第八十一話 肉じゃああッ!!え?肉、だよね?
次回は7月5日に投稿します。
速人は肉屋で肉を眺めていた。
店内に置かれた肉はどれも魅力的なものばかりであったが、持ち金を叩いて買うには至らない。
ここ一つ肝心な決まり手というものに欠けているのである。
何せ明日の朝には、第十六都市一番の肉屋として誉れ高いアルフォンスが技量によりをかけて選んだ牛肉一頭分が届くのだ。
中途半端な肉しか用意できなかれば周囲(※主にエイリークとダグザ)から失笑を買うことになるだろう。
速人の持ってきた肉を見て高笑いするエイリーク。
「こいつこんな肉で俺を喜ばせるつもりなのかよ!!」
肉を食いながら嫌味ったらしく笑うダグザ。
「この程度の肉。角小人族の間では肉とは言えんな!!」
獲物を威嚇する蛇のように舌を出しながら、ゲラゲラと笑い合う二人の男たち(※速人君のイメージです)
(そろそろどちらが高次の存在かをハッキリとわからせてやるか!!)
速人はメラメラと闘志を滾らせた。
肉屋の店主らしき男が先ほどから速人を注視している。
子供が大切な売り物に悪戯をするのではないかと思って気が気でないのだろう。
速人は店主に軽く頭を下げてから、店内に置かれた台の上にある肉を見て回った。
「うわあ…。こんな大きな芋虫、初めて見たよ…。気持ち悪ぅ…」
ディーが所々に黒い斑点が入った黄色の柔らかそうな外皮に覆われている全長3メートルくらいの芋虫を指さす。
ディーの隣にいた雪近は見た途端に口を押さえながら背中を向けてしまった。
そんな雪近の様子を面白がったディーは日頃の仕返しとばかりに見た目ふっくらとした巨大な芋虫の腹を突いて、反応を見て楽しんでいる。
(買う予定が無い品物に指で触れるな。貴様はスーパーに出没する迷惑な老害か)
速人はディーの近くまで歩いて行くと、顔面に五本の指をかけて鉄の爪苦しめてやることにした。
顔からギリギリと音を立てる度にディーは声なき悲鳴をあげる。
「気持ち悪いのは貴様だ、青びょうたん。金を出して買いもしないくせに品物に触れるな。次にやったらお前の空っぽの頭を熟れたトマトみたいに潰してやるぞ」
ディーの赤く腫れ上がった顔には速人のアイアンクローの跡が残っていた。
ディーは涙と鼻水を流しながら必死に謝罪する。
黙っていれば優美な趣さえある整った柔和な顔立ちが見事なまでに台無しになっていた。
「うう…。ごめんなさい。もうしません…」
「いいか、ヘタレ野郎。これが最後通告だ!!二度とやるなよ!!今後俺の面子を潰すような真似をすれば、もう買い物に連れて行ってやらないし三時のおやつにクリームブリュレが出て来ないものと思え!!」
そう速人が冷徹に言い放った直後にディーは速人の足に縋りついてくる。
どうやらディーの中ではいつの間にか自分の命よりも買い物に連れて行ってもらえることや三時のおやつの方が大切になってしまったようである。
「ひいいっ!!それだけは勘弁してください!!」
速人はDHAが豊富に含まれていそうな巨大な目でディーを睨んでいる。
雪近もこれはまずいとばかりにディーの隣で土下座をして見せた。
肉屋の店主はこれから何が始まるのかともしくは仲裁に入った方がいいのかと困惑するばかりだ。
「今回に限って特別に許すっ!!」
というわけで今回は許されるディーと雪近だった。
二人は仲の良い童子のように手に手を取って喜ぶ。
さらにその姿を見ていた肉屋の店主は感動的な光景を目の当たりにして涙腺が緩ませていた。
「ところで君たち、スプレッドワームを見たことが無いのかい?ここいらじゃあ結構有名な食べ物なんだけどな。もしかして最近ウィナーズゲートに来たばっかりだとか?」
(スプレッドワームという名前なのか。ものは言い様というヤツだな)
芋虫のふっくらとした黄色い身体のあちこちに黒い斑点があることからスプレッドワームという名前がつけられたのだろう。
一説によれば気孔が変化してこうなってしまったらしい。
実は速人もこの斑点芋虫が苦手だった。
ナインスリーブスは全体的に昆虫食の習慣が珍しくない場所であり、かつて開拓村でエルフの代官スタンロッドたちと暮らしていた頃に何かの記念日の”ごちそう”として食べさせられたことは記憶に新しい。
速人自身もザザムシやイナゴを調理した経験はあるが、あの独特の草臭さだけは慣れることは無かった。 店主はその後、店先に並べてあるでかいトンボの幼虫が入った生簀を速人たちに見せてくれた。
「まあ、そんな感じです。ところで店主さん、この店で扱っている獣の肉はどんなものがあるんですか?」
速人は店の内部に置かれた大台や棚、天井から吊るされた商品を見る。
