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重なる想い

「どうしたんですか、その顔」


「......話せば長いことながら、いや、短いか」


 鈍感と詰られ、ソフィーにぶん殴られてから一週間後、マレットの部屋にフレイはいた。

 ポーションをわざわざ使って治したにもかかわらず、フレイの左顎はまだ青く腫れている。それを見て驚くマレットに、バツが悪そうな顔で俯くフレイ。


 仕事帰りに会いたいと連絡しておきながら、こんなみっともない顔をさらすことになっている。フレイはため息をついたが、仕方がない。あの強烈な一撃で本当に痛かったのは、自分ではなくソフィーの方だろう。それくらいは彼でも分かる。


 秋の夜である。簡単に晩御飯を食べた後、二人でこうして向かい合うとまだ若干気まずかった。だが、フレイに迷いは無かった。


 (とはいえ、まずはこの傷の説明か)


 机を挟んで向かい合う。部屋着に着替えたマレットの表情が落ち着いてるのを確認してから、フレイは説明を始めた。


「えーとですね。ソフィーに相談しにいったらぶん殴られました。以上」


「ソフィーさんに、ですか。よりによって」


 うわ、というようにマレットは眉を寄せた。意外そうな顔はしていない。


「驚かないんですね。彼女が俺を慕ってたとあの時聞かされて、俺はびっくりしたんですけど」


「私、はっきり言われたことありますから。フレイさんが好きだからと」


 マレットの脳裏に甦るのは、勝ち気そうな表情で真っすぐに自分と向き合うソフィーの顔だ。あの時、マレットは驚いた。年上の人間に面と向かって、挑戦状を叩きつけたからだ。彼女は芯が強いな、と思う。


「知ってたんですね。で、今回マレットさんの転勤話が出て、俺が面白くないと愚痴ったら、あいつぶち切れて。それから、ぶっ飛ばされました。フレイは鈍感馬鹿で自分の気持ちにも気づかず、自分勝手だと言われて」


 全くその通りだよ、と声に出さずフレイは思う。


 (俺は俺の気持ちだけ考えて、周りの人のことなんて見えてなかったんだよな。悪い、ソフィー)


「はあ、まあソフィーさんの気持ちも、女として分からなくはないですね。けど凄い殴られ方ですね」


「痛っ、すません、まだ腫れてるんです! 触らないで!」


「あ、ごめんなさい。どれだけ酷いのかなと思って」


 不意に伸びてきたマレットの指に触られ、フレイは顔をしかめた。ほんとに染みる。いまだに青く鬱血しているのだ。


「八百屋で鍛えられたんじゃないですか。割と重い物持ちますから。で、俺の傷の話はこれくらいにしときましょう」


 真面目な顔になり、フレイは姿勢を改めた。途端に部屋の空気が緊迫感を帯びた物になる。


「確認ですが、一年間で戻れるんですよね。それは確実?」


「そこは大丈夫です。所長が自分の血判までして誓約してくれました。私も気になるところだったので、何回も聞きましたし」


「うん、なるほど――じゃ、我慢出来るか」


 そう言いながらフレイは右手を不意に動かし、マレットの頬に触れた。白い柔らかい肌の感触が指先に伝わる。


 いや、ほんとは嫌だよ。あなたが行ってしまうことが。


 でも決めたんだ。ソフィーに殴られて目が覚めた。だから、あいつには感謝しなきゃな。


「マレットさんにこうやって触れられなくなっても、一年なら我慢します。だから行ってきて下さい」


 マレットは答えず、フレイの右手に自分の左手を重ねた。包みこめるほどマレットの手は大きくはないが、フレイの手から伝わる熱がじんわりと伝わってくる。


「......ほんとにいいんですか」


「はい。で、俺ちょっと決めたことあって」


 くるりと右手を翻して、フレイはマレットの左手を取る。今度はフレイの右手がマレットの左手の上にくる。二人の間の机に手を重ねながら、フレイは話し続けた。


「俺、会計士目指そうかなと。一年あれば勉強時間足りるでしょう」


「えっ、本気ですか。無理とは言わないですけど、かなり難関ですよ」


「本気です。多分、今のままどこかで働いても俺、マレットさんに追いつけないんで。だったら、しばらく今のままで私塾通いながら目指してもいいかなと」


 これがフレイの出した決断だった。もちろん会計業務の最高峰である会計士は難関資格である。監査業務に加え国の各種法律も覚える必要があるし、試験には報告文書作成まで含まれるのだ。


 その試験の難易度と自分が目指したい方向、そしてマレットとの関係を踏まえてフレイは決めた。


「もちろん、上手くいかないかもしれません。でも一年後落ちたとしても、そこからでもまだ職に就くのは間に合うと思ってます。ブライアン義兄にいもリーズねえも、まだ居候していてもいいと言ってくれてますから」


 (賭けに出なきゃいけないんだ)


