16 砕けたものは①
翌朝、リザたち三人の朝食が終わってかなり経ってから、アーチボルドがのっそりと起きてきた。
「……悪い。なかなか帰れなかった」
「お気になさらず、ねぼすけ傭兵さん。帰ったのは、深夜過ぎですか?」
「……もう明け方近かったな」
「それはお疲れ様。お腹は空いていますか?」
「……いや、たらふく飲まされたから腹は減っていない。昼からお願いしたい」
酒がまだ体に残っているのかいつもよりふわふわした口調のアーチボルドは、眠そうにあくびをした。
いつも背筋を伸ばして堂々と立ちカイリーやロスの相手をするアーチボルドにしてはとても珍しい、無防備な姿だった。
「今日はお仕事はないのですね?」
「さすがに今日は休む予定だ。……あれだけ飲んだのは、久しぶりだった。あいつら、俺に飲ませたくせに先に潰れやがって、一人一人家に送っていくので時間がかかってしまった」
なるほど、どうやら彼の帰宅が遅かったのは、酔い潰れた仲間たちを律儀に家に送っていたからのようだ。
その場に残してさっさと帰ってもよかっただろうに、彼の世話焼きは同世代のむさい男たちに対しても発揮されるようだ。
起きたときは上半身の服がはだけて口周りにはうっすら髭が生えている状態のアーチボルドだったが、リザに促されて洗面所に行って戻ってきた彼は、いつもと同じすっきりした顔になっていた。
「カイリーとロスは、仕事をしているのか」
「二人は庭で、プランターの植え替えをしています。……あなたが起きたときにきれいな花を見せたいと思っているようなので、知らないふりをしてあげてくださいね」
「ああ、そういうことなら」
心得た様子のアーチボルドはうなずくと、一つ咳払いをした。
「その、昨日は観に来てくれてありがとう。俺もいっそうやる気が湧いた」
「それはよかったです。まさかあなたが優勝するとは思っていなくて、私もつい興奮してしまいました」
「そうか。……俺はあまりこういう見世物になるのは好きではないのだが、おまえやカイリーたちが応援してくれていると思うと奮い立った。なんというか……こういうのもたまにはいいいな、と思えた」
アーチボルドが照れたように言うので、なぜかリザまでどきどきしてしまった。
昨日、矢で狙うのはあまりにも難しい牡鹿を一撃で仕留めた凄腕の狩人ではあるが、今の彼は無邪気な少年のようで、そんな仕草がどうにもリザの気持ちをくすぐってくる。
「それならよかったです。アーティが町に馴染めているようなら、私も嬉しいです」
「ああ、俺も嬉しい。……っと、忘れるところだった」
そこでアーチボルドは椅子の背もたれに引っかけていた自分の仕事用のウエストポーチを探り、中から小さな袋を出した。そしてそれを、リザに差し出してくる。
「……昨日の飲み会の途中で一瞬だけ抜け出せたときに、優勝賞金で買ったものだ。これを、おまえに」
「えっ?」
まじまじと袋を見ていたリザが顔を上げると、アーチボルドは視線をそらした。
「その、もちろん献金は別の形で渡す。これは、今までの礼というか、カイリーのことなどで世話になったことへの感謝の気持ちというか……とにかく、受け取ってくれ!」
「は、はい」
うだうだ話をしながら最後には勢いで押してきたので、リザは勢いに呑まれてうなずき彼から袋を受け取った。
小袋だと思ったのは、アーチボルドの大きな手のひらの上に載っていたからであり、実際に受け取った袋はそれなりに大きかった。中身はそこまで重くないが、袋の形からして半円のような形状をしているようだ。
「開けてもいいですか?」
「むしろ今開けて、ひと思いにやってほしい」
何を言っているのやらと思いつつ、リザは袋を開けて中のものを左手のひらに載せた。
それは、髪飾りだった。
針金を編んで作ったボディに、クリップと色つきガラスが付いている。花の形を模したガラスは窓から差し込む陽光を受けて、きらきらと遠慮がちに輝いていた。
(これは……)
とく、とく、といつもより少しだけ速く刻まれる鼓動を抱えて、リザは顔を上げた。
アーチボルドは恥ずかしそうに目をそらしており、彼がそんな有様だからなんだかリザまで顔が熱くなってきた。
「素敵な髪飾り……。これをいただいてもいいのですか?」
「いいも何も、俺がおまえのためにと思って買ったんだ。色やデザインは複数あったんだが、どれが好まれるかとか全く分からなくて、とりあえずおまえの黒髪に一番似合うだろうものを選んだ。気に入らなかったら、申し訳ない」
「そんなことありません! ……ありがとうございます、アーティ」
リザは急ぎ、心からの礼を言った。
家族や女友だち以外から装飾品を贈られるなんて、初めてのことだった。
そう、本当に初めてのことで――
どき、どき、と高鳴る心臓の音が、いつもよりも顔が熱いことが、向かいにいるアーチボルドにばれてしまうのではないかと心配になってくる中、彼はすっと手を差し出してきた。
「……よかったら、俺が付けようか」
「いいのですか?」
「ああ。歪んだら申し訳ないが……」
「ふふ……いいえ。歪んでいたとしても、あなたが贈ってくれたものをあなたが付けてくれるというのが、私にとって嬉しいことですから」
「……そうか」
ぽつんとこぼしたアーチボルドの手に、そっと髪飾りを乗せる。リザより大きなアーチボルドの手に渡ると、途端に髪飾りが小さく見えた。
リザは彼に背を向け、仕事用に結んでいた髪の紐を外した。うねる髪を手ぐしで整えていると、アーチボルドの指が左耳付近に触れる気配がした。
自分のそれよりも大きな指の感触がくすぐったくて、リザは思わず小さく身じろぎして――




