フェルトール渓谷でピクニック 1
「フレイです。今話しても大丈夫ですか?」
"こんばんは。いいですよ"
「今度の休み、どこか行きませんか?」
"どこかって例えば?"
通信石の向こうから聞こえてくるマレットの声は、少しからかうような、あるいは楽しんでいるような感じだ。機嫌は良さそうだなと思いながらフレイは答えた。
「城壁外にお出かけしてみません? 乗り合い馬車借りて」
"街道沿いですよね?"
「ええ。べたですけど、フェルトール渓谷でピクニックはどうかなと」
"分かりました。そうしましょうか"
何時にどこで会うかなどを話した後、おやすみなさいと言ってフレイは通信を終えた。そろそろ夏も終盤に差し掛かろうかというこの時期、まだまだ夏の夜は蒸し暑い。
付き合い始めてから一回二人の仕事帰りに一緒にご飯を食べただけなので、まともに付き合い始めてからは実質始めてのお出かけである。
(魔物の心配はしなくていいよな。街道沿いだし、メジャーな遊び場らしいし)
最後に王都から出たのは冒険者のまね事をした時だ。もう三ヶ月前になる。あれからいろいろあったなあ、と思うと感慨深い。
もっともあの時はマレットと交際することになるとは、露とも考えていなかったのだが。
「付き合い始めたのはいいとして、これを持続するのが大事だよな、うん」
「何を独り言を言ってるんだ?」
いきなり背後からかけられた声にフレイはビクッとした。慌てて振り向くと、楽な普段着姿のブライアンがこちらを見ている。さっきまで食後酒でも楽しんでいたのか、僅かに顔が赤い。
「盗み聞きなんて趣味悪いよ、ブライアン兄」
「無茶言うな、廊下で話しているお前が悪いぞ」
ブライアンの指摘はもっともである。フレイがマレットと通信石で話していたのは、屋敷二階の廊下が少し広くなった場所だ。暑がりのフレイが少しでも涼しいところを、と求めて空気がこもりにくい廊下の片隅に逃げてきていたのである。
「まあそれはいいとして。今のは例の彼女か?」
「うん、今度遊びに行こうって」
素直に答えるフレイである。
「素直で結構。で、どこに行くのか決まったのかな」
「フェルトール渓谷でピクニックだよ。外でもあそこは安全らしいって聞いたし」
「まあ家族連れが行くような場所だしな。楽しんでこいよ、ただ一応あの剣だけ持ってけ。お守りだ」
ふむ、と頷きながらのブライアンの勧めに(そこまで必要かなあ)と思った。家族連れや恋人達で賑わうフェルトール渓谷もそこへの街道も、安全が確保されていると聞いている。
そんな気持ちが顔に出ていたらしい、ブライアンがぽん、と肩を叩きながら柔らかく説得する。
「安全なようでも外は外だ。万が一がないとは限らんだろ。お前一人なら勝手だが、彼女連れなら尚更だ」
「そこまで言うなら借りていくわ、ありがとう、ブライアン兄」
「安全で楽しい一日を恋人と過ごしたまえ、若者よ」
そうおどけるように言いながら、ブライアンはさりげなくフレイの手に金貨を一枚押し付けてやった。100グラン金貨の硬い輝きを見るフレイに「お前に後輩や部下が出来たら同じようにしてやれよ」と言い残し、ブライアンは自室に帰る。その背中には大人の男の風格が漂っていた。
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(マレットさんて俺のどこがいいんだ?)
今更ながら、フレイ・デューターは自分自身不思議に思うことがある。 家の格式や財産が重視されがちな貴族社会の端っこにぶら下がってきた為、なんだかんだ言いながら自分を評価するにあたってそれを適用する傾向がある。
人と人の相性には人格というものが重要な位置を占めるというのはよく分かってはいるつもりでも、男女の恋愛においてはそれだけじゃ無いだろうと考えることもあった。
地方の子爵家の三男でいまだ就学中の身分、これはフレイ自身の目から見たらやはり頼りないものなのだ。貴族ならばどれほど零細でも国から交付される手当があるので食うに困ることは無いのではあるが、いかんせんそれだけで生活していくには心もとない。
フレイが自分の見た目や性格を加味していれば自己評価も大幅に改善されたろうが、幸か不幸かフレイにはそういう考え方は無かった。ある意味、実利的に徹することが出来る性格なのだ。
(俺がもうちょいしっかりしないと、釣り合わないよなあ)
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(フレイさん、私のどこが好きなんでしょう?)
