汚れた世界で輝くものは④
アーチボルドと家族として一緒にいられる、という確証を得てからのカイリーは、ずっと強くなった。
これまでは、男のように頼もしくないと、もしくは女らしくしないと、アーチボルドが離れてしまうと思っていた。そのため自分らしくもないことをしたり、リザに八つ当たりしたりしていた。
だが、アーチボルドの気持ちが分かってからは、どんと構えていられるようになった。
アーチボルドに特別扱いされるリザに嫉妬した瞬間は、結婚しか打開策がないと思っていた。
だが冷静になると、ファウルズの町で出会う夫婦を見て、自分がアーチボルドとああいう感じになるのはなんだか違う、と思えてきた。
むしろ自分が憧れていたのは、父親に抱っこされたり肩車されたりする子どもたちの方だったのだと気づいた。
そうなるとリザへの嫉妬心も一気に鎮火したし、これまで彼女のことをうがった見方をしていたのだと自覚できた。
リザが口うるさいのは、カイリーがまっとうな人間として生きていくために必要な知識や教養、常識を与えるためだからだと気づくことができた。
そして……人生で一度も腐った食べ物を口にしたことがなさそうなあの唇で頬にキスされるのは嬉しくて、汚泥に触れたことのなさそうなあの手のひらで頭を撫でられるのは気持ちよくて、罵声なんて縁のなさそうな声で名前を呼ばれるのは幸せなことなのだと、思えるようになった。
春になったらアーチボルドとロスの三人で新しい家に引っ越すめどが立ったと聞いたときには嬉しかったが、リザと離れるのは寂しいと思うようになった。
カイリーがあからさまに落ち込んだからか、アーチボルドは慌てて「リザなら、いつでも遊びに来てもらえばいい」と言ったし、リザも「距離はできたとしても、会いに行くわ」と言ってくれたので、心からほっとできた。
引っ越しの準備と弟分のロスへのプレゼントの用意のために、カイリーはリザと二人で隣町に行った。
朝仕度をしているとき、リザに「お出かけだから、好きな服を着ればいいわ」と言われたカイリーは迷うことなく、「女の子っぽいおしゃれな格好をしたい」と言った。
リザは少し驚いた顔をしたが、すぐにボタン付きワンピースを出してくれた。ふりふりしすぎずかつ地味すぎないワンピースを見せられたときは、「まあまあだね」なんて生意気なことを言ってしまったが、袖を通しながら心が浮き立つのを抑えられなかった。
それにリザに「せっかくだから、髪もかわいくする?」と聞かれて銀色の髪をおしゃれにまとめてもらうといっそう、胸がときめいた。
初めて訪れる町に興奮するカイリーを、リザは優しい眼差しで見守ってくれた。
あれは何、これはどういうものなの、と矢継ぎ早に問うカイリーに対してうんざりすることなくリザは、あれは雨の日に使うもの、これは……ちょっと分からないから、後で調べるわ、と丁寧に教えてくれた。
分からないから教えない、ではなくてあくまでも真摯に向き合ってくれるリザのことがわりと好きだと、カイリーは思った。
ロスへの贈り物は、カイリーとおそろいのペンということに決めた。
そこでカイリーはリザに連れられて画材屋に行ったものの、色とりどりの品に圧倒されてしまったため最終的には店員の助言を求め、子どもでも持ちやすい小さめのペン二本を買うことにした。ラッピングしてもらったのはもちろん、ロス用の方だ。
四十代くらいと思われる女性店員から品物を受け取ると、リザが穏やかな声で「ありがとうございました」と言い、カイリーの方を見てきた。
「……カイリー、お礼は?」
リザに促されて、ペンに見入っていたカイリーははっとした。そしてにこにこ笑顔の店員を見て、どきどきしつつ礼を言った。
……自分は肝が太い方だと思っていたのに案外人見知りをする方なのだと、最近気づいた。
カイリーのお礼を聞いた店員は、笑顔になった。
「それはよろしゅうございました。お姉様にも気に入っていただけたなら、わたくしも嬉しいです」
……一瞬、彼女の言う「お姉様」が誰のことか、分からなかった。
意味に気づいたのは、隣に立つリザが少し身じろぎし、何か言おうと口を開きかけたのを見たときだった。
「この人、あたしのお姉ちゃんじゃないよ」
すぐさまそう言うと、店員は「あら」と驚いた顔をしてリザを見た。
「ではお若いですが、お母様でしたか?」
「ママでもないし」
……そう、リザはカイリーの「お母様」ではない。
次いでリザが説明したように、リザはカイリーたちを預かっているだけなのだ。
カイリーは一足先に店の外に向かいながら、考えていた。
「ママ」とは、どういう人なのだろう、と。
カイリーとロスには、アーチボルドという「パパ」がいる。
彼の実の子どもではないが、カイリーもロスもアーチボルドのことを父親同然の存在だと思っている。カイリーたちのために働いて金を稼ぎ、休みの日には遊んでくれるアーチボルドが「パパ」であることに、異論を唱える者はいないだろう。
では、二人にとっての「ママ」は何者なのか。
カイリーがファウルズの町で見ていた母親は、子どもと手を繋いで歩いたり叱ったりしていた。
きっと家に帰ると多くの家庭の場合、母親が料理をしたり掃除をしたり子どもの面倒を見たりするのだろう。
そして……多くの母親たちは、夫である父親と仲睦まじい様子だった。
この前ロスと一緒に街を歩いていたら、物陰に隠れてキスをしている若い夫婦を見たことがある。そのときはとっさにロスの目を手で覆ったものの、自分はまじまじと見てしまった。
子どもを守り育て、夫と深い愛情で繋がっている者が、母親だとしたら。
カイリーやロスにとって「ママ」になり得る――なる資格のある者とは、つまり。
「ごめん、リザ。忘れ物したから、ここで待ってて」
店を出てすぐにカイリーはそう言い、リザをその場に残して店内に戻った。
リザの訝しげな視線を背中に感じつつ、カイリーは女性店員のいるカウンターに向かう。
……胸が、どきどきする。
別に、これからものすごく重要なことを言うわけでも、一生に一度の大舞台に挑むわけでもないのに口の中がからからで、心臓の音が店員にも聞こえるのではないかというほど激しく脈打っている。
店員に「どうかなさいましたか?」と聞かれたカイリーは、うなずいた。
「……あの、さ。さっきの言葉、ちょっと訂正っていうか、付け加える」
「はい……?」
「あの人は、ママじゃない。ママじゃなくて……」
カイリー、とリザが自分の名を呼ぶ声が、優しく耳の奥に蘇る。
もっと、名前を呼んでほしい。もっと、抱きしめてほしい。
そして……アーチボルドと一緒に、カイリーのことを見守ってほしい。
これからも、ずっと。
カイリーは二本のペンが入ったポシェットのベルト部分をぎゅっと握りしめ、強気な微笑を浮かべて言った。
「……いつかママになってくれてもいいかな、と思っている人だよ」と。
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