第七十話 老騎士トマソンの誇り
次回は六月二日に投稿する予定です。遅れてすいません。
ウィナーズゲートの町とは百年ほど前の昔に第十六都市を含める自治都市連合が大きな戦争で帝国と同盟から自由と権利を勝ち取った時、戦勝報告の書簡を携えた伝令が通った門があった場所である。
所謂凱旋門というわけだが、門自体は度重なる小競り合いで焼失してしまったらしい。
さらに門の跡地ではないかと思われている場所は自治都市の領内に多数存在しているのでここが本当の凱旋門があった場所とは断言できない。
速人は町の入り口を観察しながらベック、ダグザ、アルフォンスから教わった都市の歴史についての知識を思い出している。
むしろこれほどの戦火の跡を見れば、この地で起こったであろう出来事について考えるなという方が無茶な要求というものだろう。
半壊した円筒型の建物の跡には地面そのものが焼けた焦げた形跡が見られる。速人は背後にいる十数年前の戦争に直接関わったセオドアやエリオットが傷ついていないものかと心配して振り返る。
速人の背後には難民たちの列が出来上がっていた。
それを見た速人の表情が引きつる。そして案の定クズのくせに他人の世話をしたがるゴミムシ共が難民たちが遅れて取り残されないように声をかけたりしていた。
速人はもう何もかもが嫌になり歩調を早める。
道の端には支柱に布をかけただけの粗末なテントが並んでいた。
テントの隙間からはやせ細った足だけが見えていた。
テントの外にある樽の中身の水もほとんど入っていない。
ナインスリーブスは人々が暮らす世界であり、おとぎ話の世界ではないという何よりの証拠だった。
実際都市の外では壮年の男やその家族のようにどこか別の町で土地を間借りさせてもらいながら生活する者も少なくはない。
直に水と食料が足りない為に死んでいくものも多くなるだろう。
力を渇望し強さを求める者だけが生き残り、そうでない者は死ぬのがこの世の定めである。
速人はこれこそが生きる由縁だと考えている。
「あのな速人。歩くの少し遅くしてくれないかってセオドアの旦那が言ってるんだけどよ」
不意に背後から雪近に呼び止められ、速人はため息をつく。
(俺は今無性に、俺はお前らのお母さんではないと言いたい)
速人は勢いで歯が欠けてしまいそうなほど、歯と歯を噛んだ。
「わかった。了解だ。けどな、雪近。後ろからついて来ている連中にも防衛軍の詰め所が近くなるから別行動する準備をしておけって言って来い」
防衛軍にとってセオドアとエリオットとカッツはサンライズヒルの住人である為に捕縛の対象にはなり得ないが、難民たちはそうではない。
通常ならば都市の外で滞在許可証が発行されるまで待機しなければならないのに、今は不法滞在をしているのである。
難民たちの側にも幾らかの言い分はあるだろうが生活費を稼ぐ為に逮捕されては本末転倒というものだろう。
速人は難民たちの反対を予想していたが、デボラ商会の人間に難癖をつけられた経緯もあってか意外にも素直に従ってくれた。
難民たちを代表して壮年の男がわざわざ速人のところまで礼を言いにやって来る。
「ありがとう、速人君。皆を代表して礼を言わせてもらうよ。私はここから少し南の土地から来たトマソンというものだ。親しい者からはトマと呼ばれている。君さえ良ければトマと呼んでくれ」
壮年の男トマは柔和な笑顔を浮かべながら、速人に向かって右手を差し出してきた。
速人は自分の祖父くらいの年齢の男にいつまでも頭を下げさせておくことは出来なかったので頭を下げつつ握手に応じる。
トマは見た目通りの礼節に通じた人物らしく、速人の手をしっかりと握り返してきた。
トマの右手は子供相手なので力加減をしているが、かなり鍛えられた武人の手だった。
速人はついでとばかりにトマに先ほどの悪漢たちとのやり取りについて尋ねることにした。
「こちらこそ。トマさんたちが無事で何よりだよ。ところでトマさん。さっきの連中くらいの相手なら貴男一人で十分に倒せたはずだけど。どうして故意に殴られていたんだ?」
速人はトマの様子を注意深く見守った。
