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第百四十二話 レクサの提案

次回は四月六日に投稿します。


 速人は落胆していた。

 乗り越えようとしている壁の高さに、そして自分自身の至らなさに絶望していた。


 (俺とした事が何て失態を犯してしまったんだ。エイリークさんのようなチョロイダメ人間の世話をしたくらいで天狗になっていたなんて…)


 速人は歯ぎしりをしながら黙々と歩く。


 ふと後ろ側を見るとオレンジ色の夕暮れに照らされた哀愁漂うダグザの姿があった。

 先ほど、祖父と久々の再会をしたことで何かと思うところがあったのかもしれない。

 実はこの時、ダグザは弁当を台無しにしてしまった事を気に病んでいた。

 

 ダグザの歩行速度は時間の経過と共にスローダウンしていたので、仕方なく速人はすぐ近くまで迎えに行った。


 そして右袖を引っ張ってみる。


 速人が目の前まで戻って来た事に気がついたダグザは真夏の雨雲のような顔つきで速人を見た。

 そして盛大にため息を吐きながら自分の過失について語り始まる。

 今日一日に関しては速人の責任でもあったので大人しく愚痴を聞いてやることにした。


 「今日は本当にすまなかったな、速人。私は自分がどれほど薄情で情けない人間かを思い知らされたよ…。まさかお祖父さまがあれほど衰弱なさっていたとは…」


 ダグザは言いながら項垂れてしまう。

 切れ長の目には薄らと涙が浮かんでいた。

 途中、ダグザは自分が泣いていることに気がつき目を擦っていた。


 (ふむ、スウェンスさんの姿が十年前と変わってしまっていた事にショックを受けているのか。身内の老化ってのはあまり知りたくないような事だから仕方ないよな。だけどあんな胸板パンパンのお祖父さんのどこが衰弱しているっていうんだろうか)


 スウェンスの白いシャツの空いた胸元から見える鋼のような肉体を思い出す。

 どちらかというエイリークの祖父と紹介された方が分かり易い体つきだった。


 速人はダグザの方を見ないようにしながら(※まだ泣いているので)今後の方針について尋ねることにした。


 「だからさ、ダグザさん。終わった事を気にしてもしょうがないって。死んだ人を大切にすることも大事だけど、それ以上に今生きている人に何をしてあげられるかのは方がずっと大事だよ。それで明日からはどうするの?」


 (死んでしまった祖母よりも生きている祖父を大事にしろ、だと?そんな事はお前に言われなくてもわかっている…ッ‼)


 ダグザはハンカチで目を拭いた後、速人に向き直る。

 端正な形の目元と鼻は赤いままだったが、瞳には強い意志が宿っている。

 いつもの冷静なダグザがそこにいた。

 速人としてはここで折れられても困るので一度は安堵する。

 隊商キャラバン”高原の羊たち”のメンバーの中ではダグザが精神面では一番タフであり、頼りにされている。

 仮に速人の命が戦いの中で失われても、ダグザに色々と情報を伝えておけば最終的には勝利に繋ぐ事が出来るだろう。

 七節星ナナフシ上食ウワハミたちはそれほどの強敵だったと考えている。


 「フン、お前に言われるまでもない。祖父には明日以降も会いに行くつもりだ。弁当箱を口実にすれば毎日会いに行く事も可能だろう。元々お前もそのつもりだったのだろう?むしろお前の率直な感想というヤツを聞いてみたいところだな」


 (痛いところを疲れたな)


 速人は口の端を大きく歪める。


 スウェンスは全体的にダールとダグザに比べて大雑把な印象を受ける男だったが、内面は繊細で複雑な性格の持ち主である。

 大方、本来は彼の息子ダールのような性格だったのが身近な偉大すぎる存在に影響されすぎて今の性格になってしまったのだろう。

 即ちスウェンスは父エヴァンスの真似をしているのだ。

 これはダグザの母エリーから聞いた情報を元に組み上げた推論である。

 

 結論から言えばスウェンスはダール以上に味にうるさく、記憶力も衰えていない。

 さらに情報収集も不十分かつ準備不足だったので速人としては今回の訪問は失敗してしまったと思わざるを得なかった。

 

 速人は気後れしながらダグザにありのままの心象を語ることにした。


 「ダグザさんのお祖父さんは、正直手強いかな。ある程度は覚悟していたけど本性は絶対に出さないし、今の段階ではどうしようもないよ」


 「随分と弱気な発言だな。まあ今さら年齢相応の子供のような擬態には騙されはしないが…。だが率直な意見を述べさせてもらえば私のお祖父様は十分、お前の事を認めていたと思うのだがあれでも不十分だったとはな」


 「まず情報が足りない。今日、家のキッチンに入れてもらったけどさダグザさんのお祖母ちゃんの使ってた方の食器棚は使わせてもらえなかった。他に家の掃除もしっかりやってる。…家の中が少し荒れて見えたのは俺たちが来るのを見ていたからだろうな」


