第百四十五話 〇 → ノームの雪見鍋 、 × → ドワーフの冬の鍋
すいません、少し遅れました。
次回は四月二十一日に投稿する予定です。鍋回は次回で終わります。
「何で私がこんな事をしなけりゃならないんだよ…」
レミーは千切った葉野菜を籠の中に入れる。
既にキャベツ大玉一個分くらいの量になっていた。
レミーは速人に文句を言ってやろうと思ったが、野菜と肉とその他諸々の下処理を10倍くらいのスピードで行っているので止めることにした。
レミーの隣ではアインとシグルズがナイフを使って泥を落としたニンジンを一口サイズに切っていた。
アメリアはベックたちと一緒に庭で焚き火の準備を手伝っている、と先ほどレクサから聞いていた。
「はあ…。私だって学校から帰って来て疲れてるのに…。でも相手がダグやレクサじゃあ断り難いし」
レミーはため息をつきながら、ダグザとレクサがレミーとアインに謝っている姿を思い出す。
最初、ダグザからレナードの一族が夕食を食べに来ると言った時は非常識さに驚いたがよくよく考えてみればつい最近までレミーとアインは両親と一緒に彼らの家を泊まり歩いていたのだ。
レミーはどこかで馬鹿笑いをしているエイリークとマルグリットの顔を思い出しながらいつか一矢報いてやろうと拳を握りしめた。
そんなレミーの姿を見ながらアインとシグルズは八つ当たりを受けまいと距離を開けながら作業を進める。
シグルズは皮むき器を使いながらニンジンの皮を剥いていた。
シグルズの家では父ソリトンと姉アメリアは台所に近づくなと言われるほどの不器用さなので家事の大半は母ケイティとシグルズが行っていた。
先ほどもアメリアがすぐに手伝いを申し出たが、速人はベックとレナードが心配だから見てやって欲しいと頼んでいた。
ベックとレナードは大体の事情を察していたので苦笑しながら、アメリアに頭を下げて手伝いを頼んでいた。
ベックは真面目だけど破滅的なまでに不器用なソリトンを、レナードはダグザの為に家では台所に行ったこともないくせに見栄を張ってレクサが作った生焼けの料理を食べた経験があったからである。
ベックはアメリアがレクサやコレットと一緒に薪の準備をしている姿を遠巻きに眺めていた。
(悪い娘じゃないんだがな。家事に関してはソル以上に注意しなければならないところがある。本人も快く引き受けてくれるから断りにくい…)
ベックは目を瞑りながら最近のアメリアの失敗を思い出していた。
高温の油が入っている鉄製の鍋の中に、温度を下げようと水を入れてしまったのだ。
ベックはアメリアを庇って飛び散ったお湯と油を浴びる羽目になった。
怪我をしなかったのは、あの時は今の季節よりも気温が低く家の中でも厚い上着を着ていたからだ。
(もしあの時コートを羽織っていなければどうなっていたことやら…)
ベックは全身が火に包まれる事を想像して、ブルブルと震えていた。
ベックの怯える姿を見たレナードはアメリアの料理の腕について尋ねる。
「おい、ベック。アムの料理の腕はそれほど酷いのか?私の見た限りでは…」
その頃、アメリアは祖母コレットやレナードの家族と一緒に焚き火を組み上げていた。
コレットが上手くフォローしているので目立ってはいなかったがアメリアの担当した部分だけバランスの悪い仕上がりになっている。
ベックは俯きながら以前アメリアの失敗について語った。
「レナードさん、ここだけの話ですがね。前に私の家でシチューを作っている時にアメリアが鍋いっぱいのバターをシチュー鍋で溶かそうとして大変な事になるところでしたよ」
ベックは今でもバター臭くなっている自分の家のキッチンの事を思い出しながら苦笑いをする。
コレットはホワイトシチューのルウを作る為にアメリアに鍋にバターを入れて火をかけてくれと頼むと、アメリアは鍋がいっぱいになるまでバターを詰め込んでから加熱してしまったのである。
コレットとケイティが異変に気がついた時にはバターが鍋から吹き出し、キッチンに火が回るという最悪の事態にはならなかったがいくら掃除をしても床や壁がベタベタになってしまった事は言うまでもない。
アメリアは絵に描いたような優等生で、家では母親の手伝いをしているのだが必ずしも技術が上達しているわけではないのだ。
レナードも似たような経験があったのでベックに合わせて笑うしかなかった。
二人は若い頃の思い出話に花を咲かせながらその後もアメリアを筆頭とするトラブルメーカーたちの動向を注視した。
「なあ、アイン。この配置って何か違わないか?」
シグルズは一口大に切ったキャベツをカゴに入れる。
その後、二人で野菜の水切りをしてさらに大きなボウルに入れた。
シグルズはキッチンの中で黙々と仕事を続ける雪近、ディー、レミー、速人の姿を見る。
雪近とディーと速人がエイリークの家で普段から食事の用意をしているのはシグルズとて承知している。
