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執事は花の香の夢を見る 2

 女の子の物にしては、ちょっと大人びた便箋に封筒。やや右肩上がりの綺麗な文字で綴られた文面は、当たり障りのない花屋の広告文だ。


 (まあその方が読むにはしんどくないか。手間をかけて書いてくれたんだろうな)


 ベッドに横たわりながら、ロクフォートはナターシャからの手紙を読んだ。いや、分量的には読むというよりも、眺めたというのが近い。読むほど小難しい文章ではない。


 最後に"楽しかったです"の一語を見つけ、ほんの少し執事は目を細めた。30歳の自分より恐らく10歳は年下の女の子から、思いもかけない言葉をもらった。面映ゆい気持ちにならなかったといえば嘘にはなる。だが、そこで止まる気持ちなのだとも同時に思う。





 四年である。


 ロクフォートが妻、キャシーを亡くしてから経過した年月だ。正確には四年半の時間が流れていた。




 (かわいい花屋さん、お手紙をありがとう。返信は少し待ってください)


 手紙をしまい、ロクフォートは仰向けになった。薄明かりを通して見える天井は、いつもと同じ表情だ。キャシーの死後、何人かの女性から、それらしき気持ちを向けられたことはあった気はする。けれども心動くこともなく、また、そうした女性にこちらからあえて応えることもなかった。


 そもそもロクフォートの勘違いだったのかもしれないが、そうでなければ、自分はかなり酷い男であろう。軽く額を抑えながら、執事は考える。

 交際に発展するかしないかはともかく、相手の気持ちを無視していたも同然だからだ。


 幸いというかなんというか、ロクフォートは執事という職業柄、自分がこうする、こう振る舞うと決めた場合に、自分の感情や行動を制御する力が高い。冷たくならない範囲で相手の穏やかな誘いをやんわりと断り、かつ自分の心を乱さない術を使ってきた。それにより、大過なく過ごしてきたのだ。




 (思い過ごしだろうな。夏の祭の最中に二人で花を運んだから、共犯めいた感覚があるだけだ)


 ナターシャの顔を思い出してすぐに消しながら、ロクフォートはそう考える。好意など沸きようもない、そんな些細な出来事だ。だからこそ、この手紙の淡々とした文面を受け入れられる。




 結局、ロクフォートが特に迷いもせずに返信の手紙をしたためたのは、四日後のことであった。




******




「ソフィー様、これをお願い出来ますか」


 ある日、遊びに来たソフィーを玄関まで送った時に、ロクフォートは彼女に声をかけた。秋が深まりつつある今日この頃、薄いグレーの上着を羽織ったソフィーは、この年代の少女にしては驚くほど落ち着いて見える。


「あ、書いてくれたんですね。ありがとうございます、きっと彼女喜びますよ」


「屋敷の花を換える時には伺うと、そうお伝えください」


 微笑を浮かべて手紙を受け取るソフィーに、ロクフォートは一言だけ添えた。ほぼ社交辞令である。それ以外何があろうか。


 (ん?)


 手紙を渡した時、ソフィーの右手首に白い包帯が巻かれていることに、ロクフォートはこの時初めて気づいた。さらに全身をパッと意識して見ると、右肩のあたりに妙に力が入っている。


「お手、いかがなさいましたか」


 つい聞いてしまった。

 ロクフォートの質問に、金髪の少女は微妙な表情になる。右手首を背中側に回しながら「少し捻ってしまって」と答える。どことなく決まり悪そうではある。


「そうですか。お大事に」


 深く突っ込まない方が無難と判断し、ロクフォートはそれだけ答えた。そのまま長身を折り曲げて、屋敷からソフィーを送り出す。時には知らないことの方が優しさになるという、昔からの格言を信じた結果であった。






