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皇后アストリンデは二度、純白の花束を拒む  作者: 八色 鈴


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04.誕生日の贈り物

 塔を訪ねると、師は壁龕(アルコーヴ)に腰掛け、書物を読んでいるところだった。

 師は目を布で覆っているが、見えていないというわけではないらしい。

 表面の革がすり切れ、元の色すら判別できなくなった書物を、熱心に読み込んでいる。


「おはようございます、師匠」

「ああ、おはよう」


 アストリンデに気づいた師は、書物を閉じ立ち上がる。

 そのまま近づいてくるかと思いきや、その場で立ち止まり、書棚の引き出しに向かって指を振った。


 カコン、と軽やかな音と共に引き出しが開き、真新しい包みが飛び出す。それは師の指の動きに合わせて、ふよふよとアストリンデのほうへ飛んできた。


「十歳の誕生日おめでとう。私からの祝いだ」

「ありがとうございます。開けてみても?」

「もちろん」


 師の声は相変わらず淡々としていたが、少なくとも最初に受けた印象のように冷たい人ではないことを、アストリンデは知っている。

 

 その証拠に、彼女はこの三年、アストリンデが誕生日を迎えるたびに贈り物を欠かさなかった。

 一年目は魔法の基礎理論を説いた本。二年目は鷹の雛――これは使い魔として育てろと言われたものだ。

 そして三年目の今日、師が贈り物として選んだのは――。


「……杖?」


 包みを開いたアストリンデの目に飛び込んできたのは、白い杖だ。よく(やすり)がけされており、うっすらと木目の浮かび上がった表面は滑らかで、ひんやりとしている。


「お前もそろそろ中級魔法を卒業する頃。いつまでも私のお古を使わせるわけにもいくまい」

「っ、ありがとうございます!」


 魔法使いにとって、杖は安定した魔法を整形するための補助であり、身体を守るための安全装置だ。


 魔力というものは本来不安定で、持ち主の感情や体調に左右されやすい。

 だがそれもティティア(魔鉱石)を介することで安定し、狙った強度で、意図した範囲に放つことができる。


 そして魔法の行使には、当然ながら魔力の消耗を伴う。下手をすれば寿命を削ることにもなりかねない。

 ゆえに魔法使いはティティアに蓄えられた魔素の力を借り、自身の魔力消費を抑えつつ、魔法の効果を増幅するのだ。


 初歩的なものとはいえ、先ほど師がやってみせたように杖を使わず魔法を行使するのは、大変難しいことなのである。


「どの石を埋めるか、この中から選びなさい」


 師が戸棚から引っ張り出してきた布貼りの箱には、宝石に加工されたいくつかのティティアが収められていた。

 赤、紫、青、緑。

 色とりどりの石が光を反射し、箱の中で思い思いの光を放っている。


 どれも美しいが、アストリンデの目を引いたのはやはり、ヴェスカルドの瞳と同じ琥珀色の石だ。

 よく磨かれたそれは、舌にのせれば甘いのではないかと思えるほどに、とろけた蜂蜜のような色をしている。


「では、これにします」

「お前らしい。腕ききの宮廷職人に埋め込んでもらうとよい」


 頷きながら、アストリンデの胸は喜びに高揚していた。


(これから、もっと難しい魔法を学べるようになる)


 アストリンデにとって、魔法はヴェスカルドを守るための盾であり、彼の敵を打ち倒すための剣だ。

 急く気持ちはもちろんあったが、何事も基礎を身につけるのが一番の近道。焦りを抑えては座学と反復練習を積み重ねることで、少しずつ魔法使いとしての土台を固めていった。


(今度こそヴェスカルドと、我が子と共に未来を歩んでみせる――)


 杖と宝石を受け取り、決意を新たにしたちょうどその時。窓のほうから、大きな羽ばたきと硬質な物音が響いた。

 見ればアストリンデの使い魔である雄の白鷹が、(くちばし)で窓硝子を叩いている。


「ゼフィロス、どうしたの」


 急いで窓を開けてゼフィロスを室内へ招き入れると、彼は慣れた様子でアストリンデの腕に止まった。

 使い魔とは、魔法使いが自らの魔力を分け与え、使役の呪を刻むことで生み出される従属の獣である。


 同一の魔力を保持しているがゆえに感覚を共有することができ、それは遠くの景色を見たり密談を盗み聞きするだけでなく、使い魔が過去に見聞きした記憶を辿ることすら可能にする。


