第百四十七話 エイリークの帰還の報せ
今度は遅れないように気をつけます。
次回は五月一日に投稿します。
レナードの話によるとエイリークは今日の午後には国境の砦を出発して、明日の夕方には第十六都市に到着するというものだった。
二日前に、今回の仕事は周辺地域の調査と巡廻であるとエイリーク本人から聞いていたので速人は最低一週間は家を空けるものと考えていた。
速人の側でレナードの話を聞いているレミーたちも同様に少々、驚いていた。
「父さんたち、一体どうしたんだろう…」
レミーが眉をひそめながら呟く。
戦争を終結させた英雄であるエイリークの実力は疑うまでもないが”もしも”という可能性は誰にも否定は出来ない。
まして相手が肉親ならば当然の反応だろう。
速人は困惑するレミーたちを安心させる為にレナードからエイリークたちの情報を引き出すことにした。
「レナードさん。エイリークさんはここを出る前に”今回の仕事は早くても一週間はかかる”みたいな事を言っていたんだけど、どうして早く終わったのかは聞いているのかな?」
「私も詳しくは知らないが、巡回中に犯人の賊と接触してそのまま退治してしまったらしい。まあ、あいつらに限って誰かにやられるなんて事はないが…」
レナードの話の中に”賊”という不穏な単語が入っていたのでレミーたちは言葉を詰まらせ、不安そうな顔つきになっていた。
今回の仕事に参加したメンバーの中には、一緒にアメリアとシグルズの母親ケイティも参加していたのだ。
ケイティは戦闘とは無縁な一般人女性にしか見えない。
シグルズが生まれてからは都市の外に出る事はほとんど無くなった、とベックから聞いている。
「あのレナード小父様、うちのお母さんは無事なんでしょうか?」
アメリアは心配で居ても立っても居られなくなり、母ケイティの事をレナードに尋ねる。
レナードは返事をする代わりに水を補充してもらったジョッキに口をつける。
そしてレナードはジョッキの中身が半分くらいになるまで飲んだ後、顔を青くしているアメリアとシグルズに向かって心配する必要はないという話をする。
「ケイティ?…あいつなら問題ないだろう。ベックは自分とコレットがいつ死んでもケイティが一人で生きていけるように育てたんだからな。…ぐおッ⁉この親不孝者が…」
レナードは頭を抑えながら崩れ落ちた。
背後には目を尖らせながら、レードルを手にしたレクサの姿があった。
レクサはその場で屈んだレナードの背中にローキックを一発ぶちかますとすぐにアメリアとシグルズのところに行って頭を撫でてやる。
アメリアは外見こそ大人びているが中身は年齢相応の少女だった。
アメリアとシグルズの姉弟は母親の事を一般人だと思っているので余計に心配している。
そこに追い打ちをかけるように”ベックとコレットが自分たちがいつ死んでもいいように”などと言われた日にはさらに心配しても仕方のないことだろう。
レナードは普段からこの手のポカをやる父親なので、彼の子供たちは常にフォローを入れるのがクセになっていたのである。
「レクサおば様…。うちのお母さんは本当に大丈夫でしょうか?」
「レクサおばさん。母さんと父さん、絶対に怪我しないで帰って来るよね?」
アメリアとシグルズは目に涙を浮かべながらケイティの事を心配していた。
二人の父親ソリトンは生まれ持った体質のせいで傷を負う事は無いのだが、この場合は両親を心配しているという事なのだろう。
普段は「おばさん」と呼ばれると怒りだすレクサだったが赤ん坊の頃から知っているアメリアとシグルズの悲哀に満ちた顔を見ると言葉に詰まってしまう。
レクサはそれが根本的な解決にはならないと理解していても二人にソリトンとケイティは無事に帰って来ると説いた。
実はケイティが子供の頃、ベックが戦場から持って来ない時に同じように慰めてやっていた経験があったのだ。
「はいはい。ソルとケイティにはアンタらがいるんだから無茶な事はしないわよ。きっと元気な姿のまま帰って来るから、アムとシグはその辛気臭い顔を何とかしなさい。せっかく無事に帰ったのに、相手に泣き顔で迎えられても嬉しくもなんともないんだから。これは私の経験談ね。最後に、まだ私は”おばさん”じゃないから気をつけてよね?」
レクサは話の最後に片目を閉じて笑って見せる。
