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二度目のデートの約束を

「あ、あのリーズ(ねえ)、ブライアン(にい)


「なあに?」


「どーした、フレイ?」


「どうして、そんな怖い顔で俺を見てるのかな?」


 帰宅したフレイを待ち受けていたもの。それは、ジト目でこちらを睨むリーズガルデとブライアンの怖い顔だった。その後ろでロクフォートがいつもと同じような平静な顔で突っ立っているのが、せめてもの救いである。


「なんで、ですって? そんなの決まってるじゃないの! なんであなた、こんな早い時間に平然と帰ってきてんのよ!」


 ビシ! と音が出そうな激しさで、リーズガルデはフレイに人差し指を突き付けた。その背中からメラメラと火炎が燃え立っているような幻想がフレイの目に映り、思わず後ずさる。


「そ、そんなこと言ったってさあ」


「なんなら朝帰りでもよかったんだぞ? なんだ、ゆっくり羽を伸ばせない俺たちに遠慮でもしたのか」


 フフフ、と人の悪い笑いを浮かべ、ブライアンがゆっくりとフレイの退路を塞ぐように背後に回りこむ。逃げたいと心底思いつつも、目の前のリーズガルデのプレッシャーに押され足が動かない。


 (たーすーけーてー!)


 (無理です)


 フレイは視線だけでロクフォートに訴えるが、それも無情なことに拒絶されてしまった。何という薄情な執事だと思うが、もうどうしようもない。


 (すいません、若様。私も自分がかわいいんですよ)


 ここは部外者に徹しよう。ロクフォートは泣く泣く決断する。だが、彼の目論みは、リーズガルデの思わぬ一言で崩壊することになる。


「私達とほとんど一緒にいたロクフォートですら、かわいい花屋の女の子引っ掛けてきたのよ! なのにデートに行ったあなたが手ぶらってどういうことなのかしら。説明してもらおうじゃないの」


「くっロクフォート、お前っ、余計なことを!」


 ギリッと歯噛みして、フレイはのっぽの執事を睨んだ。その視線に殺気がこもっているのを察知し、ロクフォートは慌てて弁解する。


「違います、花の入った箱を一緒に運んでもらっただけですよ。何もやましいことはありません!」


「いやいや、お前は何も悪いことはしてないだろ。奥さん亡くなられてから四年も経つんだ、そろそろ次の恋に踏み出しても全然悪くないぞ」


 いつの間にか、ブライアンは信頼する執事の背後に回り込んでいた。その顔には異常に爽やかな笑みが浮かんでいる。フレイの背後から今の位置まで五メートル以上あったのに、フレイが気づいた瞬間には移動していた。いつの間に動いたのであろうか。


「そうよ、むしろロクフォートはよくやったわよ。悪いのは全部フレイなんだから」


「というわけで、これからじっくり聞かせてもらおうか。ロクフォート、フレイの身柄を確保しろ。主人命令だ」


「すいません、若様!」


「だからなんでえー!?」


 従姉と義理の従兄の非情な命令である。従わざるを得ない執事にがっちり取り押さえられ、フレイはずるずると屋敷の奥に引きずられていく。それを見送るメイド達は「若様かわいそうねえ」と同情を禁じ得ないのであった。



******



 神舞祭の二日後。

 王都中枢に座する王城、それに隣接する会計府へと出勤したマレットは、まっすぐに一人の人物のもとへと向かった。その人物は朝も早く真っ先に机に向かい、自分の仕事に取り掛かっている。絵に描いたような勤勉っぷりである。


「所長、おはようございます」


「おお、マレット君か。おはよう、早いね」

 

「いえ、クロック所長ほどではありません」


 眠気などどこ吹く風と言わんばかりだ。腹が立つほどにこやかに笑い、上司のクロックがほっほっほと声をあげた。ぷにぷにした体型の割にフットワークの軽いこの上司は、朝早く来る代わりに夜は極力残らない主義だ。


