11 ままならないこともある③
リザは目を見開き――そして、カイリーが穿いているスカートのお尻部分が少し汚れていることに気づいた。元々クリーム色だった生地がそこだけ、黒っぽくなっている。
まさか、と息を呑むリザを見て何を思ったのか、カイリーは今にも泣きそうな顔でうつむく。
「お、おれもよく分からないんだ。怪我したわけじゃないのに付いてて、びっくりして……」
「カイリー」
「ちゃんと洗う! わざとじゃないんだ!」
「分かっているわ。……よく聞いて、カイリー」
リザは念のために洗面所の内側から鍵を掛けてからそっとカイリーの方に向かい、彼女の肩に触れてその視線と合うように軽くしゃがんだ。
「わざとじゃないのは、分かっているわ。これは、あなたの体が成長した証しなの」
「……成長?」
予想どおりではあるが、カイリーは何も知らなかったようだ。
だからリザは彼女に、女性の体の仕組みや生理について教えた。カイリーくらいの年齢になると、女性の体は子どもを作るための準備が整う。その過程で、毎月出血するようになるのだと。
リザの話を聞き、カイリーは目を丸くした。
「……それじゃあおれ、病気じゃないんだな」
「ええ、大人の女性なら当たり前のことよ」
「おまえも同じようになってるんか?」
「ええ、だからその間は下着に当て布をしているわ。動きにくいし、お腹が痛くなることもあるけれど、仕方のないことなの」
「……」
カイリーはしばらくの間黙って、リザの説明を頭の中で噛み砕いている様子だった。
教会に預けられる子どもの多くは、体の仕組みや性の知識を知らない。リザのように学校で教わることもできないまま育ち、犯罪を起こしたり巻き込まれたりすることも少なくない。
(アーティが教え……られるとは思えないわね)
もし知っていたとしても、どう教えればいいか分からないかもしれない。今このタイミングでカイリーの側にリザがいられて、本当によかった。
……だがカイリーはぎゅっと自分の腕を掴み、うつむいた。
「……これ、ずっと続くのか」
「そうね。多くの女性は二十日くらい間を置いてから五日間ほど続くわ。終わるのは……五十歳くらいかしら」
「……んでだよ」
「えっ?」
「……なんで! おれの体はこんなんなんだ!?」
がばっと顔を上げたカイリーは、今にも泣きそうに目を潤ませていた。
それは怒りや悲しみだけでなく……深いショックも感じられる眼差しだった。
「おれは好きで、女に生まれたわけじゃない! 女だから、アーティはおれに武術を教えてくれなかった! 女だから身長も伸びないし、女だからこんなっ……こんな目に遭わないといけないなんて……!」
「カイリー……」
「男だったらよかったのに! 男だったら、アーティもおれを認めてくれた! スカートなんて穿かなくてよかったし、血も出ないし、強くなれたのに……!」
カイリーは叫ぶように言って洗面所の入り口に向かって走り……鍵が閉まっていたため、ごん、と頭からぶつかった。
「いでぇ!」
「カイリー、待ちなさい。……ああ、下着も洗っていたのね」
「うっ……だって、汚れたし……」
カイリーが洗っていたのは、シーツだけではなかったようだ。
スカートがめくれてお尻丸出し状態のカイリーの頭をよしよしと撫で、リザはひとまず自分用の下着を出して穿かせ、生理の間にどうするべきかを教えた。またスカートでは不自由もあるだろうからと、ゆったりとした七分丈のパンツも穿かせることにした。
シーツの洗濯は自分がするから部屋にいるようにと言うと、カイリーはしおしおしつつうなずいて出て行った。
リザはカイリーが途中まで洗っていたシーツと下着を洗い、温かい牛乳を持ってカイリーの部屋に行った。
「今日はゆっくりしていていいわ。ミルクを置いていくから、飲んでね。お腹が空いたら、いつでも下に来て」
椅子に座って丸くなるカイリーに言い、新しいシーツをベッドに敷いてから部屋を出る。
この間にアーチボルドは日用品の整理とロスの寝かしつけを済ませてくれていたようで、リザがリビングに下りると不安そうな眼差しでこちらを見てきた。