 アストリンデは意識を集中し、ゼフィロスの意識の奥へと介入した。

 現在の感覚を越え、過去へと沈むように。

 程なくして、ゼフィロスの記憶が脳内に呼び覚まされる。


 まず視えてきたのは、室内をうろつくジルヴェナ。遅れて、彼女が侍女を叱責する声が聞こえてくる。


『アストリンデがまた塔の魔女の所へ!? お前たち、どうして止めなかったの! よりにもよって誕生日に、両親への挨拶を蔑ろにするなんて――』

『まあまあ、そんなに怒らないで。魔法を学ぶのはよいことよ』

『まさかナナだけでなくリンディにも魔法の才があるなんて。おかげで近頃、お前たちへの縁談がひっきりなしだ』

『お父さまもお母さまも甘すぎます! そんな風だから、あの子がわがままに育つんだわ』


 両親が優しくなだめるが、ジルヴェナは不満を隠そうともしない。

 アストリンデが塔の魔女の弟子になったと打ち明けた際、両親は大層驚いたものだ。

『あの気難しい方が本当にお前を?』と半信半疑ではあったが、実際にアストリンデが塔へ通い始める姿を目にしてからは、魔法の修行を素直に応援するようになった。


 魔法使いという存在が稀少となったパルシア王国において、王族が魔法を使えるという事実は、衰えつつある王国がなお権威を保つための数少ない拠り所となっていた。

 ゆえに、両親には反対する理由もない。だが、ジルヴェナにとっては事情がまるで違う。


 彼女はアストリンデの魔力が覚醒するまで、現存する王族の中で唯一の魔力保持者だった。パルシアの未来ともてはやされるがゆえに自信家で矜持が高く、周囲を見下す癖が身についていた。

 それは妹であるアストリンデに対しても変わらない。


 初めの頃、ジルヴェナはアストリンデの修行を『お子さまのままごと』と馬鹿にし、鼻にもかけていなかった。しかしいつの頃からか、大陸諸国の間で『パルシアには伝説の魔女の弟子となった天才王女がいるらしい』とまことしやかに囁かれるようになった。


 噂を聞きつけたジルヴェナは、以前にも増して妹を敵視するようになった。プライドの高い彼女にとって、才能ある妹の存在は自らの価値を脅かす、忌まわしい障害でしかなかったのだ。


「――馬鹿馬鹿しい」


 ゼフィロスとの感覚共有を遮断したアストリンデは、彼を再び窓の外に放ち、師に向き直った。


「どうやら姉が私を探しているようです。侍女たちに八つ当たりされても困りますので、そろそろ部屋へ戻ろうかと」

「誕生日を楽しみなさい。きっと――よいことがある」

「はい。素敵な贈り物をありがとうございました」


 普段と変わらず淑女の礼をとったアストリンデは、扉を出て階段へ足を踏み出す。

 上級魔法である転移魔法はまだ習っていない。

 それにジルヴェナが待っていると考えると憂鬱で、部屋に戻る時間を少しでも遅らせたかった。


 塔から外に出ると、春のあたたかな空気が頬を優しく撫でた。

 柔らかな陽光を浴びながら、アストリンデは細く柔らかな白銀の髪を、風に自由に遊ばせる。

 風は花の匂いを含んで、甘く爽やかだ。


「――朝露に濡れた石畳

目覚めたばかりの街の音

あなたが見つめた古い塔

名前も知らない白い花」


 気づけばアストリンデは歌を口ずさんでいた。

 前の人生でよく歌っていたそれは、パルシアに古くから伝わる子守歌だ。


「夢の扉を開くのに

剣も魔法も必要ない

ただぬくもりを抱きしめて

おやすみ 今日にさようなら」


『素敵な歌だね』


 ヴェスカルドはよくそう言って、アストリンデの歌に耳を傾けてくれた。元々あまり歌は得意ではなかったけれど、彼が喜んでくれるのが嬉しくて、一生懸命練習したものだ。


 優しい眼差しと微笑みを思い出し、鼻の奥がツンと痛くなる。

 この世界ではまだ、ヴェスカルドは生きている――それはわかっていた。

 けれど、時折不安になるのだ。


(この人生が、前の人生とまったく同じとは限らない)


 アストリンデが突然魔力に目覚めたように、何か前の人生とは違うことが起きるのではないか。

 その結果、ヴェスカルドと会えなくなるのではないか。


 暗闇の中を手探りで進むような心細さに、思わず足を止めたその時――。


「素敵な歌だね」


 懐かしい声が、アストリンデの耳を打った。

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