内容的に獣の肉よりも圧倒的に爬虫類と昆虫類のほうが多かった。
稀にタコのような姿をした軟体動物と思われる生き物もいたが調理経験がないので手を出し難い。
それ以前に食わず嫌い魔王のエイリークが喜んで食べるとは思えない。
店の商品の中で唯一、喜ばれそうなものがあるとすればやたらと嘴の大きなカラスのような姿をした野鳥くらいなものだろう。
「悪いね、坊や。今朝までは竜鳥(※嘴のついた大きな猿のこと。鳴き声が竜に似ているらしい))の肉とか炎の角(※野牛の一種。常に炎の魔力を纏っている)の肉があったんだけど、ご覧の通りデボラ商会の連中が暴れて汚れるわ焼かれるわで売り物にならなくなってしまったんだよ。面目ない」
そう言って店主は頭を下げた後に、店の奥に置いてある木箱を指さす。
箱の中には刃物で乱暴に切り付けられた肉、土や泥をかぶって洗っても落ちそうにないほど汚れてしまった肉が入っていた。
速人はそれらの肉たちの憐れな姿を見て、今後デボラ商会に縁のある人間は見つけた時には苦しめてから殺すことを決意する。
速人が放つ禍々しい殺気に勘付いたディーと雪近はただ震えながら見守るしかなかった。
「何だ何だ、速人よぉ。お前さん、ウィナーズゲートにはお使いで来ていたのかよ?肉のことならちょいと五月蠅い俺っちが選んでやろうか?だはははッ!」
大男はガハハと豪快に笑いながら速人の背後から抱きついてきた。
そして、男はそのまま寄りかかってくる。
「おい、馬鹿親父。よその店の中で何をじゃれている。速人が迷惑しているだろうに」
男は隊商”鋼の猟犬”を率いる犬妖精族の戦士ポルカだった。
後から現れた利発そうな容姿を持つ少女の名前はシス、ポルカの娘である。
シスは速人に寄りかかったままのポルカを強引に引き剥がした。
「そりゃどうも。この中でポルカさんのオススメのお肉ってのは何かあるのかい?」
ポルカは真っ先に水の入った大きな桶を指さす。
先ほど店主が勧めてきた生簀であり、水の中には活きの良さそうなトンボの幼虫が十匹ほど入っている。 ポルカは心底嬉しそうな顔をしていたが、シスは水槽の中を覗いた後すぐに目を逸らしてしまった。
どうやらシスという少女は父親とは違って都市の中で生まれ育ったらしい。
「俺は断然お化けエビ(※巨大なトンボの幼虫のこと)だなあ。ガキの頃は雨あがりにコイツを川まで獲りに行ったもんよ。んで焚き火で炙って食ったもんさ」
(エビの丸焼きか。ビジュアルは悪くはないが、インパクトと量が少ないな。グラタンにでもしようかな)
速人は皿の上に乗った焼いた巨大トンボの幼虫の姿を想像する。
外見は甲殻を外したり、後から香草、香辛料、タレなどでいくらでも変えることが可能である。
パーティー当日のメインディッシュの候補に入れても問題はないだろう。
「ポルカさん、参考になったよ。ありがとう」
速人は素直に頭を下げた。
エイリークたちの身内だけを招待するパーティーに出す料理なので、ある程度の高級感も必要だが地元の人間が慣れ親しんだ郷土料理のような温かみも必要となってくる。
その点で地元の人間であるポルカの意見は貴重なものだった。
「おお?そうか!そうか!まあ、これでも大人だからな。困ったことがあれば何でも聞いてくれ。がっはっはっは!」
速人の礼儀正しい態度に気を良くしたポルカは豪快に笑った。
デボラ商会の横暴に真っ向から立ち向かう気風の良さからしても正義感の強い真っ直ぐな性格なのだろう。
その後、速人はポルカ父娘と一緒に店の中にある肉を見て回った。
だがしかし、シスと雪近とディーはいつになってもトンボの幼虫が息を潜めている水槽だけは避けて通っていた。
速人はポルカと店の中を歩きながら品定めをして、ついにトンボの幼虫を十匹とギザギザの背びれのついた大きなトカゲを数匹を買うことにした。
シスとディーと雪近は茶色いトンボの幼虫が入った持ち帰り用の水槽とやたらとパステルというかカラフルな外皮を持つ食用トカゲの入った買い物カゴを見て絶望的な気分になっていた。
一方、ポルカは大変上機嫌そうに水槽の中身を見ている。
「キチカ、俺もう駄目だよ。さっき背びれトカゲと目が合っちゃった。絶対に食べられないって」
ディーは速人の持っている買い物カゴを指さしながら言った。
たしかに言われてみればトカゲが何かを訴えるような目で雪近たちを見ているような気もする。
「こんなもん食えないったら食えないんだよ!」
全力で殴りかかるエイリーク。
「大人が好き嫌いとか言ってるんじゃねえ!」
それを迎え撃つ速人のフルスイングアッパー。
ぶしゅううう!!