アメリアとシグルズは思わずクスリと笑っていた。
レナードは戦時中の無鉄砲なレクサたちの行動を思い出してか、不満を呟いている。
レミーとアインはアメリアとシグルズが落ち着きを取り戻した事に安堵していた。
その中で速人と雪近とディーはレクサの顔が自分をおばさんと呼ぶなと言っている時に笑っていない事に気がついていた。
(俺にはレクサさんの苦悩がわかる。同世代の人間はほぼ同じ年齢で結婚したというのに、自分は三十路に入ってから念願の男児を出産。雨降って地固まるとはこの事か…)
速人がアゴに手を当てながら考えているとレクサがやって来てお玉で頭を殴った。
お玉は”ぐわん”という音を立てると見事に曲がっていた。
速人をお玉で叩いたはずのレクサは右手を抑えながら苦悶の表情になっている。
「大丈夫か、レクサ?だから言っただろう…、速人の頭は鉄か何かで出来ていると…」
ダグザはすぐにレクサの手を取り、衝撃を緩和する魔術で痛みを和らげてやる。
レクサは感謝の気持ちを込めてダグザの頬にキスをしてやろうと思ったが、父レナードと実兄ジムの生暖かい視線に気がつき止めてしまった。
ダグザも周囲の反応に気がついて、顔を赤くしていた。
「でも魔術で吹っ飛ばすわけにはいかないし…。速人、これからは失礼な事を考えるなら私のいない場所にしなさいな。今度は代わりにハンスを殴るからね!」
ハンスはギョッとした顔でレクサの方を見ていた。
その次に妻のモーガンを観るが、モーガンは両手を投げ出して首を横に振っている。
速人は巨悪の影に怯える子羊を憐れみ、彼の身を守る盾として目の前に立った。
ハンスは速人の背中にかつてない力強さと逞しさを覚える。
「わかりました、マダム。女性を傷つけることは私とて本意ではありません。今度からは下世話な事を考える時は”お花摘みに行く”と言ってから席を外しましょう」
がんっ‼
速人は返事の代わりに”衝撃”の魔術を食らった。
その後に速人はレクサの悪口を言わないという約束をさせられる。
速人は鼻血を拭いてから手を洗ってしまうとパングラタン風スープを次々と皿に注いだ。
不幸中の幸いか、レクサの暴力は彼女の親類にとっては日常的なものだったらしく混乱するような事にはならなかった。
レクサの兄ジムはスープを受け取りながら速人に耳打ちをする。
「速人、エイリークたちの話なら安心しろよ。現地の警備隊から連絡を受けたのは俺の部下だし、そいつの話では敵味方から誰も負傷者は出ていないって話だったぜ?」
ジムは笑いながら速人の頭をバンバンと叩いた。
アインはジムの言葉を聞いて笑顔を作り、レミーも態度に出すことはなかったが安心した様子だった。
しかしこの時、速人はジムの”敵味方の両方から負傷者が出ていない”という部分に違和感を覚える。
(果たして盗賊を相手に話し合いで解決するような事になるだろうか?エイリークさんは悪人が相手でも甘いところはあるが略奪行為を繰り返すような連中にお咎め無しという真似はしないだろう…)
バシバシバシバシ!
「だっはっはっは!大丈夫!心配するなってーの!」
ジムは調子に乗って速人の頭を叩き続けた。
速人が難しい顔をして考え込んでいるとダグザがハンスを連れて現れる。
ダグザは普段から憂いを帯びているというか機嫌が悪そうな顔をしていいるが、それとは別の意味で不安そうな顔をしていた。
(まさか自分の頭が出している音がここまで気になるとは。少しの間、黙っていてもらうか)
速人はそろそろ五月蠅くなってきたので調子に乗っているジムの手を取って背中に回し、捻じりあげた。
「ぎにゃあああああッ‼」
ジムは突然の出来事に驚き、悲鳴を上げた。
速人はジムの首の後ろに一撃を入れて気絶させる。
そして、意識を失い白目になったジムを持ち上げて家族に「ジムさんは疲れて眠ってしまった」と言伝してから置いて行った。
ジムの家族は一部始終を見ていたが特に何も言ってくる様子は無かった。
速人は何事もなかったかのようにダグザとハンスのところに戻って来る。
ダグザは額に血管を浮かべながら、木を失ってしまった義兄の容態について尋ねた。
「速人、念の為に聞いておくが義兄上は無事なんだろうな。義兄上は頼りないように見えて防衛軍でも重要な地位にある人物だ。人望もそれなりにある。気をつけてくれたまえ」