「朝礼前にわざわざ私に用とは珍しいね? 何か特別な事情でも?」


「ええ、ある意味そうです。この前、興味のある職員に貸し出すとおっしゃっていた通信石、まだ在庫ありますか?」


 マレットの言葉にクロックは眉を上げた。基本、この頼りになる部下がお願いをしてくるのは珍しい。


「あるよ。使いたいの?」


「はい。勿論、悪用はしないと誓います」


「まあ君のことだから信用はしてるからね。いいよ、今出してあげるよ」


 そう言って、クロックは自分の机の引き出しを開けた。中から取り出した小さな木箱を更に開け、中の物を取り出す。コロンとした楕円形の黒い石だ。大きさは手の平サイズで、滑らかに磨かれた表面にところどころ刻みが入っている。


 それが二つ。その石を見下ろして、クロックとマレットは向かいあった。


「使い方はわかるよね? 話したい相手に一つは渡しておくんだよ」


「はい。では、ありがたくお借りします」


 丁寧に頭を下げながら、マレットは両手で二つの通信石を包むように持ち上げようとした。だがその瞬間、クロックの目がきらんと光る。


「マレット君、君、その左手の指輪は何かね?」


「え? これはただの玩具ですよ。深い意味はないです」


「私の知る限り、君がこの会計府に勤務するようになってから指輪なんかしてきたことはなかった。一昨日は神舞祭、急に通信石を借りたいという要望、そして指輪とくれば!」


 徐々にクロックの声が大きくなっていき、マレットは焦った。他の職員も各々の机に着きだしている。クロックの机に近い位置に座る職員などは、明らかにこちらを面白そうに見ていた。


「し、所長! 声が大きいです、遠慮してください!」


「君に恋人が出来たと考えるのが筋だな。ふ、ふははははは! おめでとう!!」


 声を小さくするどころか、ますます大ボリュームでクロックが言い放った。職場中に轟いたその発言が波紋を呼ぶ。マレットの同僚も「こりゃめでたい」「よかったわ、ほんとにっ!!」など朝から幸せそうな顔で温かい視線をマレットに送ってくる。

 中には「俺密かに狙ってたのにな」「もう生きていく望みがない、よし死のう......」と絶望の呟きを発していじけて座り込む者もいたが、幸いなことに周囲の喧騒に紛れ、彼等に注目が集まることはなかった。


「恋人なんかじゃありませんよ! 変な噂立てないでください!」


「じゃあなんなのか、説明してみたまえ! 納得いく答がもらえるまで席には返さんよ!」


 ムキになって怒るマレットに、クロックも応酬する。こうなれば火に油を注ぐようなものだ。


 結局マレットが解放されたのはたっぷり30分後、なんとか相手の情報を聞き出そうとあの手この手を使うクロックに対し「年下のそこそこかっこいい男性と出かけることはあった」という最低限の情報の提供だけで切り抜けた。善戦と言って差し支えない。


 (あー、もう最悪だわ。昨日丸一日かけてどうしたものか悩んでいたのが馬鹿みたい)


 妙にマレットはヨレッとした様子になっている。その手に収まる二つの通信石を借りる為に払った犠牲は思いのほか大きく、しばらく職場の噂話の的になるのは避けられそうもない。


 (でも仕方ないわ。フレイさんに早く届けなければ。会って......話さなくては)


 コロンと手の平の上で通信石を転がしてから、ようやくマレットはこの日の仕事を開始した。妙に何人かの男の同僚が元気がないなあと思ったのだが、自分が原因だとは気づくはずもない。



******



「若様ー、郵送物がありますよ」


「あっ、ありがとう! ごめんね、わざわざ」


 マレットが職場に格好の話題を提供したとは露知らぬフレイ。その手元に一箱の荷物が届けられたのは、その会計府が賑やかになった日の翌日の夜である。私塾での請け負い業務を終えて帰宅後、夕食を終え、サロンで読書を始めた時に、メイドが持ってきてくれたのだ。


 王都内限定ではあるが全番地を網羅した郵便制度。その恩恵をしみじみと噛み締めながら、フレイは受け取った郵送物を開けた。表面には伝票が貼ってあり受取人にハイベルク伯爵家(信じられないことにこれだけで届く。住所は記載されていない)、その下に会計府とだけ書いてある。


