マレット、ハイベルク家に呼ばれる 2
奇妙な状況であった。
フレイ、マレット、リーズガルデ、ブライアンがソファに座り、テーブルを囲んでいる。
外はよく晴れ、秋の風景が広がっている。この辺りはきちんと区画分けがされ、主に貴族階級の人間が住む。その為、個々に広い敷地が存在しており、市街の雑然とした空気は伝わってこない。
誰がどう見ても穏やかなお茶会にしか見えないはず――なのだが、四人が浮かべる表情は、どこか落ち着かない。
端的に言おう。マレットは何を言われるのかとびくびくしており、リーズガルデは呼んだ相手がびくついている様子を隠そうとしていることに気がつき、イラッとしている。フレイとブライアンはそんな二人を眺めながら、どうにか会話をスムーズにさせようと必死であった。
(あーあ、無理にマレットさんを呼ぶからではないですか、奥様)
来客の為、自らティータイム用のポットやカップを運んできた時、ロクフォートはそんな場を見て心の中でため息をついた。彼の視線の先では、ぎこちない会話が展開されている。
「この間はフレイのお見舞いに来ていただき、ありがとうございました、おかげさまで、この子もすっかり元気になりましたのよ」
「いえ、私は一度うかがっただけで何も。もともと体力があったのですよ、奥様」
リーズガルデとしてはいちゃもんをつける為に呼んだわけではない。だが自分がそう思っていても、マレットがそう疑念を抱いている可能性には気づいていた。本音を吐き出させたいリーズガルデとしては歯痒いのだが、やむを得ないかと考える。
(私だって同じ立場ならやはり緊張するわよね)
格上の貴族の家に招かれ、相対するのは職場で顔を会わせる機会はあるといえど、由緒正しい伯爵家の当主とその妻だ。それが自分の交際相手の後見人ときていれば、緊張しなければおかしい。
その緊張感を和らげるように、ロクフォートが静かに近づいてきた。右手の白い陶器のティーポットからは、誘うように湯気がゆっくりと立ち上る。そこから微かに柑橘系の香りが漂った。
(いいタイミングだ、ロクフォート)
(見ていられませんよ)
目線だけで称賛するブライアンに、やはり目線だけで答えるロクフォート。その間にも、コポコポと香り高い紅茶が各自のティーカップに注がれていく。
「あのさ、リーズ姉。ほら、ほとんど話したこともないのに、いきなり打ち解けるなんて無理だろ。美術品の用件進めた方がよくない?」
紅茶で喉を湿らせてからフレイがかけた声に、全員が安堵した。特にマレットは助かった思いである。家柄的に格下なだけに、さっさと話したい事柄へと自分から誘導するのは躊躇われたのだ。
(ありがとう、フレイさん)
(どういたしまして)
恋人同士の視線が一瞬交錯する。それを認めたリーズガルデは「そうね、用件に入りましょうか」と普段の口調に戻し、マレットの方へと姿勢を改めた。
「私がわがままを言って来ていただいているのだから、私が話すわ。構わないわね、あなた?」
「どうぞ。僕は見学さ」
この件にやけにこだわるリーズガルデは、ブライアンの了承を得て話し始めた。大体はフレイがマレットに話した通りであり、これといって目新しい情報は無い。ただ美術品の鑑定結果に話が及んだ時、フレイが聞き忘れていた事実がリーズガルデの端麗な唇から飛び出した。
「私だって美術品の価格変動が激しいことくらいは知っているわ。でもだからといって、元の買値の10分の1は無いでしょう? 信じられないわよ」
「それは......ずいぶん安く見積もられましたね」
言うまでもなく、マレットは美術品の専門家では無い。それでも、ハイベルク家ほどの家格の貴族が所有する美術品が、買値の一割にまで安く見積もられるというのは尋常ではない。それくらいは分かる。
「その美術品は本物ですか? 失礼ながら贋作、つまり偽物をつかまされたということは?」
「それは真っ先に疑ったよ。本物だった。目録も正式なものだった。それは信じていいと思う」
答えたブライアンは妻ほどこの件にこだわってはいないようで、どこかやれやれという様子である。そもそも存在自体を認識していなかったので、今回の倉庫の掃除で見つけて幸運くらいに考えているのだ。
リーズガルデもその点は同じである。彼女が納得いかないのは売却して得られる代金が異常に安いことではない。ここまで不合理と思われる事象が発生するというのが、容易に信じられない為である。要はなめられた、と感じているのだ。
(贋作の可能性は無い、となると――あ、そうか)
せっかくなので淹れてもらった高級紅茶を楽しみながら、マレットは一つの可能性に辿り着いた。美術品ならば有り得ることだ。だが、それには実物をこの目で確かめる必要がある。
「その美術品、確か絵画や彫像が何点かでしたよね。実物を見せていただいても? それと目録も」
「絵画が三点、それに彫像が一点ですね。別室に運んでいますからそちらに行きましょう」
マレットの問いに答え、ブライアンが立ち上がる。そつなくロクフォートが開いた扉から、全員が隣の部屋に移動した。
やや先程の部屋より狭いものの、それなりに広い居室だ。普段は空き部屋なんです、とフレイが説明しながら、部屋の片隅を指差す。そこには白い布がかかっている。いや、何か大きな物品に白い布がかけられており、その一角が持ち上がっているように見えた。
「俺が取ります。目録も一緒にあそこに置いてある」