「リザ、カイリーに何かあったのか。先ほど見たとき、着替えていたようだが……」
「……ええ」
男性である彼にカイリーの体の話をするのは少しはばかられたが、知らないままでいられるよりは知っていた方が後々いいだろう。なんといっても彼らはいずれ、三人だけで暮らすことになるのだから。
そこでリザは「カイリーが何か言うまでは、知らないふりをしておいてください」と前置きをした上で、アーチボルドに先ほどの出来事をかいつまんで教えた。
ついでに女性の体の仕組みについても口にすると、彼は目を白黒させていた。
「それは……あいつが世話になった。だが、なんというかその……俺も知らなかった」
「まあ確かに、大半の男性は女性の体のことを知らないかと」
おおっぴらに口にするものではないから、自分の母親や妻や娘や姉妹が毎月下着に当て布をしていることを知らない男性も多いだろう。
アーチボルドはため息をつき、うつむいた。
「……もし今リザがいなかったらと思うと、ぞっとする」
「タイミングがよくて、本当に幸運でしたね」
「ああ。……これまでの旅の間でもカイリーはよく、自分が男だったらもっと俺の役に立てたのに、と言っていた」
アーチボルドが目を細めて言うので、カイリーのそんな姿が容易に想像できてリザは苦く笑った。
「そうですね。……あの子もさっき、アーティが武術を教えてくれないのは自分が女だからだ、みたいなことを言っていました」
「まあ、当たらずとも遠からずだな。女性でも武術を嗜む者はいるが、その体の使い方は俺たちとは全く違う。俺の戦い方をカイリーに教えても上達はできないだろうと思った」
ふう、とアーチボルドはため息をついて目を閉ざし、天井を仰いだ。
「だからだろうか。あいつは俺と出会ったときからあんな感じのしゃべり方だったが、いっそう男物に固執するようになった。男の口調でしゃべり、男物の服を着ていればいつか、男に近づけるかもしれないと思っていたのかもしれない。……もしそうだとしたら、きちんと教えられなかった俺の責任だな」
「必ずしもそうではないでしょう。もし旅の中でカイリーが女性らしい振る舞いをしていたとしても、それがよかったとは限りません。……どうしても女性は、被害者になりやすいですから」
女であることは武器にもなるが、それよりも弱点になりやすい。盗賊などが狙うのは女子どもだし、若い女というだけで誘拐されることも少なくない。
ファウルズの町は治安がよいからともかく、国によっては女性の人権が認められないところもあるという。そういう国では親が娘を守るために、男性の名を名乗らせたり男物の服を着せたりするそうだ。
「あの子が本当に嫌がることをさせたいわけではありません。ですが女性として生まれた以上、自分の体がどうなっているのかとかどういうふうに生きていくべきなのかということは、大人として彼女に教えようと思います」
「そうしてくれると助かる。……本当にありがとう、リザ」
「困窮する者に救いの手を差し伸べるのは、神官として当然のことです」
とは言うが。
リザは正教会の神官としての責務以上に、あの少女を助けてあげたい、と心から思っていた。
カイリーはしばらく部屋にこもっていたが、翌朝になるとさすがに腹も減ったようで下りてきた。
ちょうどアーチボルドの出発に間に合ったので、昨日渡しそびれていたドライフルーツ入りの瓶を贈ることにした。
案の定カイリーはリザからの贈り物だと言うと複雑そうな顔になったが、アーチボルドが「リザがおまえと仲よくなりたいと思って買ってくれたんだ」とフォローを入れると、「……ありがと」と小声で礼を言って受け取ってくれた。
贈り物を受け取ってくれたので、リザはひとまずほっとしたのだが。
「では、行ってくる。カイリー、ロス。リザの言うことをよく聞いて、いい子でいるように」
「うん! いってらっしゃい!」
「……言われなくても分かってる」
無邪気なロスと違い、今日のカイリーはアーチボルドにもつんとしており、彼は苦笑して教会を出て行ったのだが――カイリーがその大きな背中をじっと見つめていることに、リザは気づかなかった。