 まず間違いなくマレットからの郵送物だなと思いながら、包み紙を取る。そこから転がり出たのは一つの黒い石だ。それに何やら手紙らしき書面が一つ。


「手紙から読むか。ああ、マレットさんの文字だな」


 黒板に書かれていた筆跡と同じだなと思いながら、フレイは手紙を読み始めた。神舞祭に誘ってもらったことの礼から始まる出だしはすぐに終わり、内容は郵送された石ころの説明になる。


「なになに、この石は二つ一組で使います。もう一つは私が持っており、お互いにこれを握って、正確には石の上部についている水晶部分に触れることで、遠隔地にいても通話することが出来ます」


 通信石と呼ぶこの魔道具、最近になって量産化が始まった最新鋭のアイテムだ。試験導入としてまずは公的機関に勤務する職員に無料貸与され始めている。現場の評判を聞きながら随時改良して民間にも販売する予定なのだが、フレイがそんなことを知るはずもない。


 とりあえず彼にとって重要なのは、マレットとこの通信石を使って連絡を取ることが出来るということである。


「えーと、内蔵されている魔力で動いています。話す度に魔力は消耗していき、それが切れると冒険者ギルドの魔道具修復士に依頼して魔力の補充を行ってください。通話範囲は王都内に限定です、か」


 あまり無駄に使ってはいけないらしい。それを記憶に留めながら、フレイはソファに寝転がった。片手で通信石をいじる。早速使ってみようかと思ったが、おそらくマレットの休みの予定が決まっていないだろうと思い直して止める。


 (何日か待って連絡なかったら、かけてみようかな)


 そう決めてから、フレイはこの前の神舞祭のことを思い出した。楽しかったなーと思いながら、マレットが最後に見せた表情の意味について考えてみる。


 気のせいかもしれないし、見間違いかもしれない。光の当たり具合でそう見えただけか?


 (あとはなんだろうな、なんか言いたかったのかなあ?)


 推測だけならいくらでも出来る。だが答は一つしかなく、今のフレイにはどれが正解なのか判断する材料はない。結局その考察は、ソファに寝転がっているところをリーズガルデに見つかり「あらあら、何をにやにやしてるのかしら?」と冷やかされて中断されてしまった。



******



 通信石がフレイの手元に届いてから五日後の夜のことだった。私塾の教科書を復習していたフレイがそろそろ寝ようかと思い窓の外を見ていた時、机の上に転がしておいた通信石が急にピコピコと音を鳴らした。よく見ると、水晶の部分が点滅して光っている。


 一瞬驚いたフレイだが、多分これがもう一つの通信石から通話をかけてきた時の現象なのだろうと思い、左手に通信石を握る。先端部分の水晶に軽く触れると、聞き覚えのある聞きたい声が石から響いた。


 "遅くにすいません。マレットです"


「こんばんは、フレイです。聞こえますか?」


 "聞こえますよ。使い方わかりますか?"


 通信石を通してだからか若干くぐもった感じに聞こえるが、実用には問題ない。少し口元に石を近づけてフレイは話すことにした。


「水晶部分に触れて話しています。大丈夫です」


 "よかった。あの、次のお休みが確保出来たのでご連絡しました。八日後なんですけど、フレイさんは大丈夫?"


 少し心配そうにマレットが聞いてくる。八日後というとちょうど祭日だ。ルー・ルオンの安息日だ。フレイの通う私塾も休みである。


「大丈夫です。どこに行きますか?」


 "王都中央公園の散策はどうでしょう? 夏は竜牙花が綺麗ですし"


 「いいですよ。一回行ったことあるから場所わかります。三時に入口の池のところは?」


 "それでいいです。あ、この通信石、持ってきてくださいね。何かの時に連絡とれますから"


 フレイは通信石から聞こえるマレットの声に集中した。特にいつもと変わった様子はない。元気そうである。


 何か、何でもいいから話したいという気持ちがフレイの中に沸いた。用は済んだのだから早くしないと、マレットは通信を切ってしまうだろう。


「マレットさん」


 "何ですか?" いつもと同じ声だ。伸びのあるアルト、耳に優しい声。


「いえ、呼んでみただけです、すいません。おやすみなさい」


 クス、と微かな笑い声が聞こえる。


 "おやすみなさい、じゃあ八日後に"