「ナターシャ、はい、お返事」


「なにっ! もう来たのか、というよりほんとに来たのか!?」


 屋台街の昼休み、食堂でのことである。焼き魚定食をつつきながらソフィーが差し出した手紙に、ナターシャが食いつくような視線を注ぐ。


 そのフォークに突き刺したベーコンが、危うく落ちそうになる。無意識にフォークを回転させてそれを防いだ後、ナターシャはじっと手紙を見つめた。


 (なんというか、シンプルな手紙だな)


 真っ白な封筒だ。ほとんど飾りっけがない。色合い異なる白で、微かに透かしが入っているくらい。


 男に手紙なぞもらったのはいつ以来かと考えながら、そっとフォークをもたぬ左手を差し出す。「お行儀悪いわよ」とたしなめながらも、ソフィーも左手で手紙を渡し、また魚に集中し始めた。


「読んだら? 多分、気もそぞろで食べられないんじゃない?」


「む、いや、手紙ごときで動揺なんかしないさ......あっ!?」


 ナターシャがいきなり声を上げた。フォークを持っていた右手は無意識にそれを離し、代わりに塩の瓶が握られている。それがメインのオニオンベーコン炒めにかかっていないのが、せめてもの救いだろうか。


 それを見たソフィーが首をかしげる。


「ねえ、塩と手紙とどういう関係があるの? 無意識に握ったというのは分かるけど、まるで因果関係が分からないわ」


「うん、私も分からない。そうだな、多分手紙を清めようとしたんだろう。普段男性からの手紙なんかもらわないからな、動転して警戒心が働いたのさ」


「一つだけ言わせて? 手紙は不死者(アンデッド)じゃないのよ? なんで浄化しようとするのよ!」


 ソフィーには分からない。


 ナターシャにも分からない。


「は、はは、そうだな、別に気が動転してなんかいないはずなのに、おかしいな。とりあえず塩を置いて、と」


 ゆっくり息を吐きだしながら、ナターシャは左手の指で挟んだ手紙を睨みつける。まるで親の敵かと言わんばかりに烈しい視線だ。対面のソフィーはその視線に怯み、魚料理を横に避難させた。


 その直後だ。


「っ! 殺った!」


 空になった右手が閃き、一瞬にして封筒が開かれる。のみならず、高々とナターシャが差し上げた右手には、ひらひらと舞う白い便箋が一枚。まさに瞬きほどの間の瞬間芸である。封筒の封を走らせた薬指で切り裂き、中指と人差し指で中の便箋をつまみ上げたのだ。言ってみればそれだけなのだが、ソフィーの目は何も捉えられなかった。


「ふふふ、私が本気を出せばこんなもんさ。手紙恐るるに足らず......!」


 ドヤ顔としか言いようがない。ギラギラした輝きをその瞳から放ちながら、ナターシャは手に入れた手紙の中身を誇らしげに見上げた。食堂の窓から差し込む秋の日差しが、白い紙をキラキラと輝かせる。


 裁きの神ディ・ユサールさえも、今の早業には感嘆のため息を漏らすだろう。抜刀の腕には自信のあるナターシャにして、これは会心の出来である。


「ねえ、ナターシャ。悦に浸っているところ悪いんだけど」


「ん?」


 ソフィーがおずおずと声をかけると、ナターシャは首を傾げた。ちなみにこの時、彼女らの周りには誰もいない。あまりの騒がしさとナターシャの挙動不審な言動に、皆恐れをなして逃げ出したのだ。忙しい昼飯時に迷惑なことである。


「手紙って、読んで初めて意味あるんじゃないの?」


 ソフィーの遠慮がちなツッコミに、ナターシャは目をパチクリさせる。


 視線はソフィーから右手の手紙に移り、またソフィーに移り、今度はゆっくり手紙に吸い付くように移った。


「――あ」


 揺れる便箋から覗く文字。端麗というに相応しいそれが視界にひっかかると、急にナターシャの心拍数が上がった。


「うわわわわわ! も、文字が! ロクフォートさんが書いた文字が見えたあああ! 駄目だ、私、恥ずかしくて読めないよおおおおお!!」


 いきなり叫んだ。便箋を摘んだ右手を、棒のように真っ直ぐにナターシャが伸ばす。いっそ放せばいいのにとソフィーは思うが、そこは乙女のいじましさか、けして離そうとはしない。