レミーは特に訓練もせずに何てもそつ無くこなす優秀な人間である事は当然、知っている。
アインは例のキャンプ以来、自分から進んで家事の手伝いをしたり学校でも自分の意見を言うようになった。
…とここまではいい。
だがこれほどの人間が集まっているのに、何故レナードの家族は外で焚き火の支度をしているのか、それが気になって仕方なかったのだ。
アインはつき合いの長さからシグルズの目線を見て彼が何を考えているか、すぐにわかってしまった。
アインは出来るだけレクサたちに聞こえないように呟く。
「それは多分、手先が器用な順番でメンバー分けしたからじゃないかな…。速人ってそういうところが非情だから」
(それってレナードおじさんの家族が全員役立たずって事か…。勉強になるぜ…)
シグルズは無言で数秒ほど天を仰いだ後、元の作業に戻った。
一方、ディーと雪近は食べやすいサイズに切ってある鶏肉に塩、胡椒(※多分ホワイトペッパー)で下味を付けていた。
作業分担の指示を受けた時、アインとシグルズに文句を言われたが実際はこちらの作業の方が大変だった。
スパイスを揉み込んでいるうちに、手が肉の脂でベタベタになってしまうのだ。
さらに量は大人、五十人分ときている。
二人は疲労困ばいになりながらも下味をつけた鶏肉やら、魚を別のボウルに入れていた。
「ねえ、キチカ。俺しばらくは肉とか魚とか食いたくないよ…。いつも食べる側だから気がつかなかったけど野菜よかずっと大変だね」
ディーはさり気なく雪近に話題を振ったが、雪近は魚と格闘をしていて返事をすることが出来なかった。
仕事の内容自体は、速人が包丁で切った魚の身を量で分けてボウルに移すという単純な作業だったが五十人分ともなれば大変な仕事になっていた。
特に生臭くなった指先の臭いなど絶対に嗅ぎたくないという心境である。
雪近はボウルの中に内臓とヒレを外した魚の打つ切りを入れ終えた。
そして水で手を洗ってからディーの質問に答える。
「その意見には同感だぜ、ディー。俺は最初からケモノ肉は駄目だが、今日は魚も見たくねえ。さっきから魚の生臭い匂いが鼻について取れねえんだよ」
「でも今日は外のお仕事も頑張ったからたくさん食べたいよね…。早く強制労働期間だっけ?それから解放されてご飯を食べるだけの生活をしたいよ」
ディーと雪近はベックと一緒に”パートナーズ”と呼ばれる第十六都市の外にあるいくつもの村を抱えた大農場で朝から晩まで働いていた。
雪近は半年前、速人とディーは一か月前から第十六都市に住むことになったが外部の人間が都市内部で生活するには一定の金額を納めるか或いは数年の労働奉仕活動をしなければならないというルールが存在した。
幸いにしてエイリークとダグザが保護役になってくれたお陰で速人たちは五年の労働期間を四年にしてもらったわけだが、ディーが霜の巨人族(※第十六都市の最有力種族、ギガント巨人族と敵対していた過去がある)である為に働ける場所が限られていた。
いつもは速人が仕事を手伝ってくれるのだが、今日はダグザと一緒にスウェンスの家に行っていた為に二人だけで仕事をする事になり普段以上に体力を消耗していたのである。
二人は部屋で休んでいる時に、速人から食事の支度を手伝うように言われた時はいきなり死刑宣告を受けた容疑者のような顔になっていた。
「自由が欲しければ、口よりも手を動かせ。俺はもう仕事を終わらせたぞ」
どんっ。
速人が身長の十倍くらいはありそうな高さの荷物を持って二人の前に現れる。
ニンジン、タマネギ、ピーマンといった野菜を切り分け、大きなボウルに入れたものを重ねて持っていたのである。
ディーと雪近は突然の出来事に飛び退いてしまったが、荷物を持っている人物が速人であることに気がついて安心する。
速人は二人を退かせると普段と同じ速度で庭に出て行った。
速人は重ねて持っていたボウルを屋外のキッチンスペースに置くとすぐに屋内キッチンまで戻って来る。
そしてアインとシグルズにスープの入った寸胴を持たせ、自分は下味をつけた挽き肉の塊が入ったボウルを持ってキッチンスペースに移動した。
「お先」
レミーは自分に与えられた仕事を終わらせると雪近とディーに挨拶をしてからキッチンを出て行く。
レミーの仕事ぶりは、…意外にも優秀だった。
少なくとも二人はエイリークの家で彼女が家事を手伝っている姿を見たことがない。
速人がレミーを調理スタッフとして選んだ理由も頷ける。
雪近とディーはレミーに負けまいと残りの仕事に没頭する。
そして雪近とディーは速人に頼まれた肉と魚をそれぞれ別のボウルに入れて屋外のキッチンスペースに向かった。
エイリークの家の庭にはレナードの家族のほとんどが集まっていた。
先に出て行ったレミーもあまりの数に唖然としている。
速人はレミーの届けてくれたボウルの内容を確認した後、彼女に感謝の言葉を伝える。
「レミー、今日はありがとう。レミーが手伝ってくれたお陰でギリギリ間に合いそうだ。今度のお小遣いに、今日手伝ってくれた分を足しおくよ」
