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彼女が婚約者様を嫌う理由  作者: まめちょろ
第一章 夜会にて
3/12

(3)


 私とカレルは、踊りの輪の中へと加わった。

 曲に合わせ、ステップを踏む。


「上手なのね」

「夜会の招待状が届くようになると、軍人もダンスの訓練をするよう指導を受けます。嫌でも踊れるように」

「ダンスは嫌い?」

「苦手です」

「自信をもって、スヴァルツ様。ダンスの技量が平均的な私とちょうど良いぐらいの上手さよ」

「褒められていると解釈して宜しいのでしょうか?」

「もちろん」


 技量の差がありすぎると、相手の負担になってしまう。私と婚約者様の場合、それが顕著に現れる。婚約者様が上手すぎて、傍目には華麗に踊っているように見えるはず。けれど私がついていけずに足を引っ張っている。おまけに、私は溢れ出そうになる心情を抑えるのにも必死で、身体の動きがぎこちなくなる。

 純粋に、ダンスを楽しむという意味では、婚約者様は私と踊っていてもつまらないのではないだろうか、と毎回思ってしまうのだ。


 ……努力する時期は過ぎてしまった。婚約者様と同等までには、私のダンスの技量はあがらないのだ。人はそれを才能の差、と言うのかもしれない。


 それにしても……。

 すごいわ。


 私は妙なところで感心していた。だって、カレルと普通に会話が続いていた。

 同時に、申し訳なさも生まれた。語ったカレルへの言葉はすべて本音で、私は力まずに踊れている。ちょうど良いのだ。

 けれどカレルにしてみれば、このダンスは不承不承引き受けた面倒事。いい迷惑といったところだろう。

 踊る傍ら、カレルの様子を窺っていると、


「……随分と、今宵はくだけた様子で話されるのですね」


 振ってきた指摘に、自分でもドキリとした。


「そう、ね」


 これまで、私はカレルとはどんな風に話していた? 身分で括るなら、私のほうが上だ。敬語を使わなくても許される。けれど、彼が年上の軍人であることから、今日まで、もっと丁寧に話していた、ように思う。にもかかわらず、さきほど「カレル」と叫んでから――私は、常よりも彼に対して馴れ馴れしかった、のではないだろうか。


 言い直さなければ。そうね、という返しも、相応しくなかった。


「そうですね。スヴァルツ様。今夜の私は、少しおかしいのです。……忘れてくださいませ。ご不快でしたでしょう」

「私よりも、婚約者であるローゼリート公爵を気になさるべきかと」

「……え?」


 頭一つ分以上背の高いカレルを見上げると、彼は私の背後を見やっていた。ついで、灰褐色の瞳が、私を見下ろす。温かみも甘さも見られない、どこまでも私を厭う、それ。

 頭上で手を取られ、カレルの誘導で私の身体は回った。立つ位置が、入れ替わる。

 そして、数秒前、カレルが私の背後に見たのだろうものを、私は目にした。


 白の礼服に身を包む、王族よりも王族らしい、と謳われる人。輝く金髪と澄み切った青空のような瞳を持ち、王者の如くその場に君臨する男性。


 あながち間違いではない。白色を紋章にあしらい潔白の象徴とする彼の一族は、王の血を受け継ぎ、古くから強い権力を持つ。貴族院でも最大の支持を集める。継承権の低い、第四王子だった現国王陛下が即位したのもルタード家の助力があってのことだと囁かれている。


 ――アレン・ルタード。


 三年前、父親である前公爵の事故死により、既に子爵であった彼は、ローゼリート公爵となった。


 私の、素晴らしい婚約者様。


 婚約者様は、私が見ていることに気づいた。

 彼の有する、高貴で近づきがたい雰囲気が、ふ、と柔らかくなった。微笑みが、婚約者様の完璧な彫像めいた顔に浮かぶ。


 私へ、向けられたもの。

 私だけが特別だと、その態度が示す。


 なのに、いつも私は逃げ出したくなる。

 けれどいつものように、私は婚約者様へ微笑み返した。おそらくそれは、とても空虚な笑み。私は、上手に装っているはず。――本当にそうだろうか。婚約者様がこの本音を見抜けないはずがない、と考える私もいる。それでも彼は故意に看過しているのではないか。

 何もかもわかった上で。


 一曲が、カレルとのダンスが、終わる。後は、互いにお辞儀をして離れるだけ。

 軽く握っていたはずのカレルの手を、半ばから握りしめていたと自覚したのは、婚約者様が、こちらへ歩み寄ってきてからだった。

 いまだ繋がる私とカレルの手に、刃のような視線が一瞬突き刺さる。


「――リヴィ」


 優しく、それでいて咎める意味を込めて、婚約者様が私の愛称を呼んだ。その声は、不思議と大きな声量でなくとも響いて聞こえる。抗いがたい、力が宿る美声。でも。


「次は、私と二曲目を踊ろうか」


 どうして、いつになく、堪えがたい、と私は思っているのだろう。幻の私が訴えた光景が、脳裏をちらつく。どうして私はカレルの手を握ったままで。


 婚約者様が、目を細めた。


「君たちがそうしていると、まるで私のほうが間男のようだ」

「まあ。ご冗談を」


 心の内で、自分で自分に命令する。――何でもないことのように、気取った顔をなさい。リヴィエラ・シェールトン。できるでしょう?


「では、私の元へ戻ってくれるね? リヴィ」


 カレルと繋がっていた手を、婚約者様が掴んだ。

 そうして宙ぶらりんになった私の手を強引に自らの口元へ持っていき、口づける。目撃した一部のご令嬢たちが頬を染め、ざわめいた。

 指先から唇が離れる。私はそっと腕を引いた。微かに婚約者様が笑う。拘束は、簡単に解かれた。彼の視線が、カレルへと向いた。


「私の婚約者が世話になった。感謝する」

「とんでもないことです」


 軍人らしい、貴族がするものとはまた異なる整然とした所作でカレルが頭を下げた。


「君は――スヴァルツ大尉、だったかな?」

「はい。自分などを公爵がご存じだとは。記憶に留めていただき光栄です」

「ああ、やはりそうだったか」


 婚約者様が、はっきりと笑みを口元に形作る。見惚れるような。


「君は三年前に、リヴィたち家族を守ってくれた下士官だ。それがいまや尉官にまで昇進しているとは。シェールトン中将も君のような部下を持って心強いだろう」

「身に余るお言葉です、ローゼリート公爵」

「――ただ、中将も無理をしないと良いが。貴族院が気をもんでいる」

「は。その旨、中将にお伝えしましょう」

「助かるよ。貴族院には余計なことをしないよう口添えしておこう」


 終始、カレルは礼儀正しく応答し、にこやかに婚約者様が会話を終わらせた。「失礼いたします」と辞去の挨拶をし、カレルが踵を返した。


 それを機に、新しく演奏が始まった。偶然ではない。私たちが話している間、とっくに始まっていてしかるべき演奏は、故意に中断されていたのだ。婚約者様に配慮して。


 婚約者様が、優雅に私へと手を差し伸べる。


「おいで、リヴィエラ」

「――はい」


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