第百話 それぞれの別離、決して見たくもないおっさんの涙。
次回は9月5日くらいに投稿します。今回も遅れてゴメンネ!てへ。
セオドアとエリオット、キリーとエマの夫婦は過去の話で盛り上がっていた。
それで別に何がどうするというわけではない。
だがしかし会話の中には「互いの過去の傷には触れぬように」という暗黙のルールはあったが必要な事だったのだろう。
速人は帰りの支度を整えながら、縄で蓑虫の如くグルグル巻きにしたディーを見下ろす。
以前から考えていたことだが、このディーという男の空気を読むことが出来ない性質は邪悪の領域に達していた。
場合によっては大きな石を抱かせて池の底にでも沈めておく必要があるだろう。
速人は簡単な下処理を終えた羊の肉をさらに布で包み、荷台に乗せた。
その際には戦闘で受けた傷が痛んだが、既に我慢出来る範疇の痛みになるまで回復していたので問題は無かった。
雪近が助力を申し出てきたが健康状態が安定していなかったので丁重に断る。
やはり”妖精王の贈り物”を持つ者の回復具合は他の物に比べて芳しくはない。
そういう意味では、エリオットやセオドアの動きも戦闘に入る前と比較して些か精彩に欠いていた。
(今後ナナフシやウワハミ等と戦う際には注意が必要だな)
封印術の影響が永続的な作用では無いにしろ警戒は必要となるだろう。
エイリークの仲間には本人も含めて妖精王の贈り物を持つ者が多数存在するという話を、速人は聞いている。
速人が難しい顔をして今後の事を考えているとトマソンとクリスとジョッシュが別れの挨拶をしに来てくれた。
「速人君。そろそろ私たちも集落の方に戻ることにするよ。はは…、この分だと家に着くころには夜になっているかもしれないが」
トマソンは孫二人から説教を受けて落胆していた。
老練な武人という風格は形を潜め、今では人生に疲れた老人になってしまっている。
しかし、クリスとジョッシュの視線の風当たりは厳しく背中を肘で突かれた後に荷車のところまで戻ってしまった。
祖父の背中を追ってクリスとジョッシュが歩いて行く際に別れの挨拶をしてきた。
「速人、今日は色々とありがとう。一応礼を言っておくわ。全然感謝してないけどね。それとお祖父ちゃんの妄言はくれぐれも他言しないように。しっ!しっ!」
クリスは速人を手で追い払うような仕草をする。
速人は舌を出しながらどこぞのお菓子会社のマスコットキャラのようにニッコリと笑った。
速人のつくり笑顔があまりにムカついたのでクリスはしばらく地団駄を踏んでいた。
次にクリスと入れ替わりでジョッシュが速人の近くまでやって来ていた。
茶色の眼を輝かせながら速人を見ている。
そして、ジョッシュは小さな手を速人に向かって差し出してきた。
それは一時の別れの為のものであり、再会を誓う挨拶だった。
「速人お兄ちゃん。今日はどうもありがとう。また一緒に遊ぼうね」
速人はジョッシュの小さな手を握り、軽く振った。
今のジョッシュの瞳の中にはマルコを失った悲しみや憂いは無い。
何かを背負い、明日を生きようとする覚悟を持った男の顔となっていた。
そして速人は後ろめたさを含んだニヒルな笑顔を見せる。
「今度はお菓子でも持ってくるよ。ジョッシュこそ、今日は色々と大変だったな。ご苦労様だ」
速人とジョッシュは固く握った手を解いた。
「ジョッシュ。行くわよ」
既に荷車の場所まで移動していたクリスの声が聞こえてきた。
新たな使命を受けて起動した大きな牛の姿をした人造の使い魔もまた鼻息を上げてジョッシュとトマソンを待っていた。
ジョッシュは去り際に手を振りながら姉のもとに走って行った。
速人は両腕を汲みながら姉弟の姿を見送る。
そして、横目で何と無しにトマソンの姿を見るとそこには先ほどの戦闘で武器として使っていた杖を支えにしながら文字通りの青息吐息で孫たちのところに向かおうとする老人の姿があった。
「すまん、速人君。これが最後だ…、いや人生的な意味じゃ無くてな。孫たちのところまで連れて行ってくれ。クリスから説教をされてへたり込んだ後に腰がまた言う事を聞かなくなってしまってな」
速人とポルカは急いでトマソンのところに行って二人で両側から支えながら荷車の所まで連れて行った。
その際クリスとジョッシュには丁寧に礼を言われたが、御者台に到着してからもトマソンは孫たちから非難を受けていた。