大出血。
ダブルノックダウン。
以上回想シーン、終わり。
しかし、それ以上に雪近には食べず嫌いの人間に対する速人の仕打ちの方が恐かった。
「俺だってトカゲなんて食いたかねえよ。ていうかな、さっきから速人がおっかねえ顔で睨んでるからそろそろ向こうに行こうぜ?」
雪近の人差し指の先には金目鯛のような目つきをした速人の姿があった。
くいっ。
速人は「そろそろ帰るぞ」という仕草をする。ディーと雪近はさめざめと泣きながら速人の近くまで戻った。
時を同じくして両替と雑貨の買い物を済ませたエリオットたちが戻って来る。
全員、リュックやカバンを満杯にしながら満ち足りた表情での帰還である。
当初はカッツとエリオットだけで行くことになっていたのだが、セオドアを同行させたのは成功だったようだ。
戻って来たセオドアと速人は意味深なハイタッチを交わす。
(危なかった…。お前の言う通りだったぜ、速人。俺が一緒に行かなければ石鹸しか買えてなかったぜ、あの二人)
(これで貸し一個だな、セオドアさん)
安心した二人は同時に深呼吸をする。
カッツとエリオットは肉屋の主人の許可を取ってから店内でリュックやカバンの中身を確認していた。
中身のほとんどは生活必需品と現金だが、今のサンライズヒルには無くてはならないものばかりである。 作業が大体終わった後にエリオットが店主に店の中を使わせてもらったことで礼を言うことにした。
エリオットは微笑みながらゆっくりと右手を差し出す。
「店の軒先をお借りさせていただいたお陰で助かりました。どうもありがとうございます。えっ!?…キリーさん!?」
店主の顔を見た瞬間、エリオットは驚愕のあまり動けなくなってしまった。
エリオットの記憶が正しければ彼は都市の中で生活しているはずの人間なのだ。
「そういうキミたちは…エリオット君とセオドア君かい?」
「ああ…。その…、ご無沙汰しています…」
セオドアはキリーの左足にそっと目を移す。
セオドアの記憶に残るキリーの姿と同じく膝と足首に包帯を巻いている。
キリーはセオドアの視線に気がつき、過去に負傷した部分を隠すかのように背を向けてしまった。
「いやはや面目ない。歩けるようにはなったんだけどね。こいつを誰かに見られる度に俺の身代わりになって死んだケニーのことを思い出しちまうんだ。ははは…」
キリーは力なく笑っていた。
それきりセオドアとエリオットは何も言わなくなってしまう。
速人は場の空気を読んで「何があったの?ねえねえっ!」という感じで聞きに行きそうなポルカとカッツを連れて入り口まで移動した。
誰もいなくなった店内で三人の男たちはポツリポツリと会話を始める。
速人はエリオットたちの話が終わるまで店の外で待っていることを決めた。
ポルカとシスには一応「セオドアとエリオットには言っておくから帰っても構わない」と説明したが二人は心配して残ってくれると言ってくれた。
速人は二人に礼を言うと第十六都市に戻る為の準備を進める。
しばらくすると店の裏から少し前に別れたばかりのトマソンが誰かと言い争っている声が聞こえてくる。
(最後の最後でまたトラブルか…)
速人は頭をボリボリとかきながら現場まで歩いて行った。




