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彼女が婚約者様を嫌う理由  作者: まめちょろ
第一章 夜会にて
10/12

(10)アレン・ルタードは婚約者を愛している【後】


「失礼。ローゼリート公爵。急な訪問となったお詫びを」


 執務室へ入るなり、挨拶と共に軍帽を取り、頭を下げたのは、リヴィエラの父、ネイク・シェールトンだ。薄い赤を帯びた金髪。リヴィエラの髪の色はネイク譲りだ。軍服を着用していなければ、痩せた壮年の彼が軍人だと思う者はほとんどいないだろう。文官のほうがよほど相応しい。ましてや、このテルナウム国の軍部で中将という地位に就いているとは。


「緊急と言われては私も応じないわけにもいきません。それで、中将、用件とは?」

「――『貴族狩り』について」

「なるほど。犯人逮捕の一報であれば嬉しいものですが」


 渋い顔でネイクが首を横に振った。


「そうであれば、わたしもどんなに喜ばしいか。残念ながら――『貴族狩り』の標的として、公爵が名指しされています。今朝、犯行予告が軍部に届きました。このことをお伝えに」

「ほう」


 面白い。


「私が、ですか。犯人も随分度胸がある」


 呟き、アレンはネイクの連れであるもう一人の訪問者に目を向けた。来客は、ネイクのみのはずだった。


「彼が先日の夜会に顔を出していたのは、『貴族狩り』に関する職務の一環で?」


 入室してから手を後ろに組み、直立不動している男。――カレル・スヴァルツ。アレンと視線が交差すると、スヴァルツは型にはまった動きで頭を垂れた。


「ええ。スヴァルツには『貴族狩り』の捜査を任せています。密かに夜会での警戒を。前回は招待客として紛れ込ませていました。公爵からの言伝は、受け取っております。貴族院を抑える助力をしていただき、感謝申し上げます」

「当然のことですよ。あなたも大変でしょう、中将。後ろ暗いところのある貴族は怯え、はやく犯人を捕まえろ、と軍部に圧力をかけている」


 ――『貴族狩り』。


 二ヶ月前のことだ。領地へ赴く途中、ダールケン子爵が何者かに襲われ、重傷を負った。十日後、ホルフェ伯爵が銃撃され、命は助かったが現在も死の床についている。

 その一ヶ月後、屋敷に閉じこもるようになっていたハマールス侯爵が殺害された。

 いずれの犯人も不明だ。

 しかし事件が調べられるうち、彼らは禁制品の売買をはじめとして、組織的な犯罪行為で私腹を肥やしていたことが判明した。


 彼らは被害者であり、加害者でもあった。


 話は伏せられている。しかし、貴族の当主ならば耳に入ってくる情報だ。貴族を狙い、未遂に終わった事件も増加している。

 密かに恐れている貴族は多い。


 貴族とは、基本的に裁かれないものだ。犯した罪が明るみになれば、社会的な制裁は受ける。以前のようには生きられなくなる。しかし、監獄入りすることはまずない。


 これは、それを快く思わない者の、裁きではないのか?

 現に、殺されたハマールス侯爵は、通常の方法では裁かれない罪を犯していたのだから。

 罪に手を染めたことのある貴族ほど、『貴族狩り』の犯人に狙われる可能性を考える。


「公爵。滅多なことはおっしゃいませんよう。犯人の動機はいまだわかっておりません」


 表では微笑を貼り付け、アレンは内心で嗤った。


「軍部内でも、『犯人こそ正義である』という意見が出ていると聞きましたが。……捜査に深く関わった者ほどそうなるとか。――スヴァルツ大尉。捜査に関わる君の意見はどうだろう? 『貴族狩り』の犯人は、正義か否か?」


 スヴァルツがアレンを見る。ほんの一瞬、卓上のレザリアの花束に視線が注がれた。灰褐色の瞳が、ある感情に染まる。

 それを覆い隠そうとするかのように、答えが返された。


「――犯人の見据えているのが、正義なのかどうか。私には正義というよりは、私刑に見えます。まずは罪の浅い者から襲い――関係者に次は自分だと思わせ――最も罪の重い者を最後に殺害する。見せしめと、標的を追い詰めるためでは? 正義にしては、やり方が歪んでいるのではないでしょうか」