最後にポルカと速人はこれ以上トマソンを追求しないように頼んでみたが孫二人には「家庭の事情に立ち入るな」と断られてしまった。
何かの歌に登場する「売られていく子牛」のような表情をしたトマソンを見ながら二人は牛の姿をした使い魔に引かれる荷車を見送った。
トマソンの行く末を心配したポルカが呟く。
「まだまだ先の話だと思うが俺っちも爺さんになったら年齢を考えて身体を動かさなきゃならねえんだろうな…」
そう言いながらポルカは上着の裾を捲って自分の腹を見ていた。
よく鍛えられ出来たばかりの鋼のように引き締まった腹筋をしていたがポルカの話では最近は緩んでぜい肉が目立ってきたらしい。
どうやって鍛えても寸胴のようにしかならない体型の速人にはよくわからない理屈の悩みだったが、前にエイリークが似たような話をしていたような気がする。
そこで速人は愚痴をこぼしていたエイリークに対して言った事と同じような話をしてやった。
「ポルカさん。大丈夫、心配することは無いよ。ポルカさんのスペックが元から高いから要求するハードルが高くなりすぎて一瞬だけ太ったみたいに見えるだけだよ。実際、筋肉がついても体重って増えるんだぜ?」
「おっ⁉そうか‼そうだよな‼俺っちも実は最近ちょっとばかし身体が立派になったんじゃないかって思ってたんだ‼毎日鍛えているんだ、そう簡単に太るわけねえもんな‼ガハハハッ‼」
ポルカは笑いながら自分の腹を軽く叩いた後に速人の肩を叩いた。
(褒めた時の反応まで同じとはな…。後、地味に痛い)
速人はオブラートで包んだような笑みを浮かべながら痛みに耐えた。
この場で下手に突っ込もうものならば返って厄介な事になるのはエイリークの時に学習済みだったからだ。
二人は仲良く肩を並べながら他の仲間たちが待っているキリーの店の前まで歩いて行った。
ポルカは店に着くなり腰に手を当てながら父親の到着を待つシスに肉体美を披露しよとしていたが、不興を買い逆に怒られていた。
シスは説教が終わった後に、肩を落とした父親を連れて速人の前に現れる。
「速人、今日は世話になった。悔しいが私や親父は、お前やトマソン殿の助力が無ければ生きては帰れなかっただろう。礼を言う」
シスは微笑を浮かべながら、右手を差し出した。
対抗心をむき出しにしたポルカの刺すような視線が気になったが、速人はシスと軽い握手を交わす。
「シス。こちらこそ、ありがとう。今日の勝利はみんなのものだ。誰の功績ってわけじゃないさ」
速人の後ろにいる雪近とディーも頭を下げる。
次にシスは雪近たちと握手をしてから「別に一人一人と握手する必要は無いだろ」と文句を垂れるポルカを連れて町に戻って行った。
シスたちは第十六都市のオーク街に通じる別の通用口を使って戻ると言っていた。
その際に速人たちは同行するかと誘われたがオーク街から出入りをすれば、大市場やアルフォンスの家の近くを通らなければならなかったので丁重に断っておいた。
昼頃にアルフォンスと別れた時には「決して街の外には行かない」と約束したからだった。
他の連中はともかく勘の良いアルフォンスならば羊を見られただけで大方の事情を察してしまうだろう。
明日にはもう一頭分の牛の肉を用意してもらう話があったので顔を合わせ難い。
「速人。そう言えばお前ってヨウの兄貴と同じところから来たんだろ?さっきキチカから聞いたぜ。困ったことがあれば俺っちのところまで来いや。相談だけなら乗ってやってもいいぜ」
遠くからポルカはそんな捨て台詞を残して去って行った。
雪近の話が本当ならば、オーク街の上層に住む成金豚姉妹の父親は速人や雪近と同じ世界から幼い頃に来た人間らしい。
(異世界で、料理の腕一つを頼りにのし上がった男か。是非会ってみたいものだな)
速人が誰となく独り言ちていると今度はエリオットたちが別れの挨拶を言いに来た。
まだ二人とも本調子ではないらしく足取りも危なっかしいものだった。
エリオットは金色の前髪をかき上げながらどこか恥ずかしそうに笑った。
「速人、今日はご苦労様。僕とテオもそろそろ町に帰るよ」
エリオットは右手を差し出す。速人は瞬間の判断で雪近と立ち位置を交換した。
ぎゅむっ。
そして繰り返される悪夢。
雪近の右手は、エリオットの怪力のせいで外から見てもわかるくらいに変形していた。
顔も時間が経過するにつれて様々な色と表情に変わっている。
最後に雪近は泣きそうな顔で強烈な握手からの開放を願っていた。