 正直交際相手がマレットじゃなければ、こんなに無理しなくてもいいのでは、と思わないでもない。


 だがとにかく決めたことだ。

 彼女の為ではなく、自分の為に。


「俺は自分より上のあなたに並び立ちたい。だからやります。マレットさんを待つだけの男になんてなりたくない」


 そう言いながら、フレイは座ったままのマレットの後ろに回った。背中から包みこむように抱きしめる。


 ん、と小さく喘ぐマレットが愛しくて。

 もうすぐ一年間お別れだと思うと寂しくて。


「ありがとう、フレイさん。私、頑張りますから。あなたに会えなくても転勤先で頑張りますから......信じてるから」


「なんだかんだいって、マレットさんの方がきついっすよね。パドアールて馬で10日間くらいかかるでしょ、確か。田舎なんでしたっけ?」


「王都に比べればそれはまあ。大きな地方都市と聞いているので、生活に不便は無いらしいですけどね」


 包みこむようなフレイの腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。耳元で囁くような声は優しかった。


「手紙、書きますから。マレットさんが俺のこと忘れないように」


「忘れませんよ? でも私も書きますからおあいこですよね。浮気したら嫌ですから」


「しないですよ、失敬だな、勇者様じゃあるまいし」


 少し拗ねたようにフレイはぷい、とあっちを向いた。それが可愛らしくて微笑ましい。

 マレットはフレイの髪に手を伸ばし、くしゃくしゃとそれを揺らす。


「一年後が楽しみになってきちゃいました。きっとフレイさんなら会計士なってるだろうから」


「ほ、ほんとはめちゃくちゃびびってるんで。あんまりプレッシャーかけないで下さいよ! やってやりますけど!」


 二人の顔に笑顔が戻る。マレットは嬉しそうに、フレイはちょっと引き攣り気味に。それでも笑えたという事実が、二人の心を軽くした。


 (この人じゃないと人生やっていけないわけじゃないけど、だけど、俺はこの人と会ってから人生変わったんだ)


 (この人に会わなかったら私、ずっと殻に引き込もったままだった)


 言葉に出さない互いの思い。それを伝えるのは、触れ合う手の平の感触。


「マレットさん、俺、あなたを大事に出来てる?」


「花丸あげちゃいますよ」


「ほんとに? じゃ自信持っちゃいますよ」


 そう笑いながら、フレイはマレットの正面に回った。きちんと目を見つめて口を開く。ドキドキする心臓に鎮まれと呼びかけながら。


「今晩泊めて下さい」


 一瞬だけマレットは固まった。ほんの少し目が大きくなり、次の瞬間には、フレイに優しく笑える自分に安堵する。


「――いいですよ、でも恥ずかしいな」


「俺もですけど」


 互いに意識すると、途端に顔が見れなくなる。それでもおずおずとフレイはマレットの手を取った。小さな手だな、と思いながら座った状態から引き起こし、背中に手を回す。


 女性としては、マレットは平均よりほんの少しだけ背が高い。それでも、フレイからすると小さく思える。女の体ってなんでこんなに細いんだろうなと思いながら、次第に高ぶる感情に任せてその首筋に唇を這わせた。


 声にならない喘ぎが自分が抱き締める女から聞こえ、自然とフレイの体が熱くなった。服の上からせわしなく相手の体をまさぐり、また相手にも触られる。


「――寝室、あっちですから」


 俯いたまま真っ赤な顔でマレットが囁く。もう止まりようが無かった。




******



 (......あれ、私、何してるのかな)


 うっすらとかかっていたもやが晴れるような感覚に支配されたまま、マレットは考えた。なんだかひどく体がだるい。疲労しているのかな、と思う。だが、いやに甘い心地よさもある。


 横になっているらしいと思いながら、右腕に感じる重みに気がつく。体温。そして微かな鼓動。


「そっか、私、フレイさんと......」


 窓から差し込む青い光に目を細める。今、彼女の寝室にいるのは、彼女一人ではなかった。闇に慣れつつある目は、隣で幸せそうに寝息をたてる黒髪の青年を捉えた。


 二人で包まった白いシーツ。

 

 それがもみくちゃになっている様子が行為の激しさを物語っているような気がして、マレットは思わず目を逸らした。そして、自分もフレイも一糸まとわぬ身体のままということに気がついた。フレイを起こさないようにシーツの山から這い出て、とりあえず肌着だけ身につける。


 肌寒いが、それとは裏腹に、体の奥底からかっかと燃え上がるような感覚があった。それが疲れきって落ちるように二人で寝る前にしていた行為の残り火らしい。意識すると、嬉しさと恥ずかしさの両方が沸いて来る。


「あんなにフレイさん激しいと思わなかったですよ」


 何にも知らずにいまだ眠り続ける恋人の額をちょんと指で突いて、マレットは水を取りにその場を離れた。

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