表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/66

執事は花の香の夢を見る 1

後日談です。

 ペンを紙に走らせる。何文字か書く。そこまでは出来た。だがそこから進まない。


 考える。何を書きたいのかと。何を伝えたいのかと。綺麗な言葉で自分のこのもやもやした感情を表すのは、今の自分の技術では難しい。分かっていたはずの事を改めて痛感する。とりあえず無難に季節の挨拶をしたためた。


「手紙一つ書くのがこんなにしんどいのか......我ながら前途多難だなあ」


 秋の夜更けに、ため息一つ。自分の部屋にこもったまでは良かった。けれども、一向に進まぬ手紙は、白い余白をまだまだ残す。


 栗色のポニーテールをふい、と揺らし、ナターシャは机に突っ伏すようにしてその手紙を眺めた。

 女の子らしい便箋である。小花模様を周囲に散らしてあり、その淡い紫色が目に優しい。だがデザインがいいからといっても、手紙の書き手に才能を与えてくれるわけではない。自分が書かねば、どうにもならない。


 (いや、しかしだ、ソフィーに約束したんだ。私は自分の思いを彼に伝えようと)


 ガバッと机から身を起こし、ナターシャは再び手紙に向かいあった。もしそれなりの腕の冒険者がその姿を見たならば、戦慄しながらこう語っただろう。


 "とてつもない気合いと実力を、あの華奢な背中から感じた"と。




******




「文通?」


「そう。いきなり会うのは尻込みするというなら、まずはお手紙」


 ソフィーに応援するからと言われたものの、具体的にどうやってあの執事さんに近寄ればいいのか分からない。勿論ナターシャが物理的な意味で本気を出せば、まったく気配を殺したまま、ハイベルク伯爵家に侵入し、想い人の部屋に忍び寄ることくらいは出来る。だが、残念ながらそういうことではない。


 心に近寄らねば意味がないのだ。


「――なるほど。いいかもしれないな」


 落ち葉の積もる公園のベンチに座りながら、ナターシャは呟いた。実はこの時、会計府ではマレットが上司のクロックにパドアールへの一年間出向を打診されていたのだが、それは彼女の知るところではない。


 "いきなり話しても会話のネタも無いし。何より心臓がもたないかもしれない"


 神舞祭の時にちょっとときめいたとはいえ、客と店員という間柄から割と普通に対応出来た。

 だが今回は違う。特にロクフォートに会う正式な理由がない以上、私人として会わなくてはならない。それはつまり、ナターシャがロクフォートに何らかの興味か関心を持っている、と伝えることと同義であった。


 少しはそういう経験もあるが、お世辞にも豊富とは言えないナターシャである。好意を持つ相手に面と向かって会うのは、ハードルが高い。やや遠慮がちな手段ではあるが、まずは手紙のやり取りというのは悪くないと考えて、ソフィーは提案したのである。


「やろう。まずはそこからだ、花もいきなりは咲かない。まずは種まきからだ」


「花屋さんらしい言葉ね。でね、書けたらあたしに渡して? 直接あたしがロクフォートさんに届けるから」


 何やら考えがあるらしく意味深な微笑を浮かべ、ソフィーもまたベンチに座っていた。秋晴れの空はどこまでも高く青い。


「普通に郵便では駄目なのか?」


「無いとは思いたいけど、ああいう貴族のお屋敷って手紙のチェックが重要な事もあるのよ。見知らぬ方からのお手紙だと、中身を見られちゃうかもしれないと思ったの」


「それはまずいな」


 まずすぎるよ、とナターシャは付け加えながら、前髪をかきあげた。指の隙間から、可愛いというより端正と評価すべき顔が覗く。


「でしょ。幸い、あたしはあの伯爵家の奥様のリーズガルデ様に好かれている。だから行くのは問題ないの。今度遊びに行った時に、執事さんに渡してあげられるから」


 そんな女友達に、ソフィーは自分の考えを話す。自分の人間関係をフルに使い切ろうとするあたり、利己的ではないものの、中々にしたたかであった。


「ありがとう、ソフィー。恋文なぞついぞ書いたことがないが、このナターシャ・ランドローのプライドに賭けて、全力で名文を記すことを誓う」


「ナターシャ、かっこいいわ。女の子から人気あるの分かるわね」


 キリッと表情を引き締め決意表明したナターシャを、ソフィーが囃す。誉めたつもりだったが、何故かがっくりとナターシャは肩を落とした。


「女の子からのかっこいいは聞き飽きたさ! ネタでソフィーが言ってるのは分かるけどね! おかげさまで、私は花屋なのに百合が嫌いになりそうだよ!」


 ハハ、と力無く笑うナターシャの肩を、ソフィーはポンポンと叩く。女の友情はかくも美しい。




******




 (ソフィーが力を貸してくれるのに、こんな手紙如きでつまずくわけにはいかん)


 気を落ち着ける為にお茶を一杯飲み、再びペンを手に取る。再度ナターシャは手紙に集中した。とりあえず無難なことを書こうと決める。


 (まあ、季節の花が入荷されたからいかがですか、という感じでいいか。あまり自分が得意でない分野に踏み込んでも失敗する。おっと、いきなりのお手紙失礼致します、は必須として、と)


 恋愛には奥手だが、別にコミュ障ではないナターシャだ、一旦手紙の文面の方針を決めると、あとは速い。さらさらと新しく入荷された秋の花とそれの紹介文句を記したそれは、完全に手書きの広告文である。


 悪くはない。心のこもった丁寧な手書きの店の広告文、しかもわざわざ手紙で出しているのだ。とりあえず特別な客として認識していることは伝わるだろう。


 (だが、もう一つ押しがあってもいいか?)


