(9)アレン・ルタードは婚約者を愛している【中】
リヴィエラにレザリアの花束を贈るようになってから、気づいたことがある。
自分は花束作りには向いていないらしい。彼女へ最初に作った花束は包装紙が皺だらけ、結んだリボンは不格好というひどい有様で、とても渡せるような代物ではなかった。
それまでどんなことであれ、はじめからそつなくこなせていたアレンには意外なことだった。リヴィエラへ贈る花束を自分で作るためには、努力が必要だったのだ。指に傷ができるほど。
――そしておそらく、その努力の痕跡を認めてしまったがために、あの日、リヴィエラはアレンからの花束を受け取るしかなかったのだろう。
以来、いつも、ほんの少しだけ困った顔をして彼女はアレンの作ったレザリアの花束に手を伸ばし、「ありがとうございます」と微笑む。
綺麗に切りそろえた束の部分を、花弁と同じ色のリボンで結ぶ。慣れた作業だ。もはや失敗することはない。
リボンの形を整える。執務室で、完成した花束に触れアレンは視線を落とした。
リヴィエラは、受け取ってくれるだろうか?
直後、胸に広がったのは、不安と恐れだ。
「…………」
何かが、違うような気がするのだ。
彼女はレザリアの花が好きだ。花束へと愛おしそうに注がれる眼差しは本物だ。
だからこそ、リヴィエラの微笑みを引き出したことに喜び、満足しながらも――アレンは花へ妬心を覚える。
だが、彼女が欲しているレザリアの花と、自分が贈るレザリアの花束は、同じものか?
――リヴィエラは、アレンからレザリアの花を贈られても喜ぶことはない。
彼女はアレンを嫌っているからだ。
それを必死に隠そうとしている様さえアレンには愛おしい。
ある種、彼女はアレンのために努力しているといえないだろうか。
その努力は実を結び、ほとんどの者は、リヴィエラ・シェールトンがアレン・ルタードを疎んじているとは気づけない。
反比例しているかのようだ。アレンが抱く愛が強ければ強いほど、リヴィエラは嫌悪する。彼女がこのまま隠し通せればいい。
だが、どうだろうか。
想像する。
剥き出しの嫌悪――敵意をリヴィエラに向けられる日がきたら?
自分は怒りを覚えるだろうか。アレンは自分がさほど寛容ではないと知っている。必要があれば怒りを抑え、報復のときまで牙を仕舞うことはできるが、その程度だ。
ただし、これはリヴィエラへは当てはまらない。彼女に対してだけは、自分でも驚くほど忍耐強くなれる。
それは、たとえ。
「リヴィが私の敵となっても」
――構わない。
その敵意ごと包めばいい。
拒絶がなんだというのだ。彼女がアレンへどんな想いを抱えていようが、失うことに比べれば。息をし、動いている。その身に命が宿っている。
そのことがどれほど幸福か。
自分はリヴィエラを離さない。手放すつもりはない。
……愛されることは望まない。望めないと、理屈でなく、理解している。
ただし、リヴィエラが愛する男も存在してはならない。それが負のものであっても、彼女の意識を占めるのは、この自分だ。
どんなものであれ、彼女の感情がアレンへ向けられているのなら、満たされる。
――だが。
彼女の意識が、他へ向くのは、堪えがたい。許容できなかった。
リヴィエラがカレル・スヴァルツと踊っているのを見るのは、ひどい苦痛だった。
あの二人が一緒にいることに、焼け付くような怒りを覚えた。
リヴィエラとアレンの出席する夜会では、彼女の知らない暗黙の了解がある。
――アレンの許可なく、誰もリヴィエラと踊ってはならない。
貴族の男たちの間には行き渡っている。一度、見せしめを行ってようやく徹底された。
……軍人だからか。
知らなかったのか。故意に、アレンの設けた規則を破ったのか。
アレンがカレルの存在を知ったのは三年前のことだ。
客観的に評価するならば、カレル・スヴァルツは優秀な軍人だ。しかし手柄を立て、昇進してきたという事実は一面から見た場合のみの真実でしかない。スヴァルツが昇進するとき、必ず裏で失脚した者が存在する。……対価が支払われたか。取引の結果か。
でなくば、何の後ろ盾もなく入隊した平民にしては昇進が速すぎる。手柄以外に――巧妙に立ち回らなければなし得ない。内に抱えるのは野心。おそらくは、自分や祖父と同質のものを抱える男だ。
ルタードは貴族としては絶大な権力を持つが、軍部への直接的な影響力は薄い。軍に最も強い行使力を持つのは、公爵位を持ち、ルタードと対立するケラー家だ。
現に、ケラー家のウェーバー公爵は、三男のシュラム・ケラーを軍部へ送り込んでいる。
平民のスヴァルツが昇進することで、ケラーの優位性をかき乱すのなら好都合だ。
ただし、場合によっては、排除すべき対象にもなり得る。
――だが、リヴィエラとは、ほとんど関係ない。一時期、シェールトン家の警護にあたったことがあるというだけ。
ただ、それだけだというのに。
リヴィエラ――己の大切な婚約者。そして、カレル・スヴァルツ。
何故、焦燥が生まれる?
「……リヴィエラ。君は何故、動揺した?」
彼女は、アレンを嫌っていても、不貞を働くことを考えようともしない。ただ、アレンの心変わりを願っている。この先も、起こりはしないことを。
彼女の願いは叶えたい。これだけは、不可能だった。自分の想いは、変えられない。
リヴィエラは? 気づかないうちに、彼女の心が動いたのだとしたら?
――その瞬間を、覚えているはずだ。
『お願いです、アレン様! 彼を! 彼を助けてください! お父さまでは、助けられないんです、ケラー家が相手では……!』
『……シェールトン嬢』
リヴィエラが、必死の形相で自分に頼み込んでいる光景が脳裏で浮かび上がった。
……『アレン様』。
苦々しさに、口元が歪む。
自分の名を決して呼ぶことのない彼女が、自然にそう口にしている。そして、他人行儀に彼女を呼んだ自分は――このとき、腹の底から不愉快だった。
歓迎すべき……恩を売る絶好の機会だったというのに。
貴族の令嬢の姿としては眉を顰められるような、髪型は乱れ、汗をかき――ドレスの裾には泥がついている。それほどなりふり構わず、彼女が必死だったことが。
ただの、形だけの婚約者であるシェートルン嬢が、他の男のために自分を頼ってきたということが。何も、自覚することなく。
――二人を近づけてはならない。引き離さなくてはならない。
そうでなければ、また。
リヴィエラと出会ったときのように、説明のつかない思考が生まれる。
「……また、どうなる?」
――ノックの音が響いた。
顔をあげる。アレンは壁の時計に目をやった。
執事に通すよう話をしてある来客の到着する時間になっていた。扉越しに声がかかる。
「旦那様。お客様がお待ちになっております。いかがなさいますか?」




