第八十七話 撤退もとい転進
次回は7月25日に投稿します。
速人はヌンチャクはナナフシの右目を狙ってヌンチャクを振り回す。
ナナフシは右手で別の印を結び、左右に切った後に額のあたりで止める。
精神を集中させて経絡に気を流し込む、新しい術を起動させているのだ。
一般的にナインスリーブスの人間は魔術を起動する時に呪文の詠唱や特別な刺青に魔力を通すことが常である。
ナナフシの手の動きだけで術を行使するスタイルは極めて異質であった。
その間にも速人は身体を回転させることによって勢いを作り、ナナフシの急所に向かって次々とヌンチャクの連撃を繰り出していった。
ギ!ギ!ギ!ギ!ギ!ギ!ギンッッ!!
ナナフシの肉体に速人のヌンチャクの連続攻撃が当った瞬間、金属に当たったような音がした。
皮膚を瞬時にして鋼鉄に変える術である。
速人は獲物の破損を免れる為に一度距離を取るが、すかさずナナフシは体当たりを仕掛けてきた。
(フェイントか!?)
ナナフシの身体は速人に当たる直前で停止する。
そして裂帛の気勢と共に右の掌底を放った。
どんっ!!
速人の左肩をナナフシの掌が入った。
速人は技に合わせて大きく後方に飛び退いて威力を殺そうとする。
しかし…。
ミシリッ…!
その瞬間に速人は当った箇所、左肩の骨に亀裂が入ったことを確信する。
間合い、速度、威力のどれを取っても文句のつけられない一撃だった。
おかしな術を使わなかった為に機先を読めなかったのである。
「ふむ。良い教訓になった。礼を言うぞ、不破速人。今後は体術の修行にも時間をかけるとしよう」
ナナフシは右拳を握っては開き、打撃の入った感触を自身の肉体に覚えさせる。
速人は苦悶の表情を浮かべながらもナナフシの追撃を警戒して構え直していた。
即ち、ナナフシの実力とは速人の初見の通りに規格外の強さを持った難敵という意味である。
骨折と手持ちの武器の破壊を免れたことは不幸中の幸いと言えよう。
「さっさと続きを始めようぜ。俺も、俺の武器もお前をぶっちめたくて仕方ねえんだ」
そう言って速人はナナフシに向かって手招きをする。
しかし、ナナフシはその場から全く動こうとしない。
ナナフシは速人の左胸を、喉を、口の動きをじっと見つめていた。
(骨折か。童子風情が何とも勇ましいではないか。実に殺し甲斐があるというものよ)
ナナフシは口の端を歪ませながら加虐的に笑って見せる。
これはナナフシが格下の者を嬲ることに快感を覚えているのではない。
自分と対等かもしくはそれに近い実力者と遭遇したことを純粋に喜んでいるのだ。
「そう急くな、不破速人。呼気が荒くなっているぞ。どこか悪くしたか?」
音も無く棒の先がナナフシの手の甲に触れる。
機会を狙っていたのは何もナナフシだけではない。
速人もナナフシが強引に間合いを詰める瞬間を待っていたのだ。
そして、地面に滴る虹色の液体。
ナナフシのヌンチャクを受けた場所からは黒い木偶の手が露出していてそこから体液と思しき虹色の液体が垂れている。
ナナフシはもう一方の手を傷口に翳して、負傷した箇所を元通りにした。
そして太い眉をつり上げながら憎しみを込めて速人を睨んだ。
速人はさして動じる様子も無く、ヌンチャクを手繰り寄せながらバックステップで距離を置いた。
「迂闊だったな、ナナフシ。お前が間合いを詰めるということは、逆に俺の間合いに入ってくるということだ。そして、ラッキーパンチが一発入ったくらいで逆上せンな…、糞ド素人が!!」
速人は上半身に意識を巡らせて負傷の度合を調べる。
(左肩は熱と痛みが続いているが追撃されなければ十分に動かすことは出来る。決して気を緩めるな。五体満足で戦える状況など戦場とは言わない。例え腕と足が千切れても、腸が出ていても最後まで戦える。俺はそういう風に鍛えてきたはずだ!!)