 ダグザは速人に言われてスウェンスの家の中の様子を思い出す。

 記憶を辿ればテーブルの上には書きかけの書類と帳面が乗っていた。

 さらに言えばジャムの入った瓶と齧った後のあるクラッカーもあったような気がする。

 それを速人はダグザたちの訪問に合わせて用意した小道具だと言ってのけたのだ。


 (何とも抜け目の無い餓鬼だ。エイリークがいちいちイラつくと言っていた事が理解出来る)


 ダグザは内心では納得しながらも呆れた様子で速人に言った。


 「…そうか。それではお祖父さまは思ったよりも大事には至っていないと考えてもいいのか?」


 「違うよ、それとこれとは別問題。今はダグザさんのお祖母ちゃんの為に一人で頑張っていられるけどいつ倒れてもおかしくはないって話。早く手を打たないと大変な事になるから、俺個人としては気が進まないけど人を使うしかないかな?」


 元来、速人は客を満足させる手段として他者の心に立ち入るような手段を選択することを嫌っていた。

 今回のスウェンスが正に典型例であり、ダグザたちと距離を置くようになった事も考え抜いた末の結論なのだろう。

 自分スウェンスや亡きメリッサが子供や孫の足かせになってはいけない、と。

 ダールには市議会議員としての立場が在り、エイリークとダグザが自分やダールと違う道を歩む事も最初から予想していたのだ。


 (だけどこれをダグザさんに説明しても納得できないだろうな…)


 速人はダグザからの批判を覚悟しながら言葉を続ける。


 「だからさ、ダールさんの時みたいにある程度の人数を集めて話し合いをしないとスウェンスさんは心を開いてくれないよ。多分自分の存在がダグザさんにとって良くないものみたいに考えていると思うぜ?」


 「ふうむ。祖父の性格を考えれば信じられない話だが今と昔では事情が違うという事か…。人数を集めるともなればエイリークたちが戻って来なければどうすることもできまい…」


 エイリークとマルグリット、ソリトンとケイティは現在は仕事で第十六都市を離れている。

 音信普通となってしまった国境付近の集落への調査とはいえ最低でも一週間以上は時間がかかってしまう。


 「エイリークさんの事は仕方ないよ。しばらくはお弁当を届けて様子を見よう。情報収集の口実にもなるし。それよりも目下の問題は時間だな…」


 そう言って速人は空の様子を見た。

 近くに時計が無いのでよくわからないが午後三時半は確実に過ぎている。

 二人が早く戻らなければ事務所で待たせているレクサが大変、機嫌を悪くしていることだろう。

 この後は三人でレクサの実家に向かってダグザの息子アダンを引き取りに行かねばならないのだ。

 エイリークの話によればレナードがダグザとレクサの結婚に反対したことで父娘おやこの関係が悪化してアダンが誕生するまで断絶状態だったらしい。


 (※ここ数年の間、レナードとジムが子供が生まれない事でレクサにさんざん嫌味を言ったらしい。代償としてレナードは自宅の二階から投げ捨てられ、ジムは庭に生きたまま埋められたらしい)

 

 速人が第十六都市に来たばかりの時に心当りとなる出来事はいくつかあった。


 速人はダグザがいつもの元気をとりもどしつつあったので足早に駅に向かうことにした。

 

 一方、ダグザは速人の言葉を聞きながら家でのスウェンスの態度を思い出していた。

 言われてみればその通りであり、スウェンスはダグザと再会した事を喜んではいたが微妙な距離を置かれていたような気がする。

 もしかするとダグザがスウェンスに遠慮をして少ない人数で尋ねてきた事で余計に疎外感を感じさせてしまったのかもしれない。


 とダグザが考えている間に速人は再び歩き出していた。


 そこでダグザはふと思い出す。

 ダグザの妻アレクサンドラは外見からは想像出来ないほど短気な性格の持ち主だった。


 (マズイな。事務所に残してきた連中が八つ当たりされているかもしれない…)


 ダグザは一度、思考を中断して速人を追いかけた。

 それから間もなく、二人は隊商”高原の羊たち”がある区画まで移動する乗り合い馬車の駅に移動した。


 「ところで速人。ハンスとモーガンは大丈夫だと思うか?仮にレクサが怒っていたとして他の連中は多分、身の危険を感じた直後に消えていると思うがあの二人は何というか場の空気を読む能力が低い…」


 「じゃあさ、もしもの時に備えて最悪の状況を想定したミーティングを済ませておこうよ。例えばダグザさんが爽やか系のイケメン顔でレクサさんの髪型を褒めるってのはどうかな?そうだな…、キミの顔がもっとよく見たいから髪を短くしたらどうだい?とか…」


