(11)カレル・スヴァルツは上官の娘を嫌悪している【前】
「ローゼリートのところへ行ったそうじゃないか」
軍の射撃場でカレルの横に並び、小銃を構えた金髪碧眼の男――シュラム・ケラーが蔑むように放ったのはそんな一声だった。
――一発。
時間差で銃口から飛び出した弾は、遠方にある的の右側に命中した。
「首尾はどうだったんだ?」
ケラーは年齢、現在の階級こそカレルと同じだが、大きな違いが一つある。
向こうはウェーバー公爵の三男であり、将来は将官の地位を約束されている人間だ。階級とは別に、貴族として軍部内で幅をきかせている。
「犯行予告を受け、公爵の周辺を警護するための話し合いを行った」
小銃の撃鉄を少し起こし、装填の準備をしながらケラーが鼻を鳴らした。
「僕には言えないというわけか」
「何のことだか」
「中将とお前が、警護にかこつけてアレン・ルタードの懐でしようとしていることだ。――ケラー家の力添えが欲しくないか」
「中将と折り合いの悪いケラー大尉とは思えない言葉だ」
「僕は高位貴族だ。新興の男爵と馴れ合うわけにはいかない。ましてや近いうちルタードの縁者となる者ときてはな」
軍において、本来階級は絶対だ。しかし、そこに身分が絡むと、階級の絶対性が揺らぐ。大尉のケラーが、中将であるネイクに反発できる土壌を作る。
狙いを定め、カレルは装填済みだった小銃の引き金を絞った。火皿で火花が散り、発射された弾は、的の中心より左側を打ち抜いた。
火薬と弾を槊杖で銃口から押し込み、次弾の装填を終えたケラーが続けて撃つ。
先ほどと同じように、ケラーの撃った弾は的のやや右側に命中した。
「どうも調子が悪いな」
舌打ちし呟いたケラーが、高慢な調子はそのままに、的を見据えながら問いを口にした。
「――お前、僕につかないか」
「俺が中将の部下だと知っていてそれを言うのか?」
ふん、とケラーは再度鼻を鳴らした。
「シェールトン中将が、将来アレン・ルタードに取り込まれないと言えるのか? 娘があの男と結婚するんだろう。義理の息子を優遇しないと? あるいは、奴に内部に食い込まれた後で中将が排除されないと言えるか? そのときはお前も共倒れになるぞ」
「……中将は良い方だ」
「知っているさ。だがな、スヴァルツ。それが何になる? まっとうな人間ほど死にやすい。そして利用されやすい。あのルタードが親族になるならなおさらだ。――それにな、僕には確信がある」
「確信?」
「お前はアレン・ルタードとは絶対にそりが合わない。水と油だ。同じ側に属していても必ず敵対する。その場合負けるのは」
あえてケラーが口にしなかった答えは一つ。
負けるのはカレルだ。考えるまでもない。
公爵といち軍人。勝負の前から勝敗は決まっている。
「……まあ、まだ良いさ。ただし頭の隅にでもこのことを置いておけ。蹴落とすばかりが方法じゃない。平民出の軍人であっても、高位貴族と友好的な繋がりを持つことは大事だぞ」
「たとえば、シュラム・ケラーのような?」
「その通りだ。僕のような、だ。わかっているじゃないか。……さて、僕はこれで止めておく。お前は今夜、小劇場で仕事なんだろう? 休憩でもとったらどうだ」
「もう少し撃ったらそうするつもりだ」
「そうか。せいぜい気張れよ」
小銃を下ろしたケラーは踵を返した。数歩進んだところで振り返る。
「――言い忘れていた。ローゼリートの警護なら、僕との訓練のときのように手を抜いても構わないぞ。許す」
あきれ顔でカレルは軽口に返した。
「任務に失敗したらケラー大尉に唆されたと道連れにするが、いいのか?」
「できるものならやってみろよ」
にやりと笑い、ケラーが射撃場を出てゆく。取り巻きの軍人たちが、すぐにケラーを取り囲んだ。
――カレルは貴族出身の軍人からの評判が悪い。しかし、ケラーはその中では異端だ。いや、はじめの頃は、カレルとケラーこそが水と油だった。
だがカレルが昇進し、階級をあげた日、ケラーのほうから話しかけてきた。
『お前、いい目付きになったな』
『……そうですか?』
『ああ。僕がお墨付きをやる。以前の貴様は目障りなゴミ虫だと思っていたんだが』
『そのゴミ虫の平民に話しかけるとはどういう風の吹き回しでしょうか』
『楽に話せ。いまのお前なら、すぐ僕に並ぶだろうからな。それと、勘違いするな。お前がゴミ虫だったのは平民故にではない』
『平民故にではない?』
『そうだ。僕はな、能力があるくせにそれを腐らせている奴がこの世でもっとも気に入らない。そんなのは本人の自由だなんて戯言は聞きたくもない。力ある者はそれを振るうべきだ。お前は凡人と馴れ合って才能を腐らせている典型だった。そんな貴様に試合形式の訓練で適当に力を抜かれて勝ちを譲られたのは僕にとって三本の指に入る屈辱だ。そしてあれは紛れもなく、貴様から僕への侮辱だった。強者から弱者へのな。貴様にとっては処世術の一環だったとしても、だ。――それが、ようやく本気になったか。カレル・スヴァルツ』
以来、軍部内で所属する派閥こそ異なるものの、だからこそ、互いに融通をきかせることがあった。ケラーは平民の世界に疎いが、貴族の世界には精通している。カレルは貴族の世界には疎いが、平民の世界には精通している。丁度、足りないものを補うことができたのだ。
逆を言えば、カレルが以前のままであれば、ケラーとの関係はいまもって最悪だったろう。
ケラーの指摘は正しい。
カレルが軍人になったのは養い親の影響だ。衣食住も保証される。ほどほどに働き、稼いで退役すればいい。地位などいらない。昇進試験に挑戦する気もなかった。争い事は避け、挑発されても笑って流す。本気になって何になる?
おそらく、その有りようが、ケラーにとって我慢ならないものだった。
小銃を縦に持ち、火薬と球状の弾丸を銃口の先端から銃身に詰め、槊杖で奥まで強く押し込む。
火皿に火薬を入れ、蓋をすると、カレルは小銃を構えた。
撃鉄を完全に起こし、狙いを定める。
――撃つ。
弾は、的の中心に穴を空けていた。
目立たず、波風を立てず――。
それが正しいとカレルは思っていた。
あの少女に出会うまでは。