 限界ぎりぎりまでその細腕が伸び、白い指先がキリキリと反った瞬間――


「攣ったあああ! 痛い、痛いよおおおおお!」


 ピキッと小枝が凍りついたような音、それを掻き消すナターシャの大音量の叫び声。


「馬鹿なの!? ねえ、馬鹿なの、あなた!? 信じられない!」


 悶絶する残念な友の脳天に、ソフィーは反射的に思い切り平手でツッコミを入れる。バシン! といういい音が響く。おうふっ! という呻き声が、食堂の床から砂埃と共に舞い上がる。


 そう、女の友情は時に痛みも伴うものなのである。




******




 ソフィーに思い切りひっぱたかれ、ナターシャはようやく正気に戻った。だが既に一連の大騒ぎで昼休みは終わってしまっていた。結局彼女がロクフォートからの手紙を読んだのは、その日家に帰ってきてからだった。


 ちなみに攣った右腕はソフィーに気づかれないよう、無詠唱の治癒呪文をかけて治している。自分の戦闘力が規格外に高いことは、ソフィーにもまだ話していない。色々面倒くさいからだ。




 (ふう、やはり自分の部屋だと落ち着いて読める)


 夕食後、緩い部屋着に着替えたナターシャは、自分の机に座った。机の上に広げられた便箋は白く、その上に男性的な綺麗さを保った文字が書かれている。


 先程顔を冷たい水で洗ったからか、驚くほど冷静だ。昼間のような醜態は晒さずに済みそうだと思いながら、便箋の文字をゆっくり口に出して読む。




「拝啓 ナターシャ様


 この度はご丁寧なお手紙を書いていただき、大変ありがとうございます。そちらのお花には、いつも目を楽しませて頂いております。普段は私は足を運ばないのですが、せっかくですので機会がありましたら、一度伺ってみようかと考えております。


 神舞祭の際にはお手伝いしていただき、大変ありがとうございました。

 それではまた。


 ロクフォート・リザラズ」




 (ううーん......)


 短い文章だ。拒絶の雰囲気は無い。かと言って、喜んでいる風でもない。わざわざこちらが神舞祭の時は楽しかったと書いたのに、それにはまるで触れていないのはちょっと落胆した。


 (けどまあ、初めてやり取りする手紙なら上出来かなあ。とりあえず文通ならやってもいいよ、てことなんだろうな)


 椅子に腰かけたまま、ナターシャは手紙を見つめた。文字は何も語らない。だがあの背の高い執事が短いとはいえ、わざわざ自分の為に返事をくれたのだ。そう思うと、顔が緩むのを止められない。


 (そうだ。これは私だけの物だな。私の為に彼が出してくれた返信だ)


 そっと指先で文字に触れる。堅い紙の感触、だがナターシャは、その筆跡に相手の体温を確かに感じたと思った。それが単なる錯覚なのは分かってはいる。それでも、そう感じたいと思う自分の気持ちは大切にしたい。


「あの人、どんな生活してるんだ? ソフィーの話から独身なのは知ったが、恋人の一人や二人いてもおかしくはないよね......」


 ハイベルク家に遊びに行った際に、雑談の最中にロクフォートの情報をソフィーが聞き出し、それをナターシャに伝えて暮れていた。当たり障りの無いことしか聞けないが、それでもナターシャにはありがたかった。


 何せ、彼女は彼のことを何も知らない。

 知りたいとは思う。よく分からないから何でも知りたいという、自然な欲求がある。


 彼も彼女のことは何も知らない。

 知りたいとも別に思ってはいないだろうな。そう考えるとナターシャは少し落胆したが、まあ忘れさられていないだけましだろう。


 (細い糸ではあるが、とにかくロクフォートさんと接点は出来たことをよしとするか。しかし、この気持ちは何だろうな、好意? 関心?)


