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フレイ、一人暮らしを考える

糖分控えめです。ご安心を。

 そろそろ雨が上がりそうだ。雨を目で追っていたフレイは顔を上げた。結局一時間近くも雨宿りしていただろうか、マレットと会話するのは楽しいが、ぼちぼち何も手元にない木陰で過ごすのも退屈になってきたところだった。


「じきに止みそうですね。このあとどうします?」


「元々公園を散策するつもりで来たんですけど、地面も濡れちゃったしな」


 マレットの問いに答えながら、フレイは小さく一つくしゃみをした。雨で冷えたのかもしれない。


「大丈夫ですか?」


「ちょっとくしゃみしただけです、大丈夫。でも喉も渇いたし屋内入りたいかも」


 それはマレットも同感だ。公園を歩いても泥がはねそうであり、女性としては気になる。結局間もなく雨は止み、二人は公園からほど近い一軒の茶店に移動した。






「付き合うということになったわけですが」


 頼んだシナモンティーのカップを手の平でくるくる回しながら、フレイは口を開いた。向かいの席では、マレットが何やら濃い茶色のお茶(フレイは見たことがなかった)のカップを持っている。


「そうですね。何だか現実感がないです」


「あ、確かに。あれですかね、ある程度知った仲だから?」


 フレイの言葉にマレットはそうかもと頷いた。公園に来る前は、この時間帯にはフレイに冷たい目で見られて、別れてから家でひどく落ち込んでいるだろうと予期していたのだ。それがどういうわけか、こうして付き合うことになり二人で向き合っている。


 大変喜ばしい事態には違いないが、あまりにも予想から斜め上に外れたこの状況に、どうしても落ち着かないのも確かだ。


 そして、それはフレイも似たようなものだ。マレットのいきなりの告白で始まった今日のデートは、最初から予想外の展開だった。必死の告白を聞きながらも自分の気持ちを確認した上で、交際を正式に申し込んで承諾された。

 

 嬉しいという気持ちと安堵感が半々ではあるが、どうにも落ち着かない部分もある。


 (最後にお付き合いらしきことしたの、二年前だもんな)


 まだ色褪せてはいない記憶は感慨も痛みもない。良い思い出として時々フレイの心に甦ることがある。さて、あの時はお付き合いってどうやってしていたかと考えながら、お茶にひとさじだけ砂糖を加えた。


「これだけはしてほしくないということ、ありますか?」


 短い沈黙を破りマレットが聞いた。フレイはお茶を一口啜ってカップを置く。冷えた体にじんわりと温もりが戻る。


「というと」


「つまり、フレイさんが私とお付き合いするにあたって、私にしてほしくないことってありますかということ」


「あー......まあ、別にない、かも? 基本マレットさんのこと信用してるから、今まで通りなら」


「そ、そうですか。まあそう言ってもらえるなら」


 勢いこんで聞いてしまったマレットとしては肩透かしである。だがフレイにしてみれば、よっぽどのことが無い限り大丈夫だろうと思っていたし、そもそもそうでない女性と付き合いたいとも思わない。


「逆に、マレットさんが俺にしてほしくないことってあります?」


「んー、あんまり人前でべたべたされたら嫌かもです」


 思わぬ答えに、フレイは目をぱちぱちさせる。


「べたべたって、それって手をつないだりも入るんですか?」


「あ、そういうのじゃなくてですね、往来で抱きあったりして他の人の歩く邪魔になったり、二人の世界に浸って周りの人の会話を妨げたりは嫌だなと」


「確かにそれは嫌かも」


 言われてから、王都に来てからそういうカップルを何回か見たことがあるのを思い出した。ああいうのは勘弁だなと思っていたので、マレットのお願いは同意出来る。


 (あ、そういえばこのこと聞いておこう)