マレット・ウォルタースは考える。
彼女は自分のことを不細工とは思ってはいないが、別に特に美人とも思っていない。十人並よりちょっと上くらいが自己評価である。
これは公平に見て過小評価なのだが、彼女自身の痛い恋愛経験とそのあとの心の回復期間からどうしても自分に自信が持てないという事情があったことが大きい。ある意味、仕方がないとは言える。
加えて鳶色というやや地味な髪の色もあり、華やかさにはどうしても欠けがちだ。事実、リーズガルデやソフィーにはその点で一枚か二枚落ちる。
そんなマレットの目からは、フレイが自分を選んだのは不思議なのである。まだ就学中の身とはいえ外見、性格は十分レベルが高く、地方とはいえ子爵家の一員なのだ。より取りみどりとは言わないまでも、それなりに色目を使う女は多いだろうとマレットは考えていたのだが。
(ソフィーさんとの方がお似合いと思ってしまうのは――卑屈になりすぎかしら?)
さすがにそれはフレイにもソフィーにも失礼だろう。そうマレットは考え直す。
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ある意味、自分の魅力を分かっていない者同士の二人のピクニックは、夏が終わりを告げ、初めて秋がその気配を見せ始めたそんな週末に行われたのであった。
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「のどかですねえ」
フレイが馬の手綱を絞りながら、隣に座るマレットに言う。彼の左肩とマレットの右肩の距離は拳二つ分というところか。
「本当ですね。最後に家族で来た時からもう10年近く経ってるけど変わらないわ、この道は」
日よけの為の麦藁帽子のつばをちょっと持ち上げながら、マレットは答えた。今日は緑色を基調としたワンピースでお出かけだ。ぽくぽくという馬の蹄の音、からからという車輪の音が自分の下から聞こえてくる。
王都から馬車で約一時間半の距離にあるフェルトール渓谷。昔は低級な魔物がすくう危険地帯であったのだが、魔王が倒れた後に行われた大規模な掃討作戦のおかげで、王都からほど近い手軽で安全な遊び場となった。その為、今は庶民から貴族まで人気がある。
そこに到る街道はこれもまた安全が確保されており、なだらかな草原を中心としながらも、時折視界に入る巨岩や低木がほどよいアクセントとなっていた。たまに小型の野生の熊や狐、ごくまれにはぐれた灰色狼などが遠方に見えることもある。けれども人間は怖いと認識しているこれらの動物は、逃げるか遠巻きにこちらを観察するだけだ。
安全な街道を馬車でゆき、そして風光明媚で知られるフェルトール渓谷でピクニックを楽しむ。これは王都の住人のスタンダードな娯楽であり、同時にカップルの定番デートの一つでもあった。
「馬の扱い上手ですね、フレイさん」
「うちの実家じゃ、しょっちゅう乗ってましたから」
答えながら、フレイは整備された街道の遠方に視線をやった。この先やや左に傾いた街道、そしてそのカーブの先には雑木林だ。王都を出てから一時間ほどは経過していることを考えると、そろそろ渓谷までの道の終盤であろう。
「やっぱり馬術って貴族の必須項目だったりするんですか?」
「単に移動手段として、うちの実家だと必須なんすよ。お上品な馬術は習ってないです、あくまで実利重視」
「そうなんですねえ。さっきから馬の扱いに慣れているから聞いてみたかったんです」
「ここらへんの道なんて楽なもんですよ。もっと岩だらけ、でこぼこだらけの道を駆け巡ってましたもん」
一頭立て、二人乗り用の小さな馬車の御者席は、ちょうど二人が並べるような作りになっておりカップルご用達の赴きだ。一応後ろに座席も用意されているが、今は荷物置場と化している。
フレイにしてみれば謙遜ではなく本心から楽勝な道である。彼の実家周りは山が近いこともあり、もっと道は狭かった。その上、こんなに調教が行き届いた馬もなかなかいなかったのだ。
(こんなのもいいね、たまには自然を満喫したいし)
王都暮らしにも慣れてきたフレイだが、本質的には自然豊かな土地の子だ。たまには外に出たかった。
(フレイさん楽しそうでよかった。私は馬車の扱いは苦手だし)