 上手い返答の仕方だ。この場では、「正義である」と答えても、「正義ではない」と答えても、不正解なのだ。前者であれば犯人を肯定することになる。たとえそれが真実であろうが、それでは駄目だ。これは公爵であるアレンからの問いかけなのだから。犯人の正義を肯定し、貴族を否定してはならない。


 では後者であれば? 標的となった貴族たちは確かに犯罪者だった。それもまた覆せない。事件が起こらなければ罪を重ね続けた人間たちなのは明らかだ。正義の完全な否定は、被害者たちへの擁護とも取れる。断言するには、被害者の非が大きすぎるのだ。公平に捜査すべき人間が、貴族だからと被害者をただ肯定してもならない。


 ――やはり、引っ掛からないか。


 この程度の問いで失態を犯すような男を、軍部も夜会に送りはしないだろう。貴族におもねることなく、機嫌もそこねない。両者をかねてこそ。

 軍人であっても、貴族用の話術が求められる。


「参考になる意見だった、スヴァルツ大尉」


 黙ってスヴァルツが頭を下げた。レザリアの花束に向けていた嫌悪の色は既に消えている。


 ネイクが口を開いた。


「事態が落ち着くまで、常時、軍部が公爵の周辺を警戒します。――是非、公爵のご了承を」


 ネイク・シェールトンという男は、威圧感のない、軍人らしくない風貌をしている。また、誠実にも見える。しかし、それだけで中将という地位に居続けることはできない。

 ――なるほど。

 この機会に、屋敷を含め、『貴族狩り』からの警護を理由にルタードを合法的に調べるつもりか。


「もちろん――構いませんよ」


 アレンは快諾した。

 惜しむらくは――ネイクが、善人だということだろうか。どんな誘惑があっても、堕落の道を避けることができる類いの。


 同種の人間には好感を抱かれ、信頼関係を築ける。だがそれ故に、突き当たる障害が多くなる。正しい手段のみを選ばなければならない者は、そうではない者の前には弱い。

 かくして善人の限界が訪れる。正攻法を取れないとき、悪人に対抗できるのは同じように手段を選ばない悪人だ。


 いや――そのための、スヴァルツなのか。


「ありがとうございます。では、本日の『王女メルダ』の公演中は、このスヴァルツが警護につきます」

「それは心強い」


 新たな警護体制について、ネイクと話し合いを行う。ごく短時間で段取りは終わり、軍帽を被り直したネイクが辞去の挨拶を述べ、退出した。


「――スヴァルツ大尉には、思い入れが?」


 出し抜けにそう声を掛けると、ネイクに続こうとしていたスヴァルツが振り返った。さきほどまでそうしていたように、後ろで手を組み、直立する。


「何のことでしょうか」


 アレンは卓上のレザリアの花束を、持ち上げた。言い直す。


「この花に、思い入れが?」

「……求婚の際に用いられる花ですね。私には縁がありません。――それは、贈り物ですか」

「ああ。愛する婚約者への、贈り物だよ」


 リヴィエラの、ためだけの。


「……シェールトン嬢への」


 低い呟きが漏れる。他人行儀な、親しさの含まれない呟きだ。

 しかし、アレンにはそれがひどく、耳障りに感じられた。リヴィエラのことを、この男――カレル・スヴァルツが口にしたという、ただそれだけの事実が。


「彼女はこの花が特に好きでね。可愛らしいことだと思わないか?」

「婚約者から、レザリアの花を贈られて喜ばない女性はいないでしょう」


 ――そうだろうとも。普通ならば。 


「他に、私にご用件がおありですか、公爵」

「いや」


 直立をといたスヴァルツが一礼して背を向ける。


「――君、レザリアの花が嫌いだろう?」


 間が、空いた。


「はい」


 振り返らぬまま肯定を返し、スヴァルツが退出する。


「…………」


 それを見ようともせず、アレンはレザリアの花束にだけ視線を注いでいた。



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