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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
デビュタントと仮面の宴
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09.安らぎは目の前に

これにて2度目の春編終了です。(短めです)

「待たせたか」


 その問いかけに、アンジェラは黙って首を横に振る。悠長に待っている暇など与えてもらえなかった、というのが正しかった。

 すると、状況が読めたのか、はたまたヴィクトールあたりから教えてもらっていたのか、彼の口にいつもの余裕綽々の笑みが浮かんだ。


「それではレディ、どうかこの哀れな男の手を取ってくださいますか?」

「っ!? ……えぇ、喜んで」


 芝居がかったとんでもなく気障キザなセリフに驚きの声を飲み込み、アンジェラはそっと手を預ける。


「――――去年ぶりだな。上達したか?」

「あの時のような無茶は辞退させてください」


 周囲に聞こえないように耳元で囁かれたのは、去年の花祭でのことだ。まるで課題のように難しいステップを要求されて冷や汗をかいたのを思い出し、アンジェラはそんな体力はもう戻っていないのだと拒絶する。


「冗談だ。こんな人目のある場所でやれるか」

「あの時も、人目は十分にありましたよね?」

「訂正してやる。厄介な人目だ」


 同じようにダンスに向かうカップルに紛れ、囁き合う様子はどう見ても仲睦まじいもので、周囲から(婚約者同士かしら?)などど誤解されているとは、アンジェラは微塵も気づかない。


「……早く、帰りたいです」

「それは同感だ」


 違いに自然体でいられるあの領地に戻りたいと、互いが同じことを思っていると分かり、小さく笑みを交わす。


「ま、それは後だ。とりあえず仲いいトコは見せつけねぇとな」

「誰にですか? 仮面舞踏会なのに?」

「―――あそこらへんとか、あっちとかな」


 ウィルフレードの視線の先を窺えば、そこに居るのは、カークとレティシャ兄妹、そしてヴィクトールだった。


「……見せつける必要が、あるのでしょうか」

「あるだろ」


 でないとお前を盗られそうだ、という言葉は告げずに、ただ意味深な笑みを浮かべるだけのウィルフレードを、アンジェラは諦めを込めて見上げた。


「本当にお手柔らかにお願いしますね?」

「これは異なことを。ここまで気配りのできる紳士はそうはおりません? レディはただ、リードに身を任せていただければよいのですから」

「……」

「冗談だ」


 本当に冗談だろうか、と疑いの眼差しを向けながら、アンジェラの手はウィルフレードの手に乗せられたまま、音楽が奏でられるのを待つ。

 何となく、少なくない視線が自分たちに注がれているような気もするけれど、気にしたところで仕方ない、とアンジェラは諦めることにした。この春にしかここにいない身だ。旅の恥は掻き捨て、などという言葉も教わったことだし、気持ちを目の前のダンスに切り替える。

 その決断を感じ取ったのか、ウィルフレードは笑みを深めた。


 指揮者の合図に従い、楽団が最初の音を奏でる。二人は視線を合わせ、最初の1ステップを踏み出した。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「……ラ、アンジェラ」

「はいっ」


 自分の名前を呼ぶ声に、金髪の少女がハッと目覚めた。

 一瞬、自分がどこにいるのかも分からず、ぼんやりとした目をこする。ガタガタと揺れる足元に、馬車の中だったと思い出した。


「疲れているのでしょう。王都を出てから二日、ずっと揺られっぱなしですからね」


 向かいで本を片手に座っているウィルに言われ、アンジェラは慌てて自分の読みかけの本を膝の上から持ち上げた。レティシャから借りた、いわゆるロマンス小説だ。感想も聞かせて欲しいと言っていたので、早く読んでしまおうと思っていたのに、どうやら砂を吐くような甘い言葉の応酬に睡魔が襲ってきたらしい。社交界というものにイマイチ疎いこともあってか、どうも文字が上滑りしてしまって頭になかなか入らないのも原因の一つだろう。


「大丈夫です。その、こういう本は、あまり性に合わないみたいで、つい……」

「王都での疲れが溜まっているのでしょう。そんなに強がらなくてもいいですよ」


 優しい言葉をかけたウィルは、手にした本を置くと、揺れる馬車の中、アンジェラの隣に腰掛けた。


「だんな、様?」

「少しぐらいお眠りなさい」


 アンジェラの肩を抱くように引き寄せると、そのまま少女の体を横に倒し、頭を自分の膝の上に乗せる。


「あ、あの……。こんな体勢……」


 思いもかけない膝枕に、アンジェラは恐縮のあまり、体を固くした。


「三週間も離れていたのですから、こういう時ぐらい、少し甘えてくれてもいいんですよ」


 まるで夜のウィルのような強引さで、ウィルはひざ掛けをアンジェラの上にかける。


「でも、この体勢だと、だんな様が……」

「娘に膝枕するぐらい、何の問題もありませんよ」


 ウィルの大きな手が、アンジェラの頭にそっと乗せられる。

 そのまま、いたわるように撫でられ、さすがのアンジェラも顔を赤くした。


「楽しかったですか?」

「……はい。たくさんのことを勉強させていただきましたし」

「マダム・リンディスとヴィクトールですか。二人とも、厳しかったでしょうに。……あとでゆっくりお話を聞かせてくださいね」


 ウィルの手から伝わる体温に、アンジェラの意志に反して、瞼がその重みを増していく。


(ダメ。こんなところで寝ちゃうなんて……)


 こうやって、誰かに膝枕をしてもらうなんて、いつ以来なのかも分からない。はるか昔に母親にやってもらったかどうかも、記憶はあやふやだった。


(おかあ、さん……)


 温かなウィルの息遣いを感じながら、アンジェラの意識はゆっくりと闇に落ちていった。

 アンジェラが寝入ってからもしばらくは、ウィルはそっと少女の頭を撫でていた。


「寝てしまいましたね」


 膝頭に乗ったアンジェラの右手首に青あざを見つけて顔をしかめた。


「もしかしてヴィクトールでしょうか。……今日の宿についたら湿布でも頼みましょう」


 頭を撫でていた手を止め、ゆっくりと頬をなぞる。アンジェラは完全に寝入ってしまったのか、ぴくりともしない。


「私もまだまだ修行が足りないんでしょうね」


 王都で離れていた時を思い、ウィルは小さく嘆息した。

 いつの間にかこの少女は、自分の拠り所となっていたようだ。強引に膝枕で寝かしつけたことさえ、ウィル自身が少女の体温を感じたかっただけに他ならない。


(この平穏な生活を守るためには……)


 ウィルの頭の中に、いくつかの手段が浮かびあがる。

 とりあえず、イベロトロッサの邸に帰り着いたら、アンジェラに紅茶を淹れてもらおう。

 それから後は、いくつか手紙を書くことになるだろう。少なくとも3通ほど。

 すやすやと穏やかな寝息をたてているアンジェラを見下ろし、ウィルは微笑みを浮かべた。


「おやすみなさい、アンジェラ」



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