すたすたと近づいたフレイが、白布を慎重に剥ぎ取る。バサリと音を立てて床に落ちる布には目もくれず、マレットはその中から現れた件の美術品に集中した。
個人が所有するにはやや大きいサイズの油絵が三点、普通の人間より二回り小さいサイズの彫像が一点だ。そして絵画に描かれている人物と彫像が同一であり、自分も間接的にとはいえよく知っている人物であることを確認する。一つ頷き、マレットはフレイから目録を受け取った。
「これ、目録です。年代的にはおよそ今から50年前あたりに製作されたものばかりっす」
「少し借りてもいいですか?――ああ、やっぱりそうですか」
絵画や彫像を見た瞬間、マレットは自分の推測が恐らく正しいと感じた。その恐らくが目録を確認した後、確信へと変わる。
「全部勇者様を対象に製作された絵画や彫像ですよね。シュレイオーネにおける通称"ウォルファートアート"の一環」
「それは私だって分かるわ。なんせ勇者様を対象にした美術品といえば、貴族はおろか平民の家にも小さい絵くらいはあるもの。でも、だからこそ」
絵画に描かれた勇者の正面からの顔を見ながら、リーズガルデがマレットに息巻いた。シルバーブロンドの髪の質感まで見事に描かれた勇者は、何も言わずに四角い絵の中で佇む。
「ある程度画家の名前に左右されるとはいえ、市場価格は安定しているわ。10分の1なんて有り得ないわよ!」
「有り得るんです、それが」
リーズガルデの怒りを鎮めるように、マレット冷静に言葉を紡いだ。その手に持つ目録を開き、全員に見せるようにする。
「これは本物ですし、保管状態も悪くありません。ならば、何故購入価格の10分の1などという鑑定結果が出るのか? 重要なのは50年前というこれらの製作時期にあります」
そう言いながら一歩横に動き、全ての絵画や彫像をマレットは眺める。
(上手く説明できればいいけど)
「確かにリーズガルデ様のおっしゃる通り、ウォルファートアートの価格は安定しています。それはある程度経年したものでも適用されます。ただ、50年前、つまり勇者様が魔王を倒した直後ですね、この時期に製作されたウォルファートアートの一部は、異常に高値で取引されていたんです」
「え?」
全員が虚をつかれたような顔になる。少し落ち着いたのを見てから、マレットは説明を開始した。既にこの屋敷に招かれた時に感じた緊張はどこかに過ぎ去り、記憶から引きずり出した情報を順序よく整理する。
「大魔王アウズーラを倒した直後から、ウォルファートアートは製作を開始されました。当時の勇者様人気を背景に製作される美術品は次々に売れていったという記録が、会計府には残っています」
「ちょっと待ってくれ、マレットさん。私も教養として美術史は学んだが、そんなことは書いていなかったぞ。ちなみに美術史の成績は悪くなかった」
ブライアンが反論する。頷きながらそれを聞きつつも、マレットの目は揺るがない。
「それは今から話すことが適正な市場価格の形成を歪めることなので、正式な美術史から削られた為ですね。いわば美術品価格市場の闇があの時期ありました」
勇者ウォルファートへの熱狂ともいえる人気。
戦乱で荒れた国土で一儲けしようとする悪徳美術品業者の氾濫。
物資不足にもかかわらず、高価な絵画用油絵の具や彫像用の石膏の使用。
「これらが組合わさり、当時製作されたウォルファートアートを投機目的で買い、短期間の値上がりで転売し利益を得ようという人達が美術品市場に参入した結果、それまでの取引価格はどんどんと高騰しました。これを私達会計府では泡沫と呼んでいます。泡のように膨らむだけ膨らんで実態から離れた異常な価格が形成されるため、こういう呼び名がつけられたんですね」
マレットが簿記や会計とは近いが直接は関係の無いこういう美術品市場の価格推移について知識があるのは、会計府の職員は就任早々主な物価推移について知識を叩きこまれるからである。会計府は直接購買にかかわることは無いが、毎年の各府の予算作成について重要な責任がある府である。その為、ある程度の物価推移の知識が無いとついていけない部分があるのだ。
「はー、そんなことが過去にあったんですか。ということはブライアン義従兄のお祖父さんが当時、その泡沫に巻き込まれて?」
「認めたくないがそうだろうな。投機目当てで突っ込んだ資金がこの絵と彫像になったということだ」
フレイが呆れたように言うと、それを受けたブライアンが苦々しい顔になる。いくら現在のハイベルク家の家計に響かないとはいえ、面白い話ではない。はあ、とため息をつき、リーズガルデが落胆したように手近な椅子に腰掛けた。額に手を当てながら、立ったままのマレットに目をやる。
「その泡沫というのはあまり長く続かず、ウォルファートアートの価格は一気に下落、いえ、正常な価格に戻り50年の時を経た今、真っ当な価格で取引されているという訳ね」
「おっしゃる通りです。美術品市場に流れ込んでくる資金は逃げ足の速い資金です。暴騰したところに、大手の美術品業者の一味が一気に大量の在庫をオークションで売りに出しました。それを契機に、過熱していた市場価格は高騰から暴落へ転じた――ということだそうです」
流通していた美術品の中には粗悪な贋作も混じっていたこともあり、それらの事実が明るみに出たことも市場の熱を冷ました。それを考えれば高値で掴んだとはいえ、本物を買った当時のハイベルク伯(ブライアンの祖父だ)はまだましな方だと言えるだろう。