 ふと思いだしたので、フレイはポケットに入れていた通信石のことを聞いてみることにした。


「そういえば、この通信石って借りてていいんですか?」


「いいんです。それ、会計府の職員に無料貸与されてるので使っていても大丈夫です。むしろ使い心地を実際に体験してもらって、その感想が欲しいんですって」


「へー。これ、まだお店で見たことないんですけど、珍しいものなんですか?」


「最近、国主導で開発した魔道具ですよ。まだ民間で販売するには実地検証が足りないらしいです」


「そうなんだ。あ、これ持ってきてほしいと通信時に言ったのって、もしかして俺がさっきの話聞いて今後二度と会わなくなる可能性があったからですか」


 フレイの質問に対し、やや気まずそうにマレットは頷いた。図星である。


「――とてもではないですが、直接会う機会が今後あるとは思えなかったので。その場合は通信石だけは返してもらうつもりでした」


 そう答えながらマレットは、ほんとにそんな事態にならなくて良かったと改めてホッとした。それと同時に通信石を借りた時のクロックと同僚の大騒ぎを思い出す。


「それ借りる時に、ちょっと会計府(うち)の職場でフレイさんのこと聞かれちゃったんです」


「え? 誰と話す為に借りるのか一々申告必要なんですか?」


「いえ、それは必要ないです。ただ、借りる時にあのもらった硝子の指輪見られちゃって、そこから推測されて」


「マレットさんにしてみたら痛くもない腹を探られてですかね。俺の名前まで聞かれました? あ、別に言っても問題ないですけど」


「言ってませんよ。年下の男性と神舞祭でご一緒する機会がありましたと言って、その場は切り抜けました」


 その時のことを思いだしながら、マレットは苦笑した。ほんとに詮索好きな上司である。人はいいのだが。


「マレットさん、明日職場で俺と交際することになったこと明らかにしますか?」


「ん、自分からは恥ずかしいから言わないですけど、聞かれたら言おうかな。でもフレイさんの名前出したら迷惑かけちゃうかもですよね。だから名前は言わないでおきますね」


「ふーん」


 それを聞いて、フレイはちょっと意地悪を言ってみたくなった。


「もしマレットさんが彼氏出来たと知ったら、男の同僚は元気なくしそうですね?」


「え? なんでですか?」


 キョトンとした様子のマレット。全くフレイの言葉の意味が伝わっていないようだ。


「なんでって、職場にマレットさんのこと密かに慕っている人いるかもしれないなと思ったんですけど」


「えー、まさかないですよ。ないない、私に限ってないです」


 謙遜するでもなく、マレットは本気で否定した。あの通信石騒ぎの日にマレットに恋人の存在が囁かれ落ち込んだ同僚がいたことなど全く彼女は知らないし、想像すらしていなかったのだ。


「全力否定ですね」


「声かけられたことないですもの。お昼ご飯一緒に行くくらいですね」


 そのお昼ご飯の際に何やら「好きな食べ物って何かある? よかったら今度行こうよ」など思わせぶりなことは言われていたのだが、空腹で倒れそうになっていたマレットは考える余裕がなく「何でもよく食べます」とだけ答えて相手を落胆させていたのだ。実に残念な対応である。だが、本人はそんなことは完全に忘れているのだが。