マレットはというと、こういう馬の扱いは苦手な方である。乗れないわけではないが普段乗る機会がないため、おっかなびっくりになってしまう。右に座り手綱を操るフレイとの距離もほど近く、緊張しない程度に親近感が持てた。
ふと気づき、持ってきた水筒を開けた。蓋に中の冷たいお茶を注ぎフレイに手渡す。「あ、どうも」と言いながらフレイが受け取る瞬間、指と指が触れ合いすぐに離れたりと忙しい。
(こういうの、いいな)とフレイが考えていれば。
(恋人っぽい、かも)とマレットも思う。
そんな二人を乗せた馬車は、雑木林を抜けて目的地へと近づきつつあった。
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急峻な山間から流れ落ちる清流と岩が組み合わさって谷とそれに挟まれた盆地を作り上げているフェルトール渓谷、そこは自然の美を生かしつつも適度に人の手を入れた景勝地だ。ひんやりとした空気には緑の香りが漂い、川魚の姿が水の中に見える。その一方で遊歩道が整備され、自然を汚さないように排泄物処理を水操作呪文と植物操作呪文を自動発動するよう組み込んだ専用施設で行っている。
自然のサイクルに人が踏みいるならば適当な工夫は必要という観点のもと、この渓谷は維持されていた。
「――というわけです。王都の住人がこの渓谷に愛着があるのは、穿った見方をすれば、ここの維持費に自分達の税金が使われているので元を取ろうという考えがどこかにあるのかもしれません」
「ちょ、夢が壊れますよ、マレットさん」
馬車を所定の停留所に止め、フレイとマレットは芝生の覆う広場に座っていた。直では無く敷物を敷いてなので、服が汚れる心配は無い。そこでお昼ご飯の準備をしながら、マレットがフレイにフェルトール渓谷について説明していたところだ。
「あ、すいません。つい講義口調に......」
少々決まり悪い思いをしながら、マレットは持ってきたバスケットを開けた。藤で編まれた二段重ねのそれには、当然ながら今日のお弁当が入っている。
「もう食べてしまいます?」
「いいんじゃないですか、食べた分だけ荷物減りますし」
フレイの問いに答えた瞬間、(可愛いげ無い返事だ)と思い反省するマレット。もともと論理的な考えを基本としている彼女だが、恋愛においてそれが必ずしも有利とは限らないのだ。
「じゃ開けますね。あ、美味しそうだ!」
しかし全く気にもせず、フレイはバスケットを開けて歓声を上げた。彼の視線の先にはバゲットで卵やトマトを挟んだサンドイッチ、クローシュと呼ばれるチキンを小麦の皮で包んで焼いた料理、フルーツサラダなどがバスケットの中に詰め込まれている。
もう片方のバスケットはマレットが開けた。こちらはドライフルーツ入りのカットケーキとガラスのボトルに詰め込まれたジュースが中心だ。暑くなっても大丈夫なように、低温維持の為の魔力付与が施された布を上にかけている。
「こっちはデザート用なので後で食べましょうか」
「そうですね、ね、マレットさん、これ全部一人で作ったんですか?」
「早起きして作っちゃいました。お弁当なんて普段作らないんで、美味く出来たかどうか分からないですけど」
料理なんてしたことのないフレイからすれば、自分でこれだけ作れるのは素直に凄い。まだ少し正午には早いものの適度に空腹というのもあり、「それでは有り難くいただきます」という言葉と共に早速サンドイッチに手を伸ばそうとした。
「あ」
「え、何か。まだ食べちゃ駄目ですか?」
マレットの小さな声にフレイは手を止めた。何かまずいことをしただろうか。
「自分で食べるんですか?」
「え? 普通食事って自分で食べませんか」
フレイの頭の中でクエスチョンマークが踊る。ごく一部の高位貴族の中には召し使いにフォークやナイフを使わせる者もいるが、フレイは自分で食べるし、それは今までにマレットも見ているはずだ。
「あ、あのですね。お願いがあるんですけど」
何となく顔を伏せがちにして上目遣いでマレットがこちらを見てくる。
「難しいことじゃなければどうぞ」
「あーん、てしてもらってもいいですか?」
一瞬フレイの思考が止まった。
(ねえ、今この人なんて言ったの? あーんて何ですか、柄の悪い人が獲物を脅す時のあれ?)
