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マレット、ハイベルク家に呼ばれる 3

 マレットによる謎解きも終わり、全員がまた居間に戻る。フレイが座りながら会話の口火を切り、マレットに話しかけた。


「あの、こういう投資資産の価格が購入価格より暴落していた場合って、仕訳切って計上する必要あるんですか? 今回は当時のハイベルク家の個人資産で購入していたから、それはしなくていいと思うんですけど」


「あの美術品の購入価格っていくらでした? 20万グランですか、もし商会が投資目的で購入していれば


 短期投資資産 (資産勘定) 200,000 / 現金か買掛金 200,000


 で計上しますね。多分短期、一年以内を指します、で売りさばくつもりだったと思うので。もし一年以上保有するつもりなら、長期投資資産勘定を代わりに使います」


 さっきの話の後、全員が尊敬の眼差しで見てくるので些か居心地が悪い。それでも何とかマレットは説明した。

 こんな場合でも、長身の執事、確かロクフォートと呼ばれていたか、は表情一つ変えずにいつでも動けるようにしている。彼はぶれないなと、マレットはふと思った。


「不幸にも今回推定市場価格が2万グランにまで下がってしまったので、この短期投資資産の価値をそれに修正する必要があります。市場価格の上昇、あるいは下落が一時的なものならば、これは必要ありません。ですが今回は、恐らく二度と価格の回復は見込めないでしょうから」


 ガクンとリーズガルデが肩を落とす。悪いのは彼女ではなく、遠い昔に投機に走った当時のハイベルク伯爵ではある。それでも、自分の嫁ぎ先の失敗が明らかになったのが、悔しいらしい。妻をなだめるようにブライアンがその肩を叩く間にも、マレットの説明は続く。


「資産価値修正の為に切る仕訳は


 資産含み損 (費用・損失) 180,000 / 短期投資資産 180,000


 になりますね。もともと計上されていた短期投資資産200,000はマイナス180,000が仕訳により入り、20,000グラン、つまり、現在妥当とされる市場価格まで価値が下がります」


「こんなの簿記二級試験でも出なかったですよ」


「あんまり主要な知識じゃないからですね、投資や、まして投機は、商会の本来の業務では無いですから」


 フレイに答えながら、マレットはふう、と息をついた。些か疲れたなと思うものの、役目は果たしたはずだ。開放感が広がっていく。


「まあ仕方ないわね。そういうことに巻き込まれた、というのが分かっただけでも収穫だわ。ありがとう、マレットさん。あなたのおかげですっきりしたわ」


 マレットの対面に座ったリーズガルデが、にこやかに笑いかける。過ぎたことは過ぎたことと割り切った様子だ。同性のマレットの目から見ても、この女性は明るい表情が似合う。絵に描いたような美しい若き伯爵夫人であった。


「とんでもありません、リーズガルデ様。たまたま私がそういうことを知っていただけで、たいしたことはしていないのですから」


「ああ、もう堅苦しい呼び方は止して。リーズでいいわ、あなたの方が年上なんだし。それにフレイのお付き合いしている方なら、うちの身内みたいなものじゃない。ねえ、あなた?」


 突然話をふられたブライアンが「ま、そうだな」と頷く間にも、元気を取り戻したリーズガルデは話し続ける。


「でね、ほんとは今日あなたをうちにお呼びしたのは、他に聞きたいことがあるからなの。あなたの目から見てフレイって見込みある? その、簿記や会計の方面でよ」


「え、俺の話!?」


 まさか矛先が自分に向くとは思ってはいなかったのだろう、フレイがギョッとした顔になる。その従兄弟に、赤毛の伯爵夫人はしれっとした顔を向けた。


「うちはあなたの後見人なのよ? もし見込みの無いことに、時間とお金をあなたが突っ込んでいるようなら、私達には止める義務があるわ。デューターのお父様には顔向け出来るんでしょうね?」


