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サイドストーリー Girl meets Girl

 それはとある平日。具体的には、フレイとマレットがフェルトール渓谷でのピクニックを終えて、約二週間後の事。

 幾分穏やかになった風に、人々が安堵の微笑みを交わす昼時であった。一人浮かない顔をした女、いや、女の子と称すべき若い女がため息をついていた。


「はあ。覚悟はしていたけど、やっぱりああいうのを聞くと辛いなあ」


 少女――ソフィー・アンクレスは常に似合わぬ物憂げな表情を浮かべていた。それはそれで女らしいと言う者もいようが、彼女の持ち味である快活さを損なっていることは否めない。


 彼女の憂鬱の原因、それはつい三日ほど前に起こった。簿記講座で出会い、密かに想いを寄せるフレイから聞いた一言が、全ての元凶である。


 (何でさらりと、マレットさんと付き合うことになったとか言ってくれてるのよ)


 最近私塾に通い出したので、フレイが既に読み終わったテキストを貸してくれるという。そして久しぶりに会ったらこれである。

 しかもソフィーの気持ちには全く気づいていないらしく、笑顔で報告されたのだ。


 ソフィーがフレイにはっきり告白したわけではない。

 だが、普段の言動や態度から自分の好意を感じてくれていたら、あんなストレートには言わなかっただろう。そう思うと、ソフィーは情けなくなった。


 (要は最初から、あたしはフレイの恋愛対象外だったのか)


 どーん、と落ち込む。恋が破れたその日は帰宅してからメイドのケイトに泣きついてしまい、「なかなか初恋は実らないものですよ」と宥められてしまった。

 その時に涙は全部絞り出したのか、今はもう泣きはしない。だが気持ちが平静とは、とても言えない。


 そんな彼女の心中など関係ないと言わんばかりに、今日も彼女が働く屋台に客は来る。八百屋で働く看板美少女と最近屋台街で噂になっているのだが、ソフィーはそんなことは知らなかった。それに知ったとしても、気にも止めなかっただろう。


 注文を聞く、野菜を選び袋に入れる、笑顔で代金を貰う。すっかり板のついた一連の行動に自分を流し込みながら、未だ収まらない動揺を抑えようと分からない範囲で深呼吸。この繰り返しで時間が過ぎていく。


「ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げ、客を見送る。ふ、と客が途切れた瞬間が訪れたので、ソフィーはホッと息を吐いた。この夏の間に少し伸びた髪は胸元までかかる長さになり、それを指でいじる。


「ソフィーちゃん、休憩入っていいよ。いつも通り一時間でね」


「あ、はい。すいません」


 屋台の主であるおじいさんから声をかけられ、ソフィーは素直に返事をした。いつもより少し元気の無い声、せめて主に気づかれないようにと願いながら。



******



「あら、ソフィーちゃん、今日は一緒に食べないの?」


「すいません、ちょっと食欲なくて」


 いつも一緒に昼ご飯を食べる肉屋のおばさんに謝りながら、ソフィーはミルクティーだけ貰って食堂を離れた。屋台街に店を出す者は、大抵その近辺の食堂で昼ご飯を食べる。屋台の出店許可証があれば割引してくれるのが、主な理由だ。もっともソフィーの場合は、バイト代に昼食代が含まれているのだが。


 ソフィーも大抵は、この古ぼけてはいるが清潔な食堂で数人と昼ご飯を囲む。けれども失恋の影響か、あまり昼時に何か食べる気にはならなかったのだ。


 曖昧な返事だけして食堂を離れようとした時に、同じようにミルクティーを受け取り離れる人物が視界に入った。食堂に向かおうとする人の流れとは逆に、二人は大通りへ向かおうとする。その姿は自然と目立ち、半ば必然にソフィーとその人物は目を合わせた。


 (あ、この人最近屋台街に来た人だ)


 確か一週間くらい前からか。ソフィーの斜め右前で花屋の屋台を出している人だな、と記憶を確かめる。綺麗な栗色の髪をポニーテールにしたその人物は、少し高い位置からソフィーと目を合わせた。そして、そのまま数歩移動するという器用な真似をした。


「君、飲み物だけかい」


「は? あ、ああ、そうです。何となく食欲なくて」


 その人物――中性的な外見だがどうも若い女らしい――がいきなりポツリと聞いてきたので、ソフィーは慌てて返事をした。相手の茶色の目が頭一つ高い場所から、ソフィーの紫色の目を見つめる。