「大丈夫だよ、ダグザさん。ちょっとうるさいから眠っていて貰っただけだからさ。ところでエイリークさんの事なんだけど、どう思う?」
ダグザとハンスはジムが自力で起き上がる姿を見て安心する。
ハンスは小走りでジムが無事かどうか確かめに行ってしまった。一方、
ダグザは諸悪の根源である速人を正面から睨みつけた。
「いいか、速人。義兄上はエイリークのように頑丈ではない。草木を手折るように気絶させるな。…。実は私もエイリークたちの事が気になってお前のところに来た。今回の仕事で派遣した仲間たちはエイリークを筆頭に腕の立つ者ばかりだ。無傷で敵を捕縛するくらいの事はやってのけるだろう。…だが仕事が終わるまでの期間が短すぎる」
「俺もそれを考えていたところなんだ。問題の場所は、レッド同盟と自治都市連合の境目で帝国の領土にもかなり近い。詳しい事は知らないけど、簡単な手続きだけでも結構な時間が必要になるんじゃないかな?」
今回エイリークたちが向かった森林地帯はいくつかの村落を抱える土地で、現在は第十六都市の一部となっているが元はレッド同盟の所有する開拓村などが含まれている。
戦時中、”火炎巨神同盟”の武装蜂起に便乗して独立を果たし、戦後は第十六都市の庇護下に入ったという過去を持つ場所だった。
そのような場所で問題が発生すればレッド同盟とダナン帝国は黙っていないだろう。
例え相手が大戦の英雄エイリークであってもダナン帝国とレッド同盟の二大勢力を納得させるだけの説明が必要になるはずだった。
実際に速人もエルフの開拓村で生活をしていた時に、代官のスタンロッドが周辺地域の農村の代表者を相手に速人たち新人の待遇について説明させられていたことがあった。
エルフ、ドワーフ、巨人族ら眷属種たちは火炎巨神同盟の引き起こした戦争をきっかけに被支配階級の種族の動向には特に神経質になる傾向が強くなっていた。
「その通りだ。お祖父様の事は心配だが、背に腹は代えられまい。明日は予定を変更してエイリークがこちらに戻り次第、事情を聞くことにしよう。速人、お前も同行してくれ」
「了解」
速人は首を縦に振って同意する。
その後、速人は焚き火の火を消して回り食事の後片付けを始める。
ダグザはレクサとハンスとモーガンを呼んで食事を終えたレナードの家族を玄関まで案内していた。
レナードの息子ジムとエリックは気の利く男でダグザたちが玄関にレナードたちを集めている間に家に使い魔を送って人数分の車を用意してくれていた。
レナードと彼の妻はエイリークの家を出る前に、速人に挨拶をする為に屋内のキッチンまで訪ねて来てくれた。
速人は洗った食器をひとまとめにすると帽子を取ってレナード夫妻のところに向かった。
「速人、今日はその大所帯で来て悪かったな。これはタダの言いわけなんだが、私の家族にエイリークの、いや生まれ変わったマールの家を見せてやりたくてな。ははは…」
レナードは薄茶色の髪に覆われた頭を下げる。
隣にいるレナードの妻もまた夫に従って頭を下げた。
「速人ちゃん、今日のお夕食は美味しかったわよ。特に今日のお料理”ノームの雪見鍋”のお味は最高だったわ。メリッサさんの作っていたお料理とはほんのちょっとだけど、お味は違ったけど。でも若様や親方が食べたらきっと喜ぶわよ。今度、親方の家に行ったらご馳走してあげなさいよ」
レナードの妻は豊かな頬と腹を揺らしながら微笑んでいる。
「お前な、何を言ってるんだ。親方の家に速人を連れて行くなんて駄目に決まってるだろ!まあ、速人の作った料理なら親方も喜んでくれるかもしれないが…」
「あら、アナタはご存知ではないの?速人ちゃんとダグザ坊ちゃんは今日、親方のお家にお弁当を届けに行ったのよ!」
レナードは妻の言葉を聞いた後、しばらく固まっていた。
やがて硬直状態が解けた後、レナードは何故自分を誘ってくれなかったのかとダグザに散々文句を言っていた。
レナードとレナードの妻は大型の使い魔が曳く車に乗って帰ってしまったが速人の心の奥には夫人の”メリッサが作った料理とは味つけが少し違う”という言葉が引っかかっていた。
(おかしいな。スープの味つけも、具材もアルフォンスさんの言っていたものを再現したつもりだが一体何が足りなかったんだ?)
速人は大量の皿を拭きながらメリッサの出していた”ドワーフの冬の鍋”の事ばかりを考えていた。




