第61話 護摩
山田トメがスマホを手に取ろうとしたとき。
全身がビリビリと震えた。
なんだこれ、と思う間もなく、目がかすみ始める。
さらには吐き気が襲ってくる。
「な、なんだこれは……」
トメは思わず膝をついた。
テーブルに手を伸ばしてスマホを見る。
画面に映るのは、『甘白虹子』の文字。
応答のボタンを押そうとするが、指が震えてうまくいかない。
なんだこれ、なにか悪いものでも食べたか?
いや違う。
さきほど見た、鎖骨の下あたりのアザが痛む。
『もしもし? 山田さん?』
「幻影の掃除人だ……」
『あ、元気そうだね。ならよかった』
「用事はなんだ? 私は今体調が……悪いんだ」
『まじ? もしかして、山田さんも呪いもらっちゃってる?』
「呪い……このアザか……」
『うん、そう。私もそうなの。お姉さまでも解呪できなくて……。応急処置はしてもらったけど。でね、羽衣ちゃんが山田さんのこと心配してたから電話してみたんだよ』
トメは着ているシャツの襟首をぐいっとひっぱって覗き込む。
円形に読めない文字と歪んだ十字架の描かれた、魔法陣のようなかたちのアザ。
「く……。私も同じのを食らってるみたいだ……」
『やっぱり!? あのね、今お姉さまがダンジョンの中で解呪を試してみるって。ダンジョンの中のほうが力を出せるからって。だから、私たち今探索の準備してる。今からそっちにタクシー回すから、山田さんも沼垂ダンジョンまで来て!』
一瞬、プライドが邪魔をして、こんなもの自分で直せる、と断ってしまおうかと思ったが、そうも言っていられない状況であることは、今までの経験と勘でトメも理解していた。
「悪いな……頼む」
そう言って電話を切ると、トメはクラクラする頭でなんとかニンジャ装束を身に着け始めた。
★
沼垂ダンジョン地下一階。
レアメタルも採れない、探索者があまり来ない小さな部屋。
そこで虹子とトメが並んで横になっている。
二人の枕元に置かれているのは鍋だ。
さきほどまでひっぱりうどんを茹でていた鍋である。
その鍋の中には木片が入れられ、火が熾されていた。
もくもくと立ち上がる煙。
その真ん前に零那が座り、伊良太加念珠を音高くこすりながら、真言を唱えている。
羽衣が横から、鍋の中に板を入れる。
護摩木と呼ばれる長さ24センチほどの木の板だ。
そこに、『病気平癒』『諸難消除』などと墨書してある。
さらには特別な香油を入れる。
そして、羽衣はスーパーのレジ袋から、パックを取り出した。
そのパックに書かれているのは、『健康五穀米! お米と一緒に炊くだけ!』という文字。
羽衣はそのパックを破り、中の商品を火と煙を吐いている鍋の中に投げ入れる。
独特な匂いが部屋に立ち込めていた。
「あー……お姉さまの匂いってこれかあ……」
虹子が横になったまま呟いた。
まさに今、虹子とトメの解呪のために、零那たちは護摩を焚いているのである。
「うん、虹子さん、ちょっと静かに手を合わせていて。トメさんを見習ってよ。羽衣、真言を唱えるわよ」
「わかった、お姉ちゃん」
零那と羽衣は声を合わせて不動明王の真言を唱える。
「ノウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン!」
山伏が行う、解呪のための儀式であった。
本格的な護摩壇は持ってくることができないので、鍋で代用しているのだった。
零那と羽衣ほどの力をもっている山伏がダンジョンの中で護摩を焚いて祈願すれば、解呪できない呪いなど、あるはずもなかった。
だが、しかし。
一時間以上も祈祷しているのに、虹子とトメの身体からは一向に呪いが消える様子がない。
「なんで? なんで呪いが消えないの? もー! オン マユラ キランデイ ソワカ! クーちゃん!」
零那が叫ぶと、ピンクの光をまき散らしながら孔雀が現れ出て、零那の頭の上にとまった。
「クーちゃん、このアザ食べちゃって!」
「ニャオーー!」
クーはひとつ大きな鳴き声を上げると、ばさっと羽ばたいて宙に浮き、ぐるりと部屋の中を一周してから、勢いをつけて虹子の胸元へと突進した。
だが。
ギイイインッ!
金属音とともに、クーのくちばしは跳ね返されてしまい、クー自身もふっとばされて危うく天井に激突しかける。
なんとか体勢を立て直すとクーは、
「にゃおお……」
孔雀のくせにしょんぼりした顔で零那の頭に戻ってくる。
「クーちゃんでも駄目なの!? もー! どうしたらいいの!」
「お姉ちゃん……」
羽衣が不安そうな顔で零那を見る。
「ねえ、お姉ちゃん……お父さんかお母さんに聞いてみるのは?」
「えー……? やだなあ……」
零那は両親の顔を思い浮かべて顔をしかめた。
かわいがられた記憶もなく、ずっと修行ばかりさせられていたのだ。
そのおかげで今があると言えばあるのだが、小学校すらまともに通わせてもらえなかった零那としては、あまり連絡をとりたい相手ではない。
「うーん……やだなあ……でもそうは言ってられないかなあ……でもやだなあ……」
「お姉ちゃん、じゃあヒーバーに聞くのは?」
それを聞いて、零那はパン! と両手を打った。
「それだ! その手があった! ヒーバーに聞こう!」
会話を聞いていて心配になったのか、虹子が手を合わせたまま聞く。
「なにヒーバーって……。まさかフィーバー……? ここにきてまたパチンコ……?」
「いやそうじゃないわよ。いやパチンコは打ちたいけど。これが終わってからね。ヒーバーってのはつまり……私たちの、ひいばあちゃんよ。ひいばあちゃんは実家が酒田だから、その近くのサ高住で暮らしているの」
「サコージュー? なにそれ」
「……説明してる暇はないから! とにかく聞いてみる!」
そして零那はスマホを取り出すと、画面をタップした。
「もしもし、ヒーバー? 私、零那」
「おー。零那が。声きがって嬉しー。元気しったが? おめ、親どケンカして新潟さいったんろ? 元気でいの。新潟はおもしぇが?」
「それどころじゃないの! ねえ、ヒーバー、これ、知ってる?」
そして零那はスマホのカメラを虹子の胸元に向けた。
『ああ? それ、死ぬやつだの。助かんねさげ、諦めれ』