速人は素早く頭を左右に振って雑念を追い払う。
そして、息を深く吸い込んだ後に勢い良く口から吐き出した。
すべての動作が終わった頃には、先のナナフシの攻撃によって受けた傷は速人の体内から消え失せていた。
そしてヌンチャクを再び、左手で振り回して次なる機を窺う。
ほぼ同時にナナフシは大地を蹴り、速人の前に飛び出した。
(軽身功か。なかなか芸達者だな)
速人は眼前に迫る手刀を左に避ける。
ナナフシは地に足をつけると同時に膝、腹、側頭部に向かって素早い足刀蹴りを放った。
速人は飛び上がり、後方に避け、最後には屈んでナナフシの猛攻をやり過ごす。
そして最後にナナフシの右膝蹴りと速人の飛び回し蹴りがぶつかり合う。
この時点で互いの攻撃の威力は互角、仕切り直しを余儀なくされた。
速人はバク転をしながらナナフシの蹴りの威力を殺して距離を取る。
ナナフシは傷ついた右ひざに手を当て、破損した衣装と共に術の力で修復した。
本来ならばナナフシの肉体は対象の距離感を惑わせる幻術によって守られているはずだが、速人の攻撃は明らかに実体を捉えている。即ちそれは。
「…。貴様が如き聴勁の類を使いこなす輩を相手に幻術はあまり効果的ではないようだな」
聴覚のみを頼りに外界の位置情報を探る格闘技の技巧、その名も聴勁。
かつてナナフシは体術を得意とする仲間から幻術の脅威となる聴勁について経験がある。
話を聞いた時は小兵の取るに足らぬ悪足掻きと思っていたが、実際に自慢の術を破られてしまった今となっては笑ってもいられない。
すぐにでも戦法を切り替える必要があった。
今の会話も時間を引き延ばす為の手段でしかない。
「そんな見え見えのお世辞を言ってる暇があったら逃げる準備でもいた方がいいんじゃないか?この場所に留まるにも、時間制限があるんだろ」
「痴れ者がッ!まずその口を閉じろッ!!」
ナナフシは手の内側に飛剣を出現させて投げつけた。
ナナフシの手を離れた飛剣は素早く回転しながら速人の喉元に襲いかかる。
速人はヌンチャクを左右に振り回して、飛剣を叩き落とした。
さらにナナフシの術によって音と形を隠された二枚の飛剣が背後から速人を狙う。
速人はその場で回転しながら飛剣をナナフシの方に打ち返した。
ナナフシは腕を金属化させて飛剣を打ち払う。
ある程度は予測し得た行動とはいえ術を連続して使ってしまった為にナナフシは速人から目を離すという愚行を犯す。
次に気がついた時、速人の姿は忽然と消えていた。
「秘術、金剛変化!!」
ナナフシは全身を金剛石に変えて速人の攻撃に備える。
さらにその間もあらゆる事象を見通す神通力を備えた”眼”の力で速人の姿を必死に捜索する。
ナナフシの”目”は万能の観測装置ではない。
通常、事象の変動をある程度予測することは出来ても完全に制御におくことは出来ないのだ。
その間にも速人は建物の影から影を飛び移り、ナナフシと緑麒麟の視界に入らないようにしている。
敵はナナフシだけではない。
ナナフシの従者たる機神鎧緑麒麟も健在なのだ。
そして、ナナフシの未来を見通す”目”は建物の屋根から飛び降りてヌンチャクを振り下ろそうとする速人の姿を見つける。
「ヌンチャク奥義!!電光石火の天!!」
速人は屋根の上から飛び降りながら両手でヌンチャクを握り、そのままナナフシの後頭部に向かって振り下ろした。
本来ならば「てぃぃぃ…やぁぁぁぁーーッ!!」と奇声をあげながら襲いかかる技だが、実戦では反撃の的になってしまうだけの技なので多少のアレンジは仕方ないと流石の速人も割り切るしか無い。
ガギィンッ!!