その後、速人とセオドアの尽力で雪近は手を真っ赤にしながらエリオットから引き離される。
エリオットは朗らかに笑いながらディーの手を握っていた。
「ッッッッ‼‼」
次の瞬間、ディーの声にならない絶叫が周囲を震撼させる。
セオドアは痛みを和らげる魔術を使って二人の治療をした。
「悪いな、二人とも。いつもならこうなる前に俺がフォローに回っているはずなんだが、今日は調子が悪くて上手く行かねえんだ…」
セオドアは嘆息しながら”按摩”の魔術をディーにかけている。
この手の治療用の魔術は全てサンライズヒルのマティス町長から教わったものだった。
雪近にも使ってみたのだが”新人”という種族の特性から魔術の効果が完全では無かった。
雪近はキリーの用意してくれた氷嚢で手を冷やしている最中だった。
「何かセオドアさん、手慣れているね。もしかしてこういう事って良くあることなの?」
ディーはジト目でエリオットを見ながら尋ねた。
セオドアは同じ方角を見つめながら過去に治療した被害者たちの苦悶の表情を思い出しながら答えた。
「なあ、ディー君。基本的にエリオは悪い奴じゃないんだよ。でもさどんな良い人間にも欠点ってものがあってそれはアイツの場合ちょっとばかり他人より力持ちだったってわけなんだ。あと、この辺で許してくれないか?」
二人は無言のまま、改めて別れの挨拶を交わそうとしているエリオットと速人の姿を見ていた。
エリオットが速人の右手を握ろうとする度に、速人はバックステップで距離を取ろうとしていた。
見方によっては何かの格闘技の試合に見えなくもない光景だった。
「速人。別れは惜しいけど、僕はサンライスヒルに帰る。家族が待っているからね。君も早くエイリークのところに行ってやってくれ。アイツはもう誰からも頼られる立派なお父さんになっているんだろうけど、どこか心配なところがあってね。でも君のような頼りになる男が側にいてくれるなら僕も安心だよ。…ところでさっきからどうして逃げているんだい?」
ひゅんっ。
速人は間一髪の差で怪力怪人の手から逃れる。
攻防の回数を重ねる毎にエリオットの命中率は確実に上がっていた。
もしもエリオットに捕まれば飴細工のように速人の手は捻じ曲げられてしまうだろう。
そうなればヌンチャクはおろか家事が出来ない身体にされてしまう可能性もあった。
速人の額に冷たい汗が流れ落ちる。
「エイリークさんに関しては概ねその通りなんだけど、エリオットさんとセオドアさんはこのままエイリークさんたちと話し合いもせずに離れ離れになったままでいいのか?」
速人が言葉を発した後にエリオットの手が止まる。
セオドアもディーの治療が終わった後に下を向いたままになってしまった。
エイリークは、エリオットたちは過去に起きたとある事件の翌朝に忽然と姿を消していたと朧気ながらに語っている。
彼らが何もせずに二十年近くの時間を過ごしていたとは、速人には思えなかった。
「なあ、速人。何で俺たちが今の今までエイリークたちのところに帰らないと思う?」
セオドアは下を向いたまま速人に感情を押し殺した尋ねる。
彼がどんな顔つきで聞いているかなど今さら考えるまでもないが、その理由には大方の察しはついていた。
速人は二人から視線を外しながら答えた。
そして、エリオットとセオドアの事情を知るキリーとエマは黙って見守っている。
蚊帳の外にいる雪近とディーも緊迫する状況の中、固唾を飲んで聞き入っていた。
ちなみにこの二人は雰囲気に飲まれているだけで、事情に関してはチンプンカンプンである。
「そんなの…、誰もセオドアさんとエリオットさんの事を悪く言わないからだろ。今日このまま俺たちと一緒に戻ったって「おかえり」って言ってくれるだろうし」
速人の襟をセオドアの両手が力いっぱいに掴んだ。
大人のセオドアが人の目も気にせずに泣いている。
子供の速人は全てを赦すような目で泣き縋る彼の姿を見つめていた。
「そうだよ!そんなんだから絶対に帰られないんだよ!誰も俺たちのことを責めてなんてくれないんだよ!みんなの幸せを全部ぶち壊して、台無しにしちまったのによ!あいつ等は笑ってそれを許してくれるんだよ!」
速人が触れる前にセオドアは両手を放して、ぞのまま泣き崩れてしまった。
(果たして俺は出会うべくして、この二人に出会ったのか。大人ってつくづく面倒だな)
速人は沈み行く夕暮れを見ながらそんな事を考えていた。




