19 リザの過去
リザは、生まれ故郷ゲルド王国にある女子専用の名門神学校を卒業し、十八歳のときにファウルズの町にやってきた。
当時この教会には高齢の女性神官がおり、彼女のもとで一年間の見習い生活を送った。後に引退した女性神官を見送り、一人で教会の経営するようになった。
ファウルズの町の人々は若くして異国からやってきたリザに対してとても優しく、何かと気を遣ってくれた。
リザも彼らの思いに報いようと奉仕活動に励み、町での行事などにも積極的に参加してきた。
そうして十九歳の春に町で行われた花祭りで、一人の青年に告白された。
彼の名はハリスンといい、貴族を遠縁に持つ金持ちの息子だった。
宗教によっては神官の結婚が不可能なものもあるが、正教会では特に禁じられてはいない。特に女性神官の場合、結婚を機に退職する者が多いくらいだ。
女子ばかりの神学校で過ごしてきたリザにとって、色恋沙汰を経験するのも初めてだった。
それゆえに突然の告白に驚き戸惑ったがハリスンに熱心に言い寄られ、まずはお友だちからならば、ということで告白を受け入れたのだった。
彼と交際するようになったものの、リザは専ら教会にいてハリスンは実家の手伝いとやらで町の外に出ることが多く、あまり会う機会はなかった。男女交際はこんなものなのかな、とリザは気楽に考えていた。
だがリザが二十歳のときに、ハリスンからプロポーズされた。
まだ頬へのキス止まりの関係なのに結婚なんて、とリザは驚いたが、逆に彼に大切にされている証しなのだと捉えた。
ハリスンなら、リザのことを考えてくれるに違いない。
……そう思っていたリザだが、ハリスンは言った。
『僕と結婚すれば、こんなところで働かせたりしないよ』と。
リザは、凍り付いた。
ハリスンは、何を言っているのか。
リザは自分から望んで神官になり、故郷から離れたシェリダン王国に渡って、この小さな教会で働いている。
全て、リザが望んだことだ。
神官としての仕事だって、結婚するからといってすぐに辞めるつもりはない。
自分で選んだ仕事なのだから、できる限り――それこそ夫と一緒に引っ越すとか子どもができるとか、そういう機会が訪れるまでは続けたいと思っていた。
だが、ハリスンはそうではなかった。
それどころか彼はリザが守る教会を、「こんなところ」と形容した。
ハリスンは、リザのことなんて何も考えていないのだ。
リザが何を大切にしているか、神官としての仕事にどれほどの誇りと充足感を抱いているのか、何も知らなかったし、分かろうともしてくれなかった。
ハリスンは、リザを思う優しい男性ではない。
ただの自己中心的で、リザのことを尊重してくれない男だったのだ。
リザは、求婚を断った。
するとハリスンは態度を豹変させ、「都会の令嬢のくせに、生意気だ」「おまえなんて、実家の金目当てに決まっているだろう」「付き合って半年も経つのに、キスさえろくにさせてくれないなんて」とリザを罵倒してその場を去り――翌日には、町の酒場で働く少女と一緒に姿を消していた。
ハリスンの両親は息子のことでリザに謝ってきたが、もう彼と関わりたくないので謝罪などは結構だとやんわり断った。
両親は看板娘と駆け落ちしたということで怒る酒場のマスターに詫びの金を払い、そっと町から消えた。リザは彼らに恨みがあるわけではないので、どこかで静かに暮らしてくれればと思っている。
こうして、リザの初めての恋――と呼んでいいのか分からないほどぼんやりとした何かは、終わった。
あれからもうすぐ二年経つので、リザの中でももう整理が付いている。
町の人たちはリザのことを気にして、同情してくれた。
よく礼拝に来る中年女性の夫は、「妻はあなたのことが心配で、特に信心深いわけでもないのにまめに礼拝に行くんだよ」とこっそり教えてくれたりもした。
そんな優しい町の人々に、リザは笑顔で「もう大丈夫です」と言っていた。
それは決して、空元気などではない。
もう、大丈夫。
結婚や恋愛に縋らなくても、自分はやっていける。
生きていけるのだと、はっきり分かっているから。