速人は微笑みながらレミーの肩を軽く叩いた。
レミーは無言で顔を引きつらせながら、談笑を楽しむレナードの家族を見ていた。
速人はもう一度だけレミーに礼を告げるとキッチンスペースに戻る。
雪近とディーはボウルを持って速人の背中を追いかけた。
速人はキッチンスペースになっている小型のテントに入った。
テントの中にはテーブルがあり、テーブルの上には大きな金属製の鍋が置かれていた。
速人はレミーから受け取った野菜を鍋の中に敷き詰める。
それぞれの野菜が持つ緑と赤と白の色合いに配慮した美しい盛り付けだった。
速人は鍋に野菜を入れた後、テントの入り口に立っている雪近とディーに向かって手招きをする。
目つきはかなり厳しいものになっていたので雪近とディーは速人のところに魚と肉の入ったボウルを持って行った。
「悪い、遅れちまった。速人、すまねえな」
雪近とディーは速人に向かって深々と頭を下げた。
速人は何か言いたそうな顔で二人を見ていたが、外の様子からあまり時間が残されていないことを悟って鍋の中に魚と肉を入れ始める。
「安心しろ、雪近。ディー。今日の仕事、お前らにしてはよくやった方だ。まあ最初から数には入っていないがな」
速人は魚と肉を野菜の入った鍋に入れると、その上からスープを注ぐ。
途中ディーが「俺も手伝おうか?」と速人に声をかけたが”無礼者が‼”と言わんばかりの恐ろしい目を向けられ、沈黙させられてしまった。
(ディーと雪近の料理スキルは向上しているが、まだ塩や出汁を任せられるほど上達はしていない…)
速人は合計五つの大鍋にスープを入れると雪近とディーに外に持って行くように告げる。
そして速人は挽き肉を乗せたまな板を持ってテントの外に出て行った。
速人は火が入った薪の上に大きな鍋を乗せる。
途中、レクサとハンスが手伝いを申し出て来たが丁重に断っておいた。
その一方でベックとコレットとレナードは人数分のスープ皿を用意してフォークやスプーンと一緒に配っていた。
(この三人は今からでも我がチームのスタッフとして通用するな)
速人はボウルの中に入っていた挽き肉を十等分にしてから楕円形にする。
そして次に調味、整形されたミートパティを鍋の中に二つずつ入れた。鍋の中が少し沸騰すると灰汁抜きしてから落し蓋をする。
例えキャンプ料理だろうと、速人は手間を惜しむという事は無かった。
「ねえ速人。ちょっと味見してもいいかしら?」
レクサとダグザが人の垣根を割って、速人の前に現れる。
レクサは鍋の匂いを嗅ぐと速人に向かって手を出してくる。
速人は沸騰している鍋から小皿にスープを入れるとレクサに渡した。
レクサは抱っこしていたアダンをダグザに渡すとスープの入った小皿を手に取る。
そして、ずずず…と音を立てながらスープを飲んでいた。
「へえ、流石は速人ね。親方の大好きな”ノームの雪見鍋”を作るなんて誰から教わったのかしら?…もしかしてダグから?」
速人はダグザからアダンを受け取り、今度はダグザにスープを味見してもらった。
「ふむ、これは美味しいな。塩味とミルクの味が競うことなく良い味を出している…」
ダグザは皿に口をつけると音を出さずにスープを飲んでいた。
(こういうところに育ちって出るんだよな)
速人は上品にスープを飲むダグザの姿を感心しながら見ていた。
ガンッ!ガンッ!
二人はレクサによってスプーンの先で頭を叩かれた。
「速人、ダグ。…言いたいことがあったらはっきり言いなさいよ。どうせ私は粗忽なじゃじゃ馬よ。否定はしないわ。でもね、ダグの奥さんは私なんだから。こればっかりは誰にも譲らないわよ」
速人は苦笑しながらアダンを受け取り、抱っこをしながら様子を見ていた。
(トイレ無し、機嫌良し、ご飯はまだか。眠たいわけじゃないな…)
速人はアダンの様子を確認するとレクサに返した。
そして再び、鍋の調理に戻る。
「この料理はさっき市場に寄った時、アルフォンスさんに教わったんだよ。ドワーフの冬の鍋だったかな。実は俺もエルフの開拓村で暮らしていた時に…、ぐはッ⁉」
気がつくと速人の顔面にレクサの右手がめり込んでいた。
レクサは左手で右手首を掴み、さらに握力に弾みをつける。
ついに速人の頭から持ち上げてしまった。
速人はレクサの右手の隙間から顔を真っ赤にしているレクサとダグザを見ていた。
(これは一体、二人に何があったんだ?)
「速人。この料理の名前はノームの雪見鍋、ドワーフの冬の鍋じゃないのよ。わかった?…返事は?」
「はい」
速人はかろうじて意識を保ちながら返事をした。
レクサの隣ではダグザが今まで見たことのないような怖い顔をしていた。
「全くドワーフどもはどこまで図々しいのだ。何でもドワーフという名前をつけて。世界の支配者にでもなったつもりか」
速人はこの時、決して触れてはいけないものに触れてしまったことを自覚する。