単なる現実逃避である。いや、本当の意味は分かっている。だがそれをあっさり納得するのはまた別だ。
「あ、あーんてあのあーん? 人に食べさせてもらうあのあーんですか?」
「逆にそれ以外あります?」
質問に質問で返すな! とフレイは言いたかった。言えるはずもないが。
(迂闊だった。ピクニック、手作りお弁当と来たら確かにあーんは有り得た。マレットさんの性格的に無いだろうと油断していた俺に隙があったと言われれば、否定できないな)
想定していなかった事態にフレイは混乱した。黙っているのを肯定と受け取ったのか、更にマレットが追撃してくる。満面の笑顔で。
「お祭りの時だって、私があげたから揚げ食べてくれましたよね? 今更恥ずかしがらなくてもよくありませんか?」
「そ、そうですね! 今更恥ずかしがらなくてもいいですよね!」
あれはお付き合いする前のものの弾みじゃないですか、と喉元まで言葉が上がってきたが、フレイはもう諦めた。こうまでマレットが喜ぶなら素直に従うことにする。
「はい、あーん♪」
「あーん......オイヒイデフ」
嫌ではない。嫌ではないが、何となく自分が子供になったみたいで恥ずかしいなとフレイは思う。それでも二口目のサンドイッチを差し出されたので、それにかじりつく。
(いや、まあいいか。確かに美味しいし。けどこの前のクッキーの時といい、マレットさんの攻撃力が高すぎる)
この人こんなデレなのか、と思いながら食べるピクニックランチ。とりあえずここは作ってくれたマレットさんの顔を立てようと決意しながら、フレイはバゲットをかみ砕いた。
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「ごちそうさまでした」
結局最後までマレットのあーん♪ 攻撃から逃げられなかったフレイ。(だ、大丈夫なんだから!)と強がってみてもまだぼーっとしている。のんびり食後のお茶を楽しんでいるマレットとは好対照である。
「ママー、あのお兄ちゃん、なんでお目目が開いてるのー」
「しっ、見ちゃいけません!」
どこからか、いたいけな子供とそれをたしなめる母親の声が聞こえる。幻聴だと思いたかった。
「お茶飲みますか?」
「はい」
さすがにお茶まではあーんは来ないらしい。フレイは本心からほっとした。一気に飲み干すと頭がはっきりしてくる。
このあとどうするかというプランをフレイは思い出し、それに修正を加えるべきか二杯目のお茶を飲みながら考えた。
(二時間くらいぶらぶらしたり、木陰で本読んだりして過ごして、確か池があるからボートに乗ってだっけ)
フェルトール渓谷のいいところは、とにかく涼しいことだ。豊かな清流と木陰のおかげで、石造りの暑苦しい王都に比べると過ごしやすい。希望者にはハンモックも貸し出されるという至れり尽くせりぶりである。
「フレイさん、それ剣ですか?」
「え? あ、そうです」
不意に聞こえてきたマレットの質問にフレイは答えた。彼女の視線は、フレイが敷物の端に放っておいた鞘付きのバスタードソード+5に向いている。
「私、剣のことはよく知らないんですけど、良い物に見えますね。もしかしてフレイさん、凄く強いんですか」
「強いのは剣だけです。俺自身はレベル7ですよ」
シガンシア戦が終わってから、試しに冒険者ギルドで測ったのである。前にゴブリンと戦った時は5だったので、これでも上昇しているのだ。
「でも、レベル7というのは十分強いんじゃないですか? ほとんどの町の人って1とか2ですよ」
「え?」
自分とマレットの目線が違うことに、フレイは気がついた。あくまでフレイは「戦いを専門とする職種」を基準に考えているのだ。確かにその基準なら一般兵でもレベル10はあるので、フレイはそれより弱い。
しかし、マレットの基準は「普段全く戦いに関わりない職種」だ。確かにそれなら、ほとんどの人間はレベルが1から3以内に収まる。
この違いをフレイが説明すると、マレットは分かったような分からないような顔になった。
