろう。
速人は素早くケニーと入れ替わりシャーリーの横蹴りを受け止める。
シャーリーは自分の右足を受け止めている速人を見ながら言い放った。
「速人、本気にするんじゃないよ。こんなのウチじゃあ軽いスキンシップにも入っちゃいないのさ」
シャーリーは右足を引き抜こうとしたが関節の要所を絡め取った速人からは逃れる事が出来ない。
その後、何度か足を動かそうとしたが無駄な努力に終わった。
速人は口元に余裕のある笑みを浮かべながらシャーリーの動きを封じ続けた。
合間に雪近とディーが冬場に見かけるバッタの死体みたいになったケニーを救出する。
シャーリーの蹴りを直に受ける事は無かったが、攻撃の”意”を浴びてしまったのだ。
ケニーは意識を失い、ズボンの股間を己の尿でビショビショにしていた。
ガンッ!
速人はいきなり後頭部を殴られてシャーリーの足を手放してしまう。
(この気配は…、アルフォンスさん?)
速人は気配を手繰って後ろを向くとそこには目を三角にしたアルフォンスが立っていた。
「コラ!いつまで俺の嫁さんにくっついているんだ、速人。シャーリーもシャーリーだ、全く。油断も隙もあったもんじゃない」
アルフォンスはラッキーにこちらの用事が済んでから商館に向かう事を伝え、速人に頼まれた材料を用意した。
そして、速人は買い物が終わるまでアルフォンスから”俺の前でシャーリーと仲良くするな”という意味合いの説教を受けることになった。
最後にシャーリーが買い物の値段をつり上げようとしたが、アルフォンスにすごい剣幕で睨まれて引っ込んでしまった。
速人は買い物の終わりにメリッサの料理を誰が一番よく知っているかについて尋ねることにした。
「アルフォンスさん、シャーリーさん。ところでメリッサさんの料理に一番詳しいのは誰なのかな?料理の隠し味とかを知りたくてさ」
「エリーだろ。若い頃からダールさん目当てに親方の家に通っていたからな。それでエリーの代になってから、アイツに気に入られた若い娘ってのがレクサだよ。子供の頃から”ダグを嫁にください”ってよく言ってたな」
アルフォンスは昔の様子を思い出しながら笑っている。
しかし、速人と雪近とディーは日頃のダグザとレクサの姿を思い出してしまった為に全く笑う事が出来なかった。
「ついでに言っておくとエリーはメリッサから、メリッサはカタルーニャっていう怖い婆さんから料理を習ったのさ」
カタルーニャとはダグザの曾祖母で、エイリークの家を建てたエヴァンスの妻である。
エヴァンスの死後はルギオン家の当主となったスウェンスをメリッサと共に支え続け、エイリークが十歳になった頃に亡くなってしまったらしい。
「カタルーニャさんか。俺は正直、苦手な人だったな。だけどあの人がシャーリーたちを街の人間として暮らせるように議会に掛け合ってくれたから今の生活があるんだよな…」
「カタルーニャ婆さんとメリッサのレシピは間違いなくエリーが保管している。必要ならエリーに頼むといいさ。何か出来上がったら私のところに持っておいで。味見してやるよ」
かくして速人はアルフォンスとシャーリーに見送られながら大市場からエイリークの家に帰る。
ブロードウェイ商店で購入した食材は荷車に乗せて三人で運ぶことになった。
その道中で雪近とディーは速人の足手まといにならぬよう死力を尽くしたのだが、全体の半分くらいの距離で体力が底をついてしまう。
速人は二人の厚意を無駄にしたくはなかったので休憩を取りながら、ゆっくりとエイリークの家に帰ることになった。
そして三人はエイリークの家に到着した時に、ソリトンとケイティを始めとする隊商”高原の羊たち”のメンバーと鉢合わせる。
午前中に街の外まで迎えに行ったダグザたちも同行していた。
「あれ?ダグザさん、もう帰ってきちゃったの?」
速人は出向したメンバーを相手に相談事をしているダグザに声をかけた。
ダグザは速人たちの存在に気がつくと心底疲れた顔で速人たちのところにやって来た。
「まあ報告の方は後回しでいいだろう。肝心のアレがあの様子ではな。はあ…」
そう言ってからダグザは地面に寝転んだまま動こうとしない二人の人物を指さす。
見覚えのある長い金髪の男女の正体とは、大戦の英雄エイリークとその妻マルグリットだった。