「そうなんだ。皆見る目ないな」


「そう言われると照れますね。でもありがとうございます」


 小さく頭を下げたマレットに、更にフレイは聞いてみる。


「そういえばいつも敬語ですけど、バーニーズ事件の時ちょっと違いましたね。こう、強気というか凛々しいというか」


「あ、あれはわざとですよ。ほら、調査主任だったし、しっかりしないといけないと自分に言い聞かせていたので、気持ち強めな言葉遣いしてました」


 だから今が素なんです、と付け加え、マレットは微笑した。ほんとにこの人はこういう笑い方が似合うなとフレイは思う。


「逆に私から聞きたいですけど、フレイさんこそもてそうですよね」


「うーん、どうなんだろ。パーティー行ったりしたら踊りの相手から妙に好かれることはたまにあるけど」


 でもそれくらいなら誰にでもあることだ。そういえばグーセン男爵家のパーティーでマレットと会ったんだった、といまさら思い出す。


「ハイベルク伯はフレイさんの後見人なんですか」


「後見人ていうか、王都での世話役兼俺の管理人ですね」


「今更ですけど、ハイベルク伯は私が交際相手になることをどう思ってるのか......それはちょっと気になります」


 マレットはティリアに相談して一応大丈夫じゃないかという意見を聞いていたが、念の為にフレイにも聞いておきたかったのだ。


「二人とも反対はしてないですよ。神舞祭の時とか頑張れって言われたし」


「気さくですね」


「リーズ(ねえ)は特にね」


 何でもない会話である。だがポンポンと飛び交う言葉は心地好い耳障りを二人に与えた。


 しばらく話した後小腹が減ったのでお茶菓子を頼み、フレイが話題を変えた。


「あの、一人暮らしって楽しいですか?」


「いいことも悪いこともありますが、私は好きです。実家近いので時々帰ってますけど。興味あるんですか?」


「ええ、まあ。一応私塾の請負業務手伝って懐にゆとりが出てきたし、そろそろあの二人にも悪いかなあと思って」


 サラっと言っているが、一応子爵家の人間が一人暮らしすることなど本来ない。いくら没落貴族でもメイドの一人くらいは周りに置いている。


 聞く側のマレットとしては、そのあたりの事情はフレイも思うところがあるだろうからと置いておき、実利的な面だけ答えることにした。


「もし王都で部屋を借りるとしたら、初期費用が結構しますよ。物件によって違いますけど、大体最初借りる時に家賃の四ヶ月分は出ていきます」

 

「え? そんなに必要なんですか?」


 淡々と答えるマレットにフレイが驚く。ちょうど届けられたハニーパイをフォークで切り分けながら、マレットは丁寧に話し始めた。


「基本的なことから話した方が良さそうですよね。フレイさん、借りる部屋ってどうやって探しますか?」


「一軒一軒自分で見て回って?」


 やはり、とマレットは思った。貴族の人間が賃貸用の部屋など借りることはないので、そもそもの仕組みを知らないのだ。


「いえ、違います。それだとひたすら自分であてもなく物件を見に行かなくてはならないので、しんどいですよね。だから普通は商業ギルドの窓口に行って、こういう部屋を借りたいと依頼するんです」


 なるべく順序よくマレットは話す。

 

 商業ギルドに依頼したあとは、自分の希望に近い部屋を持っている大家の情報をもらう。それをリストアップした後、どの部屋がいいかを商業ギルドに伝える。そうすると、ギルドが仲介人として大家と賃貸希望者の立ち会う場を設ける。そこで双方納得いく賃貸料や部屋の使用条件を話し合い、合意したら契約成立だ。


「なんかめんどくさいですね。俺の田舎だったら、直に大家に会いに行っていつから住みたいと言えば大丈夫でしたよ」


「地方だとそもそも持ち家が多いから、部屋を借りる人が少ないからじゃないでしょうか。あと、商業ギルドが間に入ることで契約で揉めるのを未然に防ぎたいんでしょう」


 そういうもんかとフレイは納得した。だが、何故部屋を借りる際に四ヶ月分もの家賃が必要なのかは分からない。


「その、先に家賃の前払いをするんですか? 簿記の考えでいえば前払い費用みたいに?」


「近いですけど、ちょっと違いますね。例えば私の場合、月1,000グランの部屋を借りてるんですけど、その時は4,000グランを最初に払いました。内訳は、せっかくだから仕訳にしましょうか」