「そんなんだから暑さで倒れるんじゃないか? いや、こちらの話だ」


 いきなりそんなこと言われても、ソフィーには分からない。すいません、と断りを入れつつ、どこか座れる場所でミルクティーを飲もうと決めた矢先だった。


 その女性は、ぽんとソフィーの肩を叩いてこう言った。男並みに大きな手、だが指は女性らしく細く長い。


「よかったら一緒に飲まないか? 私も昼は飲み物だけでね」


「え、ええ。いいですよ」


 変な人だな。これがソフィー・アンクレスのナターシャ・ランドローに対する第一印象であった。



******



「ナターシャさん、最近ですよね。屋台街に来たの」


「そうだよ。うちは店舗持ちの花屋なんだが、母が屋台も出してみようと言いだしてね。ちょうどあの区画が空いていたので、出店したんだよ」


 大通りから数分歩いたところに、小さな公園がある。二人の女はそこに腰を落ち着けた。石造りのベンチがひんやりと心地好く、木陰があるので居心地が良い。


 通りを挟んで顔はお互い知っているが、名前は知らない者同士、まずは自己紹介をした。そのままちょいちょい雑談をして、今に至るというわけだ。


「しかし何でまた、アンクレス商会のお嬢さんがこんな屋台で働いてるの? 他にいくらでも経験積めるところあるんじゃないの?」


「父があたしが商売に関わるのに賛成じゃなくて、どこも紹介してくれないんです。自分一人だけで推薦が無いと、いくらなんでもすぐに雇ってくれるところは無くて」


 要は親子喧嘩です、とソフィーは付け加えた。


「ふーん。まあ何とも言えないな。流石にここでいくら働いても、最終的に商会の仕事に関わるような経験が積めるかというと、ちょっと難しいかもね」


 ナターシャの言葉にソフィーは頷く。それはそうだ。屋台街はそれなりに活気があるが、それでもきちんとした店舗がない店が商売をしている場所と蔑まれることもある。


 ふむ、と頷きながら、ナターシャは足を組みながらミルクティーを飲んだ。麻のパンツを男のように格好良く履きこなしている。きっと男装の麗人という言葉が似合うだろう、とソフィーは考える。


「で、浮かない顔を最近している理由はそれだけ?」


 ナターシャがぷらぷらと空になった木のコップを揺らし、何気無く聞いてきた。ソフィーとしては相手の意図が読めず、黙って考えた後ようやく口を開いた。


「うーん......ソフィーさんは、あたしの普段の顔色分かるんですか?」


「ちらちら通りを挟んで見ていた。年の近い女の子だから珍しくてね。あと急にこの二日間かな、昼ご飯を食べに行ってないよね」


 よく見てるな。


 横に並ぶナターシャの声には、こちらを警戒させるような響きは無い。今日初めて会ったような仲ではあるが、だからこそ話してもいいのではと感じた。


「――失恋しちゃったんです、あたし」


 ソフィーはそう言って話し始めた。


 フレイの個人名こそ出さなかったが、どういう経緯で知り合い、好きになり、バーニーズ事件の時に自分が置いてきぼりになるんではと無理矢理くっついて行ったこと。でも結局相手には好きな人がいたことなどを、ナターシャに話した。


 途中、バーニーズ事件の時に、ピクンとナターシャの細い眉が動いたが、ソフィーは気づかない。身内と呼んでいいケイトを除けば、初めて他人にこの事を話している。その事実自体が、少しずつ自分の感情を加熱させる。


「結局、あたし、最初から全然相手にされてなかったんですよ。向こうには好きな人がいて、でもそれでも近づきたくて足掻いて。結局、舞台にも上がる前に駄目になっちゃいました」


 あれだけマレットに啖呵を切っておきながらの完敗だ。気丈とはいえ、所詮は15歳のソフィーにとって堪えないわけが無かった。


 ヘラヘラとごまかすような笑いを、無理に浮かべる。そうでもしなければ、涙が滲むのを止められなかったから。


「そうかあー、ひょっとしたら、私はその人を知っているような気もするなあ。ねえ、ソフィーちゃん」


「ソフィーでいいですよ」


 ナターシャはそれを聞いて、コホンと咳ばらいを一つした。まだ強い秋の日差しが、緑の葉を透かして視界を染める。


「では私のこともナターシャでいい。質問の続きだ。その男って黒髪、青い目?」


「はい、ちょっとだけ髪に茶色がってるわ」


「ふむ。で、身長はそんなに高くなくて眠そうな目でしょ?」


「そうね。外見はその通り」


 なるほど、とナターシャは頷いた。奇妙な縁だ。あの北門近くで助けた二人が知り合いとは思わなかった。


 (これも何かの縁かな)


 世間は狭い、とナターシャは考える。目の前の傷心の美少女は誰かに頼りたいようでいながら、ぎりぎり自尊心で持ちこたえているようだが、逆にそれが危うい感じだ。自分のように乏しい恋愛経験しかない女が助けになるかは分からない。だが話し相手くらいはしてみよう、と決意した。


「フレイ・デューター子爵だね。その相手は」


「そう。フレイと会ったことあるの?」


「客としてうちの店舗に何回か、ね。その時に立ち話で話した内容と特徴が一致したので」


 ボロを出さないように、とナターシャは祈った。一番の一致点は北門近くで真夜中に魔獣に襲われていた点に気づいたからなのだが、それを言うと自分の闇バイトのことまで話さなくてはならない。それは面倒だ。


「そっか。うん、フレイだよ。私が好きな、いえ、好きだった人」


「過去形にするのかい」


「現在形だと辛いから。それに、フレイにあたしの気持ち知られたくないし」


 そう言うソフィーの顔は落ち着いてはいる。だが寂しそうに俯いている姿を見て、ナターシャは何とも言えない気持ちになった。


 (デューター子爵は全く悪く無いんだが、やはり女の子の味方をしたくなるな。私が片想いというのもあるが)