 「その必要はありそうだな。考えておこう…」


 ダグザは幼い頃、レクサに八つ当たりをされて頭に大きなタンコブを作って半泣きになっているハンスとモーガンの姿を思い出した。

 そのほとんどはエイリークとマルグリットが原因を作ったようなものだが、二人は危機感知の能力が神がかっている為に主犯として確保された経験はほとんど無かったという。


 次点でダグザとソリトンがレクサに拳骨を落とされる事が多い。


 速人とダグザはハンスとモーガンの無事を祈りながら、馬車の中に入って行った。

 それから二人は中層の中央区まで馬車に乗って移動し、駅に到着するなり”高原の羊たち”の事務所に走って行った。


 「ただいま、みんな。…レクサ、待たせて済まなかったね。ところで今日のキミの髪型なんだが…」


 ダグザは速人との打ち合わせ通りに爽やか系のイケメン顔を作る。

 しかし当のレクサは自分の机に突っ伏していた。

 レクサはダグザの存在を認めると恨みの込められた目つきでグギギギ…ッ‼とダグザを睨む。

 

 その瞬間、ダグザの笑顔は凍りついてしまった。


 事務所の床にはハンスとモーガンを含めた居残り組の隊員たちが無造作に転がっていた。

 

 速人とダグザは隊員たちを起こして回り、彼らを出口まで連れて行った。

 中には気絶している者もいたので速人は当て身を使って喝を入れて意識を回復しなければならなかった。


 「それでダグ、どんな言いわけを聞かせてくれるのかしら?私は親方のところにお弁当届けるだけっていうからもう少し早く帰って来るモンだと思ってたんですけど⁉」


 レクサは本格的に切れていた。


 (ダグザさん!早く奥さんを褒めて!)


 速人はダグザにウィンクをして例の作戦を実行させる。

 ダグザは右目の上に青たんを作っているハンスを見る。


 (ハンス、お前はレクサが他の連中を殴るのを止めようしたんだな…)


 ハンスはわけもわからずに親指を立てる。

 隣で夫ハンスとダグザの様子を見ていたモーガンも真似をして親指を立てた。


 「すまないな、レクサ。ルギオン家の本宅に到着するまでにブランジェルやロアンに捕まってしまってね。思ったよりも時間がかかってしまったようだ。ところで最近は髪を伸ばしているのかい?それが本当なら実に残念な話だな。君の魅力的な笑顔を見る機会が減ってしまったような気がするよ」


 キラリ!

 アレンジされていたがダグザはしっかりと己の使命を果たした。


 レクサは机の中に入っていた手鏡を取り出し、顔を赤くしながら前髪に手を触れている。

 本来は優しそうな雰囲気の整った顔立ちなのだが、今のレクサは森の奥深くに住む魔女のような不吉な笑顔になっていた。

 そしてしばら手鏡と格闘した後にレクサは機嫌を直していた。


 (ダグザさん、この策は次は使えないよ)


 (わかっている)


 夫に褒められてすっかり上機嫌になってしまったレクサの姿を見てダグザは冷や汗を流していた。


 「別にいいいわよー。親方だって久しぶりにダグに会えて喜んでいたんでしょ?あ、そうだ。速人、親方はお弁当の事は何て言ってたの?」


 「ううん…。それがさ、ダグザさんのお祖父さんって昨日までずっと忙しかったみたいでお弁当を渡してからすぐに帰って来ちゃったんだよ」


 「ええっ⁉…それは変な話ね。ウチのお母さんの話では親方は隠居して自宅に籠りっ放しって聞いていたんだけど…」


 ダグザはスウェンスの姿を思い出し、思わずレクサから目を逸らしてしまった。

 今のスウェンスの姿をレクサたちに見せることは出来ない。

 ダグザはレクサたちに真実を話すべきかどうか思い悩んでいた。


 速人はそんなダグザの様子を横目で見ながら、レクサにアダンを迎えに行くことを勧める。


 「レクサさん。そろそろアダンを迎えに行ってあげようよ。俺、家に帰ったらご飯の用意もしなくちゃならないしさ」


 「そうね。はっきり言って実家いえには帰りたくないんだけど可愛いアダンが待っているし…。ウチのお母さんと義姉さんたちが父さんと兄さんたちを捨てて同居してくれないかしら…」


 ダグザとハンスとモーガンは顔を真っ青にしてレクサの傍若無人極まりない発言を聞いていた。

 レクサならばやりかねない悪鬼の所業だった。


 「いや、それはあんまりじゃないかな…」

 

 「あ、そうだ。わすれるところだったわ」

 

 レクサはその時、何かを思い出したように手を叩いた。

 そしてハンスとモーガンを指さしながら意外な発言をする。


 「ところで速人、今日はハンスとモーガンとシエラがウチ(※エイリークの家)にお泊りに来るから。みんなの分のご飯を用意してあげてね」

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