しかし、金剛石に匹敵する硬度を備えたナナフシの後頭部は必殺の一撃を受けても健在だった。
速人は技の反動で手を痺れさせてしまったが、反撃を警戒して別の建物の影に隠れる。
ナナフシはしばらく殴られた場所を両手で押さえながら屈みこむ。
いくら硬度を上げたところで痛いものは痛いのだ。
「緑麒麟よ!!我の姿を隠せ!!」
緑麒麟は仮面の下の目を一度だけ輝かせると、すぐに主人の目の前に現れる。
そして両腕を広げて周囲の目に触れぬように主人の姿を隠してしまった。
「くおおおおおおおッ!!!」
緑麒麟の足元ではナナフシが赤茶色の髪が生えた頭を両手で押さえながら怨嗟の声を上げている。
これでは例の”目”は使えまいと判断した速人は、キリーの店とは別の店の敷地に建てられた物置小屋の背後に隠れている雪近とディーと合流する。
実はナナフシが先ほど一人で演説を始めた時に、敵の注意が速人に集まるまで動くなと雪近とディーには伝えておいたのだ。
「うわっ!すごい大きな声で泣いてるよ、あの偉そうなおじさん…」
ディーは走りながら後ろを振り返る。
緑麒麟のすぐ下から「グオオオオオッッ!!許さんッ!!許さんぞぉぉぉぉxッ!!」という唸り声が聞こえてきた。
「結構な力で殴ったからな。普通の人間だったら頭蓋骨を割れてたはずだぞ。雪近、これ預かっといてくれ」
一行の先頭を走っていた雪近は後ろで束ねた髪を揺らしながら振り返る。
速人は一方が折れ曲がってしまったヌンチャクを雪近に向かって投げた。
「あいよ」
バシリ。
雪近は飛んできたヌンチャクを見事につかみ取る。
そして素早くバックの中に入れた。
「落とすなよ。後、お前らは少し遠回りしてエリオットさんのところに行って来い。俺が時間稼ぎをするからここいらの人間全員を町の中に逃がしてくれって言っておいてくれ」
速人はそう言いながら着物の背中に手を突っ込んでいる。
二人の話を聞いていたディーは驚いた様子で速人を見ていた。
雪近は神妙な面持ちで速人自身は今後どうするのかについて尋ねる。
ナナフシという怪物じみた力を持った男と巨大な鎧武者”緑麒麟”の相手が速人一人に務まるとは到底思えない。
「待てよ。仮に俺とディーがエリオットの旦那のところまで逃げて、それでお前はどうするつもりなんだよ。まさか命を賭けて時間稼ぎとか言わねえよな?」
「ああ。そのまさかだよ。生憎だがあの化け物どもは俺がどうにか出来る相手じゃない。最終手段に出るまで俺が時間を稼ぐから、お前らは何とかエイリークさんのところまで戻ってここで見聞きしたことを全部伝えて来るんだ。いいな?」
雪近は突然立ち止まる。
そして後方から走っている速人の身体を羽交い絞めにしようとした。
「んなこと出来るかッ!!一緒に地の果てまで逃げようぜ!!お前一人残して逃げるなんて俺には絶対に出来ねえよッ!!
速人は引き剥がそうとするが、雪近の顔を見て止めてしまった。
雪近は目を真っ赤にして泣いている。
そして下半身には雪近と同じく泣きながら縋りつくディーの姿があった。
「あうええッ!おえおもおらじおおッ!!」
ディーはおそらく「嫌だよ!俺たちと一緒に逃げようよ!」みたいなことを言っているのだろう。
顔をぐしゃぐしゃにして泣いている二人を見ながら、速人は苦笑する。
「安心しろ。俺もこんなところで死ぬつもりはねえよ。必ず合流するから、先に行ってくれ。頼んだぜ?」
速人は悪びれもせずに走り続ける。
雪近とディーは何度も「絶対だからな」と言いながらキリーの店に向かって走って行った。
先ほどナナフシを殴ったヌンチャクは折れ曲がっていた。
少なくともナナフシの術の力は本物であり、手持ちの武器では倒すことは難しいかもしれない。
(最後の一本か…)
速人は壊れたヌンチャクを雪近に手渡すと、今度は背中に隠していた黒いヌンチャクを取り出した。
ハンスの仕事を手伝っていた時にもらった廃棄された金属板を使って作り上げたヌンチャクである。
以前も説明したような気がするが、魔獣”大喰らい”の遺骸を材料にしたヌンチャクは完成していない。
魔獣”大喰い”の身体に溜まっていた魔素の量は尋常ではなく魔獣の遺骸を加工する専用の工房でもなければ材料に加工することは難しいとダグザからも説明を受けている。
(そもそも機神鎧アレスを倒す為にお使いクエストを攻略しているのに、先に別の機神鎧に遭遇するってどういう難易度なんだよ)
速人は一人ごちながら黒いヌンチャクを振り回した。




