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彼女が婚約者様を嫌う理由  作者: まめちょろ
第一章 夜会にて
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(6)


「味はどうかな?」


 我に返る。一瞬だけ、混乱した。ここがどこか。ここは、夜会の軽食会場だ。

 ボルヴァを食べ――わずかな間、新たに幻の光景を見た。姿は私でありながら、成長するまで一度もボルヴァを食べたことのない、違う私の出てくる、幻を。


「……とても」


 発した声は小さく、掠れていた。

 口の中には、食べたばかりのボルヴァの味が残っている。にもかかわらず、それがどちらのものなのか、心許なかった。この夜会でのものか。幻の私が味わったものか。


 心の中でかぶりを振る。

 ――前者に決まっているわ。


「とても?」


 婚約者様が繰り返す。

 私は微笑んだ。


「とても、美味しいです」

「……ふうん?」


 部分的に欠けた焼き菓子を、婚約者様が眺める。

 声をあげる間もなかった。そのまま、彼は私の顔の前で留めていた食べかけのボルヴァを、自分の口へと運んでしまった。


「……ああ。確かに、これは美味しいな」


 食べ終えると、少年のように顔を綻ばせ、息を呑んだ私に向かって同意の言葉を発した。

 婚約者様と、図らずも見つめ合う。どうして彼がこんなことをしたのか。


 ――婚約者様は、ボルヴァなど食べない方だ。はっきり言えば、私の好みを否定しないだけで、ボルヴァが嫌いなはずなのだ。……たぶん、味の問題ではなく。


 人が一度手をつけたものを食べるという行為も、らしくない。

 彼の手から私が物を食べ、「美味しい」と言う。これまで何度もあったお決まりのやり取りだ。それらの中にはボルヴァだってあったというのに。


 つと、婚約者様が後方へ身体を半分捻った。纏う雰囲気が変化する。公爵として華やかでありながら、近づくのを躊躇わせるような権力者のものへと。カレルと話していたときもそうだった。微笑んでいること自体は変わらなくとも、その性質が違う。


「どうやらこれから秘密の余興が始まるようだよ、リヴィ」


 再び私へと向き直ったときには、彼の変化した雰囲気は元に戻っていた。

 招待客が夜会をより楽しめるよう、余興が催されることはある。特別な演奏や歌。それを軽食会場で? 特に変わりないように私には見え――。


「追え! 追え! あの娘だ!」


 五人の男が部屋へ慌ただしく駆け込んできた。その中の先頭に立つ男が橙色のドレスを着た少女を指差す。彼女はちょうど一人で、ぽっかりと空いた空間に佇ずんでいた。艶のある白金色の髪が目を惹くものの、一見、ごく普通の少女だ。


 ガチャン、と音が響き渡る。少女が手に持っていた取り皿を落としたのだ。そして、次の瞬間にはドレスの裾をたくし上げて入り口目掛けて走り出した。

 ところが、出入り口となる扉は、男たちによって閉じられていた。少女は袋の鼠だ。追いかけっこが始まった。


 ――まさか、これが余興? 


「紳士淑女の皆様方、ご注目を! 今宵はこの場を舞台に、そのままで短き観劇をお楽しみください」


 一体何事かと、誰もが不審に思い始めたのを狙ったかのように、招待客に溶け込んでいた三十代半ばだろう銀髪の男性が口上を述べた。


「演目は『王女メルダ』の一場面。ある夜会へ迷い込んだ少女は彼女を追う男たちに追い詰められますが――さて、果たして? 彼女は無事逃げ出すことができるのでしょうか? 少女は皆様方にご協力をお願いするやもしれません。その折は、どうぞ寛大なお心でご協力を!」


 話す男性の前を、わざとなのだろう、少女が走って通り過ぎる。そんな少女に向かって片手を広げた後、胸に手を当て、仰々しい仕草で男性は頭を下げた。


 自分たちがいる場所が、変則的な舞台であり、少女と五人の男たちが役者だとわかれば、観客に早変わりした招待客も余興を楽しむ余裕がでてくる。


『王女メルダ』は、このテルナウム国では誰もが知っていると言っても過言ではない。

 数十年前、生後まもなく亡くなった第一王女メルダ殿下。愛し子を偲んだ王太后様の求めにより、劇作家が完成させた恋物語だ。


 ――もし、メルダ殿下が陰謀により赤子の時分に市井に出され、成長していたら?


 平民として生きる少女メルダを主人公として、物語の幕はあがる。王女であるが故に自覚なく狙われているメルダは、王女捜索の任を密かに受けた青年公爵オーリに助けられ、何も知らぬまま彼と心を通わせてゆく。


 メルダ以外はすべて架空の人物。けれどメルダの生まれ育った国はテルナウムを、ほとんどの登場人物はメルダの敵、味方共に実在する、もしくはした人間を連想させる描き方だ。


 王太后様の全面的な支援を受け、『王女メルダ』は王立劇場で初公演の日を迎え、大成功をおさめた。現在では劇を直に見たことがない人も話の筋を知っているほど、メルダの物語は国全域に周知された。

 演者を代えながら、過去何度も公演されてきた普遍的な人気を誇る演目。それが『王女メルダ』だった。


「貴方たちは何者なの? 捕まるものですか!」


 少女の演じるメルダが生き生きと輝きを放つ。ときに台詞を交えながら、メルダは縦横無尽に動き回り、観客を演者として巻き込んだ。機転を利かせ男たちをまくために招待客の背に隠れたり、物を借りて、障害物にしたりする。

 場所、物、人、軽食会場のすべてが、劇の舞台を作り上げていた。


 追いかけっこは、徐々にメルダの劣勢になってゆく。そこへ、招待客の中から、長身の青年が少女の助けに入った。観客が待ち望んでいたメルダの味方、青年公爵オーリの登場だ。彼はいっせいに観客の視線をさらった。


 オーリがメルダと男たちの間に割って入った。舞踏のような格闘戦に観客が目を奪われる一方で、メルダが会場の窓に走り寄り、開け放つ。脱出方法が見つかったのだ。夜風が吹き込み、メルダの髪を揺らす。それが暗黙の合図だ。

 オーリがメルダと合流し、二人は窓から外へ飛び出した。


「待て!」


 唯一オーリに倒されていなかった男の一人がそれに続く。

 四人の追っ手は再起不能に陥ったまま。


 嵐が通り過ぎた後のような静寂が会場を包む。


 惜しみない拍手を気づけば送っていた。直後にしまった、と思う。……苦笑し、婚約者様が少し遅れて手を叩いた。それを皮切りに割れんばかりの拍手がわき起こる。追っ手役だった演者たちが立ち上がり、周囲を笑顔で見渡した。それぞれが四方に向かって一礼する。


 ひととおり拍手の音が鳴り止み、はじめに口上を述べた銀髪の男性がやはり大袈裟な動作で口を開いた。


「皆様方、短き観劇はお楽しみいただけましたか? そうでしたら幸いです。では――役割も終えましたので、これより我々も夜会の出席者となりましょう」


 退場したはずのメルダとオーリがきちんと軽食会場の入り口から入ってきた。追っ手役の一人も。三人をおどけながら男性が紹介する。


「彼らも大立ち回りを演じたので空腹なようです。どうぞご勘弁のほどを!」


 もう一度、三人のために拍手の音が響く。そして、寸劇の主役たちはあっという間に招待客に囲まれてしまった。


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