 ナターシャの頭に浮かぶのは、深緑色の髪を後ろでくくった長身の男だ。そして何の縁か、彼もフレイとは接点がある。これも運命の悪戯かとナターシャは頭を振った。


「ソフィー。今日初めて話す君にこんなことを言うのはどうかとも思うが――私も好きな、というか気にかかる人がいる」


 ベンチに座ったまま、ナターシャは組んだ膝の上で手を重ねる。そのまま言葉を紡ぎ出す。自分の心を整理するように。淡々と、だが心をこめて。


「不思議な事にね。彼はデューター子爵にほど近い立場にある。君から好きな人を聞いた時、全く何の奇妙な縁かと思った」


「え、誰のことなの、それ」


 最後に残ったミルクティーを飲み干しながら、ソフィーが聞く。すっかり温くなったそれは喉に甘い。


「神舞祭の時にうちの花を買ってくれたんだ。あんまり多いから私が一緒に運んだ、その時に話した事だけが唯一の接点なんだが。ハイベルク伯爵家の執事さんだよ。ロクフォートと名乗ってくれた」


 夏の一時、ナターシャはほんの少し夢を見た。そして未だその夢の熱が自分の心の奥で灯っている。

 ソフィーは黙って聞いている。その紫色の瞳に引き込まれるようにナターシャは話す。


「おかしな話さ。たかだか一回、それも短時間、荷物を運んだだけの相手を忘れられない。しかも相手は、私のことなどきっと覚えていないだろうに」


 ソフィーを慰めているのか、自分のつまらない愚痴を吐いているのか分からない。血筋のせいで望みもしない強さを難無く手に入れた自分は、全く女らしくない。そんな女がこんな恋心を抱くなどらしくないとさえ、時折自虐することもある。


 ソフィーは表情を改めて、ナターシャに向き直った。この端正な面持ちをした女性もまた恋愛に悩んでいるのだと知り、少し同情と興味が沸いたのだ。


「ねえ、ナターシャ。聞かせて。あの執事さん、いい人っぽいよね。一回しか会ったことないけど」


「そうだな、いい人だと思うよ。でも彼ともう一回話をしたいと思っても、どうすればいいかも分からない。彼に奥さんや恋人がいるかもしれない。けどそれを聞き出す術もない」


 そこで一旦ナターシャは言葉を止めた。この悩みは今に始まったことではない。ただ、同年代の少女に話したのは初めてだ。それだけでも少し気が楽になった事実に安堵する。


「ねえ、ナターシャ。よかったら、あたしフレイに聞いてみようか?」


「え?」


 ソフィーとナターシャの視線が合う。背の低いソフィーが自然と見上げる形になった。


「多分また、フレイに私塾のこととかで会うからさ。あたし、聞いてあげてもいいよ」


「いや、しかしそれは辛くはないか?」


 ナターシャは慌てた。ソフィーの申し出は嬉しい。だが失恋した相手にわざわざ会って、知り合ったばかりの女友達(と呼べるかも怪しい)の恋のアシストをするのは、相当負担だろう。流石にナターシャとしても遠慮はする。


「ううん、大丈夫だよ。あたし、フレイのことは諦めなきゃなんだけど、会いたくないわけじゃないんだ。そりゃ悲しいけどさ、それでも、嫌いになんかなれないからね」


 ソフィーは微笑んだ。目に寂寥の気配を残したまま。


「だから、その時聞いてきてあげる。執事さんて奥さんや恋人いるんですかって。それで、もしいないって話だったら、さりげなくナターシャのこと話してみるよ」


「え、いきなり話すの? そ、それはその......今後会う為の布石としてだよね」


「だって今のままだと、ロクフォートさん、あなたのことどんどん忘れちゃうよ? 記憶が残っているうちがチャンスじゃない?」


 ソフィーのもっともな言葉に、ナターシャはうっ、と唸る。確かにその通りだ。このままだと、ナターシャの印象など忘却の彼方になってしまうだろう。少しでも覚えているうちに勝負しろ、というのは正しい。


「ね、ナターシャ。あたしは恋愛の舞台に上がる前に負けた。すごく悔しいし、悲しいよ。だから、上手くいくかどうかは分からないけど、あなたにはせめて勝負の場には立ってほしいと思うの」


 ソフィーはまっすぐにナターシャの目を見つめた。身長でも年齢でも下の相手が妙に大きく見えて、ナターシャは小さく息を呑んだ。


 (勝負の場、か。確かにそこにすら立てないのは、悲しいな)


 失恋したばかりのソフィーが、こうまで自分の力になってくれるというのだ。ここで踏み出さねば、それはもはや意気地無し以外の何物でもない。


「分かった。ソフィー、恩に着るよ。力を貸してくれないか。とりあえず彼についての情報が欲しい」


「固いなあ、ナターシャ。いいのよ、こういうのは一言」


 そこでもったいぶるように、ソフィーは笑った。ベンチから立ち上がりながら、右手の人差し指をぴんと立てる。


「ありがとうって言えば」

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