 ロクフォートの顔を思い出しながら、ナターシャは唸った。せっかくだから、もう少し相手と自分の間の接点を増やしたかった。手紙だ、会うわけじゃないから堅くはならない。今更ながら、ソフィーの考えた手段に感謝する。


 (これでいくか)


 数分考えた後、ナターシャは、手紙の最後に一言付け加えた。



 ~お祭りの時は楽しかったです。ありがとうございました、ロクフォート様~




******




 ねえ、ロクフォート。私、幸せだったわ。


 ごめんね。あなたを一人にさせて。でも、私と会う為に後を追うなんて、そんな馬鹿なことは


 ......しないで、ね




 ......ああ、そうか。


 ......彼女はもう、逝ってしまうんだな


 ......私の手の届かない所へと


 ......逝ってしまうんだな




 ロクフォート・リザラズは、時間を無駄にする男ではない。小雨が降る秋の午前中、自ら主の執務室を掃除していた。同時に、彼は頭の中に、あるいは心の隙間に植え込まれた痛みを思い出していた。


 いや、鈍いこの痛みは、むしろ祝福なのかもしれない。自分が彼女を忘れない為の。


 いつもではない。


 だが、ふとした瞬間に訪れる。


 この痛みは、あるいは最後の瞬間は。もう慣れたとは言えるものの、けして愉快な感覚では無かったが、これすら忘れたならば、自分は彼女に余りに申し訳なさ過ぎる。ロクフォートの心には、静かに重く、その信条とも言うべき想いが根付いていた。


 黒い執事服をきりっと着こなし、その首筋のあたりで深緑色の髪をくくり邪魔にならないようにしている。彼の所作は綺麗だった。背の高さを活かし埃を払い、本の背表紙を軽く拭い、窓ガラスを拭く。


 雨のせいだろうか、やや小粒な水滴を生じさせたガラスを拭く。ハイベルク家の上品に整えられた庭が、小雨を通して視界に入る。緑の芝は雨に濡れ、ところどころ色づいた庭の広葉樹の赤や黄を引き立てている。


 (モザイク細工みたいなものだ、弔いの心なんて)


 緑、赤、黄の織り成す模様が、ロクフォートに自然と連想させた。そう、一色で塗り込められた訳ではなく、不意に形や色を変えて訪れる物。


 美しい思い出なんかより、普通でいいから今も生きていてくれればと願わずにいられない。


 雨にうたれ濡れた落ち葉に己を重ねながら、ロクフォートは意図的に、視線を部屋の照明となる銀の燭台に合わせた。心の中の痛みを追い出す為に。


 長身の執事が覚えのある一人の女の子からの手紙を受け取ったのは、そんな秋の雨の日の午後であった。






「はい、ロクフォートさん。これ読んでみて」


「は? 私にですか」


 目の前の少女、ソフィー・アンクレスがキラキラと光を弾く金髪を輝かせながら、紫色の目をまっすぐにロクフォートに向けた。その手には、小花の模様が散りばめられた封筒が一通握られている。


 ロクフォートはそれを受け取り、そうっと陽に透かしてみる。特におかしなところは無い。


 ソフィーを気に入ったリーズガルデがこの美少女が遊びにくるのを歓迎していることもあり、たびたびソフィーはハイベルク家にやってくる。ロクフォートも執事として応対しているため、顔見知りと呼べる程度にはなっている。だが、手紙をわざわざ貰うような仲ではない。


「あたしじゃないわよ。ある女の子からお手紙」


「どなたです? わざわざソフィー様に託してまで、手紙を私に渡そうというのは」


「んー、背の高い執事さんのファンかしら?」


 怪訝そうな顔つきのロクフォートが黒い瞳を向けると、ソフィーは笑顔でそれを受けた。邪気の無いその顔に、まあ変な意図は無いだろうと判断した。届けてくれた礼を言ってから、ロクフォートは手紙を執事服の懐にしまった。




 ロクフォートがその手紙を読んだのは、一日の仕事が終わり、自分の部屋で脱いだ上着を片付けていた時だった。


 (忘れかけていた。失礼)


 封筒には名前が書いていない。故に開けてみるまでは、誰が手紙の出し主なのか分からない。まだ名前も知らない相手に軽く謝り、ペーパーナイフで封を裂く。


 軽い手応え、滑り落ちてきた便箋。開いたそれの片隅に、きちっとした筆跡で記された署名。



「ナターシャ・ランドロー? ああ、あの女の子か」


 仕事柄、ロクフォートは人の名前と顔は覚えるのが得意だ。声に出して発音すると、その人物に対する記憶が甦った。


 確か、神舞祭の時に買った花を運ぶのを手伝ってくれた、背の高い女の子だ。一体何の用だろうと首を捻りながら、ベッドに腰掛ける。少し寒いなと思い、彼は薄手のカーディガンを肩から羽織り、手紙に目を通す。




 ――これがロクフォートとナターシャの、二度目のコンタクトであった――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