「でもフレイさん、シガンシアと戦ったんですよね? 変身する前でもかなり強かったとか言ってませんでしたか」
「ああ、多分レベル20は余裕で超えてたと思います。それを凌げたのは、この剣と、今日は持ってきてないけど借りたレザーアーマーのおかげなんですよ」
フレイの言葉を額面通りに受け止めていいのかどうかマレットは迷った。確かに低レベルであっても装備がグレードが高ければある程度補える。だがどんな威力ある攻撃も当たらなければ意味は無いし、どれだけ強力な防御でも鎧が保護していない箇所に当たれば意味は無い。
(もしかして、低レベルでも瞬間的になら実力が跳ね上がるタイプ?)
たまにそういう人物がいるというのはマレットは聞いたことがあった。だが、とりあえず今は推測する材料が無いので置いておく。それよりは午後の予定を決めるのが先決だった。
「フレイさん、球技とかします?」
「出来ますよ。籠球とか」
「それなら、向こうに球技場があるので見てみますか? 私は出来ないですけど、フレイさんなら他の人と一緒にできるかも」
思わぬマレットの提案である。結局この提案を受け入れたことで思わぬデートとなろうとは、この時の二人には分かるはずも無かった。
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敷物を片付け、二人は芝生を後にする。緑の木漏れ日と小川のせせらぎの中を少し歩くと、何やらガヤガヤと人の声がし始めた。
「あれが球技場ですか?」
「ええ。ちょうど試合しているみたいですね」
盆地を削って作られたそこそこ広さのある台地。そこでは文字通り足でボールを蹴り合い相手のゴールを狙う蹴球、少し高い場所にある籠へとボールを投げ入れて得点を競う籠球、腰くらいの高さにある網を挟んで小さな球を平たい網を張った道具で打ち合う庭球の球技場が一つずつあった。
どの球技場にも先客がいるようだ。歓声と応援の声がこちらにまで聞こえてくる。日差しがまだきつい季節ではあるが、山間の空気が涼しいこの場所ならこうした球技をするのも楽しいだろうなとフレイは思った。
「あっちが籠球の球技場ですね」とマレットは見つけて、フレイを先導する。恐らくごろごろしていても彼には退屈だろうと配慮してのマレットの行動だったが、ボールを争う選手達を見ている内に嫌な予感がして足を止めた。
「あれ、どしたんですか?」
「う、うーん、ねえ、フレイさん。蹴球の球技場見てみません? あっちの方が楽しそうですよ」
「えー、俺こっちが見たいですよ。久しぶりだし」
マレットの言うことならたいてい聞くフレイが珍しく抵抗する。この時点でもはや諦めたマレットが、それでも未練がましくフレイの陰に隠れようとした時だった。
「あら、マレットじゃない! ねえ、そんなとこにいないでこっち来なさいよ!」
「えー、マレット来てんの?」
いきなり観客の間から上がった声に二人の足が止まる。ぼちぼちいい観客席を探すかと思っていたフレイは意外そうな顔に、やっぱり見つかったと観念したマレットは困ったような顔になった。
「マレットさん、知り合いすか?」
「――職場の同僚です」
思い出すのが遅かったとマレットは悔やんだ。そういえば数日前に職場で男女何人かが週末にフェルトール渓谷に遊びに行こうと雑談していたのを思い出したのは、籠球をやっていた選手の一人に同僚の顔を見つけた時だ。時既に遅しである。
(別にあの人達が嫌なわけじゃないけど、デート中だと丸わかりだわ)
もうこれは格好の噂話を提供してしまったようなものだ。彼女の懸念通り、フレイとマレットはあっという間に同僚数人に囲まれてしまった。
「ねえねえ、今日って二人でデート中? うらやましいなあ!」
「初めまして。僕たちマレットの職場の同僚なんだけど、君が最近付き合いはじめたと噂の彼氏さんかな?」
「ほら、マレットもこっち来なよ! 席いっぱいあるし!」
別に悪意があるわけでもない同僚達の誘いだ。断れば居心地が悪くなるという事情もある。
(ごめんね、フレイさん)
(仕方ないんじゃないすか?)
