第59話 妹のマーサ
ご覧いただき、ありがとうございます。
ユーリ王国での暮らしは、クレアにとって充実したものだった。
妹のマーサと共に、刺繍を刺したりダンスのレッスンを受けるなどをして日々を過ごした。
今日は、昼食後から庭いじりをしており、今は二人でスコップを手に持ち種蒔きの準備をしているところだ。
「お姉様。このお花はなんというのですか?」
「これはプリムラというお花よ。あちらはノースポールね」
「お姉様はなんでもご存知なのですね。お花の育て方も知っているなんて凄いです」
マーサは輝く瞳をクレアに向けた。
「マーサは普段は庭いじりは許されていないのでしょう? それなら当然だわ。私も庭いじりは最近するようになったのだし」
「お母様が他国の高位貴族に嫁ぐ王女が庭いじりをするのは好ましくないと仰って、許してくださらなかったのです。わたくしが他国に嫁いで侮られないようにと」
「そうだったの……」
思えば、今朝の朝食の際に両親の前でマーサがクレアに庭いじりの方法を教えて欲しいと懇願したことで現在城外の園庭の庭いじりが許されているのだが、そういったきっかけがなければマーサがこの王城で庭いじりをすることはなかったのかもしれない。
「……婚約は、幼い頃に決まっていたのよね」
「はい。昨年、ツイン王国の侯爵家のご嫡男のミトス様と、わたくしが十六歳で成人したら婚姻を結ぶ約束をいたしました。ミトス様とは三歳離れていますので頃合いだと両家の話し合いがあったそうです」
「そうだったのね。おめでとう、マーサ」
「ありがとうございます、お姉様」
マーサは少しだけ困惑色を含んだ笑みを浮かべたが、それはクレアに対して遠慮をしているからだろうと思った。
何しろ、クレアが人質としてブラウ帝国に滞在していた期間に、同帝国の皇太子アーサーと短期間であるが婚約を結び、つい最近に一方的に破棄されたことは周知の事実となっているからだ。
「……もしよろしければ、婚約のお祝いの品を贈らせてもらいたいわ。マーサは何か好きなお花はあるのかしら」
「まあ、よろしいのですか?」
「ええ」
「そうですね。わたくしは薔薇が一番好きです」
瞬間、クレアの身体がピタリと止まった。
「薔薇……」
「どうかなされたのですか?」
薔薇は、第二宮の中庭で創造の力により成長させたことで「魔法の香水」を作成することができた、クレアにとって思い出の深い花である。
加えて、中庭の薔薇が美しく咲いているのを目の当たりにしたアーサーが喜んでくれたことも、胸の奥深くに刻まれていた。
「いいえ。分かったわ。ささやかなものだけれど贈らせてもらうわね」
「わあ、お姉様ありがとうございます!」
にっこりと微笑み、クレアと同じ色の亜麻色の髪が風になびかせるまだあどけなさが残るマーサを、クレアはとても可愛らしいと思った。
まだ出会ってから日が浅いが、気がつけば打ち解けることができていた。
だからマーサの幸せを心から願った。
また、このユーリ王国の古城は、ブラウ帝国の皇宮郡よりもずっとコンパクトな王城のためなのか、みな和気藹々としていて居心地が良かった。
だが、クレアの胸中にはにいつもブラウ帝国で暮らしているアーサーやリリー、アンナ、第二宮の人々、スラムで暮らしている人々への想いが渦巻いている。
「アーサー様は婚約なさったのね……」
元々クレアは、自分はイリスが婚約を解消するまでの繋ぎの婚約者だと思っていた。
ただ、例のお茶会の後に届いたイリスからのお礼状によると、実際にはイリスとブルーノの仲は良好のようである。
だが、アーサーは結局別の女性と婚約することになり、ブラウ帝国から正式に国王宛クレアとの婚約は解消されたとの内容の国書が届いたのだ。
結果的に、当初の予想通りクレアは繋ぎの婚約者となってしまったのだ。
「アーサー様が幸せならそれでよいの。……だけど」
この胸の痛みは、いつか治ることがあるのだろうか。そう思うと、自分の気持ちが怒涛のように溢れてきた。
「私は、……弱い立場の者を決して見下すことのない彼が好きだった」
そう思うと、スラム街の人々が目に浮かんだ。
「みんな、元気かしら……。ただ、恒久的な対策を取らない限り、みんなが安心して暮らすことは叶わないのかもしれない。……きっとアーサー様は、そのために今も尽力してくださっているはず……」
今すぐアーサーと共に自分ができることをしたい。だが、創造の力は失われてしまった。
もう、クレアにできることは少ないだろう。
「私には何もできないのかしら……。せめて、金銭的な援助だけでもできたら……」
そうは言っても、クレア自身が持つ財産はほとんど無いに等しい。
加えて、彼女が金銭を稼ぐ手段もほとんどないだろう。
そう思うと胸にチクリと痛みを感じたが、ともかく今はマーサのために薔薇のモチーフのハンカチを贈るために刺繍を刺そうと思った。