 そう言って、マレットは店の給仕係りに紙とペンをもらった。さらさらと三つの仕訳を記入する。


 敷金(資産) 2,000 / 現金 (資産) 2,000


 仲介料(費用) 1,000 / 現金(資産) 1,000



 家賃(費用) 1,000 / 現金(資産) 1,000


「この敷金て何ですか?」


 フレイは不思議そうな顔だ。対するマレットは意識してはいないものの、自然と講義口調になる。


「敷金というのは、部屋が破損した際に大家が修理の為に最初に預かるお金です。つまり、担保みたいなものですね。お部屋を借りるのを止めた時に、修理にかかった費用を差し引いた金額が戻ってきます」


 だから現金を払っているにも係わらず、費用ではなく資産項目なのだ。後でそれがお金に変わる可能性があるためだ。

 なお、敷金返金時の仕訳は


 現金(資産) 1,500 / 敷金(資産) 1,500 、


 修理費(費用)500 / 敷金(資産) 500


 となる(500グラン分の修理代金がかかった場合を仮定)


「まずそれが家賃の二ヶ月分が相場です。次に仲介料ですが、これは部屋を探したり契約の立ち会い人となってくれた商業ギルドに支払います」


「え。ただじゃないんですね」


 フレイはがっくりときた。世知辛い世の中だと痛感する。


「ギルドも慈善事業しているわけではないので。最後に、最初の月分の家賃一ヶ月分を大家に支払います。これは月初から借りた場合であり、もし月の半ばから借りたなら日割り計算されますね」


 敷金が二ヶ月分、仲介料が一ヶ月分、月初から借りたなら最初の家賃が一ヶ月分。合計四ヶ月分の現金がいきなり必要になるのだ。部屋を借りるのにいきなりこんなに初期投資が必要とは知らなかったので、フレイはがっくりきた。


「はあ~これじゃまだまだ居候だなあ。リーズ(ねえ)に頭上がらないや」


「無理せず下宿させてもらった方がいいと思います。もし仮にフレイさんが一人暮らし始めたとしても、私が色々手伝えるわけじゃないし、大変ですよ」


「そうですよね。今まで身の回りのことは召し使いがやってくれてたからなあー。生活力無いんですね、俺......」


「たまには私がご飯作って持っていってもいいですけど、ずっとは無理ですよ?」


 そのマレットの言葉にフレイが身を乗り出した。それに合わせてマレットは身を引く。


「ご飯、作ってくれるんですか?」


「ま、まあそんなに凝ったものじゃなければ」


「優しいんですね、マレットさん。神様に見えてきました」


「一応今日からフレイさんの彼女なんで、拙いなりに努力はしようかなと」


 尊敬の眼差しで見てくるフレイ、居心地悪そうに微妙に顔を赤らめながらもじもじするマレット。はたからみれば微笑ましいと思うか、何だか怒りたくなるかのどちらかだ。

 空気を察した店の主人がサービスです、とクッキーを一皿持ってきてくれた。幸運なことに、この店の主人は前者だったようである。


 フレイがひょいと一つクッキーを摘む。


「しかし――俺何にも知らないんだな。お付き合い始めてもこれじゃマレットさんに教えられてばかりで、何も変わらないかも」


「いいじゃないですか。二人で仲良く賢くなれば」


 そう言ってから、マレットも一つクッキーを摘んだ。木の実が入ったそれは、香ばしい風味が冴える中々の物だった。食べ終えてからじっとフレイを見ていると、その視線に気づいたフレイが口を開く。


「どうしたんですか? 何かついてます?」


「いえ、やっぱり私、フレイさんのことが結構好きなんだなと思って」


 前触れもなくマレットが投げつけた言葉に、フレイが戸惑う。慌てて二個目のクッキーをお茶で流し込む彼に、マレットは追い打ちをかけた。


「で、もっとフレイさんを好きになれたら、もっと楽しいだろうなと考えていました」


 それだけ笑顔で言って、マレットは残っていたお茶を飲み干した。対面に座るフレイは赤くなって沈黙したかと思うと「なんて卑怯な言い方だ」と呟いた。

すいません、失敗しました(棒読み)

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