マレットが目で謝る間に、二人はあれよあれよと同僚達が陣取る観客席に連れていかれた。木製のベンチが階段状に三つ置かれた観客席には他にも先客がいる。どうもマレットの同僚達は籠球を趣味でやる他のグループと合同で楽しんでいたらしい。
「いやー、でも奇遇だね! 休日に噂の二人に会うなんて!」
「はあ、噂の二人って?」
男の同僚の一人の問いにフレイが気の抜けた返事をすると、脇から別の女の同僚が答える。
「あのね、最近マレットに恋人が出来たって会計府で噂なのよ。そっかー、君がそうなんだ。ねえ、よかったらお名前教えてもらってもいい? あたしはイルエッタというの」
「フレイ・デューターです。初めまして」
相手が名乗ったので、フレイも自己紹介した。正直面倒なのだが、マレットの職場の同僚とあれば邪険には出来ない。
(助けてくださいよー、マレットさん)
その彼女は隣にいるものの、別の同僚から質問攻めにあっている。どうもこっちのヘルプには来てくれなさそうだ。
面倒くせーなと思いながら、フレイが適当に質問にかわしている間にも、目の前の球技場では籠球を楽しむ選手達が試合を楽しんでいる。知らず知らずの内にフレイはそれを目で追っていた。
(どうせここにいても質問攻めだしなあ)
「イルエッタさんでしたっけ? ね、この試合って正式なものですか?」
いきなりのフレイの質問にイルエッタは大きな目をぱちぱちさせる。すぐに質問の意図が分かったらしく、にんまりとしながら答えた。
「いいえ、同好の士による練習試合よ。もし出たいなら大丈夫だけど?」
「もうすぐ前半終わりっすよね。後半頭からもしよかったら」
二つ返事で「OK!」とイルエッタが承諾する。すぐにそれがチームに伝えられるのを見ながら、フレイは元気よくベンチから跳ね起きた。
「え、フレイさんも出るんですか?」
「はい。大丈夫ですよ。多分俺通用しますから」
遊びの試合なので別にマレットも心配はしていないが、彼女の目から見ても、素人の割には籠球をプレイしている選手達は上手い。おまけにその競技の性質上、背が高く大柄な選手が多いので、身長170台半ばのフレイが入ると埋もれそうだった。
だが当のフレイは平然としている。半袖の上着だけ脱ぐと、その下の黒い袖の無い短衣だけになった。細いながらも筋肉がついた上半身が伺え、マレットの目を奪う。
(フレイさん、結構しっかり鍛えてるんですねーちょっと意外)
ひょいとフレイが屈み込み、マレットの耳元で何か囁いた。その言葉にマレットが固まる。
「じゃ、行ってきますね」
軽やかに笑い、フレイが球技場へと歩いていく。試合はちょうど前半が終わったところらしい。中断の笛の音と共に選手達が動きを止めた。
ザワリと訳もなくマレットは戦慄した。あんなに自信ありげに笑顔を見せるなんて、まるで想像外だ。いつも飄々としているフレイが初めて見せる顔に心が騒ぐ。
「ねえ、マレット。彼、さっきなんて言ったの?」
フレイが耳打ちしたのを目ざとく見つけたらしく、イルエッタがマレットの隣に座る。その好奇心に満ちた顔を見ながら、マレットはまだ半信半疑でさっきのフレイの言葉を思い返す。
"俺、籠球の北部州選抜だったんで。期待してて下さい"
その2ヘ続きます。