 ポニーテールの先を指でいじりながら、ナターシャは考える。もしあの時本気で一目惚れしていたなら、自分はもっとなりふり構わずアプローチの手段を考えていただろう。それこそ本気になれば屋敷の周りをうろうろして彼に挨拶する、という手段もある。


 (とにかく何となく気になるんだよ。分からないけど)


 ふとした瞬間に、共に大量の花を運んだ夏の夕方を思いだし、感傷に駆られることもある。近しいひとになりたいかなりたくないかで言えば前者なのだろうが、それが世間一般で言う恋人なのかは分からない。




 虫の音が響く秋の夜、花屋の少女は、己の心に咲き始めた思いに未だ名をつけられずにいた。




******




 (ちゃんと読めたのかしら、ナターシャ)


 同刻。


 ソフィー・アンクレスは台所で包帯を替えながら、友人のことを考えていた。右手の包帯はもうそろそろ必要ないはずだが、フレイを張り倒したあの時の後遺症が完治していない。治りきるまではちょっと怖いため、慎重にならざるを得なかった。


 あの時の自分の行動を馬鹿だな、とは思うが、後悔はしていない。もしまた同じ場面になったら、また同じことをしてしまうだろう。確信がある。


 いつかは仲直りした方がいいかな、とは思いつつ、心の内に吹き荒れる暴風が未だ収まらない。ソフィーはフレイにはまだ会おうとは思わなかった。そしてそれよりは、今はナターシャの方が気にかかる。




 手紙なのだ。


 素の相手ではないのだ。


 もう少し気楽にしてほしい、と今日の昼の食堂でのドタバタを振り返る。ソフィーは苦笑しつつも、ナターシャを憎めない。


「いてっ、はあ、やっぱりまだ完治してないわね」


 慣れない左手で右手首に包帯を巻きつけた。最後に強く締める際に、ピリッと痛みが走る。人をあんな力で殴りつけたことなど初めてだったから、加減が分からなかった。どうやら殴るというのは自分も痛いらしいとぼんやり思いながら、余った包帯を片付ける。




「ソフィー様? こちらにいらっしゃったのですか?」


「ああ、ケイト。うん、まだ右手が完全じゃなくてね」


 包帯を棚にしまいこんだ時、背中から声がかけられた。戸口の方から聞こえたメイドのケイトの声には、少しこちらを非難するような響きがある。


 "包帯など私が巻きますのに"という無言の響き。


 それに対して、ソフィーはあえて気づかないふりをして笑う。


「殿方を怪我させた時の負傷ですから、見られたくないのは分かりますが。左手では無理がありますわよ」


「ん、まあ、あんまり人にね、任せたくないのよね。大丈夫よ」


 赤っぽい巻き毛を揺らしながら気遣うような口調で聞いてくるケイトに、ソフィーはつい言い訳がましい口調で答えてしまう。

 フレイについて相談したにもかかわらず、その恋の結末は拳であったという恥ずかしさもある。ある種の反抗期であろう。



「ならよろしいのですが。よろしければ、眠りを安定させるお茶でも淹れましょうか?」


「いただくわ、ありがとう」


 いつもの会話、いつもの相手。一つの恋が破れても、世界はそれほど変わらないとは最近気づいたことだ。


 (ナターシャ、あなたの恋は何か変えるのかしら。それとも何も変わらない? 私はあなたの恋の行く末を見届けたいな)


 野次馬根性ね、と呟きながら、ソフィーはケイトが湯を沸かすのを待つ。シュンシュンと湯気が鳴る音が妙に優しい。秋の夜長はまだまだ始まったばかりである。


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