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帝国の人質として連れて来られた王女は、敵国の皇太子によって聖女の力に目覚める  作者: 清川和泉
第1部 不遇な人質王女

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第29話 名前で呼んで欲しい

ご覧いただき、ありがとうございます。


 そして帰路の途中。

 ガタゴトと揺れる馬車内にクレアはアーサーと向かい合って座り、先ほどからあることを切り出そうとしては何度も思い留まっていた。


「ところで」

「は、はい!」


 まさか、アーサーの方から話しかけてくるとは思わず、思いっきり身体をびくつかせてしまった。


「何でしょうか」


 先ほどのことがあったからなのか、アーサーに話しかけられると緊張が走り妙に胸が騒がしい。

 もちろん、その前からも緊張はしていたが、この緊張はそれとは別の部類のもののように感じた。


「もしよかったらなんだが、君にどうかと思うんだ」


 懐から何かを取り出すアーサーを眺めながら、考えてみると彼は今日一日で随分クレアに対しての話し方が気軽なものになったなと思った。

 先ほどは、それは魔道具で変装していたからだと思ったのが、すでに変装は解かれている。


「気兼ねなく使って欲しい」


 アーサーの前置きの言葉の後、クレアに手渡されたのは二つの包み紙だった。

 一つは薄桃色の紙袋で、もう一つは茶色の紙袋のようだ。


「あの、これは……?」

「贈り物と言ったら、少々大袈裟なのかもしれないな」


 紙袋を開けるように仕草で促されたので、まず桃色の紙袋を開けることにした。


「……わあ、素敵……」 


 紙袋の中身はハンカチだった。

 全体的に紫色の細かなレースが施されたもので、あまりそういうものとは縁遠かったのであまり判断がつかないが、かなり上等の絹のようだが……。


「とても、高価なものと見受けられるのですが……」


 受け取っても良いのだろうか。とはいえ、返すのも非礼だと思われた。


「ああ、構わない。君に使って欲しいんだ」


 何か他にも言いたそうではあるが、アーサーはあえてその言葉を紡がないようである。


「ありがとうございます、皇太子殿下」

「アーサー」

「……?」

「俺の名前はアーサーだ。……良かったらそう呼んでもらえないだろうか」


胸が強く跳ねた。


「駄目だろうか」

「い、いえ。……よろしいのですか?」


 想いを通じ合っているはずの、公女のイリスにしかその名前を呼ぶことを許してないのでは、とクレアは思った。


「ああ、もちろん」

「分かりました。では、私のこともクレアとお呼びください」

「ああ、分かった。クレア、これからもよろしく頼む」

「はい、アーサー様。こちらこそよろしくお願いします」


 そう言い合うと、どこか可笑しく思ったからか気がつくと二人で笑い合っていた。

 その間も、クレアの胸の鼓動は高鳴ったままなのであった。


 ◇◇


 その日の夜。


 クレアは自室で昨日アーサーからもらった二つの紙袋テーブルの上に置いて、それをしばらく眺めていた。

 すると、気持ちが抑えきれなくなりベッドに勢いよく飛び込んで寝転ぶ。


 作法的にはまずいかもしれないが、今は寝間着を身につけているし、なにより自分の気持ちを抑えることが中々できずにいたので大目に見て欲しいと心の中でそっと思う。


「家族以外の誰かに贈り物を贈ってもらうなんて、生まれて初めて……」


 ポツリと呟くと、心の中でこれまで長年()き止めていたものが溢れ出したかのように涙がこぼれた。


 感情なんてもう長いこと忘れていたはずなのに、思えばアーサーと接するといつも感動して涙を流しているように感じる。

 クレアは、思わず彼のことを思い出したからか、勢いよく身を起こして再びテーブルの近くまで素早く移動した。


 そして、今度は茶色の包み紙を手に持ち中身を取り出した。


「綺麗……」


 それは、透き通った石が付いた髪飾りだった。

 髪の毛を束ねることが多いクレアに配慮しての物なのだろうか。

 石は淡く桃色がかっていて、見ているだけで落ち着いてくるように感じるので不思議な気分になる。


「もしかして、市場で少し席を外していたのって、この髪飾りを買うためだったのかしら」


 おそらくだが、ハンカチは仕立て屋で購入したものだろう。


「何故かしら。この髪飾りを見ているととても懐かしい気持ちになる……」


 そう思って目を閉じると、先程馬車の中で自分が買った剣の飾りを贈った際のアーサーの表情が浮かんだ。


『これを俺のために買ってくれたのか……? ありがとう』


 そう言って微笑むアーサーの顔が思い浮かぶと、胸がぎゅっと締め付けられて温かい気持ちになった。


 ──「君を愛することはない」


 同時にこの言葉も脳裏を過った。


「そうよ、私はただの身代わりで仮初の身。勘違いをしてはいけないわ……」


 そう自戒するように呟くのだが、しばらく心が波立つように感じたのだった。

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