 そしてプツンと通話は切れた。フレイが左手を開くと、通信石は黒い滑らかな表面をさらすだけで静かなままだ。


 (さっきまで側にいないのに話してたんだなあ)


 フレイは通信石を机に置いた。椅子に腰掛け、手を頭の上で組んだまま目を閉じる。ギシリと椅子が軋み、窓の外からは微かに虫の音が聞こえてくる。


 空間を隔てていても、離れている誰かと話せるのか。そう思うと虫の音も妙に優しく聞こえるから不思議だ。


 声を聞いてしまった為か、妙に感傷的になっている。素直に会いたいと考え、そんな自分にフレイは赤面する。


 (これ、好きってことなんだろうな、多分)


 窓の外の闇にはところどころに家々の明かり。部屋のランプの明かりに誘われた蛾が、その明かりを遮るようにはためくのが見える。


 久しぶりに感じる心の動きに身を任せながら、フレイはそのまましばらく目を閉じていた。



******



 八日後の約束の日。外で会うので天候を心配していたフレイだったが、その心配は半分だけ的中した。どんよりと灰色の雲が垂れ込めた空を仰ぐ。雨だけは降ってくれるなよ、と心の中で祈る。


 約束場所の王都中央公園はすぐに分かった。というより、分からないのがおかしいほど広い敷地を誇る公園であり、王都都民にとってはメジャーな憩いの場所である。待ち合わせの目印としてよく使われる噴水の他に、球技に使われる芝生の区域や木々がわざと複雑に植え込まれた散策コースなどが組み合わされている。だが、一番の見所は季節の花が美しく植えられた大きな花壇だろう。


 (公園で待ち合わせってことは、やっぱり二人で花壇を見たりとかかな?)


 そんな楽しい想像をしながら歩いているうちに、フレイは噴水に着いた。わざわざ柔らかいオーク製ウッドチップをパネル状に成型して敷き詰めている為か、この辺りの地面は足に優しい。サンダルで歩く女子に配慮した形式とは聞いたことがある。


「あ、マレットさん、こんにちは」


 そしてフレイが待ち合わせていた女子も、そんな公園の建築家の配慮に応えるように白いサンダル姿だった。水色っぽいサマードレスに合わせるとずいぶん軽快な装いである。


「こんにちは、迷いませんでした?」


「大丈夫でした。さすがにこんな大きな目印見落とさないです」


 フレイはマレットの背後の噴水を見上げる。彼の言葉通り、石造りの噴水は高さが三メートル近くもあり、その噴水口は五つもある。サラサラと細かい水の粒子がそこから噴き上がっては落ちてくるが、晴れならばもっと綺麗だったろう。


 噴水からマレットに向き直ったフレイだが、首を傾げざるを得なかった。噴水周りの石段に腰掛けて待っていたのに、マレットが石段から立ち上がる気配がないからだ。


「あの。公園を見るんじゃないんですか?」


「今日、フレイさんに話さなくてはいけないことがあるんです」


 マレットの声が固く感じる。


 傾げた首を元に戻す。フレイはこれは真面目な話だな、と察した。隣に座りますかというマレットの言葉に黙って従いながら、その横顔を見る。


 (あれ? なんか怖がってる?)


 フレイの察する通り、マレットは今から自分が話そうとする内容に怯えていた。いや、正確には、それを話すことにより自分とフレイの関係がどうなるのかという不安に怯えていた。通信石でこの日に会う約束をしてから今日までずっと、黙っているべきなのではという逃げの選択肢の誘惑に何回も駆られたが、結局それは出来なかった。


 (嘘つきの自分のまま、フレイさんに会いたくないから)


 だから、全部話してしまうことにした。仮にそれでフレイが自分を嫌悪するようになったとしたら。

 

 それは――仕方がないことだ。


 マレットは意を決して口を開いた。


「私の過去の話です」

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