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35 これからも②

「暖かくなったらアーティたちは引っ越すのですから、四人暮らしができるのもあとちょっとですね」

「……その件なのだが」


 そこでアーチボルドは咳払いをすると、少しばつが悪そうに青色の目を伏せた。


「家の修理や壁紙の張り替えなどが終わったら引っ越すと言ったが……予定が狂った」

「えっ」

「……俺たちが三人で暮らす予定だった貸家は、おまえがあの男に連れ込まれた空き家だったんだ」


 リザは最初、アーチボルドの言葉がうまく理解できなかった。


 リザがあの男――ハリソンに連れ込まれた空き家とは、彼がリザに結婚誓約書を書かせようと脅してきた、あの広葉樹林の中にたたずむ一軒家だ。


「……ええっ!? あれだったのですか!?」

「ああ。何度か掃除などのために足を運んでいたから、俺は誰よりも早く林を抜けておまえのもとに行けた。あの男が侵入できたのも、換気のためにドアの鍵を開けていたからなんだ」


 アーチボルドの話に、そういえば、と幾分冷静になったリザは思い出す。


(空き家にしては埃っぽくなかったし、壁や床も比較的きれいだったわ。あれは、いずれ引っ越すときのためにアーティが掃除をしていたからだったのね!)


「でも、あの家は――」

「……知ってのとおり、俺がドアを派手に壊した。床にも穴が空いていたし、とてもではないが住める状態ではなくなった。もちろん修理費は払ったのだが、あの空き家の持ち主には『おまえに貸したら、またドアを壊されそうだ!』と、怒鳴られた」

「……」

「そういうことで、俺たちの引っ越し計画は白紙に戻った。もちろん、次の家も急いで探す予定だが……申し訳ないが、それまでの間もう少し、この教会の厄介になれたらと思っている」


 リザが目を見開くと、意味を間違えて捉えた様子のアーチボルドは慌てたように手を振った。


「世話になってもらうのは、カイリーとロスだけだ。俺はギルドにある狭い貸部屋を使えばいいし……」

「でもそうすると、カイリーもロスも寂しがるでしょう?」


 その言葉にアーチボルドが黙したので、リザは小さく微笑んで胸に手を当てた。


「カイリーとロスだけと言わず、あなたも一緒にここにいてください。あなたには、ここにいる権利と……義務があります」

「だが……」

「それに、私だってあなたにいてほしいのです。……あ、あの、もちろん変な意味ではなくて、信頼できる男の人がいると生活面でも防犯面でも安心できるということなので……」

「……ふっ、分かっているとも」


 アーチボルドも頬を緩めると、うなずいた。


「そういうことなら、俺ももうしばらくここにいよう。またあの馬鹿男のような者が現れては、たまらない。さすがに仕事中は無理だが……俺が側にいる間は、おまえの身の安全は俺が守る」


 ……その言葉にはきっと先ほどのリザと同様に、「変な意味」はないのだろう。


 同じ場所で生活を共にする者として、助け合う。

 それはリザが女だからとかアーチボルドが男だからとかということは関係なく、当然のことなのだから。


(きっと彼がこういう人だから、私はカイリーやロスだけでなく、アーティとも一緒にいたいと思えるのね)


 もっと一緒にいられて嬉しい、という言葉は呑み込み、リザは「ありがとうございます」と微笑み、冬の風を受けてなびく自分の髪をそっと手で押さえた。

 ……ほんの少しだけ心臓の拍動が早いが、きっとこれにも深い意味はないはず。


 アーチボルドはそんなリザを穏やかな眼差しで見ていたが、「そういえば」と少し固い声音で切り出した。


「額の傷は、もう痛くないのか」

「……ああ、これですか」


 リザの抵抗に怒ったハリソンによって、テーブルに額をぶつけられた。

 あの直後はアーチボルドも心配になるほど額が真っ赤になっていたようだが、幸い大量出血するとか内出血で額が真っ青になるということはなかった。少し腫れたので氷のうで冷やしたところ、翌日には赤みも引いていた。


 リザは前髪を手で掻き上げて、アーチボルドに額が見えるように彼との距離を詰めて背伸びをした。


「出血もなかったので、大丈夫です。ほら、もう赤くないですよね?」

「えっ? ……ああ、そうだな」

「……ちゃんと見てくれましたか?」

「見ている。見ているから、髪を下ろしてくれ」


 なぜか思いっきり目をそらしながら言われたので適当にあしらわれていると思ってしまったが、アーチボルドは念を押すように言った。

 それならば、とリザが前髪を戻して手ぐしで整えていると、アーチボルドは小さく咳払いをした。


「リザ、おまえは無自覚なのかもしれないが、いくら同じ屋根の下で暮らす者同士とはいえ、適切な距離感というものは必要なのではないか」

「でもあなたは身長が高いので、こうでもしないとちゃんと見てくれないでしょう?」

「それはそうだが……」

「パパ、リザ!」


 アーチボルドの迷うような言葉に被せるように、元気いっぱいな少女の声がどこからともなく聞こえてきた。


 カイリーにしては上の方から聞こえると思って辺りをきょろきょろ見ていると、庭に出たアーチボルドが「あそこだ」と上の方を指さす。

 彼の隣に並べば、教会二階にある子ども部屋のベランダから顔を出すカイリーとロスの姿が見えた。


「見てこれ! リザの髪飾り、ちゃんと直ったんだよ!」

「ぼくもてつだったの!」


 そう言うカイリーの手には金色の髪飾りがあり、ロスも誇らしげに胸を張っている。


 リザは、アーチボルドを見た。彼もほぼ同時にリザの方を見ていたようで、青色と茶色の視線を重ねた二人は、ふふっと笑った。


「……かわいい天使たちがお呼びのようですね」

「そうだな。……あの髪飾りがおまえの髪に似合うかどうか、早く確かめたいと思っていた。見に行くか」

「ええ、喜んで」


 リザは笑顔でうなずき、ベランダにいる子どもたちに「今から行くわ!」と声を掛けてから、ふと振り返った。


 白く染まった丘の先に広がる、ファウルズの町。

 四年間見慣れた光景のはずなのに、今はその街並みが今までにないほど美しく、尊いものとしてリザの目に映っていた。

本編は以上で、このあと番外編4話が続きます

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