第10話 伝説上のモンスター
「あの……助けてくれてありがとう。お名前教えてもらってもいい? あ、私は甘白虹子っていうの」
虹子にそう言われて、零那はとまどう。
なにしろ、ウービーの配達先で名前を聞かれたことなんて一度もなかったからだ。
そもそも助けてくれたってなんだろう?
コーラを飲ませてあげたことかな。
「私の名前は三日月零那です。助けたなんて、そんな大したことないですよ。じゃあ、配達完了、と」
スマホのアプリに入力する。
「このチップ、十万円、誤入力とかじゃないですよね?」
「え、ああ、うん。いいよ、十万円じゃ安いくらいだよ。命の恩人だもんね」
「そんな、ハンバーガー届けただけで命の恩人だなんて、大袈裟です。じゃ、私はこの十万円でもうひと勝負してきますので。ご注文、それにチップ、ありがとうございました。では」
ひらりと自転車に乗って颯爽と去っていこうとする零那に、虹子はダッシュでしがみついた。
「ちょーーっと待って待って!」
「なんですか?」
「あのー、できれば私を地上まで送ってもらいたいんだけど……」
「え? ここ、あなたの家じゃないんですか?」
「私の家はこんな薄暗くてジメジメしてませーーん!」
「ではなんでここに……? ダンジョンの中でウービーイーツ頼むとか、ずいぶん余裕な方だなあとは思いましたが」
「逆逆! 余裕どころかマジで死ぬ1秒前くらいまでいってたし! 遭難してたの! ね、お願い、私を地上に送って行って?」
化け熊程度の妖怪しか出ない低層で遭難できるなんて、器用な人だなあ、と零那は思った。
零那以外の人類にとって、アルマードベアは恐怖のモンスターだし、地下六階はアルティメットに危険な場所なのだが。
「まあ、いいですけど……」
「じゃあ、自転車に二人乗りで!」
「おまわりさんに叱られません?」
「ダンジョン内は道交法の適用外だから合法!」
「それなら……」
零那がまたがる自転車の荷台に、ちょこんと横座りする虹子。
そして零那に背中からぎゅっと抱き着いてくる。
ウービーのバッグは前のカゴに載せた。
「くんくんくん。うわーこの装束、なんかいい匂いがする……」
「護摩の匂いがしみ込んでるのかも。自分じゃわかりませんけど」
「へーゴマってこういう匂いもするんだー。ゴマ油とか結構好きだよ私」
かみ合わない会話をしながらも、
「じゃ、行きますよ。道交法関係ないならスピードだせますね。急げばもうひと勝負できそうなんで」
そして零那はペダルを踏みこんだ。
その三秒後、
「ムギーーーーーッ」
虹子は叫んだ。
零那の脚力が生み出す強力な加速力はF1マシン並みで、あやうく虹子は自転車から吹っ飛ばされそうになったのだった。
「ちょっと、ストップストップ!」
「なんですか」
零那は自転車を止めて聞く。
「もうちょっと、ゆっくり走ってくれないかなあ」
「うーん、早く行かないといい台とられちゃうのよね」
その時だった。
〝なにか〟が零那たちに向かって走ってくるのが見えた。
その〝なにか〟は零那たちの前方十メートルほどでピタリと足を止めると、感情を感じさせない瞳で、零那を睨んだ。
二つの瞳、ではない。
六つの瞳だった。
巨大な犬の身体に、牙をむき出しにした三つの犬の頭が付いている。
ガフ、ガフ、と呼吸をするたびに、三つの口からは炎が吐き出されていた。
〈ケルベロスだ!〉
〈おわた〉
〈人類でこいつに勝てたやつ一人もいない〉
〈逃げて逃げて逃げて!〉
〈虹子ちゃん逃げてー!〉
〈ニジー、その配達員を餌にして逃げるんだ〉
〈ああもう駄目だ〉
〈人間のスキルじゃ絶対太刀打ちできない〉
〈なにこいつ強いの?〉
〈強いどころじゃない、伝説上のモンスター〉
〈無理無理無理無理〉
ケルベロスを見て、零那は軽くため息をついた。
「あーあ、この妖怪、話がわからないのよね。やっつけるしかないか」