この場で本気を出したトマを相手に出来るのは速人とエリオットとセオドアくらいのものである。
事実トマが悪漢たちに絡まれている時も、トマが対処するばかりと思っていた。
外見は年相応の初老の男にしか見えないが、細かく観察すると武芸に通じた人間であることは紛れもない。
速人が握手に応じたのもトマの指に出来た”たこ”を確認する為でもあった。
そしてトマの指と手首、シャツの袖を捲った部分からは剣ないし弓、槍の訓練を受けた者が持つ独特の証が見て取れた。
トマは速人の言葉を聞いて気恥ずかしそうな顔になっていた。
「ははっ。速人君、私を高く評価してくれるのは嬉しいが生憎今の私は引退の身さ。もう十年以上も剣を握ってはいない。さっきのアレだって見栄を張っただけさ」
トマは決して己の過去を振り返るまいといった様子の悲哀を含んだ笑顔で答えた。
だが速人はそれを許さなかった。
比率的に顔の四分一は占めていそうな大きな瞳でトマソンという男の真実に迫ろうとする。
「なあ、トマさん。もしもアンタが答えないなら、俺が後ろにいる連中を皆殺しにするといったらどうする?」
速人はさも興味が無さそうに後ろの集団を見ていた。
デボラ商会に雇われた男たちの様子も、仲間同士で今後の身の振り方などを相談する程度は落ち着いてきている。
しかし速人の視線は鋭くそして冷たく、彼等の命の価値そのものを見限っていた。
トマソンは小さく息を吸い込み、すぐに息を吐く。
それは、ここで速人の不興を買って殺されることになったとしても後悔はしないという自己暗示めいたものである。
「私は騎士だからね。民草を守るのが騎士の使命さ。例え故郷を追われ、家名を捨てることになってもそれだけは変わらない。この辺で許してはくれないかな」
次の瞬間、トマソンは喉元に直接ナイフを当てられたような気がした。
速人の視線は中途半端な悪漢たちではなくトマソンに向けられている。
「まあ、いいや。俺だってそこまで連中に興味があるわけじゃないし。せいぜい死ぬまで騎士ごっこでもしてるいいよ」
速人はトマソンに手を振って、自分の荷物のところに戻るように促す。
強さのみを求める速人のヌンチャク道と騎士道、決して交わることの無い道だ。
トマソンは速人に向かって頭を下げた後に小走りで荷物のところにまで戻って行った。
トマソンが自分の荷車に戻ると野牛の姿をした使い魔の頭を撫でていたディーと目が合う。
「おじさん。どうだった?速人、まだ怒っていたかな」
ディーはいつもの眠そうな顔に屈託のない笑みを浮かべながら速人の様子について尋ねてきた。
トマソンとは互いの素性を明かすような間柄ではないが、それなりに仲が良くなっている。
トマソンは大げさに頭を掻きながら苦笑する。
少し前までは習慣から後ろの髪を伸ばしていたのだが、仕事の邪魔なので切って短く刈ってしまったのだ。
「いやあ、それがな。何とか打ち解けようと努力してみたんだが、この通り逆に怒らせてしまったかもしれないな。ははっ…、面目ない」
ディーは口から大きな息を吐いた。
ディーもまだ出会ったばかりに過ぎないわけだが年長者のトマソンならばあの魔神のような速人の機嫌を治してくれるのではないかと期待していたのだ。
実際ディーは速人の怒りの出処がわかっていない。
ディーは巨大な野牛の姿をした使いの角のつけ根あたりを軽く撫でる。
エイリークとそれほど背丈が変わらない(180センチ以上)ディーでも背伸びしなければ触ることができない位置にあった。
ディーが触った理由は故郷で世話をしていた家畜が触ると喜んでくれる場所だったからだ。
使い魔の方も嫌がる様子は見せていない。
目を細めて喜ぶような素振りさえ見せている。
元は土をこねて作った野牛の姿をした使い魔だが人によく懐く習性も本来の生物と同じようなところがあるのだろうか。
「こっちこそわざわざ様子を見に行ってもらってごめんね。速人は相変わらず何を考えているか、わからないところがあるからなあ。ところでおじさん、これは使い魔っていうヤツなのかな。生きたウシじゃないよね。俺田舎生まれの田舎育ちでこういうのあんまり見たことが無いんだよ」