「――ありますよ」


 慌てるフレイを擁護するように、マレットはしっかりした口調でリーズガルデに答えた。その瞳はまっすぐで曇りが無い。


「知識の理解力、意欲両方をフレイさんは備えています。これは、私がフレイさんとお付き合いしているから言うわけではありません。一人の簿記、会計に携わる者として、フレイさんの将来性は高く評価しています」


 これはマレットの本心だ。最高レベルの実力があるかどうかはともかく、このまま伸びれば一流かそれに近いところまでは行く。それがマレットの見立てであった。知識欲もさることながら、まだ18歳という年齢を加味すれば尚更だ。


「え、俺全然そんな自信無いんですけど?」


「フレイさんは自己評価が低すぎますよ。ただでさえ、若い貴族階級の人で簿記みたいな地味な学問を修めようという人は少ないんですから、それだけでも評価されます」


 マレットの言葉に、ブライアンはそんなもんか、とフレイへの評価を改めた。今まで、年下のまだまだ頼りない弟分としてしか見ていなかった。だが、いつの間にか彼なりに成長していたらしい。

 隣に座るリーズガルデもそれは同感のようであり、嬉しそうに口元を抑え笑っている。


「そうなのね。よかったわね、フレイ。会計府に勤める才色兼備の恋人からのお墨付きよ、自信持ちなさい」


「いえ、そんな」


「謙遜されなくてもいいわ、マレットさん。今日のお話を聞いて、あなたが本当に良い方だというのは良く分かったもの。今だから言うけれど、お見舞いに来ていただいた時よりずっと素敵よ。手のかかるフレイも、ちょっとはあなたのお役に立てて?」


 (あ、やっぱり試されていたのね)


 マレットはそこで気づいた。恐らく美術品の価格のからくりの謎解きは今回の招待の副産物である。リーズガルデとしてはマレットがどんな人物か、一度自分の目で確かめたかったのだろう。それが今回の招待の主な目的だ。フレイの後見人としての義務も好奇心も両方理由にはなろうが、それにしても。


 (多分、ウォルファートアートについて私が価格のことを知らなくても、それはそれとして納得されていたはず。試されていたのは――そう、完全に格上の伯爵家でもきちんと自分の意見を言えるかという意志の強さと、礼儀正しさよね)


 いくら考えても最終的には、真意はリーズガルデの胸の内だ。結局彼女の手の平で踊っていただけかとマレットは思ったが、不思議と不快では無かった。


 それは恐らく、フレイがこの二人に大切にされていることを実感したからだろう。自分を不要に感じることがあると、あの日フレイは悩みを吐き出した。けれども現実には、彼のことを親身になり考えている人が身近にいる。その事実はマレットの心を暖かくし、自然に笑みが零れた。


「ええ、本当にフレイさんとは楽しくお付き合いさせていただいています。今後ともよろしくお願いしますね、ブライアンさん、リーズさん」





 その日、ハイベルク伯爵家で催された晩餐が大層楽しげな雰囲気であったことは、言うまでもない。




******




「ええ、はい。聞いてますよ。優秀な若い職員を一年派遣するという話でしょ? まあ、確かにね、地方都市の会計府、それも業務長クラスを勤めれば、かなり視野も広がりますから。ただですね、なかなか適当な人物がいないんですよね」


 いつもニコニコとした顔がトレードマークの男が通信石を片手に困った顔をして、それに相応しい声で話している。会計府の職員ならそれを見て驚いただろう。


「あのクロック所長があんな顔で?」と。


 その男、クロックはまだ話していた。通信石の会話の相手は分からないが、ずいぶんこみいった話らしい。


「ううん、まあいなくもないんですけどね。どうしたもんかなあー、まあ、話すだけ話してみますよ、はい」


 それで会話は終わった。ヤレヤレという顔で、クロックは職員の名前が記された名簿を眺める。


「......やっぱりマレット君かなあ」


 ぷにぷにした人差し指が、マレット・ウォルタースの名前を名簿から捜し当てた。

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