ディーは速人と一緒にダグザの実家が所有する工房へとお使いに出かけた時に見かけた巨大な甲虫の姿をした使い魔を思い浮かべながらトマソンに尋ねた。
トマソンは何かを思い出した直後、急に笑い出してしまった。
「ぷっ、くくっ…。いや失礼。これは大昔に私のご先祖様が食客から譲り受けた代物でね。よくよく考えてみると私にとって親から引き継いだ財産といえばこれぐらいしかないな、と考えてしまってね。先ほど速人君にあんな偉そうなことを言っておいてそれで笑ってしまったんだ」
そう言いながらもトマソンの笑いは止まらない。
(無一文同然の男が子供相手に何を言っているんだ。こんな体たらくで騎士の誇りなどと本末転倒もいいところだ)
トマソンは普段から苦労をかけている家族の顔を思い出しながら笑う。
よく出来た息子。
貧乏騎士の息子に嫁いできてくれた息子の嫁。
昔ほど大きな声は出なくなってしまったがまだまだ元気そうなトマソンの母親。
しっかり者の孫娘と息子の幼い頃によく似た気弱な孫。
そして、どんな時でもトマソンのことを信じてついて来てくれた妻。
美しい妻の笑顔を思い出した途端にトマソンの笑顔が暗いものに変わる。
「あれ?おじさん、どうしたの。急に暗い顔になっちゃってさ。もしかしてお腹、痛くなっちゃったの?」
ディーは突然何も言わなくなってしまったトマソンの身を案じて尋ねた。
普段から滅多に口には出さないがディーの故郷にはトマソンと同じくらいの祖父がいる。
ディーはトマソンと会った時から自分の祖父と同じくらいの男のことを気にかけていたのだ。
「いや。大丈夫だ。気にしないでくれ。最近年のせいか疲れが取れなくてね」
ごそごそごそ。
その時、トマソンの荷車にかかった白い布が蠢いた。
使い込まれた年代物の黄ばんだ布を内側から捲り上げ、少女と少年が現れた。
こげ茶の髪をした少女と少年の顔立ちはどことなくトマソンに似ている。
おそらくはトマソンの孫だろう。
少年の方はすぐに荷台を降りてトマソンの足元まで駆け寄る。
少女の方は呆然としているディーの姿を見つけるとすぐに荷台に布をかけ直した。
ディーは荷台が布で覆われる直前に大きな羊の姿を見た。
「おじいちゃん、大丈夫?お腹痛いの?」
トマソンは五歳くらいの少年の姿を見て驚いていた。
少年はトマソンのズボンの裾をぎゅっと掴んだまま動こうとしない。
祖父が何かの病気に罹ってしまったのではないかと思い黒い瞳に涙を浮かべている。
「ジョッシュ…。お前の方こそ、どうしてここにいるんだ?集落から出ては行けないとあれほどいっただろうに」
いつまでもトマソンの側から離れようとしないジョッシュの姿を見かねて、荷台の奥に引っ込んでしまった少女が現れる。
ジョッシュと同じく髪の色はこげ茶だったが、毛先が丸まったくせ毛ではなく流れるようなストレートヘアだった。
眉毛も女性にしては太く、エイリークの娘レミーとは違った意味で意志の強そうな顔立ちをしている。
正直言ってディーの苦手なタイプの女性だった。
「ジョッシュ!だから言ったでしょう?勝手にお家から出て行ったらお祖父ちゃんに怒られるって」
少女は力任せにジョッシュをトマソンから引き離した。
ディーは、その時エイリークの家でアインに拳骨を落としておやつを取り上げていたレミーの姿を思い出す。
次の瞬間、少女はジョッシュの頭にガツンと一発、拳骨を落としていた。
「待ちなさい、クリス。私はジョッシュを怒るつもりはないぞ」
その後、トマソンは少女にジョッシュに対してきつく当たらないように説き伏せていた。
クリスはトマソンの説教を聞き終わった後にしっかりとジョッシュに説教をしてから再び、荷台に戻って行った。
尚クリスは荷台の奥に引っ込む前にディーに向かって、おそらくは荷物のことは決して口外するなという意味を込めて睨みつけていった。
トマソンは苦笑いしながらディーと周囲の人々に頭を下げている。
ディーは他の人々同様にトマソンに軽く挨拶をしてから速人のいる場所まで走って行った。




